迦国あやかし後宮譚

シアノ

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1巻

1-3

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 私は義母達が立ち去るや否や、焚火たきびに砂をかける。元々消えかけだったのか、火は簡単に消えた。焚火たきびまきを掻き回すのに使ったらしい火かき棒が側に転がっていたので、それを震える手で持つと焚火たきびの跡を掻き回す。手が震えて力が入らず、両手で棒を持たなければならなかったが、私はひたすら掻き回し続けた。
 けれど、本当は分かっていたのだ。もう火が消えかけということは、私の持ち物は燃やし尽くされた後なのだということを。布や本は総じて燃えやすい。
 ぐっ、と喉の奥が圧迫されたように苦しくて、それでも私は何かが出てきやしないかと灰をしつこく掻き回す手を止めなかった。
 カツンと硬いものに棒が当たり、慌ててそれを掻き出す。

「これ……っ!」

 灰から取り出したそれは貝殻の破片だった。
 貝殻は火で燃やした程度で簡単に割れたりはしない。元々、燃やされたら中身はどうあっても溶けて使い物にならないだろうと分かっていた。練り香水は精油を蜜蝋みつろうで固めたものだから熱されれば溶けてしまう。けれど、入れ物にしていた貝殻くらいは焦げても残っていると思ったのに。おそらくは燃えにくそうだからと、念入りに踏みにじりでもしたのだろう。
 涙の膜が盛り上がったのを、私は袖で乱暴に汗と共にぬぐい去り、更に灰を掻いた。
 それを繰り返し、親指の爪ほどの大きさの貝の欠片かけらを三つだけ探し出すことが出来た。両手から棒を取り落とし、貝殻の欠片かけらを拾い集める。焼かれていたばかりだからまだ熱いはずだが、不思議と熱は感じなかった。

(欠片でも、形が変わってしまっても、爺ちゃんの形見は形見だ!)

 私は返ってきたそれを大切に握りしめる。視界の端の黒いもやも、胸のむかつきも、祖父の形見を手にした途端、全て消え失せていた。 
 今しがた見えていた黒いもやは一体なんだったのだろうか。

(目の錯覚……?)

 それにしては、やけにはっきりと見えていた気がする。
 そんなことよりも、と私はすっかり灰だけになった焚火たきび跡を前にして息を吐いた。貝殻の破片しか残らなかった。今日寝るための寝具もないのだ。でも途方に暮れたところでどうしようもない。出立が明日なのは変えようがなかった。


  ──私は酷い気分で目を覚ました。

「……さむ……」

 寝具なしで寝たせいで体が冷え切っていた。早春の朝には室内ですら寒さで息が白くなるほどだから、こうなるのも当然だ。
 ゆっくり起き上がると体が強張って、きしむように痛む。起きてしばらくの間、体をでさすっていた。
 散々灰を掻き回したために、体には灰がこびりつき、だというのに着替えすらなく、昨日も着ていた古びた着物姿。まさに着の身着のままである。おまけに寝具もない板張りの床に横たわっても、硬くて痛いばかりでろくに眠れるはずがなかった。
 それでもまだ真冬でなかっただけ、ましだ。真冬だったら朝を迎えられずに凍りついて死んでいたかもしれない。こんな時でも風邪ひとつ引かない健康な体であって良かったと思うしかない。
 私は震える手の中に貝殻の欠片を握り、拳を作った。
 体は冷え切っているのに、はらわたは今もぐつぐつと煮えくり返っている。

「馬鹿……。爆発するのは今じゃないでしょ」

 その激情をこらえ、深く呼吸を繰り返して心を落ち着けた。
 義母から逃げ出すには今しかない。
 私が怒りのままに義母を糾弾きゅうだんしたところで意味はなかった。きっとあの父親は見て見ぬ振りを続けるばかりだ。今はとにかくここから出ることのみを考える。もう守るべきものはこの体以外何もなく、身軽なのだからどこへだって行けるはずだ。
 辛くても耐えるしかない。
 きっと今が人生のどん底だ。
 人生なんてままならないことばかりではあるけれど、ここが底なら後はい上がるだけ。
 絶対に幸せになるんだ。じゃないと爺ちゃんに合わせる顔がなくなってしまう。
 私は気合を入れるために両手のひらで顔をピシャリと叩いた。

「……そうと決まれば、顔くらい洗いますか」

 灰だらけの着物はもう仕方がない。見てくれは酷く、これでは宮女の試験で門前払いもやむなしではあるが、そうしたら日銭仕事でもなんでもやって絶対に生き延びてやる。
 宮女試験を受けるのには身元を証明するため戸籍の写しが必要だそうだが、それは宮女以外の住み込みの仕事を探すのにだって使えるはずだ。
 私は今この時、本当に腹をくくった。
 焼け残った貝殻の欠片をしっかりと握り直してから、顔をしゃんと上げて、数年を過ごしても愛着の湧かなかったがらんどうの部屋から出た。


 朝餉あさげの匂いがどこからともなく流れてきて、私のお腹は無情にも空腹を訴えてくる。
 昨日の朝に硬くなった麺麭パンかじってから何も食べていなかった。けれど今はくりやにも顔を出したくない。
 私は井戸に行って水をみ、そのままガブガブと飲んだ。冷たいけれど水だけでもあるだけましだ。
 次いで、冷たい水で顔と手足を洗う。ぬぐいすらないので濡れた犬のようにプルプルと震わせて水を払った。

