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プロローグ
しおりを挟む僕にとっては、初めてのお泊まり会。施設暮らしの僕は、普通のおうちで寝泊まりできることに大喜びした。だけど、思いもしなかったんだ。あんな怖い目にあうなんて。
八歳の誕生日を迎える僕に、なっちゃんは良いモノを見せてやると言って、嫌がる僕を無理やり外に連れ出した。
「なっちゃん、やめようよ。おばさんに怒られちゃう。外暗いし、怖い……ぐすっ」
「泣くなグズ。俺のサンドバッグにされたいのか?ついてこい!」
止まっても怖いし、進んでも怖い。
「歩けっ 今すぐ殴るぞ!」
「やだよぉ」
ぐいぐい引っ張られ、しまいには一発ボコッと殴られた。
「ふぁ~ん、ほっぺ痛いよぉ」
「ヘタレのお前が悪いんだ。お宝を見たくないのか?」
もう一発殴られそうになって、両腕で顔を覆った。
「もうやめてよ……っ」
「あ! 静かにしろ」
「?」
ガサゴソ聞こえる。縁側の向こうには、なっちゃんのお父さんとその部下の人、それと、血まみれで横たわる男性が見えた。山に捨てるか海に沈めるか。そんな話をしている。
僕が大声を出す前に、なっちゃんに口をふさがれた。
「もが……!」
「静かにしろ。たまに……あるんだ。ああいう作業。だ、誰にも言うなよ。見たのバレたら、俺らも殺されるかも。お宝探検は終わりだ。急いで部屋戻るぞ」
「!」
ブンブンと何度も首を振って、必死に肯いた。ふさいでくる手がふるえていて、ハッタリじゃないのがわかった。
恐怖で脇目もふらず部屋へ戻ろうと早歩きする。
廊下は妙に長く感じられ、足音がやけに大きく響いた。
そのときだった。
ガン、と鈍い音がして、僕の肩が何かにぶつかった。
「痛!」
次の瞬間、甲高い陶器のこすれる音が廊下に広がる。
「……っ!」
振り返ると、床の間に置かれていた高級そうな壺が、ぐらりと傾いていた。
白地に細かな金彩が入った代物だ。
「や、やば……」
言葉にするより早く、壺は手をすり抜け、
――ガシャァンッ、と夜を切り裂く音を立てて砕け散った。
二人の時間が、凍りつく。
「……っ」
なっちゃんが息を呑み、僕の腕を強く掴んだ。
破片が廊下に散らばり、いつまでも音が耳に残る。
誰か来る。
そう思った瞬間、足が震え出す。
「……志穏、動くな」
なっちゃんの声は低く、必死に抑えられていた。
二人は壺の残骸を前に、呼吸さえ忘れて立ち尽くす。
「……誰がやった」
低く押し殺した声が、廊下に落ちた。
おじさんは砕けた壺を見下ろし、次に僕たちを見た。
「お……ッ俺だ!」
なっちゃんが一歩前に出る。
僕を背にかばい、おじさんをまっすぐ見た。
「俺が割った!暗くて、ぶつかった。わざとじゃない。お父さん、ごめん」
「なっちゃん……っ」
なっちゃんは僕の方を見て、首だけで制した。口元を見ると「死にたくないなら黙っとけ」と動いていた。
おじさんの表情が、ゆっくりと歪む。
「……あれが、どれだけ大切な壺か分かっているのか」
返事を待たず、おじさんはなっちゃんに近づいた。
次の瞬間、乾いた音が廊下に響く。
バシッ。
なっちゃんの体が横に吹き飛び、床に倒れ込む。
僕の喉から、ひゅっと息が漏れた。
「なっちゃん!」
殴られた衝撃で、なっちゃんはしばらく動けなかった。
左目のあたりを押さえ、指の隙間から血がにじむ。
おじさんはもう一歩踏み出そうとする。
また手をあげるつもりだ!
「やめてよおじさん!」
叫ぶと、おじさんの視線が一瞬だけこちらをかすめた。
だけど、すぐに興味を失ったように息子へ戻る。
そこへ、なっちゃんのお母さんがやってきた。なっちゃんは病院に連れて行かれ、僕は施設に戻された。
こうして、初めてのお泊まり会は中止になった。
***
病院で、なっちゃんが吐き捨てるように言う。
「左目、見えにくくなった。医者のやつ、回復の見込みは無いだろうって言ってた」
「そんな……なっちゃん、ごめ……!」
左目を押さえたまま動かない幼馴染の足元を、僕は見つめ、わんわん泣いた。
「割った壺、将来俺が払うことになった。ひとりじゃ無理だから、手伝ってくれよ」
「うん、うん、もちろんだよ!ごめんね……!」
左目の視界だけは、医者の言う通り、二度と元には戻らなかった。
学年があがり、クラスが変わってからは千夏くんとの交流はパタリとなくなった。次に喋ったのは、中学を卒業する3か月前。
「よぉ、お前の部、剣道で全国一位になったんだってな? 高校も推薦で決まったとか」
「あっ 千夏くん! うん! 授業料が免除になるらしくて」
「諦めろ」
「え?」
「俺、中学を卒業したら親が運営してるジムを一個任されることになった。そこ、手伝え」
「な、なに言って……僕たちまだ十五歳じゃないか。高校も卒業してないのに、働くなんて」
「ガッコ行きたいなら、壺の借金返してから行け」
「そんなの、無理だよ」
次の瞬間、強烈な衝撃で平衡感覚を失った。
バキッ、と鈍い音がして、気づけば地面に叩きつけられていた。ジンジンと頬が痛む。
「ツゥ……!」
「お前のせいで、俺はボクサーの夢を断たれた」
千夏の声が、上から降ってくる。
「この目に問題がなけりゃ、俺だって全国狙えた。お前みたいに、表で褒められてた」
僕は息がうまく吸えず、ただ見上げることしかできない。
「なあ、どう責任取る?」
再び、拳が振り下ろされた。
「ぐぅ……!」
腹に鈍い衝撃が走り、息が一気に潰れる。
肺の中の空気が吐き出され、声にならない音だけが喉から漏れた。
怖い。
そう思った瞬間、手足が氷のように重くなった。
逃げたいのに、立ち上がれない。
頭では分かっているのに、体が命令を聞かない。
視界の端に、千夏の影が揺れる。
次が来ると分かっているのに、腕一本、指一本すら動かせなかった。
「働けば借金返せるだろ。今年中に返済できなきゃ、お前の母さんに言いつけるぞ。お前が壺の借金抱えてること」
「やめてくれ!そんなことしたら、母さん、また起きなくなっちゃうだろ!」
「ちょっとでもストレスを感じると、三日に一回しか起きなくなるんだっけ?贅沢な話だよな。なんにもしてないのに、寝て食べて生活するだけでいいんだから」
なんて言い方なんだ。千夏くんはこんな事言う人じゃなかったのに。母さんは脳の病気で、長く起きられないだけで、好きで入院生活を続けてるわけじゃないんだ。
「わかった、わかったよ……卒業したら、君のジムで働く。だから、母さんには言わないでほしい」
それが、僕にとっての不可避な帰結だった。
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