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2 駄犬ですか? 種馬ですか?
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翔真視点
インターホンを鳴らした俺は麻衣子の返事を待ったが、返事は無かった。
今日は予め約束していた日だ。
今までに、麻衣子が約束を忘れていた日など一日もなかった。
不安に思ったおれは、玄関のノブを捻った。
玄関は開いていた。
(不用心にも程があるだろ…?)
無防備な麻衣子に苛立った。
待たせすぎて、風呂に入ったり、眠ったりしているのだろうか。
時刻はすでに23時を過ぎていた。
「麻衣子?……いるのか?」
彼女の名を呼ぶが返事がない。
不安に胸が一瞬で締め付けられる。
こんな四方を窓で囲まれた戸建てでの女の一人暮らし。
それだけでも心配なのに、麻衣子はとても不安定な女だと思う。
度重なる不幸で危うさを感じる一方で、大事に大事にされてきた者だけが持つだろう独特な純粋さを持っている。
悪く言えば世間慣れしていない。
(そう言えば、あいつもしっかりしてる割には、ちょっと変わってたな…)
嘗ての友を思い出し苦笑する。
(似てるっちゃ似てるか…)
麻衣子の兄によく似た擦れたところのない真っすぐな瞳で言われた言葉に俺は、あの時激しく狼狽した。
「阿久津さんの精子を私に下さい。」
麻衣子は、無垢とも言える、邪心のない瞳で俺にそう言った。
(そりゃ…… 反則だろう??)
あり得ないと思った。
(絶対天然だろう!?)
そう心の中で盛大に突っ込んだ。
そして何より、あいつは分かっていないのが恐ろしい。
---無垢だからこそ、天然だからこそ……
多分そこに邪心なんてないからこそ…
余計に男を煽るエロさをあいつはまるで分っていない!
そんな危険な女に、あの後どれだけ自分は翻弄される事になるのか、あの時の俺は気づいてなかった。
ほんとに麻衣子のやつ、男慣れしていない、オドオドとした仕草の癖に、自分がどんだけ日々ぶっ飛んだ発言しているのかの自覚はあるのか?
---そう言えば、倉田も天然だったな……。
麻衣子の兄 倉田健太郎。
あいつは正に不器用で危うい天才だった。
誰より真面目で……
ストイックで、何よりも言葉が少な過ぎる男だった。
そして時々、凄く直球にものを言うから、周りは戸惑った。
自分が天才だという自覚がないから…
時に己の標準を相手にも求めて、必死で切磋琢磨しているチームメイトを傷つけ不和すら生んだ。
本当に困った男だった。
それでも、悪気が全くないところが質が悪く憎めない。
野球が大好きで、常にストイックに己を磨き上げているかと思えば、プライベートでは『お前誰だよ?』って突っ込みたくなるくらい妹が大好きな家庭的な奴だった。
そう言えばと思い出す。
何度か「妹に作る弁当に多すぎたから…」なんて言って予備に持ってきた弁当をもらった事があったが、あれも天才的に上手かったな…。
俺には無い才能を独り占めにしたような男だった。
スター性のある、存在感。
綺麗な顔。
確かな技術。
勝負強さ。
その全ての素質でアマチュアとプロの違いを俺に知らしめた完璧な友。
ライバル視するのも当然だった。
あいつとバッテリーを組んだ最期の夏。
あいつから告げられた、真っすぐ過ぎる信頼に俺は一つの事を感じずにはいられなかった。
「俺、お前とずっと野球したい……。ずっと一緒のチームにいたいんだ……」
縋る様にそう言われた時、既にあいつには地元と言わず、複数のプロ野球球団から声がかかっているのを俺は知っていた。
(ふざけんな!)
心の中でそう思った。
悔しくない訳なんて無かった。
俺だって、プロになる夢をずっと持って、血を吐くような努力をしてきた。
悔しさと羨望。
その感情の内には否定できない確かな妬みすらあった。
そんな俺の心の内すら気付かないで真っすぐに向けられる瞳に苛立った。
あいつは俺に言った。
「俺、お前とバッテリーを組み続けたい。俺、お前が好きだから……」
そんな馬鹿な理由でそんな事を言うあいつに内心舌打ちした。
(この… 天然が……)
あの時、殺意に近い黒い感情が渦巻いた。
(何にも分かってねえのかよ……、お前は……)
俺の身体能力はきっと、プロとなるには及ばないものだった。
天才という奴は時に凡人を傷つける。
それは俺と倉田の間でも例外では無かった。
倉田の隣にプロとして立ち続けるなど不可能な事を散々努力した末、思い知っていた。
そして、何より、俺の肩は限界を迎えていた。
努力を続ければいつか…
そう思いながらやってきた俺の根性論に身体がついてこない。
その事実に恐怖を覚えた頃だった。
まだ、諦める事すら出来ない、先の見えない不安のなかで、そんな、あいつに俺は苦し紛れに約束した。
「あー、大学を卒業してからな…」
劣等感を隠したかった。
俺にもプライドがあったから。
そして俺達は卒業後、進む道を違えた。
奴は高卒でルーキーとしてプロ野球へ……
俺は、残りの可能性に縋るように肩を治療しながら大学の野球部へ……
あいつはもしかしたら、本気で信じていたかもしれない。
