貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

譚音アルン

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1巻

1-2

 気が付くと、侍女のサリーナも出ていってしまっている。
 仕方がない。残ったお茶とお茶菓子は私の部屋の前に運んでおくように別の子に申しつけてから、部屋に戻る。
 学校の校舎並みに無駄に広い屋敷は、部屋に戻るだけでももうしんどい。
 やっとこさ自室に戻った私。侍女を待つのも嫌なので、余所よそ行きのドレスは自分で脱いでしまうことにしよう。
 まずは結いあげた髪の飾り、ネックレス、イヤリング等の装飾品をぽいぽいと外した。次に、胸当てと羽織っているガウンを固定していたピンをバシバシ抜いていく。
 急いだため、ピンがうっかり手に刺さって痛い。ドレス着用にこんなもの使うなんて。こけたりして刺さりどころが悪かったらどうなるんだ。
 いつかこの世界で安全ピンを作ってやる、ちくしょう。
 引きずるほどのガウンを脱ぎ去ると、更にスカート、ペチコート、コルセットを脱ぎ去って靴下留めを外し、裸足になってようやっと下着姿になった。
 下着と言っても、シュミーズと呼ばれるえりぐりの大きく開いたシンプルな膝丈ワンピースである。
 この世界の『普通』はノーパンだが、私はいつもひもパンを穿いていた。これは譲れないポリシー。
 ボフンとベッドに飛びこむと、マットレスのスプリングがきしんだ音を立てる。
 天蓋てんがい付きのお気に入りのキングサイズのベッドは堕落したニートゴロたん生活には欠かせないもの。ちなみにマットレスは前世の知識を元に私が作らせた特注品である。
 羽毛入りのオフトゥン最高!
 私はやっと安堵あんどの息を吐いた。
 はぁ……

「貴族令嬢ってなんでこんなに重装備なんだろうか。コルセットに鉄の小さい板をいつけるなんてこれはもはやよろい……これに剃刀かみそり仕込みの鉄扇てっせんでも持てば絶対に戦えるよな~」

 中二病心がうずいた私は、機会があればよろいコルセットを作ってみようと決意した。
 朝から見合いのためのドレスアップだのなんだので、マジ疲れた。締めつけられてろくに食べられなかったし、締めつけがなくなった今は腹が減ってきて仕方がない。
 少し休んでいるとノックの音がしたので起き上がる。そっと部屋の扉を開けると、侍女が先程のお茶セットの載ったカートを運んできていた。
 カートを部屋に引き入れ、椅子の上に脱ぎ散らかしたドレスなどを片付けようとする侍女を制する。ここはもういいからと下がらせた。
 一人になった部屋でカートを更にベッドサイドの枕元近くに引っ張ってくると、私は読みかけの本を片手にベッドに乗りこんだ。カートの傍に寄ると頬杖をついて横たわり、本は一旦置いておいて紅茶をカップに注いでいく。
 今からするのは貴族女性の価値観では最高に行儀が悪いことだ。だがそれがいい。
 半身を起こしたら枕やクッションを重ねて背あてにして、膝の上に開いた本を読みながら、菓子を摘まんだり紅茶を飲んだりするのだ。
 あぁ、いやされる……
 紅茶はぬるくなってしまっていたが、まぁこれはこれでいいか。
 しかし私のそんないやしタイムも長くは続かなかった。
 部屋の扉が勢い良くノックされ、私の返事も待たずにそれが開けられる。
 案の定というか、ダディだった。自分と同じ蜜色の瞳が、じろりと部屋中に巡らされる。
 私は頬を膨らませた。

「ダディ、部屋に入る時はちゃんと返事を待ってからにしてよね。ここ一応女の子の部屋なんだけどー」

 デリカシーなく闖入ちんにゅうしてきた癖に、繊細そうに溜息を吐くダディ。なんとなくムカつく。

「マリアージュ、なぜお前は部屋ではいつもいつも破廉恥はれんちな姿をしているんだ! メリーでさえ部屋でもちゃんとドレスを着ているというのに、恥ずかしくないのか!」

 怒鳴るダディ。ちなみにメリーというのは私の妹メルローズの愛称である。

「え~、別に自分の部屋でどんな格好でいたって、それは自由じゃないの。ダディは、例えばわざわざ女専用の浴場に乗りこんでって、裸でいるのはれんでけしからんって言うわけ?」

