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第二章 ② 崩れゆく世界
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私は建築デザイン会社に入社して三年目の平凡な会社員で、海晴は駆け出しのフリーの物書きだ。
小説や歌詞、シナリオ、エッセイなどまだ自分の路線が定まらない海晴は、だからこそ手掛けるジャンルは無駄に幅広かった。
過去に数点の作品が注目された事もあって、そのまま人気クリエイターにでもなるかと思っていた海晴は、昔から天才特有の繊細さも併せ持っていた。
そのせいもあるのか、最近は体調を崩したり、塞ぎ込んで引きこもりがちになっていたこともあり、まともに仕事をしているのかも正直よく分からない。
昔から掴み所が無くて、何を考えているのかよく分からないところがあった海晴。
だけど、私はなんだかんだと海晴の才能を信じていた。絵を描いても、工作をしても、言葉を綴っても独特の世界観を持つ海晴の作品は人を惹き付ける。
その作風は本人と一緒でどこか掴み所がない。たぶんアーティストが描くものとしてはどこか不完全で、凹凸のようなものがあって、それ故に、独特な空気を醸し出す。
以前、ふわふわしたその作風が「なんだか、くらげみたいだね」なんて言ってしまって、海晴を拗ねさせてしまったっけ……
だけど透明感のある曖昧な美しさ、それこそが海晴の個性のようで、私は実はそれがとても好きだった。
そこにあるものをただ美しい、悲しい、辛い、微笑ましい、と受け止める少年のような感性を成長してもそもち続けられる素直さがどこか羨ましかったのかもしれない。
私たちは大人になるに従い、つい小難しい結論や価値を求めてしまいたくなってしまうから。
私達の出会いは、六歳の時に向かいの家に海晴が越してきた事で始まった。
普段は大人しくて、控えめで、人見知りの海晴。最初は私にも怯えていた。
同年代の男の子とはあまり遊ばず、一人で絵を書くことが大好きな男の子。その色使いは私を一瞬にして虜にした。だけど、拘りの強い性格でもあった海晴は、時々癇癪をおこしたようによく泣いた。そんなだから友人とのトラブルは絶えなくて、少し孤立していたと思う。
だけど成長と共に、彼はとても繊細で敏感な感性の持ち主だと子供心にも悟るようになった。
歴史とか、貧困とか、虐待とか………
特定の誰かにではなく、どうにもならない世界の辛さや理不尽さに対して、大きな不満と不安を訴え、頻繁に涙を流す海晴。
怖い話を聞くと、夢にみるのだと落ち込んでいたり、日常生活で聞こえてくる音楽にいつの間にか涙を流していたり、まさに感受性の塊のような子供だった。
そういえば、海晴は昔不思議なことを言っていた。
小さな頃、人には見えない空想上の友達と会話をしていたというのだ。
その空想上の友達がたくさんの美しいものを教えてくれたのだと。その子は美しい色も悲しい色もたくさん知っているのだと。
私と出会ってしばらくしてからはその子は見えなくなったそうだけども…
それを聞いた当時の私は幽霊や座敷童みたいな存在だと思ってドキドキしながら耳を傾けていた。
だけど、現在では高IQをもつ人にはしばしばみられると認知されている現象だと大人になってから知った。
そう、イマジナリーフレンドと呼ばれるものだ。
想像力の強い、高IQの子供が自らの成長に必要な同年代の友人を求めて作り出す空想上の友人だという。
そして私はと言えば、そんな繊細な海晴が、一人で喋っている変な奴だと揶揄われたり、苛められたりするのが凄く歯がゆかった。
だから、よく海晴の前に立ちはだかって意地悪な男の子達とも対峙した。
「やーい、女に守られてやんの!だっせぇ!!」
「煩い!帰れ!!この前までお昼寝でお寝小してたの誰よ!!!」
「っ、クソ、覚えてろよっ!この男女と女男!!!」
そんな風に私が庇う事で海晴がますます男の子達から遠巻きにされていく事に、当時の私は気付かなかった。
だけど海晴はと言えば、嫌な事があっても、次の興味を見つけるとさっきまでの事はもう忘れたように、すぐに綺麗な笑顔を見せるのだ。
「って、何を遊んでるんだよ、海晴?」
自分が原因の喧嘩をそっちのけで、蹲り、顔を輝かせる海晴。
「……陽愛ちゃん、ありがとう、でも、綺麗だったから、これあげる」
そうして手に乗せられたのは露のついた一枚の葉っぱ。だけど、それは信じられないくらいに美しかった。そして私にそれを渡して満足そうに笑う海晴の笑顔はそれ以上に綺麗だった。
