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『先祖還り』1
しおりを挟む薄暗い森の中を、娘はただ走る。
何もかも捨ててかまわない。ただ孤独が欲しかった。
娘の後ろを、野蛮な男たちが下賤な笑みを浮かべながら追いかけていた。
小さな領土を治めていた娘の父親は殺され、統治していた土地では見たこともない蛮族が略奪の限りを尽くしている。屋敷に押し寄せてくる蛮族を迎え撃つ兵士など、この地には存在しなかった。娘に仕えていた給仕の者が、屋敷から地下に繋がる通路を使って娘を逃した。
しかし一緒に逃げたその給仕の男も、追いつかれそうになった娘を守るため、男たちに無惨に殺された。
わたしはただ、孤独でいたいだけなのに。
誰に向けるでもなく、言葉にもせず、娘は繰り返す。
お世辞にも良い統治者とは言えなかった父とは、言葉を交わすこともなく毎日を過ごしていた。母とはとっくに死に別れ、誰かに嫁ぐつもりもなく、このまま独りで生きて死ぬものだと思っていた。
統治者の父は権力の欲望に抗えず、贅沢の限りを尽くし、生娘だろうが人妻だろうが気に入った女を屋敷に連れ込んでは抱いていた。彼は孤独に耐えられない人間だったのだろうと娘は思う。
屋敷の隅にある小さな自室で、昼間は母の残した本を読み、必要であれば縫い物をして、生活に必要なものは自分で揃える程度の生きる力を持ちながら、誰とも口をきかない孤独な生活を娘は送っていた。
夜はカーテンを閉じ、心地よい闇の中で過ごした。完全な闇の中でこそ、己がたったひとりであることを感じられる。この孤独で静かな時間が、娘は何より好きだった。
そんな日々は、あっさりと終焉を迎える。
父の非道に耐えられなくなった村人が、愚かにも蛮族を迎え入れ、領土が火の海に包まれた。
住んでいた屋敷も、村人も、畑も家畜もなにもかも、燃えさかる炎の中に消えていく。
パチパチと木造の家屋が弾ける音、建物が崩れる鈍い音、泣き声、悲鳴。
すべてを置いて森の中へ逃げ込んだ娘を逃すまいと、蛮族の男たちが数人で追いかけてくる。
たったひとつだけ、何よりも強い願いが、娘の体力の限界を超えて走る力を与えていた。
独りになりたい。
男たちに捕まったら、地獄より酷い誰かとの生が待っている。それこそ、死んだ方がマシな生活になることくらい、娘にも容易に想像がついた。
「ーーーっ!」
もつれた足を木の幹が掬い取る。かろうじて転ぶのは避けられたが、その隙に男たちが追いついてくる。
「捕まえろ!」
「殺すんじゃねえぞ!」
数人の男たちの気配をすぐ背後に感じて、絶望が娘を襲う。
下卑た人間の気配は父と同じで、娘がこの世で一番嫌いなものだった。
わたしはただ、孤独でいたいだけなのに。
それすら叶わぬ生ならば、いっそ己を殺すことになるのだろうか。
突然、娘と男たちの周りを闇が覆った。
「な、何だ!?」
言葉を発する時間しか男たちには残されなかった。辺りを見回す余裕もなく、身体を八つ裂きにされ、血飛沫が舞う。己にかかる血糊に娘は振り返り、動かなくなった血まみれの男たちを見つめた。
「深淵の魔物…」
自分でも驚くほど、自然にその言葉が口から漏れた。
その闇を娘は知っていた。
そして目の前にいる闇に包まれた大きな影は、この地域に存在するという、孤高の深淵の魔物。
森の影に混ざってはっきりとは見えないが、とても背が高く、人のかたちをしているように思えた。
「どうして、わたしを殺してくれないの」
ひとり残された惨状で、娘は深淵の魔物に問いかける。
「生きていても、ひとりにはなれない」
答えはない。だが、闇がやさしく娘を覆った。
そのとき、娘は深淵の魔物が自分を殺さなかった理由に気がついた。
この闇を、わたしは誰よりも知っている。
毎晩訪れていた、心地よい闇の気配。
娘の深く大きな孤独と混ざり合い、深淵はさらにその色を増した。
深淵の魔物が、闇の手を伸ばした。
何のためらいもなく、娘はその手を取った。
「ちょっとあんた!どうしたんだい?」
街の入口で、ふらつく女に門番が声をかける。
「おい、ちょっと…!」
女が身重であることは一目でわかった。夫らしき人影は見当たらない。
「あんた、旦那は?どこから来た?」
「夫は…いません。お願い、この子を…」
「おい…!」
倒れそうになる女を抱え、門番は近くの男に声をかけた。門番と街の住人たちによって、女は近くの診療所へと運ばれた。
数日後、元気な男の子が生まれたと噂が広がり、それを聞いた門番たちは顔を見合わせて少しだけ微笑んだ。
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