 ボリボリと尻をいていると、ピスッと小さな音がした。

「あ」

 うぅっぷす。出ちゃったか~。

「お見合いん時じゃなくて良かった~」

 私のたとえ話と体たらくに、ダディの顔が真っ赤になった。鬼の形相になっている。

「マリアージュぅぅ‼ 仮にもお前はキャンディ伯爵家の令嬢なのだぞ、令・嬢!」

 屋敷中に響くかと思うほどの大声が、部屋にビリビリと響き渡った。
 思わず、小指を耳に突っ込む。鼓膜が痛い。

「マリーの本日の伯爵令嬢としての業務は終了致しました」
「本日と言わずいつも伯爵令嬢でいなさいと言っている!」

 私は耳から出した小指にわざと息を大きく吐きかけ、さとすようにゆっくりと言う。

「あのね、ダディ……マリーはそれはブラック企業――心ない経営者のやることだと思うの。サリーナが私の侍女やるのも日中四刻(※八時間)程だし、警備の者だって交代制でしょ? 私だって、家庭教師の授業の時やお客さんが来る時とかの、キャンディ伯爵令嬢としてこなさなければいけない業務がある時間帯はちゃんと完璧な伯爵令嬢でいますよ? だけど、それ以外の時間はただのマリアージュでいたいの。ダディだって四六時中窮屈きゅうくつでしかつめらしい伯爵閣下でいるわけじゃないでしょ? ただのおっさんの時だってあるでしょ~?」

 首を傾げて見つめてやると、ダディはぐるりと目を回した。

「おっさん……」

 あっ、アラフォーとはいえ、三十路みそじでおっさんは流石さすがにショックだったか。
 まだ働き盛りだもんな。フォローしておかないと。
 私はちょっぴり反省した。

「言い過ぎたわ、ごめんねダディ。ナイスミドルなおじ様、で」

 ダディは何かをこらえるようにこめかみに手を当てている。

「はぁ……お前、結婚してしまうまで絶対にグレイを騙しきり、くれぐれも逃すんじゃないぞ。婚約はすでに成ったのだから。とにかくもうすぐ夕餉ゆうげの時間だ。ちゃんと服を着なさい――サリーナ、支度を」
「はい」

 私達の不毛なやり取りの間に入室し手際良く室内を片づけていたサリーナ。先を読んでいた彼女の手には部屋着用のドレスが準備されている。主がダメな分、実にデキる女だ。
 いやしタイムを諦めた私は、仕方なく着替えるためにベッドから出た。


 かちゃりかちゃりと響くカトラリーの音。他の家のことは知らないけど、うちはいつも家族そろって食卓を囲む。
 まぁ、実は私が言いだして、いつの間にか習慣化していたんだけど。
 今日のメニューはチキンステーキだ。バターとハーブ、塩のバランスが絶妙である。
 うん、美味うまし。モグモグしながら機嫌良く味わっていると、ママンティヴィーナと目が合った。
 ママンの目が細められ、優しい笑みを形作る。見事な黒髪に美しい灰色の瞳をした匂い立つような美女は、結婚が早かったとはいえとても七児の母とは思えない。

「マリーちゃん、無事に婚約が決まって良かったわね。『結婚できなかったらずっとママンと一緒に暮らすぅ~』なんて言ってたから心配してたのよ?」

 私はステーキをのどに詰まらせかけた。ぐうの音も出ない。
 前世でも東京に行くまでは親元でパラサイトしてて、自立する気がゼロだった私。というかあんな薄給じゃ独り暮らしで貯金とか無理ゲーだったし。
 ただ、ママンが心配していたのは、私がニートすることよりも独身のままであり続けることだろう。
 前世と違って、結婚できないオールドミスは尼僧にそうでもない限り人格や身体的欠陥を疑われる、世知辛い世の中だ。
 胸を叩いてチキンをなんとか飲み込んだ私は素直に謝った。

「心配かけてごめんなさい、ママン。でも、このまま結婚してしまえば私の人生は安泰ですから」

 ダディの言う通り頑張ってグレイを攻略しよう。結婚するまで油断は禁物だ。
 ちなみにいつもと違って言葉遣いを令嬢モード寄りにしているのは、ボロを出さないようにと普段からの言葉遣いの改善をダディに命じられたからである。
 グレイ攻略の決意を新たにしていると、一番上の兄トーマスが「なぁ、マリー」と声をかけてきた。