そんなふうに海晴は昔から美しいものを見つけるのが得意だった。季節の移ろい、自然の美しさ、動植物の変化に敏い美貌の海晴の顔はいつも私にはキラキラ輝いて見えていた。
「見て、陽愛ちゃん、今日の空、とても綺麗だね!」
そんな海晴の示してくれる世界は本当に綺麗で、二人で過ごす時間は美しくて、いつの頃からか海晴から目が離せなくなった私はいつしかそれが恋だと気付いた。
海晴は昔からどちらかというと少しだけ中性的で、とても柔和な顔をしていた。
中学生くらいまでは女の子みたいに華奢で小柄だった海晴は、男の子の友達というよりかは性別を気にしない可愛い親友みたいな存在だった。
だけど高校に入る頃にはしなやかな肢体は日に日に成長を遂げて、180を越える高身長に成長した。
そして男性にしては無駄に美しいとも言える美貌はそのままに僅かに男性としての色気を帯びて、高校入学を期に女性達の目を惹き付けた。
その頃から海晴はモテにモテ始めた。
当時「プリンス」なんて影であだ名をつけられてモテまくる海晴はと言えば、運動は昔と相変わらず苦手で、美術部に所属して次々に新しい作品を産み出していた。
だけど、当時の海晴は、産みの苦しみと言うのだろうか、所謂スランプに陥っていたようだった。
「ここ最近は、全然思うように描けないんだ、どれだけ頑張っても足りないものがあるんだ……」
「そう?私はいいとは思うけなぁ、海晴らしいし」
「ダメだよ、きっと陽愛には分からない、もっと深くて、もっと激しいなにか、もう、僕、辞めちゃおうかな……」
「そんなこと、言わない、ほら、だってさ、私よりは断然上手いんだからさ、ほらっ」
「それ、蛇?独特、だね……」
「………カタツムリだよ、失礼な!」
「……ふはっ」
「笑うな、天才!」
だけど、そう言いながらもコンクールなどでは好評価を得ていた海晴の作品が素晴らしいのは確かだったのだと思う。
今にして思えば、あの頃から、天賦の才を持つ繊細な海晴と平凡で鈍感な私には小さくない距離ができ始めていたのかもしれない。
そして忘れもしない高校2年の時、ひとつ上の学年に転校してきた綺麗な女性と出会った海晴は、あっけなくその先輩と付き合い始めたのだ。
美術部に入った当時の彼女も恐らく、天才だったのだと思う。
文化祭でその人の描いた絵を見たとき、その透明感と共に存在する威圧感に私は感動すると共に得体の知れない恐ろしさを感じた。そして、その隣には、まるで水を得た魚のように対に描かれた海晴の作品も一緒に並んでいた。
(これが海晴と彼女の世界………)
天才は視野が狭く、同時に多才でもある。
あの頃、私は同時にそれにも気付いた。
海晴は絵以外にも趣味で小説や随筆など文章を書くのが好きだったが、そんな文才もこのころから開花し、注目を浴びるようになっていった。
あの頃の海晴は突然波に攫われたように、私から日々遠くに離れていってしまうようだった。
二人が共に行動する姿を見て思った。
(もう、海晴の傍にはいられない……)
胸が痛かったのを今でもよく覚えている。
そう、今日のように…
そうして、海晴の隣に居場所を失った私は、同時に海晴への自分の気持ちを突きつけられた。
ただの幼馴染だったら海晴の傍に適切な距離をとりながら居続ける事もできただろう。
でも、こんな形で自分の気持ちを知ってしまった私は海晴から距離を置くしかなかった。
あの頃、私は海晴を避け始めた。
私達の家は向かいで、いつも一緒に登校するのが当たり前だったのに「勉強するから」と先に家を出たり、友人達との放課後の予定を詰め込んで男の子も混ざるカラオケやカフェに入り浸ったりしたのもその頃だ。
「いつまでも子供じゃないんだから、行動範囲はお互い広げなきゃ」と嘯いて空元気で行動する毎日に本当は疲れていた。
だけど海晴はそんな変化に戸惑ったようだった。
あれは酷い雨の日、カラオケ帰りに男友達の傘に入れてもらって帰ってきた私にあれこれとしつこく質問したり、軽率だと嗜めてくる海晴に腹を立てた私は半ば八つ当たりぎみに怒りながら、好意を打ち明けた。
「もう海晴には彼女がいるんでしょ!今までみたいにべったり私が隣にいたら誰だっておかしいって思うでしょう!?」
「おかしくなんかない!陽愛は僕の傍にいる!!昔からいた、それは変わっちゃダメな事なんだ!!!」
そんな言葉にカッとなった私は言い放った。
「か、勝手なこと言わないでよ!私だって、こんな状況で好きな人の隣に居続けられるほど図太くなんてなれないよ、だから、もう私の事は放っておいて!!あんたの事なんて、いつかちゃんと忘れてあげるからっ……」
今、思い返してもおかしな喧嘩の仕方だったと思う。