再び俺とバッテリーを組む日が来ることを。
だから、プロになってからも大学で野球を続ける俺の元をあいつは何度も訪れた。
そして、奴に向けられる歓声や期待の目に俺は劣等感を刺激され、いら立ちは募るばかりだった。
あの日もタイミング悪く倉田は俺を訪れた。
奇しくも俺が、野球人生を終える事を余儀なくされた日だった。
俺はあいつに告げた。
「……バッテリーだ?そんな日は永遠にこないんだよ。いい加減、俺にてめえの夢押し付けんな! もうここに顔見せんなよ! 俺はもう野球は卒業なんだよ、そんな俺にお前用なんかねえだろうが?」
八つ当たりだ…。
今でも酷く悲しそうな顔が忘れられない。
まるで自分の事以上に傷付いたような顔を思い出し息を吐く。
(あの時は悪かったな…、倉田…)
亡き友には詫びる術もない。
俺なりに野球推薦で行った大学で行けるだけ選手生命を全うしようとした。
そんな希望も半ばに2年になる頃には、俺は試合の途中で耐えられない痛みに運ばれた病院で、本格的な野球活動へのドクターストップがかかったのだ。
それは実質的な『戦力外通告』に他ならなかった。
こんな日がいつか来ることなんて、判っていた。
だけど、俺は野球が好きだった。
肩に爆弾を抱えながらも、それでもどこか奇跡が起こることを期待していた。
(いつか、再びあいつとバッテリーを……)
そう叶うはずのない夢を見ていたかったのは、俺だったのかもしれない。
でもやはり、それは過ぎた夢だったようだ。
*************
それから俺は野球から遠ざかり、教員免許の取得をして教員になろうと進路を絞った。
講義の単位取得と始めたバイトの忙しさは空虚だった俺の日常の時間だけは満たしてくれた。
そんな中で、報道される野球ニュースでの倉田の活躍や、怪我に複雑に耳を傾ける。
それでも、倉田はやはり天然だった。
野球を止めた俺になんて、用なんてないはずなのに……
世界だって違うはずなのに……
あいつは、時折、待ち伏せるように俺の元を訪れた。
次の日からは宮崎でキャンプなんて報道されていた日に訪れる奴に俺は怪訝に眉を寄せたものだ。
「キャンプ行くんじゃねえのかよ?」
「行くよ」
そう言って笑う、男前なプロ野球選手。
もはや、俺には全くもって意味不明だった。
「じゃあ、何でこんなとこいんだよ??」
「だって、顔が見たかったから…?」
そう言って困ったように笑う倉田。
「は!? 何で俺の顔??」
「ん……?好きだから?」
「は……意味、分かんねぇよ、お前、何時まで言ってんだよ、友達他にいないのかよ??まさか、ハブにされてんのか?」
「ん~……、いない訳じゃないけど、……阿久津が一番だから。ダメかな?」
「このっ、心配させやがって、キモイわ!!」
「ごめんっ」
そう言って笑う倉田の顔を思い出す。
倉田は本当にそんな天然な天才だった。
**********
あいつは、モテる癖に、まるで清廉潔白な僧侶かよって突っ込みを入れたくなるほどに、野球と妹に献身を捧げていた。
けれど、どちらかと言うと、俗世的な俺はそうでは無かった。
高校時代から、時に女に告白されるようになった俺は、硬派と言われるあいつとは違い、その中から好みの女と付き合うくらいの年齢に相応しい性欲を持っていた。
ドラフトを意識する高校三年の時には、部のマネージャーと付き合っていた俺は、彼女の思惑、プロの道とは違う、大学野球を選んだ。
そして、途中で『戦力外通告』を受けた。
《そのせいだ…》
そう言われないくらいの時を経て、彼女は俺の元を去った。
不思議とその女を悪く思う事は無かった。
むしろ、彼女の期待に応えられない事を随分前から判っていたのに「俺に期待すんな」って事前に告げてやる勇気すら持てなかった、自分に嫌悪した。
それから、俺は自由になった。
今までに感じたことのない自由。
それは、孤独と表裏一体だった。
それから、野球を離れた俺は、己の虚無を紛らわせる為に、夜の街で遊ぶようになった。
容姿のせいか人当たりのせいか、一夜の遊び相手に事欠く事は無かった。
そんな頃にも、倉田は時折俺を訪れては、そんな俺と時には酒を酌み交わし、俺に笑顔を向けていたっけ……
********
そんな時期が暫く続き、俺は一人の年上の女と出会った。
まるで女豹のような女だった。
某有名国立大学の医学部を主席で卒業した、遺伝子細胞研究員の新鋭。
これから何千いや、もしかしたら何万と言う病人の命を救う研究者と期待された女。
そんな女と出会い、その生命力に引き付けられるかのように体の関係を持った。
それからその女と7年近い付き合いをする事になるなんて、その時の俺は思ってもいなかった。
その頃、そう言えば…
飲みに誘われた倉田に、妙に真顔で聞かれたっけ…
「お前、幸せか…?」って。
野球に若干の未練があったけど、そんな自分を隠しながら頷いたっけ…。
確かに、少しずつ前向きに新たな自分をみつめ始めた時期だったから。
「まぁ、幸せだな…。色々吹っ切れたしな…」
心の中で苦笑しながらそう返したのを覚えている。
俺はアイツの期待から逃れたかったのかもしれない。
いや、未だ蟠る自分を誰にも見せたくなかったのかもしれない。