「それにしても、裕福だとはいえあの男は商人上がりの子爵だろう? マリーはなぜあんなやつを選んだんだ?」

 あれ、と思う。トーマス兄はグレイと面識があったっぽい。
 しかし『商人上がり』とは、また……あまり良い印象を持ってないようだ。
 私と同じ父譲りの蜜色の髪と瞳をした柔和な美貌のトーマス兄は、リトルサイモンとでも言おうか、父にそっくりである。若く箱入りの貴族令息ぼんぼんだから付き合う人脈の幅もまだ狭く限定的なのだろうし、思考もきっとそれにつられて保守的になってしまう。商人に対する偏見も、仕方がないのかも知れない。
 まぁ正直に言うか。家族には取りつくろう必要もないし。
 貴族令嬢らしい笑み一発、にっこり。

「――働きたくないからです」
「え?」

 トーマス兄はぽかんとした顔になった。その隣に座って黙って話を聞いていた次男カレル兄も同様である。
「今、なんて?」と言わずとも顔に書いてあった。

「一生、働かずにやしなってもらいたいからですわ、トーマス兄様。マリーは働いたら負けだと思ってますの」
「はぁ?」
「貴族の婦人は普通働かないだろう。どういうことだ?」

 カレル兄も参戦。視界のすみで、ママンの目が冷ややかな色に染まるのが見えた。
 こりゃ後で二人とも折檻せっかんコースだな、南無。
 私は首を横に振りながら、両手のてのひらを上に向けて肩をすくめる。

「っかー、分かってないよねぇ、兄様達は。そこにお賃金が発生しないだけで、ご婦人はちゃんと働いてるんだよ? ママンの目を見て同じ台詞せりふをもっぺん言ってみなよ。考えてもみて。自分より爵位が上の男にとつげば、社交界に出るだの家政を取り仕切るだのなんだのと、外に出て働かないといけないじゃん!」
「言葉遣い!」

 ダディの叱責が飛んできた。私は胸に手を当て、意識してはかなさを演出する。

「そう……そもそも、私の希望は高い爵位なんかではなく、精神的に安定した優雅な引きこもり生活なのですわ。社交界は人間関係――陰湿な陰口や権力闘争、不倫沙汰……その他諸々の恐ろしいことでいろいろと神経を使いますし、婚家は婚家で運悪くなかなか懐妊できなければ跡継ぎを産め男を産めと姑からのいびり不可避……実家の爵位が低ければ娘の待遇に口出しすらできません。か弱いマリーはね、そんな世界じゃ絶対いじめられるから生きていけないんですの! 子供は産んでもいいけど、絶対に一生引きこもって社交界とか危険なおんもには出ーないっ!」

 語る内にテンションの上がった私はパチパチと手を叩き、上にバンザイとやった。
 以前婚約相手に対して希望を訊かれた時に同じようなことを語ったはずなのに、ダディはなぜか死んだ目になっている。

「あははー、マリーお姉ちゃまったら子供みたいー!」
「きゃはははは!」

 弟イサークが笑いだす。妹メリーも一緒に手を叩いてはしゃぎだした。婚約者が公爵家令息である長女のアン姉は「……私、もしかして当てこすられてるの?」と自身を指さし首を傾げ、次女のアナベラ姉は「マリー……」と呆れたように呟いた。

「はぁ? 誰がか弱いと?」

 そんなトーマス兄のツッコミを私はさっくりと無視してわざとらしく微笑んだ。

「ですから、爵位は低くても構わないし、むしろそちらのほうが気は楽かもって思いますの。それで、裕福で浮気する度胸がなくて私を大事に大事に囲って一生やしなってくれそうな、叶うならばマリーが仕事しない分、仕事ができる有能な人がいいとお父様にお願いしたのですわ。あぁ、トーマス兄様はキャンディ伯爵家の跡取りですから、未来の妻子をやしなうためにも必死こいて身をにして働かなきゃいけませんわね、せいぜい頑張ってくださいまし!」

 ほほほほ、と高笑いをする。
 トーマス兄はダディを見た。その視線にダディが力なく首を振ると、一気に疲れたような眼差しになってこちらを見る。

「……気のせいだろうけど肩にずしっと重みが。キャロラインのような、男まさりで才気のある強気な女性も悪くないように思えてきた……苦手だったはずなのになんでだろうな?」

 キャロラインはトーマス兄の婚約者である。私とは正反対の、勝気でバリバリのキャリアウーマンタイプ。
 トーマス兄はどっちかと言えばおっとりタイプなので、いろいろと圧倒されてしまっていたのだろう。

とついだら跡継ぎを産んで外には出ず家を守る。決してでしゃばらず大人しくしている。そんなつつましやかな女性が貴族婦人の美徳って言ってたの、他でもないトーマス兄様でしょ?」
「いや、結果的には同じことのはずなんだがお前の言うことを聞いていたらな……才ある女性が外で活躍するのも悪くない」

