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第二話 特異な過去を持つ少女

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 なぜ、こんな事になっているかと言えば、話は入学式前後に遡る。

 私の名前は綾瀬野乃花、この春、この中高一貫の私立学園に編入した高校一年だ。

「こ、これはまた、ある程度は伺ってはおりましたが、独特な経歴をお持ちのお嬢様ですね……」

 入学式の半月程前、校長と数名の先生は学園の応接室のソファに腰掛けて、父が持参した私の学校生活の要望書などを見つめてドン引きしていた。

 それもそのはずだ。
 自分でも、かなり面倒な存在だという自覚くらいは大いにあるのだから。
 
「ま、まあでも、お嬢様のことは、他ならぬ櫻川さんのご推薦とご要望ですから、我々としても出来るだけの配慮はさせていただこうと…」

 櫻川さんとは、今、私を挟むように父と反対側の隣に座る私の幼馴染のかなちゃんこと、櫻川奏の母親の事だ。

 この学園出身の資産家でもあるかなちゃんママは、この学園に対して多方面への宣伝と多額の寄付をしているらしい。
 
「そ、そうですよね、奏くんもこうやってお嬢さんの学園生活への協力を申し出てくれている訳ですし我々としても…」

 まるで事なかれ主義がスーツを着たような校長と教頭がうんうんと愛想よく頷き合うが、学年主任という女性教師が眼鏡の奥の瞳を曇らせる。 

「でも、それなら余計に生徒達が騒つくんじゃありませんか、他の生徒なら兎も角として、今の奏くんの人気を考えますと…」

 女性教師が眉を寄せながら教頭と名乗った人に小さく耳打ちした。

「ま、まあ、それは今更言ってもね、君、だって櫻川さんからは……」

 教頭だという、髪の薄い男は察してくれよお願いだから、と言わんばかりの困った顔で彼女を制した。

「そ、そうですが……」

 その言葉を聞いて、女性教師も諦めたようにひとつ息を吐いて黙り込んだ。

 後に彼らのその心配を受け流してしまった事を後悔するくらいに、妬まれる結果になるのだけれど、この時、父は学校の受け入れ姿勢に勢いを得て、前のめりになって話を続けた。
 
「そ、それでは先生方、娘を、この子を受け入れていただけるんですね?」

 そう言質をとる父に校長が頷いた。

「は、はい、それはもう、お任せください、櫻川さんの推薦を抜きにしても、お嬢さんの編入試験の成績もみせていただきましたが、文句のつけようがないほどの高得点でしたから」
「あれで中学はほとんど通わず、塾にもいかれていない独学とは我々も大変に驚いているのですよ」
「そ、そうですか、ありがとうございます!」

 父から感激したような潤んだ声が溢れる。
 
 本人をそっちのけで進んでいく会話に、随分迷惑をかけてきた立場としては、面目なくて、今さら怖気付いて「やっぱり嫌だ」などと言えるはずもなかった。

 すると、さっきまでは会話に入らずにドア近くにいた一人の女性が歩み寄ってきて、父に名刺を差し出した。

「それでは双方、入学のご意向が固まったようですので、スクールカウンセラーの委託を受けております、わたくし市村から、もう一度、状態を確認させていただきますね、このままお二人ともご同席のままでよろしいですか?」

 チラッと私を見つめるカウンセラーの女性に父は頷いた。

「はい、家庭内の話し合いは出来てますから」
「櫻川くんも?」

 今度は私の隣のかなちゃんに目を移すカウンセラーさんに父は再びはっきりと頷く。

「はい、いてもらってください。彼は既に我々の家族みたいなものですから、娘は世間に疎くこれからはどうしたって奏くんを頼るしかありませんから」
「おじさん!!」

 かなちゃんが感激したように父の顔を見た瞬間、先生達は私とかなちゃんを好奇な目で見比べて意味深に目を合わせた。
 
 かなちゃんはこの学園の2年に進級する在校生であり、大手ファッションブランドSAKURAGAWAの次期後継者でもある。
 現在はデザインはもちろん自社ブランドのモデルもこなす超美形で、本名は櫻川奏と言う。
 
