声を失くした女性〜素敵cafeでアルバイト始めました〜

MIroku

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水面カフェ

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 「いらっしゃいませ」

 “水面みなもカフェ”の店長、皆本 勇気みなもと ゆうきが出迎える。

 今年で30歳になる勇気は、27歳でこの店を立ち上げた。背丈は175センチ、痩せ型だが、華奢では無い。丸い眼鏡をかけており、眼鏡の奥から優しい目で入店した女性と少女を見た。

 「こんにちわ。久しぶりね」

 「あぁ、たちばな先生! ご無沙汰しております」

 勇気は頭を下げて挨拶をする。

 「こちらこそ、なかなか来れなくてごめんなさい」

 この女性、橘 薫たちばな かおるは勇気が大学でお世話になった女性。店を立ち上げたと連絡をしてから、頻繁に足を運んでくれていたが、ここ1年程は忙しく、顔を見せていなかった。

 本職は『言語療法士』であり、大学の講義も行なっている。身長は低く、物腰の柔らかさ、話しやすさから、大学でも大人気の講師だった。

 「いえいえ、こうして元気なお顔を拝見出来たので安心しました」

 勇気は口元を緩め、胸に手を当てて安堵した様に言った。

 「どうぞこちらの席へ」

 椅子を引いて薫と少女を席に座る様に促す。店内の椅子とテーブルは、全て栗の木で出来ており、木の年輪と明るい色が心を落ち着かせる。椅子にはフカフカの座布団が敷いてあり、長時間座っていても腰が痛くならない。

 少女はキョロキョロとカフェの中を見渡した。栗の木で出来た4名席が3つ、2名席が3つ。机と机の間が大きく開けてあり、窮屈さを感じない。観葉植物が入り口と店の中央に置かれ、天井には濃い茶色の木製シーリングファンがゆっくりと回っており、テーブルとのコントラストが映える。窓ガラスは明かりを取り入れるために座席よりも上にあった。窓際に座っても外の目が気にならない。

 少女は直ぐにこの場所が気に入った。

 「ふふふ、未来みらいちゃん。そんなにキョロキョロしないで、落ち着いて座りましょう」

 薫が声をかけると、少女は慌てて椅子に腰かけた。勇気が座りやすい様に、椅子を少し前に押した。

 「何か召し上がられますか?」

 勇気が2人を見て笑顔で問いかける。時刻はお昼より少し前だが、2人とも小腹が空いていた。なので勇気の問いかけに目を輝かせた。

 「オススメは何かしら?」

 薫が勇気の顔を見て、笑顔で尋ねる。勇気は顎に手を当てて、少し思案顔をした。

 「そうですねぇ。まだお昼ご飯には早いですが、パスタ…なんて如何でしょうか?」

 「まぁ、それは良いですわね」

 薫が両手を合わせ、嬉しさ全開の声で言う。少女も顔を明るくして勇気の顔を見た。

 「では、当店自慢のカルボナーラをご用意致します」

 少女の顔が一層明るくなり、足をパタパタと鳴らした。

 勇気が奥にある厨房に入り、調理を行う。少女の席からは、楽しそうに料理をする勇気の顔しか見えない。

 用意されたジュースを一口含み、少女は薫の顔を見た。

 「ふふふ、楽しみね」

 薫が少女を見つめ、笑顔で言う。少女は無言でコクコクと頷いた。

 しばらくの時間が経ち、目の前に2つのお皿とフォーク、スプーンが置かれる。

 「おまたせいたしました。ごゆっくりお召し上がりください」

 作りたてのカルボナーラからは湯気が立ち上り、チーズの芳醇な香りが食欲を刺激する。

 「あら! 美味しそうだ事!」

 薫の歓喜の声に、少女は大きく頷く。

 「どうぞ、冷めないうちに」

 勇気が両手を広げ、冷めないうちに食べるよう促す。

 「ではお言葉に甘えて。いただきます」

 手を合わせる薫に並び、少女も手を合わせて小さく頭を下げた。

 少女はフォークでパスタをすくい、スプーンの窪みでクルクルとパスタを巻いていく。

 一口頬張ると、ミルクの甘さ、卵のコク、鼻から抜けるチーズの香り、それらが口の中を優しく満たす。黒胡椒の少しピリッとした刺激が“次の一口を口へ運べ”と、まるで命令するかの様に舌へ伝える。

 少女と薫、2人は驚きと感動の表情で見つめ合った。

 「すごく美味しいわ‼︎ 今まで食べた中で一番‼︎」

 薫の声に少女は大きく頷く。

 「ははは、グルメの先生にそう言って頂ければとても嬉しいですね」

 2人はこの感動が1秒でも長く続く様に味わいながら食べ進める。一口含む度に幸せそうな顔をする少女を、勇気は優しい笑顔で見つめていた。

 もうパスタが残り少なくなり、少女は残念そうにほとんど空になった皿を見つめる。その時ふと、とても香ばしい香りが彼女の嗅覚を刺激した。

 「パンも合わせてお召し上がりください。パスタのスープに付けて食べても、バターで召し上がっても美味しいですよ」

 狙い澄ませたかの様なタイミングで、勇気は自家製のバケットを2人の前に置く。

 少女が置かれたバケットに目を輝かせ、1つ掴む。表面はカリッと焼き上がり、中はまるでカステラの様に柔らかい。

 半分にちぎり、パスタが無くなったスープに付けて口に運ぶ。これがまた絶品だった。

 2人はバケットも全て食べきり、満足そうにお腹をさする。

 「当店自慢のカルボナーラランチは如何でしたか?」

 「もう大満足よ‼︎ ねぇ、未来ちゃん⁉︎」

 少女はコクコクと何度も頭を下げた。

 「それは良かった‼︎」

 心からの笑顔を見せる勇気を、少女は見つめた。この日、この瞬間に、この少女の一番好きな料理が“水面カフェの店長が作るカルボナーラ”になった。
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