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後編

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「私が何故、呪いをファトゥス男爵令嬢にかけたのか。それには理由がございます。
私が王太子殿下の婚約者から外れ、その後釜にファトゥス男爵令嬢をとなれば、まず間違いなくファトゥス男爵家は嵐の大海に放り出された木の葉のように政争に巻き込まれることでしょう。
たとえ娘が『聖女』に選ばれようとも貴族としては吹けば飛ぶような弱小。海千山千、手段を選ばない野心的で強大な多くの貴族達からそこにいる皆様だけで彼女を守り切れるとは到底思えませんわ」

扇を開いたり閉じたりして弄びながら男共の一人一人に視線を向けていく。
そして、ペッピーナに向き直った。

「そしてファトゥス男爵令嬢にもいい加減現実を見て頂きたかったのですわ。ねぇ、おブスさん。彼らのサポートやフォローがあったとしても、『聖女』となったとしても、あなたが王妃になるというのは血まみれの茨の道よ? 最悪、ご家族親戚が命を落とす事もありうるわ。その覚悟も、勿論してるのよね?」

「えっ……」

虚を突かれたような表情になるペッピーナ。考えて無かったんかい!
大方、レオ君達が何とかしてくれるとか思ってたんだろうな。

「それだけじゃないわ。王妃教育ってかなり膨大よ? 学院で学ぶ内容では到底カバーできるものではない。私が王太子殿下の婚約者に内定した時から何年もかけて勉強して会得してきた事を、あなたはそれよりも短い時間で習得しなければならない。
そうね、東大理Ⅲで学ぶ内容を一年で消化しろ、と言われているようなものよ。それに耐えうるだけの相当な頭の良さと努力と根性と体力が求められるんだけどやり通すだけの覚悟はあるの?」

「東大理Ⅲ……」

ペッピーナの顔がさーっと青褪める。
正直そこまでとは思っていなかったのだろう。

「まあ例えとしてはまだぬるいかも知れないけどそんなものよ。あなたはゲームの世界だからって甘く見てたんだろうけど、文明レベルが中近世とは言え一国の半分を預かるんだもの。
正直休む時間も無く、愛だのなんだのと言ってる時間も無くなるわ。そればかりか、シナリオにあったような虐めの比じゃなくえげつない嫌がらせも受けるでしょう。しんどさに悩み苦しむでしょうし、心無い言葉も沢山言われると思うわ。
王太子殿下は生まれながら王となるべく教育を受けてきて、それが当たり前になっているから、あなたの苦しみや努力は完全には理解できない。実際婚約者だった私も理解して貰えなかったからこんな対応されているんだし、周囲も出来て当たり前という認識なの。
王妃になるという事は、国民の生命財産を守る重責を半分担うという事。精神的にも鋼の如くあらねばならない。あなたの場合は神経すり減らして精神的に病んで『黒聖女』になってしまう可能性は極めて高いわね。そうなれば、この国は、国民はどうなりますの?」

「あ、貴女の無罪は先程証明され」

「私はもう他国に参りますので!」

現実がやっと見えて来たらしい神官の慌てたような言葉に即行で言葉を被せる。
二の句を継がせてなるものか。無罪証明したのは実家の為である。
国外追放自体は取り消されようと実行する。
どうせこの国に居ても腫物扱いだろうし、国に良いように使いつぶされるだろうしな!

扇の先端をびしっとレオナルド王太子に向け、私は話を続けた。

「それで、殿下はそこのところを如何にお考えなのでしょうか? 彼女を『黒聖女』にさせないように愛し、守り抜くという覚悟はおありですか? 
男爵令嬢の彼女ならば排除も容易いと、王妃の地位を巡って間違いなく宮廷は荒れるでしょう。その争いを治め、国土を安堵するだけではなく、更には王妃教育を受けてこなかった彼女の為に、殿下は王としての仕事のみならず、王妃のやるべき事でさえなさらなければいけない時も多々あるでしょう。
王妃として立つのに問題が無くなるまで、彼女の不出来をけして責める事なく励まし、全てを背負う覚悟はございますか?」

「ローザリン……」

「私が問うているのはそこなのです。ファトゥス男爵令嬢を王妃に選ぶ殿下の決意と覚悟を、お互い相手の事を『真実の愛』で想い合いながら、キスとしてお示し下さいませ。
王妃教育を受けて来た者として、私はこれから茨の道を歩まねばならないお二人の絆がしかと堅固に結ばれているのかを見たいのです。無事に呪いを解く事が出来たなら、私としても安心してこの国を旅立てますから」