そう言えば、その頃から倉田の姿を見る事は極端に少なくなった。
彼女とは互いを縛り合うような付き合いではなかった。
恋人かと聞かれたら、そうだとも言い切れない。
遊びかと言われたら、きっともう少し純粋だったようにも思う。
……俺は彼女との出会いで確かに救われていたのだろう。
少なくともその期間、俺達に他の異性は必要ではなかった。
求めあうのは互いに必要な時に傍にいる関係。
今にして思えば、きっと互いに〝形”を持たない事で相手への負担になりたくなかったのかもしれない。
でもそんな付き合いもあれは確か2年前。
きっと、あの頃から少しだけ変わった。
互いに時間があえば、食事をしてどちらかの家に行って体を重ね、抱き合い眠る。
そんな何度も重ねてきた特別でもない夜だった。
丁度、彼女が30歳を迎えた月でもあった。
疲れて微睡む、彼女の髪に指を絡めたとき、一本の白髪に気付いた。
目を細めて、他の場所に目をやるとまだ艶やかな髪にもう一本。
スッとした綺麗な目尻にも若干の変化を認めた時、不意に自分の口をついた言葉に俺自身が誰より驚いた。
『なぁ……』
『……ん?』
そう、起きてるかも分からない彼女に問いかけた。
『……結婚、するか?』
そう言って彼女の頬を手で包み、伺った瞳は、正に晴天の霹靂とも言わんばかりに見開かれていた。
でも、驚きの後に見せた表情は明らかに困惑を浮かべ、やがて自嘲するような笑みに変わった。
『…………無理、分かってるでしょ?私、結婚向かないって』
『あぁ、知ってる。そうだよな…』
二人とも相手を責める事もなく取り繕うように軽い言葉で微笑んだ。
一見気は強いが、人間性は悪くない。
むしろ、強がっていても医者にしては感受性が強すぎて辛い事も多いだろうと感じるような根の良い女だった。
そして、きっと人生二人目に逢った、不器用な天才だ。
きっと彼女は場を和ませようと、敢えて嫌な女を装って笑ったんだと思う。
『ふふっ、私が結婚するとしたら、……そうねぇ、凄くいい遺伝子を伝えられる男性に逢ったときかしら』
そうどこか憂うように苦く笑う彼女は続けた。
『……そうすれば、今行き詰まっている研究の結果を導き出してくれるかもしれないわ。でも、そうなったら私もお役御免かしら、こんな生活しか取り柄がない女なのにね…』
そう言いながら小さく笑う冗談を交えた言葉に、俺は唇を釣り上げて、皮肉に笑った。
『言うねぇ…』
そうして、曖昧に取り繕ってまた抱き合った。
多分一度目よりも激しく互いを求めあった……。
でもあの時、きっと確かに俺の中の何かに抜けない棘が刺さった。
そして、その棘の存在をきっと彼女も正しく認識していたのだと思う。
それでも俺達の曖昧な関係はそれからも続いた。
相変わらず〝形”を持たないまま。
あれから、将来について口にすることは無かった。
俺も、もちろん彼女からも。
きっといつか訪れる別れの為に、名残を惜しみながら手を繋ぐようなそんな関係……
それがきっとあれからの俺達だった。
*************
そして、麻衣子に出会った。
危ういくらい、苦しそう……
それが第一印象だった。
両親を亡くしたかつての親友が、残していった最愛の妹。
---そう、俺は数年前に倉田の訃報を聞くことになった。
思った以上の喪失感に誰より驚いたのはきっと俺だろう。
(あいつがこの世にいない…)
あいつが俺に示してくれた友情と信頼を考えた時、俺は決していい友人だったなんて間違っても言えないのに。
正直、堪えた……。
数回目のあいつの命日に倉田の家を訪れた。
あいつが幸せそうな顔で俺に差し出していたシュークリームを思い出し、休日なのに朝から起きだした。
そうして倉田の家に向かった。
どうしてそんな行動にでたのかは自分でも分からない。
ただあいつの顔が朝から思い浮かんで、瞼から離れなくなったからだ。
(導かれる……)
そんな感覚だろうか。
そこにいた麻衣子は、高校時代の倉田とよく似た面持ちで、艶やかな黒髪に潤んだような瞳で、俺を前に兄の昔を思い出し涙を湛えていた。
成人はとうにしてるだろうに予想以上に幼くて…
挙動不審で… 洗練されていない。
まるで幼稚園児みたいな頼りなさを見て俺は戸惑った。
(マジかよ………)
これは相当危ない……
まるで、飼い主が戻ってくるのを健気に待つ犬か猫のようだった。
(深く関わってはいけない。情が移ると殊更厄介だ。)
なぜかそんな危険信号を感じた。
まるで、誰も通りそうにない道端で箱に詰められ
ミャーミャーとミルクを欲して鳴く捨て猫に出会った時のような戸惑いだ。
まさか、それが精子を求めて泣いていたとはその時の俺は全く想像すらしていなかったのだが…
それでも、あまりに辛そうで、そんな時に見つめた倉田の仏壇の写真は笑っているはずなのに、妙に寂しそうに感じた。
(クソっ……)
---時折気にかけて、兄貴分くらいになってやれるかも……
そう思って差し出した連絡先。
あの時の俺に邪心なんてなかった。
それ以上の事をするつもりなんて無かった。
でも、真っ直ぐに告げられた
『あなたの精子を私にください!』
あの言葉に俺は雷に打たれたような衝撃を受けた。
一生の内にあんな事をあんな真顔で求められる男は何人いるだろうか?