だけど、あの時、海晴は一瞬にして顔色を変えた。
「………忘れる?」
普段から色白で血の気のない海晴の肌がますます生気を失っていくようだった。
それと同時に私の背中につめたいものが駆け上がった。
「陽愛が、僕を………?」
「……………」
しまったと思った、だけど言わずにはいられなかった言葉だし私はそれを訂正もしなかった。
今なら、そうしなかった思春期の自分に僅かな打算もあったのだと認める。
私は長年の友達関係を楯にすることで海晴の気持ちを繋ぎ止めようとしたのだ。
結局、最初は狼狽えるばかりだった海晴は、突然態度を変えて、まるで私の気持ちを受け入れるように言ってくれたのだ。
「陽愛、僕、ちゃんとこれからの事を考えるから。だから、少しだけ、待ってほしい。だから、それまでは変わらないで、いつも通りの陽愛でいて欲しい、お願いだから……」
そう言った海晴は、数日のうちに彼女と別れた。
「彼女とは友達に戻ったんだ」と、どこか安堵したような清々しい顔をしていた海晴も今思えば大概だと思うけど、その時、私は海晴の気紛れにも映る行動に乗っかった。本当に酷い女だったと思う。
だけど、海晴は変わらず優しかった。
もしかしたら、それまでよりずっと優しくなったのかもしれない。
「陽愛、好きになってくれてありがとう、僕も好きだよ、きっと、僕も君がずっと好きだったのかもしれないね、鈍くて、気付かなくて本当にゴメンね」
「……ほ、ほんとかな?」
突然言われ慣れてない言葉を言われて、照れまくった私は可愛くない返し方しか出来なかったけど、海晴は凄く優しい顔で言葉を伝えてくれるようになった。
「本当だよ!」
「なら、いい、海晴……、よろしく、ね?」
「うん、改めてよろしくね、陽愛、これで僕達は恋人だね」
そう言って学校からの帰り道、海晴は昔と同じようにぎゅっと私を抱きしめてくれた。私は心臓をバクバクさせながらそれを受け入れていたけれど、心の隅で「本当は海晴は少し違うんだろうなぁ」と思っていた。
それでもいつか一緒になったら、そうじゃなくても少しでも近づけたらいいなって、そう思いながら海晴の腕に包まれていた。
そうして長い友達付き合いが終り、私たちの交際がスタートしたのだ。
だけど、私はどこかそんな始まりに罪悪感を抱えていた。
そして実のところ海晴の元彼女の取り巻きからの嫌がらせも最初はあったりもした。
だけど、私はそれを誰にも言わなかったし、いつの間にか嫌がらせも無くなっていた。
だけど、あの時、海晴に彼女を裏切らせて、同情のような始まり方を喜んで受け入れてしまったのは私だ。そして遂に罰が当たったのかもしれない。
こんな形で、結局は終りを迎えたのだから。
---八年
それが海晴と恋人として過ごした期間。
思えば、あの時の違和感は正しかったのかもしれない。きっと海晴は、元々女性としての私を愛してくれていたのではなく、幼馴染みの延長で私を大切にしてくれていたのかなと思う。
その証拠に海晴は付き合い初めて数年は私に手を出してもくれなくて、私は自分の魅力のなさを呪った。
理由を聞いた私に海晴は困ったように言い訳をした。
「だって、陽愛は特別だから、もし汚したり壊したりしたら嫌なんだ」と……
それが本当の理由だったかどうかは分からないけど、その後も私達の関係ははなかなか発展しなかった。
結局、大学に進学する為に二人で上京した後に、私の方から無理やり求める形で私たちようやくはそういう関係になったのだ。
同じ大学の違う学部で過ごした私達の大学生活は平穏だった。
卒業後私は建設会社に就職して忙しくなり、海晴はフリーのライターとなった。
互いに忙しかったのもあるのかもしれないが、海晴はここ数年、少し無口になって、同時に将来の話をあまりしてくれなくなっていたようにも思う。
いつの間にかお互い二十六歳という大人になっていてた。昔のようにベッタリ一緒にいられる環境ではなくなかったけれど、それでも時間の許す限り、海晴との時間は確保していたし、海晴の事が好きな気持ちも変わることはなかった。
そして共通の友達の結婚式に出席して「お前達もそろそろか?」なんて冷やかされていたのはたった数ヵ月前だった。その時には、満更でもなさそうに頭を掻きながら微笑んでいた海晴。
その夜に二人でホテルに泊まって、久しぶりに激しく求めてくれた海晴が嬉しくて、「あぁ、私達も、もうじき結婚するのかなぁ」なんて思っていた私が今、直面しているのがこの現状だ。
その頃には海晴は、既に別の人に心を奪われていたなんて笑えない……
―――海晴の相手はどんな女性なのだろう、奇麗な人だろうか?
