貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

譚音アルン

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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

グレイ・ダージリン(54)

 「まあ、何て美しいの! 底まで透き通って見えるわ」

 サリーナの従兄弟だというオーギー・シンブリ達の迎えと案内で、僕達は獅子ノ庄の目と鼻の先まで来ていた。
 獅子ノ庄は森に囲まれた巨大な湖畔の傍にある町だ。
 その大きな湖を見たマリーが歓声を上げる。
 僕も同じ気持ちだった。その透明度が高い湖は浅く大きく広がり、曇りの日にあっても神秘的なエメラルドを思わせる色を湛えている。
 きっと晴れ渡った日に見たらもっと美しかっただろう。

 「あそこを見てグレイ、水が湧き上がっているんだわ!」

 マリーの指さす先を見ると、確かにそこの砂地がふわふわと上に動いていた。

 「本当だ、湧き水が。ここは湧水湖だったのか」

 「獅子ノ庄の名水は有名ですわ」

 ナーテがそう教えてくれる。
 サリーナがマリーに説明しているのを聞くと、獅子ノ庄の煮炊き・生活用水は全てここの水を使っているとか。
 使った水を畑の植物に掛けたり、汚物を離れた森の中で肥料に変えたりして遊水湖の水が汚れないように保全に気を配っているらしい。
 確かにこういう水でお茶を淹れたらさぞかし美味しいことだろう。

 そんな所へ迎えに来てくださったのはサイモン様と獅子ノ庄当主ハンス・シンブリ卿。
 鳥ノ庄のある山々の方から雷と雨雲が近付いてきていたので、僕達は獅子ノ庄の屋敷へと急いだのだった。

 大きく立派な屋敷では、サリーナの母親のジュリーヌ夫人が迎え入れてくれた。
 マリーのばあやのコジー夫人の娘だという夫人は、成る程よく似ていると思う。
 コジー夫人のぎっくり腰についてマリーがジュリーヌ夫人に詫びているのが若干気になりながらも、僕はそれとなくカールとオーギーに注意を向ける。
 オーギーは腕を組んで面白くなさそうにカールを睨みつけていた。
 どうにも彼は何となくカールとサリーナの関係を何となく感づいたようだ。
 従兄妹同士は結婚出来るし、もしかしたらオーギーはサリーナと結婚したいと考えているのかも知れない。
 カールとサリーナはこの獅子ノ庄滞在中に婚約の旨を報告をするんだろうけれど、告白の場で僕が立会人になっているからなぁ……。
 もしハンス・シンブリ卿が二人の仲を許さん! と怒ったらどうしよう。
 そう考えたら、何だか胃がキリキリしてきた。


***


 細心の注意を払い、サイモン様肝入りで丹念に作り上げられた『蒸気エンジン』模型。
 それがやかんでお湯を沸かした時のような湯気を噴き出して車輪が回った瞬間、その場に居る全員が歓声を上げた。
 僕の脳裏にマリーに見せて貰った『蒸気機関車』の姿が蘇る。彼女の言う通り、この模型を巨大化すればきっと作れるだろう。

 目の前ではマリーとサイモン様が悪い笑顔で燃料である石炭を確保する算段をしている。
 外の天気はおあつらえ向きに大荒れになっていた。
 大雨が降り雷が鳴っている最中、高笑いをしているマリー達はまるで物語や劇に出て来る悪役そのもの。
 しかもそれが似合い過ぎているから困ったものだ。

 「グレイ様、マリー様。弟がご挨拶したいと申しております」

 実験が無事終わった後、食事へと向かう途中。
 サリーナがイサーク様より少し年上ぐらいの男の子を連れて来た。彼はサリーナに背中を押され、おずおずと前に出て騎士の礼を取る。

 「グレイ・ダージリン伯爵閣下、マリアージュ姫様。お初にお目にかかります。姉がいつもお世話になっております。私はサリーナの弟のクルト・シンブリと申します」

 「ご丁寧にありがとうございます。優秀なサリーナの弟さんなら将来が楽しみですね」

 「まあ、サリーナにこんな可愛らしい弟さんが居たなんて! こちらこそ初めまして。お姉さんにはむしろこちらが常日頃からとてもお世話になっていますわ。クルト君、宜しくね!」