しかも純粋に精子のみを求められた男なんて……。
変な話かもしれないけれど……
その瞬間、欲情した自分は悪くないと言ってやりたい。
決して変態ではない……はずだ。
だが、それからの俺は日々自分が分からなくなった。
それからも彼女は何を気に入ったのか俺の精子を目的に度々俺の元を訪れた。
最初はぶっ飛んだ女だと思ったけれど、彼女が真剣である事だけは直ぐに分かった。
でも俺は容易く頷くことが出来なかった。
だってそうだろう?
まだ彼女はそれを唯一の手段としなければいけないような年齢ではないし、本人曰く男性不信だと言ってはいるが、多少挙動不審と言われればそうかも知れないが立派に日常生活を送っている。
そもそも世の中に主義思想に関わらずに何人いるだろうか?
目の前の男に『あなたの精子をください!』と交渉できる強者が!?
だから俺は懸命に説得した。
『早まるな!!』
『今は辛いかもしれないが人生とは動いているものだから…』
とも……
『生まれてくる赤ちゃんはさ、お父さんいた方がいいんじゃねえ?』
『お母さんも赤ちゃんも必要だって奴の方が多数派だと思うよ… 少なくとも俺は…』
とも……
『なぁ、やっぱり旦那いた方が何かと便利じゃね? どうしても嫌ならその時よく考えて別れるって手もあるしさ?』
その他にも、宥めたり脅したりしながら必死の説得を試みた。
一応俺も教育者の端くれだ。
本当に端くれだが……。
だが、相手は非常に手ごわかった。
元々のメンタルの強さは流石、鋼の投手、倉田の妹だ……
だが、そのメンタルの強さが、度重なる不幸と、トラウマと、孤独と、独特な趣味趣向と、開き直りにより拗れに拗れた形で暴走しているのがこの状況なのだ。
---不甲斐ない話、俺は結局止められなかったのだ。
諦めるしかなかった。
そして最後に彼女に問いかけた。
『俺がNOと言ったらどうする?』
そう問いかけると、彼女は言った。
『私はどうしても翔真さんの精子がいいんです!でもどうしても無理なら他の協力者を探します。』
あの言葉に俺はついに負けた。
断った後の麻衣子の行動を想像してどうしてもそれだけはさせてはいけないとい思ったのだ。
それからも俺は思い悩んだ。
受けたものの、それが本当に許される行為であるのか……。
俺は麻衣子に最期に一つだけ条件を突き付けた。
《もし、将来子供が父親に逢いたいと言ったら、ちゃんと連れてこい》
俺は麻衣子にそう言い、麻衣子はその言葉に頷いた。
麻衣子が欲しいのは自分の血を分けた子供だ。
決して子供の父親ではない。
ただ、卵が先か、鶏が先かの永遠のテーマの中に、ヒヨコを得るためにはやはり、オンドリが必要だっただけで……。
でも、そのオンドリが俺であると言う事に妙な執着を見せていると言うだけで……
それでもできた子供は俺の子供な訳で……
なのに、守ってやる事すらもできない前提で生まれてくる子供な訳で……
じゃあ誰が守るんだってなったら、麻衣子だけで……
でも、その肝心な麻衣子を守る人間すらいない訳で…
だからと言って麻衣子と生まれてくる俺の血を引く子供を他の誰かに守って欲しいかと言えば……
多分、そうじゃないと言う思いがあって……
---でも、どう足掻いたって求められているのは俺じゃない
それは確かな事で……
俺はお呼びじゃなくて……
あくまで必要なのは俺の精子な訳で……
そんな堂々巡りが、堪らなく苦しく感じられて発狂しそうになった。
(俺は………、真面目かよ!?)
(くっそぅ!! 倉田、てめえ、妹残してのこのこ死んでんじゃねえよ!!! 何で俺がてめえの妹に種馬扱いされて悩まなきゃなんねぇんだよ!!?)
そんな葛藤のなか、俺は結局麻衣子に一回目の精子を差し出した。
その夜は眠れなかった。
それが罪悪感であれば良かった……
もしくは、もっと色んな事を超越した高尚なものであったなら……
だが、……違った。
俺に湧き出る思いは、俺が思っているよりずっと邪で……
だからこそ、もっと切実で……
俺から、出たものが……
アイツの手でアイツの意思で秘められた奥まで送られて、誰も寄せ付けたことさえない膣を満たし、一部は奥に進み、その多くは溢れ出て腿を濡らす……
それをきっとあいつは妙に真面目な顔で、受け入れて……。
〝一つの生命の誕生″ を待ちわびる……
そんな光景を想像をした瞬間、身体が熱を帯び下半身が滾るのを感じて戸惑った。
(一体、何を考えてるんだ俺は………)
結局俺は、背徳感に眉を寄せながら、その熱を自らの手で解き放った。
手に付着した白濁をみて顔を歪めた。
「はぁ……、精子かよ……。何なんだよ、ほんと女って勝手!馬鹿にしやがって」
身体は求められても、種は要らないって言われたり……
俺には何も求めないくせに、種だけ搾り取ろうとされたり……
(何やってんだかな……)
今だ熱を帯びた体を冷ますように、裸のまま冷蔵庫の扉を開き、ビールを片手にして立ったまま飲み干した。
苛立つような焦燥感を持て余しながら、俺は浴びるように酒を飲んで朝を迎えていた。
慣れない事なんてするもんじゃなかった……
葛藤を残したまま……
俺は、自分のした行為に必要以上に日常を振り回された。
麻衣子の事……
いや、あの種の事が気になって日常が酷く落ち着かないものに変わってしまった。
翔真視点
インターホンを鳴らした俺は麻衣子の返事を待ったが、返事は無かった。
今日は予め約束していた日だ。
今までに、麻衣子が約束を忘れていた日など一日もなかった。
不安に思ったおれは、玄関のノブを捻った。
玄関は開いていた。
(不用心にも程があるだろ…?)