そう思ったところで「バカだな……」って不毛な自分に苦笑する。
だって、もう私には関係のない話なのだから。自分はもう本当に一人なのだと突き付けられる。
人目も憚らず溢れ落ちる涙が止められない自分が悔しくて泣きながら歩き続ける。
---なんだよ、これ、こんなんじゃ、帰れやしない
駅にも行けない、バスにも乗れない、タクシーにだって…
(あぁ、もう、やだな、いっそ消えてしまいたい)
頬を伝うのをやめてくれないやっかいな液体の処理に困った私は、トボトボと偶然通りかかった夜の公園のベンチに腰かけた。
遊歩道から少しだけ奥に入ったここならば、木や看板が、この姿を覆い隠してくれるだろう。
誰もいないことに安心した体は緊張から解放されてヒクヒクと震え始める。
---ほんとうに、私は馬鹿だ
こんな思いをするならさっさと見切りをつけておけばよかったのに。そうだ、いつかこうなることはどこかで分かっていたように思う。
海晴の心はたぶん、いつ頃からか、遠いところにあった。漠然と朧気にだけど、何故かそれが解っていたのだ。だって海晴とは二十年来の付き合いなのだから。
だけど、私はそれを認めたく無かった。海晴を手放したくなかった。
そう思うくらいには、私はあの凹凸ばかりのどうしようもない男が好きだったからだ。
---だけど、それも今日までだね、さようなら、海晴
どれほどそうしていただろう。
こんな状況なのに、バックから見えるスマホはピコンと音を立てる、見ると、着信とメッセージが入っている。
「海晴………」
《陽愛、どこにいるの?無事に家にはついた?心配だから連絡がほしい………》
《陽愛、どこにいるの?答えて!!ちゃんと帰れた??》
最後の最後まで過保護だなと泣きたくなる、もう泣いてるけど……
少しだけ迷った末、最後の強がりでメールを打ち返す。
---シ・ツ・コ・イ!
ピコン《それは、ゴメン………》
―――私の事はもういいから、これからの自分の幸せのことを考えなよ、お互い周りから色々勘ぐられると辛くなると思うから、もう連絡をとるのはよそう
ピコン《待って、今どこにいるの?まさか変なこと考えたりなんてしてないよね??》
慌てたような返信メールにちょっとだけ「消えちゃいたい」なんて思った事が伝わってしまったのだろうかと顔を歪める。
(どこまで以心伝心してるんだよ、もういらないから、そういうのも……)
---そんなことしないよ!