 「ありがとうございます、姉の事を誇りに思っていますのでそう言って頂けて嬉しいです」

 「慕われているんだね、サリーナ」

 「はい、可愛い弟でございます」

 サリーナは僅かに微笑みを浮かべてクルトを見つめ、その金髪をゆっくりと撫でる。
 姉を見上げたクルトは、どこか泣きそうな顔で嬉しそうに笑った。

 姉弟二人の間に何があったのかは僕には分からない。
 だけど、もうそれは終わったことなのだろう。

 設けられた晩餐の席で、獅子ノ庄の特産だという魚――恐らく湧水湖に泳いでいたものだろう――のチーズ焼きに舌鼓を打ちつつ、これまで回って来た隠密騎士の里についてマリーと共にサイモン様に報告をする。
 紡績機、反射炉、高い所から落ちる速度を弱めるという落下傘、そして。

 「マリーによれば、鋼の太い綱に人や荷物を載せられるような鉄の大きな箱を蒸気機関の力で牽引する『ロープウェー』という仕組みがあるそうです。
 龍ノ庄の当主ルシエン卿にお聞きしたのですが、龍ノ庄からジュリヴァ方面へ行く道はかなり不便だとか。それでも龍ノ庄はあれだけ栄えているのです。山の麓から上まで『ロープウェー』で真っ直ぐ行けるようになれば大分便利になるかと思います」

 僕としてはあそこにロープウェーがあればもっと流通が栄えるのにと思う。

 勿論、龍ノ庄からジュリヴァ方面へ『ロープウェー』を建設するのが防衛上に憚りがあるのであれば、ダージリン領へ蒸気機関車を走らせるのはどうかと代案も付け加えた。蒸気機関車がナヴィガポールまで繋がれば、キーマン商会の船で物資を運べる。

 「言っていることはもっともだが、人の往来が増えるということは便利になる利点の反面、攻められ易くなり防衛上の不安という欠点が出来てしまうことになる。
 ロープウェーは隠密騎士達と防衛計画の練り直しが必要になるだろう。蒸気機関車にしても、ダージリン領を掌握した後だな」

 確かに銀鉱山、これからは金鉱山とダイヤモンド鉱山か。良からぬ者達が涎を垂らして喜びそうなものが山地の中央部に集中している。キャンディ伯爵家という特殊な家柄、隠密騎士の機密も守らねばならないだろう。

 「分かりました」

 出来ないと言われているのではなく時間が必要とのサイモン様に、僕はもっともなことだと頷いて引き下がった。
 ああ、そうだ。ルシエン卿に頼まれた例の件があったんだった。

 「ルシエン卿が国外の護衛について、新たな里を作り専門の隠密騎士を育成してはどうかと。
 私達が聖地へ向かった際、龍ノ庄の方が護衛をして下さっていたとか。ただ、国外での護衛に慣れておらず、また海での戦いや操船の経験が乏しく難儀されたそうです」

 そこでルシエン卿に頼まれたのは、ナヴィガポールを拠点に海で活動する専門の新しい隠密騎士の里を作ってはどうかとサイモン様に具申して欲しいということだった。
 それならばファリエロ達に頼んで船乗りの技術を学べるし、洋上の戦闘訓練をするのにも協力が得られる。大きなジュリヴァの港とは違い、ナヴィガポールは丁度良い規模だそうだ。
 隠密騎士だけではなく、雪山の民からも新しい里へ人を出して貰えれば二つの山の民が一つになる第一歩となるだろう――そうルシエン卿は考えを述べた。
 これに関しては賛成を得られたようで、隠密騎士家と雪山の民での婚姻を含めて徐々に話を進めていくことに。

 そこまでは良かったのだけれど。

 「ああ、そうだわ! 婚姻と言えば、蛇ノ庄で」

 カールとサリーナに関して素敵な報告がある、とにこやかに手を打ち鳴らすマリー。
 それまでにこやかな表情で話に耳を傾けていたハンス卿の表情が、瞬時にして険しいものとなった。

 ――うわあああ、これは駄目なやつだ!
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