 そんなかなちゃんを私は昔から姉とも兄とも慕ってきた。
 170センチ後半と思われるスラっとした長身に、余分な物はついていないしなやかな四肢。
 ふわふわと柔らかなライトブラウンの髪に、女性顔負けの美肌。そして頻繁に綻ぶどこか甘さを感じる薄い唇。
 なにより素敵なのは長いまつげに縁取られた新緑を彷彿させるグリーンの瞳で、北欧系のクォーターというのも頷ける華のある柔和な顔立ちなのだ。

 最近ではその中性的な魅力を武器に一人二役で男女の姿を表現してCMなどにも起用され話題と人気を得ている。
 もはや芸能人といってもいい存在だ。

 そしてここから先は非公開情報なのだが、かなちゃん本人は、私の一つ年上の兄である綾瀬太陽の『嫁』であると自負しているようだ。

 そう、『嫁』なのである。

「性別を超えて太ちゃんにベタ惚れだからね、俺」と私の前では堂々と公言するかなちゃんは、他の人を好きになったことがないらしいから定かではないけど、おそらくは自身はバイなのではないかと自己分析しているようだ。

 そんなかなちゃんの想い人である私の実の兄、太陽は開業医の父の息子として生まれたが、何故か幼い頃から、空手、柔道、剣道など武道に嵌り、数々の実績を残してきたが、これから益々と期待を浴びたところで、惜しげもなく全て引退した変わった男である。
 
 そして現在では総合格闘技に嵌り、道場破りを趣味としていると、かなちゃんがいつも愚痴っている。
「もう二週間も連絡がないなんて、浮気してたら許さない!」なんてこの間もかなちゃんは怒っていた。
 
 やりたいことはやる、やりたくない事は小さな事でも面倒がる、本当に困った兄ではあるが、そんな兄もなんだかんだ言って、きっと小さな頃からかなちゃん一筋なのだと思うのだ。
 ちなみに兄は自分の性的趣向はノーマルだと分析しているようだ。
 小さな頃出会った天使に恋をした兄は数年の後、かなちゃんの性別が男であった事に気づいたけど、気持ちが変わる事はなかったそうだ。

(だけど、こんなで、うちのお父さん、ちゃんと長生き出来るのかな?)

 母は私が中学に入る前に亡くなった。
 それから父が一身に背負い続けてきた心労を考えると、空気が読めないと言われる自分でもさすがに思うところもでてくるのだ。

「えー、……」

 カウンセラーの女性は息を吸い込んだ。

「………………」

 私は沈鬱な気持ちで続きを待つ。
 過去何度も様々なシチュエーションで繰り返されてきたお馴染みのやりとりである。
 
「5歳から7歳まで、意識不明で入院」

「…………」
 
「その後、記憶障害が続き、現在でも幼稚園から小学中学年頃までの記憶がないと?」

「……はい」

 私の代わりに父が答える。

「それに付随した障害として、言語障害、吃音、パニック障害、過呼吸……」

「はい、症状はずいぶん軽減したのですが、吃音対策に言葉を簡潔に話すようにした、子供時代の習慣が抜けていないので、相手によっては、少し違和感を与えるかもしれません……」

「そうですか、それは状況をみて追々考えていけばいいでしょう」

「そういっていただけると助かります」

 そして、一枚資料を巡ったカウンセラーの女性は、顎に手を当てて、再び口を開いた。

「ええと、こちらのページには、空気が読めないところがある、ともご記入があるようですが、こちらも当時の記憶障害の後遺症でしょうか?」

 そう問いかけられた父は、少し言葉を濁した。

「いえ、それはおそらく、元々の特徴かと思い別に記入させてもらいました…」

「………と、申されますと?」

 寄せられた視線に父が少し躊躇ったように言葉を紡ぐ。

「娘は、親から見て、最近話に登るようになったギフテッド 、或いは高IQの部分的な発達障害のような特性を持っていたのではと…」

 すると、教師達は目を見開く。

「ギ、ギフテッド ですか?」
「はい、当時はそういった言葉も無かったので、私も最近になって思い当たるのですが、高い能力を感じる一方で凹凸が激しく生き辛いそんな両極端の特性をもつ子供もいると」
「なるほど、2Eの可能性ですか……」