ピコン《絶対だよ》
「たくっ、何がしたいんだか、最期まで……」
今更当て付けみたいにそんなことしたって、海晴は戻ってこない、そして、誰も幸せになれない。
だけど、随分と長い時間を使わせてしまったのかもしれない、友人としても、恋人としても。
そこは、今となっては申し訳なく思う。流される方も流される方だと思うが、私の我がままも大概だった。
付き合いが長い故に、今更幼馴染みに戻れる関係はとっくに通り越していた。そして、海晴ありきで常に先を思い描いてきた私には虚無しか残ってないなんて、なんて皮肉な終わり方だろう。
―――これでもう連絡はお終い
今まで、ありがとう、海晴、どうかお幸せに
メッセージを送り終えた私は、スマホの全てのリストから海晴の痕跡を全て削除した。
---さよなら、さよなら海晴
そして、声を殺したまま泣きに泣いた。
今だけはと悲しみと喪失感に身を任せていたかったし、そうするしかなかった。
(嫌いになれたなら、もっと楽になれるのかな………)
小説や歌詞、シナリオ、エッセイなどまだ自分の路線が定まらない海晴は、だからこそ手掛けるジャンルは無駄に幅広かった。
過去に数点の作品が注目された事もあって、そのまま人気クリエイターにでもなるかと思っていた海晴は、昔から天才特有の繊細さも併せ持っていた。
そのせいもあるのか、最近は体調を崩したり、塞ぎ込んで引きこもりがちになっていたこともあり、まともに仕事をしているのかも正直よく分からない。
昔から掴み所が無くて、何を考えているのかよく分からないところがあった海晴。
だけど、私はなんだかんだと海晴の才能を信じていた。絵を描いても、工作をしても、言葉を綴っても独特の世界観を持つ海晴の作品は人を惹き付ける。
その作風は本人と一緒でどこか掴み所がない。たぶんアーティストが描くものとしてはどこか不完全で、凹凸のようなものがあって、それ故に、独特な空気を醸し出す。
以前、ふわふわしたその作風が「なんだか、くらげみたいだね」なんて言ってしまって、海晴を拗ねさせてしまったっけ……
だけど透明感のある曖昧な美しさ、それこそが海晴の個性のようで、私は実はそれがとても好きだった。
そこにあるものをただ美しい、悲しい、辛い、微笑ましい、と受け止める少年のような感性を成長してもそもち続けられる素直さがどこか羨ましかったのかもしれない。
私たちは大人になるに従い、つい小難しい結論や価値を求めてしまいたくなってしまうから。
私達の出会いは、六歳の時に向かいの家に海晴が越してきた事で始まった。
普段は大人しくて、控えめで、人見知りの海晴。最初は私にも怯えていた。
同年代の男の子とはあまり遊ばず、一人で絵を書くことが大好きな男の子。その色使いは私を一瞬にして虜にした。だけど、拘りの強い性格でもあった海晴は、時々癇癪をおこしたようによく泣いた。そんなだから友人とのトラブルは絶えなくて、少し孤立していたと思う。
だけど成長と共に、彼はとても繊細で敏感な感性の持ち主だと子供心にも悟るようになった。
歴史とか、貧困とか、虐待とか………
特定の誰かにではなく、どうにもならない世界の辛さや理不尽さに対して、大きな不満と不安を訴え、頻繁に涙を流す海晴。
怖い話を聞くと、夢にみるのだと落ち込んでいたり、日常生活で聞こえてくる音楽にいつの間にか涙を流していたり、まさに感受性の塊のような子供だった。
そういえば、海晴は昔不思議なことを言っていた。
小さな頃、人には見えない空想上の友達と会話をしていたというのだ。
その空想上の友達がたくさんの美しいものを教えてくれたのだと。その子は美しい色も悲しい色もたくさん知っているのだと。
私と出会ってしばらくしてからはその子は見えなくなったそうだけども…
それを聞いた当時の私は幽霊や座敷童みたいな存在だと思ってドキドキしながら耳を傾けていた。
だけど、現在では高IQをもつ人にはしばしばみられると認知されている現象だと大人になってから知った。
そう、イマジナリーフレンドと呼ばれるものだ。
想像力の強い、高IQの子供が自らの成長に必要な同年代の友人を求めて作り出す空想上の友人だという。
そして私はと言えば、そんな繊細な海晴が、一人で喋っている変な奴だと揶揄われたり、苛められたりするのが凄く歯がゆかった。
だから、よく海晴の前に立ちはだかって意地悪な男の子達とも対峙した。
「やーい、女に守られてやんの!だっせぇ!!」
「煩い!帰れ!!この前までお昼寝でお寝小してたの誰よ!!!」
「っ、クソ、覚えてろよっ!この男女と女男!!!」
そんな風に私が庇う事で海晴がますます男の子達から遠巻きにされていく事に、当時の私は気付かなかった。
だけど海晴はと言えば、嫌な事があっても、次の興味を見つけるとさっきまでの事はもう忘れたように、すぐに綺麗な笑顔を見せるのだ。