 一度彼女とよく話してみることにしよう、と反省するトーマス兄。それがいいと両親が頷いた。
 期せずして私は長男カップルの仲を取り持ったようである。

「それはそうと、お父様。マリーが引きこもって社交界に出ないというのは……その、良くないのでは」

 静かになったところで気を取り直したアン姉が、母譲りの灰色の目を揺らしておずおずと切りだした。
 長女だけに私のことを心配してくれているのだろう。アナベラ姉も心配そうに見ている。
 社交界に出ないということはやはり本人に何がしかの問題があるのだろう、と周囲に思われてしまう。一般的に不名誉なことではあるのだ。

「これまでのマリーの数々の奇行を思い出してみるがいい。無理やり社交界に出すのはかえって良くないという結論になったのだ。本人も外に出ないことを希望していることだしな」
「なるほど……」

 アナベラ姉の呟きが静かに響いた。それに同意するような沈黙が落ちる。

「えぇ……あの馬は流石さすがに奇行という自覚はありましたけど。世間に出せないほどの、そんなにおかしなことばかりしてたかしら?」

 いまいち納得いかない。いわゆる『転生チート』できる程の専門知識もそこまでないし、できることや前世の知識を試すにしたってほぼ人任せで、自主的には行動してないんだけれど。
 それまで静かだった弟妹達が「馬おかしくないよ! 楽しいよ!」「そうよ、楽しいわ!」と口を挟む。それに「そうね、マリーお姉ちゃまが間違ってたわ。楽しいわよね」と微笑んだ。優しい子達である。
 ダディサイモンは食後のワインを一口呑むと、あごに手を当てた。

「……確かに寝心地の良いマットレスなど、便利なものを考えだすこともあったが。あの馬鹿みたいな馬の件がなくとも、お前の言動は基本的に突拍子もなく不用心に過ぎる。自覚なく危険な考えをポロッとこぼすところもある。社交界で同じ調子で過ごしてみろ、瞬く間に奇人変人と思われてしまうだろう」
「危険な考えって……んー、こないだ話した経済戦争やグローバル主義の概念? それとも今立ち上げ中の株式制度? でも株式は別に危険ではありませんわよ? あっ、うちは銀山を持っておりますし、交易商のグレイ様と結婚するならキャンディ伯爵家を発展させるもっともっと良い考えが。うまくいけば世界経済を――」

 言い終わらない内にいきなりテーブルに音を立ててさかずきが置かれ、私はびっくりして口を閉じた。

「そういうところだっ! まったく……話したければ後で執務室で聞こう」
「もう、ダディったら。家族だからなんでも話せるんですのよ!」

 そんなに怒鳴るように言わなくても。男の更年期障害かしら? 
 私だってちゃんといろいろ考えて話してるのに。
 不満に思いながらも、「分かりましたわ……」と渋々返事をする。
 と、そこで私は重要なことを思い出した。

「あの……ママンとお姉様達にお訊きしたいことがありますの」

 ことがことだけに切実である。そんな気持ちが伝わったのか、ママンティヴィーナと姉達だけじゃなく、食堂に集まる皆が私に注目する。
 私はごくりとつばを呑みこんだ。

「お食事中にごめんなさい……。社交中に不可抗力でほうしてしまったら、皆様、どうなさってますの?」

 その瞬間、カレル兄がスープをブフォッと噴きだした。ママンや姉達は目が点になっている。

「意識的に透かしっをする訓練を積む、ほうが常日頃の方は犬を連れ歩いて犬のせいにする――マナーの本には事前の対処については書かれてあります。しかし、犬もおらず不可抗力で出てしまったらどう誤魔化ごまかせばよろしいんですの? 事件は現場で起きますのよ?」
「お前は社交界に出ないんじゃなかったのか?」

 ゲホゲホッとせて涙目のカレル兄。その背をさすったり叩いたりしながらトーマス兄が突っこむ。

「確かに出ませんわね。でも、今は大事なグレイ様とのデートを控えておりますし、大事なことなんですの」

 きりっとして言い切ると、咳が収まったカレル兄が息も絶え絶えに顔を上げた。

「お前のお陰で俺は女に対する幻想を一切抱かずに済むよ……」

 トーマス兄も同意するように頷いた。
 失礼だなぁ。
 ちなみにカレル兄は黒髪に蜜色の瞳をもつママン似の精悍せいかんなイケメンで、格好良くて非常にモテる。実は競争率が高くてまだ婚約者が決まってないのだ。