無防備な麻衣子に苛立った。
待たせすぎて、風呂に入ったり、眠ったりしているのだろうか。
時刻はすでに23時を過ぎていた。
「麻衣子?……いるのか?」
彼女の名を呼ぶが返事がない。
不安に胸が一瞬で締め付けられる。
こんな四方を窓で囲まれた戸建てでの女の一人暮らし。
それだけでも心配なのに、麻衣子はとても不安定な女だと思う。
度重なる不幸で危うさを感じる一方で、大事に大事にされてきた者だけが持つだろう独特な純粋さを持っている。
悪く言えば世間慣れしていない。
(そう言えば、あいつもしっかりしてる割には、ちょっと変わってたな…)
嘗ての友を思い出し苦笑する。
(似てるっちゃ似てるか…)
麻衣子の兄によく似た擦れたところのない真っすぐな瞳で言われた言葉に俺は、あの時激しく狼狽した。
「阿久津さんの精子を私に下さい。」
麻衣子は、無垢とも言える、邪心のない瞳で俺にそう言った。
(そりゃ…… 反則だろう??)
あり得ないと思った。
(絶対天然だろう!?)
そう心の中で盛大に突っ込んだ。
そして何より、あいつは分かっていないのが恐ろしい。
---無垢だからこそ、天然だからこそ……
多分そこに邪心なんてないからこそ…
余計に男を煽るエロさをあいつはまるで分っていない!
そんな危険な女に、あの後どれだけ自分は翻弄される事になるのか、あの時の俺は気づいてなかった。
ほんとに麻衣子のやつ、男慣れしていない、オドオドとした仕草の癖に、自分がどんだけ日々ぶっ飛んだ発言しているのかの自覚はあるのか?
---そう言えば、倉田も天然だったな……。
麻衣子の兄 倉田健太郎。
あいつは正に不器用で危うい天才だった。
誰より真面目で……
ストイックで、何よりも言葉が少な過ぎる男だった。
そして時々、凄く直球にものを言うから、周りは戸惑った。
自分が天才だという自覚がないから…
時に己の標準を相手にも求めて、必死で切磋琢磨しているチームメイトを傷つけ不和すら生んだ。
本当に困った男だった。
それでも、悪気が全くないところが質が悪く憎めない。
野球が大好きで、常にストイックに己を磨き上げているかと思えば、プライベートでは『お前誰だよ?』って突っ込みたくなるくらい妹が大好きな家庭的な奴だった。
そう言えばと思い出す。
何度か「妹に作る弁当に多すぎたから…」なんて言って予備に持ってきた弁当をもらった事があったが、あれも天才的に上手かったな…。
俺には無い才能を独り占めにしたような男だった。
スター性のある、存在感。
綺麗な顔。
確かな技術。
勝負強さ。
その全ての素質でアマチュアとプロの違いを俺に知らしめた完璧な友。
ライバル視するのも当然だった。
あいつとバッテリーを組んだ最期の夏。
あいつから告げられた、真っすぐ過ぎる信頼に俺は一つの事を感じずにはいられなかった。
「俺、お前とずっと野球したい……。ずっと一緒のチームにいたいんだ……」
縋る様にそう言われた時、既にあいつには地元と言わず、複数のプロ野球球団から声がかかっているのを俺は知っていた。
(ふざけんな!)
心の中でそう思った。
悔しくない訳なんて無かった。
俺だって、プロになる夢をずっと持って、血を吐くような努力をしてきた。
悔しさと羨望。
その感情の内には否定できない確かな妬みすらあった。
そんな俺の心の内すら気付かないで真っすぐに向けられる瞳に苛立った。
あいつは俺に言った。
「俺、お前とバッテリーを組み続けたい。俺、お前が好きだから……」
そんな馬鹿な理由でそんな事を言うあいつに内心舌打ちした。
(この… 天然が……)
あの時、殺意に近い黒い感情が渦巻いた。
(何にも分かってねえのかよ……、お前は……)
俺の身体能力はきっと、プロとなるには及ばないものだった。
天才という奴は時に凡人を傷つける。
それは俺と倉田の間でも例外では無かった。
倉田の隣にプロとして立ち続けるなど不可能な事を散々努力した末、思い知っていた。
そして、何より、俺の肩は限界を迎えていた。
努力を続ければいつか…
そう思いながらやってきた俺の根性論に身体がついてこない。
その事実に恐怖を覚えた頃だった。
まだ、諦める事すら出来ない、先の見えない不安のなかで、そんな、あいつに俺は苦し紛れに約束した。
「あー、大学を卒業してからな…」
劣等感を隠したかった。
俺にもプライドがあったから。
そして俺達は卒業後、進む道を違えた。
奴は高卒でルーキーとしてプロ野球へ……
俺は、残りの可能性に縋るように肩を治療しながら大学の野球部へ……
あいつはもしかしたら、本気で信じていたかもしれない。
再び俺とバッテリーを組む日が来ることを。
だから、プロになってからも大学で野球を続ける俺の元をあいつは何度も訪れた。
そして、奴に向けられる歓声や期待の目に俺は劣等感を刺激され、いら立ちは募るばかりだった。
あの日もタイミング悪く倉田は俺を訪れた。
奇しくも俺が、野球人生を終える事を余儀なくされた日だった。
俺はあいつに告げた。
「……バッテリーだ?そんな日は永遠にこないんだよ。いい加減、俺にてめえの夢押し付けんな! もうここに顔見せんなよ! 俺はもう野球は卒業なんだよ、そんな俺にお前用なんかねえだろうが?」