「って、何を遊んでるんだよ、海晴?」
自分が原因の喧嘩をそっちのけで、蹲り、顔を輝かせる海晴。
「……陽愛ちゃん、ありがとう、でも、綺麗だったから、これあげる」
そうして手に乗せられたのは露のついた一枚の葉っぱ。だけど、それは信じられないくらいに美しかった。そして私にそれを渡して満足そうに笑う海晴の笑顔はそれ以上に綺麗だった。
そんなふうに海晴は昔から美しいものを見つけるのが得意だった。季節の移ろい、自然の美しさ、動植物の変化に敏い美貌の海晴の顔はいつも私にはキラキラ輝いて見えていた。
「見て、陽愛ちゃん、今日の空、とても綺麗だね!」
そんな海晴の示してくれる世界は本当に綺麗で、二人で過ごす時間は美しくて、いつの頃からか海晴から目が離せなくなった私はいつしかそれが恋だと気付いた。
海晴は昔からどちらかというと少しだけ中性的で、とても柔和な顔をしていた。
中学生くらいまでは女の子みたいに華奢で小柄だった海晴は、男の子の友達というよりかは性別を気にしない可愛い親友みたいな存在だった。
だけど高校に入る頃にはしなやかな肢体は日に日に成長を遂げて、180を越える高身長に成長した。
そして男性にしては無駄に美しいとも言える美貌はそのままに僅かに男性としての色気を帯びて、高校入学を期に女性達の目を惹き付けた。
その頃から海晴はモテにモテ始めた。
当時「プリンス」なんて影であだ名をつけられてモテまくる海晴はと言えば、運動は昔と相変わらず苦手で、美術部に所属して次々に新しい作品を産み出していた。
だけど、当時の海晴は、産みの苦しみと言うのだろうか、所謂スランプに陥っていたようだった。
「ここ最近は、全然思うように描けないんだ、どれだけ頑張っても足りないものがあるんだ……」
「そう?私はいいとは思うけなぁ、海晴らしいし」
「ダメだよ、きっと陽愛には分からない、もっと深くて、もっと激しいなにか、もう、僕、辞めちゃおうかな……」
「そんなこと、言わない、ほら、だってさ、私よりは断然上手いんだからさ、ほらっ」
「それ、蛇?独特、だね……」
「………カタツムリだよ、失礼な!」
「……ふはっ」
「笑うな、天才!」
だけど、そう言いながらもコンクールなどでは好評価を得ていた海晴の作品が素晴らしいのは確かだったのだと思う。
今にして思えば、あの頃から、天賦の才を持つ繊細な海晴と平凡で鈍感な私には小さくない距離ができ始めていたのかもしれない。
そして忘れもしない高校2年の時、ひとつ上の学年に転校してきた綺麗な女性と出会った海晴は、あっけなくその先輩と付き合い始めたのだ。
美術部に入った当時の彼女も恐らく、天才だったのだと思う。
文化祭でその人の描いた絵を見たとき、その透明感と共に存在する威圧感に私は感動すると共に得体の知れない恐ろしさを感じた。そして、その隣には、まるで水を得た魚のように対に描かれた海晴の作品も一緒に並んでいた。
(これが海晴と彼女の世界………)
天才は視野が狭く、同時に多才でもある。
あの頃、私は同時にそれにも気付いた。
海晴は絵以外にも趣味で小説や随筆など文章を書くのが好きだったが、そんな文才もこのころから開花し、注目を浴びるようになっていった。
あの頃の海晴は突然波に攫われたように、私から日々遠くに離れていってしまうようだった。
二人が共に行動する姿を見て思った。
(もう、海晴の傍にはいられない……)
胸が痛かったのを今でもよく覚えている。
そう、今日のように…
そうして、海晴の隣に居場所を失った私は、同時に海晴への自分の気持ちを突きつけられた。
ただの幼馴染だったら海晴の傍に適切な距離をとりながら居続ける事もできただろう。
でも、こんな形で自分の気持ちを知ってしまった私は海晴から距離を置くしかなかった。
あの頃、私は海晴を避け始めた。
私達の家は向かいで、いつも一緒に登校するのが当たり前だったのに「勉強するから」と先に家を出たり、友人達との放課後の予定を詰め込んで男の子も混ざるカラオケやカフェに入り浸ったりしたのもその頃だ。
「いつまでも子供じゃないんだから、行動範囲はお互い広げなきゃ」と嘯いて空元気で行動する毎日に本当は疲れていた。
だけど海晴はそんな変化に戸惑ったようだった。
あれは酷い雨の日、カラオケ帰りに男友達の傘に入れてもらって帰ってきた私にあれこれとしつこく質問したり、軽率だと嗜めてくる海晴に腹を立てた私は半ば八つ当たりぎみに怒りながら、好意を打ち明けた。
「もう海晴には彼女がいるんでしょ!今までみたいにべったり私が隣にいたら誰だっておかしいって思うでしょう!?」
「おかしくなんかない!陽愛は僕の傍にいる!!昔からいた、それは変わっちゃダメな事なんだ!!!」
そんな言葉にカッとなった私は言い放った。