逆に呪いを解くことが出来れば見直してやるわ。
ぱちんと指を鳴らし、王太子の行動制限を解く。

「動けるようにしましたわ。さあ、殿下。最愛のファトゥス男爵令嬢と真実の愛のキスを。さあ、さあ、さあ!」

「本当に呪いは解けるのか……?」

「レオ君……」

「お互いの間に『真実の愛』があれば解けますわ。キスしても解けなかったなら、それは真実の愛ではなかったという事になりますわね」

「……」

レオナルド王太子の顔色がどことなく悪い。
ペッピーナは藁をも縋るような眼差しを彼に向けていた。
急き立ててやると、のろのろとヒロインに近づいていく。

広間中の人間が、固唾を呑んでそれを見守っている。
とうとうレオナルド王太子の両手がペッピーナの両肩を掴み、ペッピーナ(ヒロイン(笑))が頬を染めて瞼を閉じた。

そして震える王太子の唇が、そのぽってりした唇に近づき――

「ぎゃっ!?」

――触れる前に、ペッピーナはレオナルド王太子に突き飛ばされて床に転がった。

「痛……レオ君!? どうして、どうしてなの? あんなに愛し合ったじゃない!」

「――絶対に無理だ!」

レオナルド王太子はヒロインから離れたところで頭を抱えてしゃがみ込んでいた。

「ペッピーナ、すまない……私には無理だ、どうしても、出来ない!」

「そんな……」

思いもよらぬ拒絶に絶望の表情になるペッピーナ。

私はちら、と他の男共に視線をやった。
一様に顔色を変えて後じさりする男共。

「大丈夫よ、別に王子様に限らなくてもあなたと愛し合ってる人ならどなたでも良いんだから。真実の愛のキスで呪いは解けるわ」

「無茶言わないでよっ!そんな、こんな醜い姿でも愛してくれる人なんているわけないでしょ!」

ヒロインはべそをかきながら、うぉぉぉんと吼えた。




***


沈黙を破ったのは騎士団長息子アレックス・エクエスだった。

「こんな茶番で彼女の心を傷つけるな!」

「あら、これは本気でやっていますのよ。呪いを解く方法は先程も言った通り、『真実の愛』のキスだけ。それに、彼女のこの姿は私の勝手な想像で作り出されたものではなくってよ? これは彼女のもう一つの姿でもありますの」

「もう一つの姿?」

「いわば影の姿、ですわ。勿論中身は彼女自身に変わりありませんけれど。そこまでお怒りになるのなら、エクエス様がお姫様の呪いを解いて差し上げれば宜しいんじゃありませんこと?」

「アレク君、私……レオ君に見捨てられて……」

「うっ……良いだろう、俺がペッピーナの呪いを解いて見せる!」

「良かったですわね」

えぐえぐ、と嗚咽を漏らすペッピーナ。
後に引けなくなった騎士団長息子は決意表明するもぎくしゃくと立ち上がる。
しかし、ペッピーナに近づくと見せかけて、「呪いを解かないと殺す!」とこちらに掴みかかってきたので、再びぶん投げてやった。

「言っておきますが私を殺しても呪いは解けませんわ。エクエス様の先程の言葉は何だったんですの? そんなに今の彼女にキスをするのがお嫌なんですか? 『真実の愛』じゃありませんわね」

「アレク君……あたしの事嫌いになったの? キスしてくれないのはこんな外見だから……?」

「少しは骨のある方かと思ったのですが、買い被りだったようですわね。見損ないましたわ」

「何だと!? ぺッピーナ、違うんだ! 悪いのはみんなこのおん、ぐはっ」

「何が違う、騎士ならば言い訳するな小童こわっぱ! 真実ペッピーナを愛しているというならばつべこべ言わず真実の愛のキスをして呪いを解いて漢気を見せなっ! 出来ねーならすっこんでろ玉無し!」

往生際の悪さにムカッときたのでアレックスの股間を蹴っ飛ばす。
話聞いてなかったのだろうか?
こいつが呪いを解くのかと少し期待したらこれだ。
大方私を殺すか脅すかして呪いを解かせてキスせず良いとこ取りしたかったんだろうが、狡さが見えてるんだよ!