八つ当たりだ…。
今でも酷く悲しそうな顔が忘れられない。
まるで自分の事以上に傷付いたような顔を思い出し息を吐く。
(あの時は悪かったな…、倉田…)
亡き友には詫びる術もない。
俺なりに野球推薦で行った大学で行けるだけ選手生命を全うしようとした。
そんな希望も半ばに2年になる頃には、俺は試合の途中で耐えられない痛みに運ばれた病院で、本格的な野球活動へのドクターストップがかかったのだ。
それは実質的な『戦力外通告』に他ならなかった。
こんな日がいつか来ることなんて、判っていた。
だけど、俺は野球が好きだった。
肩に爆弾を抱えながらも、それでもどこか奇跡が起こることを期待していた。
(いつか、再びあいつとバッテリーを……)
そう叶うはずのない夢を見ていたかったのは、俺だったのかもしれない。
でもやはり、それは過ぎた夢だったようだ。
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それから俺は野球から遠ざかり、教員免許の取得をして教員になろうと進路を絞った。
講義の単位取得と始めたバイトの忙しさは空虚だった俺の日常の時間だけは満たしてくれた。
そんな中で、報道される野球ニュースでの倉田の活躍や、怪我に複雑に耳を傾ける。
それでも、倉田はやはり天然だった。
野球を止めた俺になんて、用なんてないはずなのに……
世界だって違うはずなのに……
あいつは、時折、待ち伏せるように俺の元を訪れた。
次の日からは宮崎でキャンプなんて報道されていた日に訪れる奴に俺は怪訝に眉を寄せたものだ。
「キャンプ行くんじゃねえのかよ?」
「行くよ」
そう言って笑う、男前なプロ野球選手。
もはや、俺には全くもって意味不明だった。
「じゃあ、何でこんなとこいんだよ??」
「だって、顔が見たかったから…?」
そう言って困ったように笑う倉田。
「は!? 何で俺の顔??」
「ん……?好きだから?」
「は……意味、分かんねぇよ、お前、何時まで言ってんだよ、友達他にいないのかよ??まさか、ハブにされてんのか?」
「ん~……、いない訳じゃないけど、……阿久津が一番だから。ダメかな?」
「このっ、心配させやがって、キモイわ!!」
「ごめんっ」
そう言って笑う倉田の顔を思い出す。
倉田は本当にそんな天然な天才だった。
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あいつは、モテる癖に、まるで清廉潔白な僧侶かよって突っ込みを入れたくなるほどに、野球と妹に献身を捧げていた。
けれど、どちらかと言うと、俗世的な俺はそうでは無かった。
高校時代から、時に女に告白されるようになった俺は、硬派と言われるあいつとは違い、その中から好みの女と付き合うくらいの年齢に相応しい性欲を持っていた。
ドラフトを意識する高校三年の時には、部のマネージャーと付き合っていた俺は、彼女の思惑、プロの道とは違う、大学野球を選んだ。
そして、途中で『戦力外通告』を受けた。
《そのせいだ…》
そう言われないくらいの時を経て、彼女は俺の元を去った。
不思議とその女を悪く思う事は無かった。
むしろ、彼女の期待に応えられない事を随分前から判っていたのに「俺に期待すんな」って事前に告げてやる勇気すら持てなかった、自分に嫌悪した。
それから、俺は自由になった。
今までに感じたことのない自由。
それは、孤独と表裏一体だった。
それから、野球を離れた俺は、己の虚無を紛らわせる為に、夜の街で遊ぶようになった。
容姿のせいか人当たりのせいか、一夜の遊び相手に事欠く事は無かった。
そんな頃にも、倉田は時折俺を訪れては、そんな俺と時には酒を酌み交わし、俺に笑顔を向けていたっけ……
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そんな時期が暫く続き、俺は一人の年上の女と出会った。
まるで女豹のような女だった。
某有名国立大学の医学部を主席で卒業した、遺伝子細胞研究員の新鋭。
これから何千いや、もしかしたら何万と言う病人の命を救う研究者と期待された女。
そんな女と出会い、その生命力に引き付けられるかのように体の関係を持った。
それからその女と7年近い付き合いをする事になるなんて、その時の俺は思ってもいなかった。
その頃、そう言えば…
飲みに誘われた倉田に、妙に真顔で聞かれたっけ…
「お前、幸せか…?」って。
野球に若干の未練があったけど、そんな自分を隠しながら頷いたっけ…。
確かに、少しずつ前向きに新たな自分をみつめ始めた時期だったから。
「まぁ、幸せだな…。色々吹っ切れたしな…」
心の中で苦笑しながらそう返したのを覚えている。
俺はアイツの期待から逃れたかったのかもしれない。
いや、未だ蟠る自分を誰にも見せたくなかったのかもしれない。
そう言えば、その頃から倉田の姿を見る事は極端に少なくなった。
彼女とは互いを縛り合うような付き合いではなかった。
