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杼媛《とちひめ》
雷雨に水やり
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――その瞬間、世界がひっくり返ったような轟音が落ちた。
稲妻が栽培所のすぐそばに叩きつけられ、白い閃光が視界を真っ二つに裂く。
英賀手は息を呑む間もなく、腰が抜けてその場にへたり込んだ。
ついさっきまで「抹殺抹殺抹殺……」と心の中で燃え上がっていた炎が、一瞬で吹き飛ぶ。
背筋を冷たさが駆け上がり、涙が勝手に滲む。
「ヒィィィ……!」
自然の恐怖は、殺意とはまったく別物だった。
向かいには、相変わらず狂気を孕んだ瞳で立つ匪躬おぢ。
一切動じていない。
雷雨の中で、ひょうひょうと水やりしていた男だ。
こんな近さの落雷で平然としているのも当然だった。
英賀手は震える声で言った。
「その……その桶……雨漏りの対策、じゃ……」
匪躬はきょとんとし、そしてくすっと笑った。
「水やりだが?」
英賀手は二重の意味で固まった。
――雨の中で、水やり?
こやつめ、何を言っている。
(どうかしてますことよ……)
雨は急速に弱まり、数分後には嘘のように止んだ。
匪躬は腰を抜かした英賀手へため息をつき、ひょいと抱き上げる。
「侍医に見せる。歩けまい」
「……無礼者……!」
英賀手はもがいたが、腕が震えて力にならない。
先ほどの雷鳴で身体が完全に固まっていた。
「暴れるな。阿諛に叱られる」
「お離しなさい……!」
匪躬は意にも介さず歩き出す。
そこに、突然甲高い声が響いた。
「鈴媛は見ました!! これは不義密通です!!」
鈴媛だった。
先日侍女から“媛”に昇格したばかりで、どうやら今日は、管媛の命を受けて栽培所を見張っているらしい。
そして今――
阿諛(長上)の許嫁・英賀手が
匪躬(長上の“水やり係=密会相手と噂の男”)に抱えられて現れた。
見間違えるほうが難しい。
「!!?」
「誤解だ」
「自首する泥棒がどこにいる! どう見ても不義密通!!」
栽培所の前が、一瞬で修羅場と化した。
◆
長上は変わらず寝込んでいた。
鈴媛の騒ぎを聞きつけた侍医が慌てて報告し、匪躬が英賀手を運び込み、室内は妙な熱気に包まれる。
顔色の悪い長上が、眉をひそめながら英賀手を見る。
「……で? なにがあった」
英賀手は布団の端まで詰め寄り、怒りと涙で震えた声を上げた。
「このあたくしを陥れようなんて、管媛の仕業に決まっております!!」
「どうしてそうなる。証拠もないのに」
「わっ、分からない方ですことっ!
鈴媛はいっつも管媛の言いなりですのよ!!」
長上は溜息をついた。
「たかがそれだけではなぁ……
おまえ達のほうが、よっぽど分が悪いぞ?」
その視線の先で、匪躬は腕を組んで満足げに頷いていた。
長上は軽く肩をすくめる。
「まぁ……匪躬は世にぞっこんだからな。
誤解されても仕方あるまい」
「はい? ……長上、男の言い分を優先なさるなんて――
噂にたがわぬ男好きがあ!!」
英賀手は固まった。
匪躬はなぜか誇らしげで、胸を張っている。
長上は淡々としている。
雷雨はとっくに止んでいるのに、英賀手の心だけが、まだ大荒れのままだった。
稲妻が栽培所のすぐそばに叩きつけられ、白い閃光が視界を真っ二つに裂く。
英賀手は息を呑む間もなく、腰が抜けてその場にへたり込んだ。
ついさっきまで「抹殺抹殺抹殺……」と心の中で燃え上がっていた炎が、一瞬で吹き飛ぶ。
背筋を冷たさが駆け上がり、涙が勝手に滲む。
「ヒィィィ……!」
自然の恐怖は、殺意とはまったく別物だった。
向かいには、相変わらず狂気を孕んだ瞳で立つ匪躬おぢ。
一切動じていない。
雷雨の中で、ひょうひょうと水やりしていた男だ。
こんな近さの落雷で平然としているのも当然だった。
英賀手は震える声で言った。
「その……その桶……雨漏りの対策、じゃ……」
匪躬はきょとんとし、そしてくすっと笑った。
「水やりだが?」
英賀手は二重の意味で固まった。
――雨の中で、水やり?
こやつめ、何を言っている。
(どうかしてますことよ……)
雨は急速に弱まり、数分後には嘘のように止んだ。
匪躬は腰を抜かした英賀手へため息をつき、ひょいと抱き上げる。
「侍医に見せる。歩けまい」
「……無礼者……!」
英賀手はもがいたが、腕が震えて力にならない。
先ほどの雷鳴で身体が完全に固まっていた。
「暴れるな。阿諛に叱られる」
「お離しなさい……!」
匪躬は意にも介さず歩き出す。
そこに、突然甲高い声が響いた。
「鈴媛は見ました!! これは不義密通です!!」
鈴媛だった。
先日侍女から“媛”に昇格したばかりで、どうやら今日は、管媛の命を受けて栽培所を見張っているらしい。
そして今――
阿諛(長上)の許嫁・英賀手が
匪躬(長上の“水やり係=密会相手と噂の男”)に抱えられて現れた。
見間違えるほうが難しい。
「!!?」
「誤解だ」
「自首する泥棒がどこにいる! どう見ても不義密通!!」
栽培所の前が、一瞬で修羅場と化した。
◆
長上は変わらず寝込んでいた。
鈴媛の騒ぎを聞きつけた侍医が慌てて報告し、匪躬が英賀手を運び込み、室内は妙な熱気に包まれる。
顔色の悪い長上が、眉をひそめながら英賀手を見る。
「……で? なにがあった」
英賀手は布団の端まで詰め寄り、怒りと涙で震えた声を上げた。
「このあたくしを陥れようなんて、管媛の仕業に決まっております!!」
「どうしてそうなる。証拠もないのに」
「わっ、分からない方ですことっ!
鈴媛はいっつも管媛の言いなりですのよ!!」
長上は溜息をついた。
「たかがそれだけではなぁ……
おまえ達のほうが、よっぽど分が悪いぞ?」
その視線の先で、匪躬は腕を組んで満足げに頷いていた。
長上は軽く肩をすくめる。
「まぁ……匪躬は世にぞっこんだからな。
誤解されても仕方あるまい」
「はい? ……長上、男の言い分を優先なさるなんて――
噂にたがわぬ男好きがあ!!」
英賀手は固まった。
匪躬はなぜか誇らしげで、胸を張っている。
長上は淡々としている。
雷雨はとっくに止んでいるのに、英賀手の心だけが、まだ大荒れのままだった。
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