殺伐とした気持ちのままぎろりと男共を睨むと、何故か全員ブルブル震えながら股間を押さえていた。

「さて、次はどなたでしょうか?」

「お、お願い助けて……ウィル君!」

ペッピーナは残った男達に縋る眼差しを向ける。
宰相の息子、ウィーズリーは目を逸らした。「ごめん、ペッピーナ。私にはどうする事も出来ない」

「そんな……じゃあサー君はっ!? あたしを愛してるって言ってくれたよね?」

しかし神官サージュ・ヒムは項垂れて首を振る。

「申し訳ありません、色々見えてなかった事を知って、真実貴女を愛しているという確証が持てなくなりました……」

「オ、オル君……あたしにはもうオル君しか」

大商人の息子オル・トレドはペッピーナを真っ直ぐに見返す。
しかしその瞳からは熱がすっかり消えてしまっていた。

「――ペッピーナ。良く考えてみたら、僕達は君を愛してたけど、君が愛してるのはレオナルド殿下だよね?」

「え……?」

「だから、僕と君の間には『真実の愛』は無いと思う。君が僕一人を選んでくれていたのなら分からなかったけど。ねえ、『真実の愛』のキスって、一方通行でもダメなんでしょ?」

おおう、ここに来て逆ハーレムの弊害か。
多分ヒロインがデブスになったから冷静になったんだろうな商人息子。
冷静な声で問われ、私は頷いた。

「ええ、まあそうですわね。お互いが愛し合ってこその『真実の愛』ですもの」

「レオナルド殿下が駄目だったから僕達って、僕達への君の愛情はレオナルド殿下以下って事だよね。それで、最後に声を掛けられた僕は、一番君に愛されて無かったって事でしょ?」

言うだけ言って口を閉ざすオル・トレド。
これで男共は全員ペッピーナを見放した事になる。
『真実の愛』が息してない。
いや、最初から存在してなかったんだろう。

私はペッピーナを見た。

「確か、あなたは先程、『みーんなあたしが好きなの』と言ったわよね。つまりみんなには好かれてるけど自分はそうとは限らない、と」

「ち、違うの! それは誤解なの! もうあたしにはオル君だけなの!」

「『もう』の前は違ったという事ですよね?」

神官が眉を顰めて悲しそうに言う。
男達のみならず広間全員の視線が彼女に向けられた。

「ち、違っ! あたしは誰を選ぶとかじゃなくて、」

「みんなを平等に愛していた? じゃあおブスさんは王妃に望まれながらも王太子殿下お一人だけを愛していたわけじゃないのね」

「私は婚約破棄をしてまでもペッピーナ一人を選んだというのに……」

「ちょっと、さっきから何なのよあんたぁ! 上げ足取ってあたしの逆ハー壊さないでよ!」

「もうぶっ壊れてるわ、デブスいい加減現実見なさいよ! 誰を選ぶのかハッキリと結論を下さず、チヤホヤされ続けるモラトリアム期間、ずっと夢見心地でふわふわ甘えていたい、そんな現実を見ない戯けた態度がいつまでも許されるわけないじゃない」

「ブスブス言わないでよ! 悪役令嬢だって前世よりは美人なんでしょ!」

「まあね。でもごめんなさい、前世の姿は秘密なの。私は国外追放になったでしょ? 暗殺や追手とか厄介事とか避ける為に今後は前世の姿で堅実な人生送る予定だから。ちゃんと前もって諸々準備して生活と収入の目途も付けてるし、勿論旦那様探しもそうするつもり。ちなみに私の理想はお互い下着姿で目の前うろつくのが当たり前で目の前で平気で鼻くそほじったりおならしたり出来る、そんな気取らなさすぎる笑いと愛情に溢れたどこにでもある普通のパートナー関係よ?」

「……」

「私があんたの事をブスっていうのはね、外見じゃないの。他人の婚約者を奪い、碌な証拠も無く一方的に断罪して濡れ衣を着せようとする、他人の人生も幸せも知った事かと台無しにし、他人の嘆き悲しみを踏み台にしててめぇだけ幸せになろうというその罪悪感の欠片も無い自己中心的な心が何よりもブスだからよ。私だってあなたがまともだったらそんな言葉、口が裂けても言わなかったわ」