「か、勝手なこと言わないでよ!私だって、こんな状況で好きな人の隣に居続けられるほど図太くなんてなれないよ、だから、もう私の事は放っておいて!!あんたの事なんて、いつかちゃんと忘れてあげるからっ……」
今、思い返してもおかしな喧嘩の仕方だったと思う。
だけど、あの時、海晴は一瞬にして顔色を変えた。
「………忘れる?」
普段から色白で血の気のない海晴の肌がますます生気を失っていくようだった。
それと同時に私の背中につめたいものが駆け上がった。
「陽愛が、僕を………?」
「……………」
しまったと思った、だけど言わずにはいられなかった言葉だし私はそれを訂正もしなかった。
今なら、そうしなかった思春期の自分に僅かな打算もあったのだと認める。
私は長年の友達関係を楯にすることで海晴の気持ちを繋ぎ止めようとしたのだ。
結局、最初は狼狽えるばかりだった海晴は、突然態度を変えて、まるで私の気持ちを受け入れるように言ってくれたのだ。
「陽愛、僕、ちゃんとこれからの事を考えるから。だから、少しだけ、待ってほしい。だから、それまでは変わらないで、いつも通りの陽愛でいて欲しい、お願いだから……」
そう言った海晴は、数日のうちに彼女と別れた。
「彼女とは友達に戻ったんだ」と、どこか安堵したような清々しい顔をしていた海晴も今思えば大概だと思うけど、その時、私は海晴の気紛れにも映る行動に乗っかった。本当に酷い女だったと思う。
だけど、海晴は変わらず優しかった。
もしかしたら、それまでよりずっと優しくなったのかもしれない。
「陽愛、好きになってくれてありがとう、僕も好きだよ、きっと、僕も君がずっと好きだったのかもしれないね、鈍くて、気付かなくて本当にゴメンね」
「……ほ、ほんとかな?」
突然言われ慣れてない言葉を言われて、照れまくった私は可愛くない返し方しか出来なかったけど、海晴は凄く優しい顔で言葉を伝えてくれるようになった。
「本当だよ!」
「なら、いい、海晴……、よろしく、ね?」
「うん、改めてよろしくね、陽愛、これで僕達は恋人だね」
そう言って学校からの帰り道、海晴は昔と同じようにぎゅっと私を抱きしめてくれた。私は心臓をバクバクさせながらそれを受け入れていたけれど、心の隅で「本当は海晴は少し違うんだろうなぁ」と思っていた。
それでもいつか一緒になったら、そうじゃなくても少しでも近づけたらいいなって、そう思いながら海晴の腕に包まれていた。
そうして長い友達付き合いが終り、私たちの交際がスタートしたのだ。
だけど、私はどこかそんな始まりに罪悪感を抱えていた。
そして実のところ海晴の元彼女の取り巻きからの嫌がらせも最初はあったりもした。
だけど、私はそれを誰にも言わなかったし、いつの間にか嫌がらせも無くなっていた。
だけど、あの時、海晴に彼女を裏切らせて、同情のような始まり方を喜んで受け入れてしまったのは私だ。そして遂に罰が当たったのかもしれない。
こんな形で、結局は終りを迎えたのだから。
---八年
それが海晴と恋人として過ごした期間。
思えば、あの時の違和感は正しかったのかもしれない。きっと海晴は、元々女性としての私を愛してくれていたのではなく、幼馴染みの延長で私を大切にしてくれていたのかなと思う。
その証拠に海晴は付き合い初めて数年は私に手を出してもくれなくて、私は自分の魅力のなさを呪った。
理由を聞いた私に海晴は困ったように言い訳をした。
「だって、陽愛は特別だから、もし汚したり壊したりしたら嫌なんだ」と……
それが本当の理由だったかどうかは分からないけど、その後も私達の関係ははなかなか発展しなかった。
結局、大学に進学する為に二人で上京した後に、私の方から無理やり求める形で私たちようやくはそういう関係になったのだ。
同じ大学の違う学部で過ごした私達の大学生活は平穏だった。
卒業後私は建設会社に就職して忙しくなり、海晴はフリーのライターとなった。
互いに忙しかったのもあるのかもしれないが、海晴はここ数年、少し無口になって、同時に将来の話をあまりしてくれなくなっていたようにも思う。
いつの間にかお互い二十六歳という大人になっていてた。昔のようにベッタリ一緒にいられる環境ではなくなかったけれど、それでも時間の許す限り、海晴との時間は確保していたし、海晴の事が好きな気持ちも変わることはなかった。
そして共通の友達の結婚式に出席して「お前達もそろそろか?」なんて冷やかされていたのはたった数ヵ月前だった。その時には、満更でもなさそうに頭を掻きながら微笑んでいた海晴。
その夜に二人でホテルに泊まって、久しぶりに激しく求めてくれた海晴が嬉しくて、「あぁ、私達も、もうじき結婚するのかなぁ」なんて思っていた私が今、直面しているのがこの現状だ。
その頃には海晴は、既に別の人に心を奪われていたなんて笑えない……
―――海晴の相手はどんな女性なのだろう、奇麗な人だろうか?