 カウンセラーの人は思い当たるのか、そう口を開いた。

「ご存知ですか、話が早くて助かります、理解力は人並み以上なのですが、娘には多少の情緒の欠如、過集中、関心ごとの偏り、あとはそう、イマジナリーフレンドの存在など、変わった特徴を持っておりまして……」
「なるほど…」

 カウンセラーの人が頷くのに対して、なんのことかと周囲が騒つく。

「イ、イマ?」
「イマジナリーフレンドです、教頭先生」

 そう冷静に彼らに伝えたカウンセラーさんは、書類を見ながら一人納得したように頷いている。

「それでは綾瀬さん、お嬢さんには空想上の何かが見えると?確かに、そういったことはギフテットの幼少期に多くみられる現象だと聞きますが、それは今も継続しているのでしょうか?」
「はい、娘の世界には今も、一人の少年が存在しているようです」

 その言葉に教師達が益々騒めく。

「げ、幻覚が見えると?それは危険では??」

 校長の慌てたような問いかけに父は首を振った。

「いえ、問題は感じていません。今は他人の現実には存在しないものと理解して、この子なりに状況を考慮して接しているようですし…」

 教師達が目を瞬かせるなか、カウンセラーさんが冷静にメモを取りながら言った。

「先生方、大丈夫ですよ、外国の子供にもよく報告されていますから、時が経つと見えなくなることが多いですが、高知能の持ち主に多く見られるとのデータもあります、成長後の問題も報告はされていないようです」
「そ、そうなのかね……」

 露骨に安心した様子の先生達を待って、カウンセラーさんは続けた。

「それはいつからでしょうか?」

 父は眼鏡を外して、眉間を揉みながら息を吐いた。

「そうですね、その少年が現れたのは、娘が長い眠りから目を覚ました後だと聞いています」
「……七歳の時ですね?」
「そうです、娘は目覚めましたが、その後の失語期間が長かったので、私達とのコミュニケーションすら困難だったくらいなので便宜的に必要な存在として生み出されたのかもしれないと、以前、専門の方が口にされていました」
「そうですか……」

 周囲からのしんみりとした憐れむような視線を避けて俯いた。

 そう、私の心に住まうその少年は、記憶もない、人と意思疏通も出来ない、そんな孤独と不安のなかにいた私に常に寄り添い声をかけ続けてくれたのだ。

 誰にも知られず、誰に認められることもなくただただ傍にいてくれた、見えない、年もとらない私の心が有する友人なのだ。
 
 その時、しんみりした空気を払う様に私の手をかなちゃんがキュッと握ってくれた。

「大丈夫です、野乃花は賢い子です、僕も精一杯彼女を守りますから、どうぞご安心ください」
「かなちゃん……」

 男前にそう言い切ったかなちゃんを、頼もしそうに見つめる大人たちにかなちゃんは微笑んだ。

 私は内心、この笑みを勝利の笑みと名付けている。
 かなちゃんは、こんな笑顔を武器にしていつだって欲しいものを手に入れる強かな一面も持っている。
 ちなみに私は結構かなちゃんのそんな自分に正直なところが好きだ。
 
 
「櫻川くん、そうかね、君がそう言ってくれるなら、先生は君を信じるよ!」
「頼んだよ、櫻川何かあったら私たちもいつでも相談に乗るからね?」
「はい!安心して任せてください!!」
 
 かなちゃんはちらりとこっちを見て片目を閉じて微笑んだ。
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