恋人かと聞かれたら、そうだとも言い切れない。
遊びかと言われたら、きっともう少し純粋だったようにも思う。
……俺は彼女との出会いで確かに救われていたのだろう。
少なくともその期間、俺達に他の異性は必要ではなかった。
求めあうのは互いに必要な時に傍にいる関係。
今にして思えば、きっと互いに〝形”を持たない事で相手への負担になりたくなかったのかもしれない。
でもそんな付き合いもあれは確か2年前。
きっと、あの頃から少しだけ変わった。
互いに時間があえば、食事をしてどちらかの家に行って体を重ね、抱き合い眠る。
そんな何度も重ねてきた特別でもない夜だった。
丁度、彼女が30歳を迎えた月でもあった。
疲れて微睡む、彼女の髪に指を絡めたとき、一本の白髪に気付いた。
目を細めて、他の場所に目をやるとまだ艶やかな髪にもう一本。
スッとした綺麗な目尻にも若干の変化を認めた時、不意に自分の口をついた言葉に俺自身が誰より驚いた。
『なぁ……』
『……ん?』
そう、起きてるかも分からない彼女に問いかけた。
『……結婚、するか?』
そう言って彼女の頬を手で包み、伺った瞳は、正に晴天の霹靂とも言わんばかりに見開かれていた。
でも、驚きの後に見せた表情は明らかに困惑を浮かべ、やがて自嘲するような笑みに変わった。
『…………無理、分かってるでしょ?私、結婚向かないって』
『あぁ、知ってる。そうだよな…』
二人とも相手を責める事もなく取り繕うように軽い言葉で微笑んだ。
一見気は強いが、人間性は悪くない。
むしろ、強がっていても医者にしては感受性が強すぎて辛い事も多いだろうと感じるような根の良い女だった。
そして、きっと人生二人目に逢った、不器用な天才だ。
きっと彼女は場を和ませようと、敢えて嫌な女を装って笑ったんだと思う。
『ふふっ、私が結婚するとしたら、……そうねぇ、凄くいい遺伝子を伝えられる男性に逢ったときかしら』
そうどこか憂うように苦く笑う彼女は続けた。
『……そうすれば、今行き詰まっている研究の結果を導き出してくれるかもしれないわ。でも、そうなったら私もお役御免かしら、こんな生活しか取り柄がない女なのにね…』
そう言いながら小さく笑う冗談を交えた言葉に、俺は唇を釣り上げて、皮肉に笑った。
『言うねぇ…』
そうして、曖昧に取り繕ってまた抱き合った。
多分一度目よりも激しく互いを求めあった……。
でもあの時、きっと確かに俺の中の何かに抜けない棘が刺さった。
そして、その棘の存在をきっと彼女も正しく認識していたのだと思う。
それでも俺達の曖昧な関係はそれからも続いた。
相変わらず〝形”を持たないまま。
あれから、将来について口にすることは無かった。
俺も、もちろん彼女からも。
きっといつか訪れる別れの為に、名残を惜しみながら手を繋ぐようなそんな関係……
それがきっとあれからの俺達だった。
*************
そして、麻衣子に出会った。
危ういくらい、苦しそう……
それが第一印象だった。
両親を亡くしたかつての親友が、残していった最愛の妹。
---そう、俺は数年前に倉田の訃報を聞くことになった。
思った以上の喪失感に誰より驚いたのはきっと俺だろう。
(あいつがこの世にいない…)
あいつが俺に示してくれた友情と信頼を考えた時、俺は決していい友人だったなんて間違っても言えないのに。
正直、堪えた……。
数回目のあいつの命日に倉田の家を訪れた。
あいつが幸せそうな顔で俺に差し出していたシュークリームを思い出し、休日なのに朝から起きだした。
そうして倉田の家に向かった。
どうしてそんな行動にでたのかは自分でも分からない。
ただあいつの顔が朝から思い浮かんで、瞼から離れなくなったからだ。
(導かれる……)
そんな感覚だろうか。
そこにいた麻衣子は、高校時代の倉田とよく似た面持ちで、艶やかな黒髪に潤んだような瞳で、俺を前に兄の昔を思い出し涙を湛えていた。
成人はとうにしてるだろうに予想以上に幼くて…
挙動不審で… 洗練されていない。
まるで幼稚園児みたいな頼りなさを見て俺は戸惑った。
(マジかよ………)
これは相当危ない……
まるで、飼い主が戻ってくるのを健気に待つ犬か猫のようだった。
(深く関わってはいけない。情が移ると殊更厄介だ。)
なぜかそんな危険信号を感じた。
まるで、誰も通りそうにない道端で箱に詰められ
ミャーミャーとミルクを欲して鳴く捨て猫に出会った時のような戸惑いだ。
まさか、それが精子を求めて泣いていたとはその時の俺は全く想像すらしていなかったのだが…
それでも、あまりに辛そうで、そんな時に見つめた倉田の仏壇の写真は笑っているはずなのに、妙に寂しそうに感じた。
(クソっ……)
---時折気にかけて、兄貴分くらいになってやれるかも……
そう思って差し出した連絡先。
あの時の俺に邪心なんてなかった。
それ以上の事をするつもりなんて無かった。
でも、真っ直ぐに告げられた
『あなたの精子を私にください!』
あの言葉に俺は雷に打たれたような衝撃を受けた。
一生の内にあんな事をあんな真顔で求められる男は何人いるだろうか?