そう思ったところで「バカだな……」って不毛な自分に苦笑する。
だって、もう私には関係のない話なのだから。自分はもう本当に一人なのだと突き付けられる。
人目も憚らず溢れ落ちる涙が止められない自分が悔しくて泣きながら歩き続ける。
---なんだよ、これ、こんなんじゃ、帰れやしない
駅にも行けない、バスにも乗れない、タクシーにだって…
(あぁ、もう、やだな、いっそ消えてしまいたい)
頬を伝うのをやめてくれないやっかいな液体の処理に困った私は、トボトボと偶然通りかかった夜の公園のベンチに腰かけた。
遊歩道から少しだけ奥に入ったここならば、木や看板が、この姿を覆い隠してくれるだろう。
誰もいないことに安心した体は緊張から解放されてヒクヒクと震え始める。
---ほんとうに、私は馬鹿だ
こんな思いをするならさっさと見切りをつけておけばよかったのに。そうだ、いつかこうなることはどこかで分かっていたように思う。
海晴の心はたぶん、いつ頃からか、遠いところにあった。漠然と朧気にだけど、何故かそれが解っていたのだ。だって海晴とは二十年来の付き合いなのだから。
だけど、私はそれを認めたく無かった。海晴を手放したくなかった。
そう思うくらいには、私はあの凹凸ばかりのどうしようもない男が好きだったからだ。
---だけど、それも今日までだね、さようなら、海晴
どれほどそうしていただろう。
こんな状況なのに、バックから見えるスマホはピコンと音を立てる、見ると、着信とメッセージが入っている。
「海晴………」
《陽愛、どこにいるの?無事に家にはついた?心配だから連絡がほしい………》
《陽愛、どこにいるの?答えて!!ちゃんと帰れた??》
最後の最後まで過保護だなと泣きたくなる、もう泣いてるけど……
少しだけ迷った末、最後の強がりでメールを打ち返す。
---シ・ツ・コ・イ!
ピコン《それは、ゴメン………》
―――私の事はもういいから、これからの自分の幸せのことを考えなよ、お互い周りから色々勘ぐられると辛くなると思うから、もう連絡をとるのはよそう
ピコン《待って、今どこにいるの?まさか変なこと考えたりなんてしてないよね??》
慌てたような返信メールにちょっとだけ「消えちゃいたい」なんて思った事が伝わってしまったのだろうかと顔を歪める。
(どこまで以心伝心してるんだよ、もういらないから、そういうのも……)
---そんなことしないよ!
ピコン《絶対だよ》
「たくっ、何がしたいんだか、最期まで……」
今更当て付けみたいにそんなことしたって、海晴は戻ってこない、そして、誰も幸せになれない。
だけど、随分と長い時間を使わせてしまったのかもしれない、友人としても、恋人としても。
そこは、今となっては申し訳なく思う。流される方も流される方だと思うが、私の我がままも大概だった。
付き合いが長い故に、今更幼馴染みに戻れる関係はとっくに通り越していた。そして、海晴ありきで常に先を思い描いてきた私には虚無しか残ってないなんて、なんて皮肉な終わり方だろう。
―――これでもう連絡はお終い
今まで、ありがとう、海晴、どうかお幸せに
メッセージを送り終えた私は、スマホの全てのリストから海晴の痕跡を全て削除した。
---さよなら、さよなら海晴
そして、声を殺したまま泣きに泣いた。
今だけはと悲しみと喪失感に身を任せていたかったし、そうするしかなかった。
(嫌いになれたなら、もっと楽になれるのかな………)
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