借金まみれのジムトレーナー、なぜか大物俳優に執着されています【完結済】

変な作家

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鍛えられた身体と、踏み出した一歩

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<1F:ジム>


「肩に力が入りすぎてますね。バーを下ろすときは、肘をもう少し内に入れましょう」
「ふむ、こうかな?」
「そうです、良い感じです」

「睦月くんは教えるのがうまいね。ここで働いて、何年目になるんだい?」
「四年目です」
「大ベテランだ。午後のボディケア空いてる? 予約を入れたいんだけどさ」
「十三時以降の予約なら空いてますよ。脚ですか?」

「わかるかい? マラソン大会で無理をしちゃってねぇ」
「骨盤が少しズレてるようなので、気になってました。走りこんだんですね」
「わかるのかい」

「坐骨の高さや腸骨の出っ張りの差を見れば。肩や腰の筋肉の緊張も左右で違いますし。僕じゃなくて、資格を持った整体師も空いてますよ」
「いや、担当は睦月くんがいいな。十三時にお願いしていいかい」
「わかりました。では十三時に、二階のボディケアルームでお待ちしていますね」

***

<トレーナー専用休憩室>


トレーナー共有スケジュールに、十三時ボディケア勝俣【常連様】と入力し、昼食を頬張る。噛んだものが喉に流れるのを感じつつ、お客さんとの会話で盛り上がりそうなニュースは無いかチェックした。

ながらスマホは体の栄養吸収の妨げになるとはわかってはいるが、こうでもしないと自分の時間がとれない。その時、一通のメールが届いた。病院のヘルパーさんからだった。

『入院費の結果』というタイトル。開けてみると予想していた通りの金額が表示され、携帯の画面を伏せた。

「副業、しないとだな」

千夏が副業を許してくれるかどうか。
ここで働いて間もない時、どれだけ働いても一年以内には返せないから、給料をあげてくれないか、または前借りという形でさせてくれないかと千夏に相談したことがある。

給料を上げてほしいと言った瞬間アッパーが飛んできて、給料の前借りの時はエルボーをくらった。
このジムで賃金については期待してはいけない。溜息しか出なかった。
結局、払いきれない分には金利が発生し、今後金利と元金を支払うことで話はまとまった。
反論はしたが、母を引き合いに出されて従うしかなかった。

良い副業がないかネット検索をする。そんなことをしていたら、あっというまに時間は過ぎてしまった。
同僚の井下がひょっこりと顔を出す。

「睦月トレーナー、もうすぐ十三時っスよ。ボディケア予約の勝俣さん、準備しなくていいんスか」
「あ、今行きます!」

残った食事を喉に流し込み、慌てて二階へ向かった。

***

<二階:整体/ボディケアルーム>

「うわ……効く~~」
「軽くリンパ流しのマッサージもしましょうか」
「うん、お願いするよー」

四十分のボディケアを施し、勝俣の黒光りする筋肉にトンと手を置いて終わりの合図をする。

「お疲れ様です」
「すごく軽くなったよ。足の裏に羽でも生えたのかな?」
「脚が張ってたので、今回は下半身をメインに筋肉をほぐしました。ご満足いただけたようで、よかったです」

「あ、そうだ! 話があるんだ。このジム、フィットネスもやってるだろ? 君がスタジオレッスンでコーチしてるのを見てたんだ。レッスンの教え方もすごくうまいよね」
「そ、そうでしょうか……ありがとうございます」

「オンラインヨガ教室って興味ある?」
「オンラインヨガ、ですか?」

あんまり聞きなじみがない言葉だった。

「家でできる運動っていうのが流行っていてね。うちは芸能プロダクションの他に、いくつか子会社を持っていて、そのうちの一つでオンラインヨガ事業を始めることになったんだ。ただ、二十二時から二十三時の枠で入ってくれるイイ子がいなくて困ってたんだよ。時給制なんだけど、アルバイトしてみない? 平日に毎日出てくれるなら、月六万円は渡せるよ。君は見た目も体格もいいから、きっとあっという間に視聴者は増えると思う。視聴人数が多ければ、倍を出す予定だ。どう?」

六万円!それだけあれば、足りない分の入院費がまかなえる!

「やります。ぜひ、お願いします」

口では軽く言ったものの、千夏の許可がおりなければ一歩も動けない。

研修場所や仕事の詳細を簡単に伺い、勝俣を見送ったあと、社長室の前に立つ。指先が小刻みに震え、心臓の鼓動が耳の奥で脈打つ。呼吸は自然と浅くなり、ドアノブにかけた手は汗でわずかに滑った。

一度、深く息を吸い込み、意を決して控えめに扉を叩く。

「どうぞ」という短い返事に背中を押され、室内へ足を踏み入れた。社長室の一角には簡易なパターゴルフ場が設けられていた。

「二十時からマッサージ客の予約が入った。どちらもお前指名だ。カラダ、空けとけよ」

顔も上げぬまま、幼馴染……もとい、一条千夏社長は淡々と次のボールを拾い上げ、ミニゴルフを楽しむ。乾いた音とともにボールがカップへカコンと吸い込まれた。

「わかりました。あの、お話がありまして」
「何だ」
「常連の勝俣さんから、在宅で出来る、オンラインヨガトレーナーの誘いを受けました。二十二時以降の講師をやってみないかと。副業になるのですが……お話を受けてよろしいでしょうか?」