しかも純粋に精子のみを求められた男なんて……。
変な話かもしれないけれど……
その瞬間、欲情した自分は悪くないと言ってやりたい。
決して変態ではない……はずだ。
だが、それからの俺は日々自分が分からなくなった。
それからも彼女は何を気に入ったのか俺の精子を目的に度々俺の元を訪れた。
最初はぶっ飛んだ女だと思ったけれど、彼女が真剣である事だけは直ぐに分かった。
でも俺は容易く頷くことが出来なかった。
だってそうだろう?
まだ彼女はそれを唯一の手段としなければいけないような年齢ではないし、本人曰く男性不信だと言ってはいるが、多少挙動不審と言われればそうかも知れないが立派に日常生活を送っている。
そもそも世の中に主義思想に関わらずに何人いるだろうか?
目の前の男に『あなたの精子をください!』と交渉できる強者が!?
だから俺は懸命に説得した。
『早まるな!!』
『今は辛いかもしれないが人生とは動いているものだから…』
とも……
『生まれてくる赤ちゃんはさ、お父さんいた方がいいんじゃねえ?』
『お母さんも赤ちゃんも必要だって奴の方が多数派だと思うよ… 少なくとも俺は…』
とも……
『なぁ、やっぱり旦那いた方が何かと便利じゃね? どうしても嫌ならその時よく考えて別れるって手もあるしさ?』
その他にも、宥めたり脅したりしながら必死の説得を試みた。
一応俺も教育者の端くれだ。
本当に端くれだが……。
だが、相手は非常に手ごわかった。
元々のメンタルの強さは流石、鋼の投手、倉田の妹だ……
だが、そのメンタルの強さが、度重なる不幸と、トラウマと、孤独と、独特な趣味趣向と、開き直りにより拗れに拗れた形で暴走しているのがこの状況なのだ。
---不甲斐ない話、俺は結局止められなかったのだ。
諦めるしかなかった。
そして最後に彼女に問いかけた。
『俺がNOと言ったらどうする?』
そう問いかけると、彼女は言った。
『私はどうしても翔真さんの精子がいいんです!でもどうしても無理なら他の協力者を探します。』
あの言葉に俺はついに負けた。
断った後の麻衣子の行動を想像してどうしてもそれだけはさせてはいけないとい思ったのだ。
それからも俺は思い悩んだ。
受けたものの、それが本当に許される行為であるのか……。
俺は麻衣子に最期に一つだけ条件を突き付けた。
《もし、将来子供が父親に逢いたいと言ったら、ちゃんと連れてこい》
俺は麻衣子にそう言い、麻衣子はその言葉に頷いた。
麻衣子が欲しいのは自分の血を分けた子供だ。
決して子供の父親ではない。
ただ、卵が先か、鶏が先かの永遠のテーマの中に、ヒヨコを得るためにはやはり、オンドリが必要だっただけで……。
でも、そのオンドリが俺であると言う事に妙な執着を見せていると言うだけで……
それでもできた子供は俺の子供な訳で……
なのに、守ってやる事すらもできない前提で生まれてくる子供な訳で……
じゃあ誰が守るんだってなったら、麻衣子だけで……
でも、その肝心な麻衣子を守る人間すらいない訳で…
だからと言って麻衣子と生まれてくる俺の血を引く子供を他の誰かに守って欲しいかと言えば……
多分、そうじゃないと言う思いがあって……
---でも、どう足掻いたって求められているのは俺じゃない
それは確かな事で……
俺はお呼びじゃなくて……
あくまで必要なのは俺の精子な訳で……
そんな堂々巡りが、堪らなく苦しく感じられて発狂しそうになった。
(俺は………、真面目かよ!?)
(くっそぅ!! 倉田、てめえ、妹残してのこのこ死んでんじゃねえよ!!! 何で俺がてめえの妹に種馬扱いされて悩まなきゃなんねぇんだよ!!?)
そんな葛藤のなか、俺は結局麻衣子に一回目の精子を差し出した。
その夜は眠れなかった。
それが罪悪感であれば良かった……
もしくは、もっと色んな事を超越した高尚なものであったなら……
だが、……違った。
俺に湧き出る思いは、俺が思っているよりずっと邪で……
だからこそ、もっと切実で……
俺から、出たものが……
アイツの手でアイツの意思で秘められた奥まで送られて、誰も寄せ付けたことさえない膣を満たし、一部は奥に進み、その多くは溢れ出て腿を濡らす……
それをきっとあいつは妙に真面目な顔で、受け入れて……。
〝一つの生命の誕生″ を待ちわびる……
そんな光景を想像をした瞬間、身体が熱を帯び下半身が滾るのを感じて戸惑った。
(一体、何を考えてるんだ俺は………)
結局俺は、背徳感に眉を寄せながら、その熱を自らの手で解き放った。
手に付着した白濁をみて顔を歪めた。
「はぁ……、精子かよ……。何なんだよ、ほんと女って勝手!馬鹿にしやがって」
身体は求められても、種は要らないって言われたり……
俺には何も求めないくせに、種だけ搾り取ろうとされたり……
(何やってんだかな……)
今だ熱を帯びた体を冷ますように、裸のまま冷蔵庫の扉を開き、ビールを片手にして立ったまま飲み干した。
苛立つような焦燥感を持て余しながら、俺は浴びるように酒を飲んで朝を迎えていた。
慣れない事なんてするもんじゃなかった……
葛藤を残したまま……
俺は、自分のした行為に必要以上に日常を振り回された。
麻衣子の事……
いや、あの種の事が気になって日常が酷く落ち着かないものに変わってしまった。
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