「カレル兄様に近づいてくる女性は例外なく幻想を抱いていますわね。本当のカレル兄様はおならもするし、スープを噴いたり鼻糞ほじったりもしますのに。夢は所詮偽り。いつかはめて現実を見るものですわ。そして人はそこから真実の愛を育むんですのよ」

 ふふん、我ながら良いことを言った。
 カレル兄様が幻想なしで愛し合える女性を見つけられますように、と祈る真似をする。
 カレル兄は慌てて口周りを拭くと、生意気な、と苦笑いを浮かべた。
 その後、我に返ったママンや姉達が寄ってたかって私を囲み、アホの子を見るような目で「そういう時はお互い気付かないふりをするのがマナーなので、なかったように振る舞うように!」と教えてもらった。
 なるほど、勉強になるなぁ。


     ◇ ◆ ◇


 我がルフナー家は大商人から成りあがった新興貴族だ。
 キーマン商会と言えば日用品から遥か遠国の珍奇な品までなんでもござれ。王都はもちろん、地方でも知らぬ者はいないだろう。
 それを取り仕切る大商人だった祖父が男爵令嬢の祖母と恋に落ちて結ばれ、貴族の仲間入り。
 交易の旅に見切りを付けてこのトラス王国に根を下ろしたのが始まりだった。
 次に、その一人息子である父が婿むこ入りする形でルフナー子爵家を吸収。
 そして、二人の息子を儲けたのである。
 一人は兄のアール・ルフナー。もう一人は弟である僕、グレイ・ルフナーだ。


 商売の拡大のためにも更に高みを目指そうと、兄は没落しかけのリプトン伯爵家に資金援助を条件に婿むこ入りを果たした。
 そして僕も――できる限り身分が上の女性をめとり、ルフナー家を継がなければならない。
 兄弟が別々の家を継ぐことになったため、キーマン商会の商売も二つに分けられた。
 高位の貴族と交流を持つことになるであろう兄は、珍品や宝石類といった貴金属類を。そして僕は食料品や雑貨等、生活に関わる品を中心に扱うことになった。儲けが出やすいのは兄だが、扱う量は圧倒的に僕が多い。
 僕は兄の結婚式で、自分の扱う商品の中でも貴族受けしそうなものを抜け目なく提供した。その策は功を奏し、問い合わせや注文の手紙が数多く舞いこみ――いくつかの取り引きをうまく勝ち取ることができた。
 転機がやってきたのはそれから程なくして。キャンディ伯爵サイモン閣下から、とある手紙を受け取ったのである。
 兄が婿むこ入りしたリプトン伯爵家は没落しかけていたが、同じ伯爵家でもその身代しんだいの規模はピンキリ。キャンディ伯爵家は豊かで、広大な領地に銀山を有し、資産だけで言えば公爵家並みだと有名だった。
 更にサイモン閣下はやり手の貴族で、長女のアン姫は公爵家にとつぐことが決まっていると聞く。
 兄の結婚式で売り込んで以来、キャンディ伯爵家にはさまざまなものを買ってもらっていたが――必ず所望されるのは茶葉である。
 遥か遠くの国で習慣付いているという喫茶文化は、丁度兄の結婚式の後ぐらいからこの国でも徐々に根付いてきているようだった。
 キャンディ伯爵夫人はその喫茶をお気に召しており、率先して貴婦人達を集めては茶会を開いているお一人。その意味ではキャンディ伯爵家はお得意様であり、決して軽んじてはいけない相手と言える。
 つい先日、キャンディ伯爵家に商品を届けることがあり――その時雑談交じりに商売のこと等いろいろお話をした。その中でサイモン閣下にキャンディ伯爵家の事業について助言を求められ、自分なりの見解をお答えしたのだったか。
 商品について何か問題があったのだろうか、それともその助言の件だろうか?
 疑問に思いながら手紙を開いてみると、そこには驚くべき内容があった。
 サイモン閣下は僕の才能を素晴らしいものと感じ、今キャンディ家が推し進めている事業の助言役となってほしいとのことが書かれていたのである。
 もちろん僕がルフナー子爵家の当主となるまでの間で構わないし、当主教育としてキャンディ家にできることがあれば良い教師を手配するとの好待遇。
 これは千載一遇せんざいいちぐうのチャンスだと僕は思った。
 働きながら一流の貴族教育を受けられる上、人脈作りもできるし領地経営も学べる。父も賛成し、是非このチャンスを掴むべきだと後押ししてくれた。
 こうして僕は商会のことに手が回らない時は祖父や父に任せつつ、週に数日程度、キャンディ伯爵家に学びながら仕えることとなったのである。


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