男共の婚約者達を扇で指し、「あんたと男共の所為で彼女らも傷物と見做されて不幸になった。日本と違って次に良縁は難しいのは分かるわよね?」と言う。

ペッピーナは黙りこくった。
男共も罪悪感からか顔を曇らせる。

「もし、私が転生者でなくてそのままシナリオ通りだったら? 知ってるわよね、跳ね返った呪いで死亡。フォンセンス侯爵家は没落、そこで働く使用人達は職を失う。領政も滞り、領民も困る。そのふわふわの脳味噌にも理解出来るように言ってみれば日本の主要都道府県の一つの公務員を全員失職させ、行政を機能停止に追いやるようなものよ? 我が家の力を軽く見てるんだろうけど、最悪の場合内乱になるわね。あんた、その責任取れるの? 少なくともファトゥス男爵程度の身代じゃ、釣り合わない程の被害と損失になるだろうけど」

「自分は何一つ悪くないとか思ってるんじゃないわよ」と、睨みつける。
ヒロインはその大きな体を縮こまらせて、小さな声でぽつりと呟いた。

「……わ、悪かったわよ」

ふう、と息を吐く。

「ここは私達にとっては紛れもない現実。リセットも効かないしこの断罪イベント後も人生は死ぬまで続いていく。
ゲームのシナリオが終われば用意された選択肢もマニュアルもない。これを言えば好感度がいくつ上がるとかこれをすればいい結果になるとかの正解も無い。
あんたそんなんで幸せになれると本当に思ってたの? あらかじめ確約された好意や愛情ありきでないと人を愛する事は出来ないの? マニュアルやシナリオ通りにして愛されるとか……そんなの、人形を愛してるのと大差ない、人でなしの愛じゃないの!」

「わ、分かったような口利かないで! こんな醜いあたしなんて、もう誰も愛してくれないのよ! 見たでしょ、みんな、みんな……うぅっ……」

ペッピーナは床に崩れ落ち、体を丸めてシクシクと泣き出した。
私は侍女を見た。彼女は頷くと、広間の入り口へと向かう。
数分しない内に、動きがあった。

「ペピィ!」

「ペピィちゃん!」

広間の入り口から、ペッピーナの両親、ファトゥス男爵夫妻が駆け寄って来る。

そう、私は万が一に備えて、前もって彼らを訪ねていたのである。
事情を全て説明し、ペッピーナに呪いを掛ける事の了承を得、謝罪した上で、こっそり待機してもらっていたのだ。

「あ……」

両親の姿を認めるなり、カタカタと恐怖に震えだすペッピーナ。
ファトゥス男爵夫妻は暫くじっと彼女を見ていたが、やがて優しく笑った。

「ペピィ……たとえどのような姿になろうとも、お前は私達の愛する娘だよ」

「瞳を見ればわかるわ……あなたは確かに私のペピィちゃんだって」

「パパ、ママ……!」

ペッピーナの潤んだ目から大粒の涙が溢れる。
ファトゥス男爵夫妻も泣きながらペッピーナを抱きしめ、頬にキスをした。

「見ろ、ペッピーナが!」

「まさか、」

「の、呪いが解けていく……」

「本当だったんですね」

「……『真実の愛』、か」

ふん。ろくでなし共よ、とくと見るがいい。

紫の光が螺旋を描きながらペッピーナの肉体から立ち上る。
それは黄金から透明の光へと変わり、大気に解けて消えて行く。
同時に肉体が縮んでいき、元の愛らしいペッピーナのものに戻って行った。

侍女に目配せをしてシーツですかさず彼女の体を隠させる。
ドレスが破れてたので元の華奢な体型に戻るとあらぬ姿になってしまうからだ。

「ほらね、やっぱりペピィちゃんだった」

「ペピィ、愛しているよ」

ペッピーナを優しく撫でるファトゥス男爵夫妻。
えぐえぐ、と嗚咽しながら両親を抱きしめるヒロイン。

「わ、わだじぃ、やっど目が覚めだっ……本当に大事な人が誰が、わがった……」

良かった、本当に良かった。

目尻に滲んだ貰い泣きの涙を拭いながら、私は笑顔でうんうんと頷く。
彼女はもう大丈夫だろう。

「本当に愛してくれているのが誰なのか、分かってくれて良かったわ」

ふと、広間の誰かがパチパチパチ……と拍手を始める。やがてそれが全体に広がって行った。
万雷のような拍手と口笛の中、私はバサリと扇を広げる。

これにて、一 件 落 着 !
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