どうしても、千夏を相手にすると声が震えてしまう。

「なんで副業なんかやるんだ?」
「母の入院費が少し高くなりまして、その、五万円ほど」
「ふぅん。二十二時なら、いいんじゃないか。仕事終わりだろ」
「あっ……はい。それが、研修を受けなくてはならなくて。研修期間は一週間で、平日の十三時から十七時まで。研修場所は勝俣さんの会社で受けることになります」

「行けば? ちょうどうちの新人の……井下だっけ? あいつもまぁまぁ使えるようになってきたところだし。休むなら、他のトレーナーの都合聞いて日程調整しろよ」

あっさりと了承をもらえてしまった。普段はちょっとでも気に入らないことがあると、すぐに暴力をふるうあの千夏が。かなり気合を入れていたので、ほっとした拍子にその場に尻もちをついてしまいそうだった。一発は殴られるだろうと思って頬を差し出す心の準備までしていたのに。これは嬉しい誤算だった。

「勝俣さんは芸能事務所の社長だったろ。そこのスタントマンがうちのジムをよく利用してるから、失礼の無いようにしろよ」

なるほど、頼んできたのが勝俣社長だったから、すんなり了承したんだ。
芸能事務所の社長とは懇意にしていろ、恩を売っておけ、ということかな。

「いつまでそこにいる気だ? ゴルフボールになりたいんなら、そこにいてくれてかまわないけど、じゃ、行くぜー。じっとしてろ。いち、にぃー」

やばい、本気だ! 

「すみません! 失礼します!」

急いで部屋を出て、エレベーターまで走って逃げた。
トレーナー用の休憩室に腰をおろし、深呼吸をした。

新しい仕事には緊張する。
だけど、千夏の支配下ではない場所で働けると思うと頬が少し緩んだ。

***

翌週にはヨガインストラクター研修の日程調整をし、勝俣のアイアン芸能プロダクションへと足を運ぶことができた。

パン!と勝俣が両手で合掌し、頭を下げる。

「ごめん睦月くん、速水くん!今日教えるインストラクターの人、仕事で東北に行ってたんだけど、新幹線を乗り間違えて、遅れるみたいなんだ。あと二時間くらい待っててもらえるかい?」

芸能事務所の社長なのに、なんて腰が低い人なんだろう。千夏とは大違いだ。

「勝俣さん、謝らないでください。午後の予定は全部オフにしてあるので、大丈夫ですよ」

勝俣のような人の良い男性に頭を下げられるのは申し訳なくて、慌ててフォローした。

「しゃーねっスね」
「速水くんも悪いね、だいぶ早いうちに来て待っててくれたのに。ヨガの講師が到着したら携帯に連絡するよ、自由に待っててくれ。一階のカフェも利用していい。首にぶら下げてるその入館証を見せれば、無料でコーヒー飲めるから」
「了解っス」

「ヨガ講師が到着するまで、私はあっちの演習室でスタントマンと一緒にいる。何かあれば呼んでくれ。じゃ、またあとで」

僕は壁際に並ぶ折り畳み椅子のひとつに腰を下ろした。
何をするでもなく、勝俣からもらった資料を膝に置いて、正面のガラス張りの向こうへ視線をやっていた。

「ヒュー♪ カッケーじゃん。男前とそうでないのが混ざってんな。イケメンはアクション俳優で、その他はスタントマンかな」

彼のひとりごとにつられ、ガラスの向こうにいるスタントマンたちを観察をする。
速水の言う通り、そうかもしれない。

勝俣社長が入っていったその部屋には、大勢が宙を待っていた。言葉通り、上から落ちたり真横に飛び蹴りしたり、壁をつたって走っている。撮影のために、各々複雑な技術を使った動きを研鑽しているようだ。

中央では勝俣が困ったような顔で、背の高い短髪の男に何かを言っている。
短髪の男の顔は見えないが、発達した筋肉を有しているのは一目でわかった。

短髪の男が勝俣をおしのけ、青年の胸倉をつかんだ。
つかまれた金髪の青年が「無茶言うなよ! クソ野郎!」と叫んだ。

次の瞬間、短髪の男は金髪の彼を殴り、殴られた方は、鼻血を流してい倒れていた。

「うわっ、あれは痛い」

自分もよく千夏に殴られている。あの痛さを思い出して、つい両手で目を覆った。
勝俣が「夜刃!」と叫ぶのが聞こえた。視界を防いでいるので、室内で何が起こっているのかもうわからない。速水が「バイオレンスー」と言いながら楽しそうに口笛を吹いている。

その時、速水がトントンと指で肩を叩いてきた。

「アンタ、二十二時以降の部、担当なんだろ」

話しかけられちゃった……。

速水は両耳と鼻にピアスをしている。身近な人を連想させしてしまう。
プライベート時の千夏は鼻ピアスをしており、ファッションもどことなく今の速水に似ている。その影響で、速水には怖いという印象を持たざるをえない。できることなら関わりたくなかった。

「俺、二十一時の部なんだ」
「へ、へぇ、そうなんですか」

「もうちょっと収入欲しいんだよな。でも俺、二十一時以降しか働けなくてさ」

聞いてないのに、語り始めた……。

「そうなんですね」
「連続でそのあとも担当するんで、給料二倍にしてくれって頼んだら、二十二時からの担当はもう決まってるからって断られたんだよ。勝俣さんが直々にアンタをスカウトしちゃったからって。だけど、俺の方が視聴者数が良かったら、アンタ、俺に仕事食われちゃうかもな。気を付けた方がいいよ」
「……」

これってどう返答するのが正解なんだろう?わからないよ。
嫌味なところが千夏にそっくりだ。



***

ep.3 「睦月志穏は見逃さない」へ続く
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