「――莉珠? そこで何をしているの」

 そう声をかけられて、思わずビクッと肩が跳ねる。その声が義母ではなく姉だと気が付いて息を吐いた。
 振り返ると、姉は今起きたのか、綺麗な着物姿で露台の欄干らんかんにしどけなく寄りかかっている。

「もうすぐ出立ではなかったかしら。そんな汚れた格好をして……まだ着替えをしていないの? お母様ったら、こんな日にまで莉珠をこき使わなくたって――」
「いえ、この着物で行きます」
「え?」

 私の硬い声に、何事かあったと気が付いたらしい。姉は眉を寄せて庭へと降りてくる。

「何かあったのね。貴方、荷物は?」
「……昨日、全て燃やされました。私にはもう何もありません。だから、もうこれで行くしかないんです」
「なんてこと……」

 さすがの姉も絶句して目を閉じた。

「……莉珠、いらっしゃい。私のお古で良ければあげるわ」
「……いえ、そうしたら今度は私が着物を盗んだと言われかねません。だから、もう結構です」
「そんなこと言わないで。体が冷たくなってるじゃないの。ほら、湯を沸かしてあげるから」

 姉は白く手荒れのない柔らかな手のひらで私の手首を軽く掴んだ。その手が泣きたくなるくらい温かくて、私は涙がにじむのをこらえてうつむいた。

「お母様のことは大丈夫。私が足止めしていてあげる。着替えたら急いでお父様の部屋に行って。宮女の試験を受けるための書類を受け取ったら、すぐにこの家を出なさい。お母様が気付く前に家を出てしまえば問題ないわ」

 姉の説得に折れ、私は頷いた。


 裏からこそこそと暖かい室内へ入る。姉の乳母うばでもあった年嵩としかさの小間使いが、湯を沸かしてくれて、冷え切った体にようやく温もりが生まれる。

「これは最近あまり着ていなかった着物なの。これならなくなってもお母様が勘付くことはないわ。流行はやりの色でなくてごめんなさいね」

 姉に渡された着物は私が袖を通したこともないほど上質な代物だった。色褪いろあせもり切れもなく、生地にも厚みがある。色に流行はやすたりがあることさえ、今初めて知った。
 姉は先程の言葉通り義母を足止めしに行き、その間に着物を着せてもらう。小間使いは髪を整えるのも手伝ってくれた。端切はぎれを分けてもらい、貝殻の破片はそれに包んで、なくさないよう帯にしっかり挟み込んだ。
 そのまま父の部屋に行き、紹介状と戸籍の写しを受け取る。

「ああ、華々に頼んでおいて正解であったな」

 父も姉の着物を着た私を見て、ホッとしたように頷いた。

「すまないが、もしも宮女の道が断たれたとしてもこの家には戻らないでくれないか。……お前ももう十六なのだ。なんとか一人で生きる道を探すとよい。これは少ないが……」

 そして卓の上に銀の粒銭を置いた。
 手切れ金にしては少なすぎるが、この銀銭があれば最悪でも数日は食い繋げる。
 私はもう多くを望む気もない。黙ってそれを受け取った。
 父は最後まで私と目を合わせなかった。
 扉を閉めた途端、向こうから安堵の息が聞こえたのも、どうでも良かった。この瞬間、親子の縁は完全に切れたのだ。


 私は言われた通り、黙って家を出た。
 そのまま立ち止まらずに楊益との待ち合わせの場所へ向かおうと思っていたのだが、数歩進んだところで、脚のすねに何かふわふわとしたものが触れた。ススキの穂のようでもあり、獣の毛皮のようでもあった。
 しかしすそをめくってみたが、何もない。

(気のせいかしら?)

 だが、そうして一度足を止めてしまうと、やはり姉にだけは最後に挨拶あいさつをしておきたいという気持ちが膨れ上がり、身をひるがえしてこっそりと庭の方へ回った。


 姉はあの小間使いと露台で何事かを話している様子だった。露台にいたのは好都合だ。
 外から声をかけようとそっとそちらへ向かう。葉のしげった木々が上手いこと私を隠してくれている。もし近くに義母がいても見つからないよう慎重に近付いた。

「――本当に、お母様ったら困ったこと」

 姉は眉根を寄せて困ったように息を吐いていた。そんな些細ささいな仕草にも色気が混じっている。朱華という名の通り、華やかで美しい姉。

「あんなにいじめて、ねえ。あれでは近所に悪評が立つのも当然ではなくて。私、本当に恥ずかしくて……」
「ええ、ええ……」

 姉が一方的に喋り、年嵩としかさの小間使いはにこやかに相槌あいづちを打っている。
 その話の内容が義母と私に関してだと気が付くのに、そう時間はかからなかった。

「いくらさぬ仲だからと言って、あのようにいじめ抜くような母親がいる家に、良い婿など来るはずないじゃないの」
「さようでございますね」
「でもまあ、ようやくアレも出ていったのだし、お母様も落ち着くでしょう。そうすればいくらでも婿のなり手がやってくるわ。私にはこの美貌があるものね。ふふ」
「ええ、お嬢様は本当にお美しいですから」
「それに引き換え、……ねえ?」
「まるで案山子かかしに着せた心地でございました。お嬢様の着物があまりにも似合わないものですから、もうどうしようかと」
「まあ、そうでしょうね。あの顔ではね。顔しか取り柄のない愛妾の娘がアレじゃあ悲惨だこと。けれどあんな古くさい着物なんかに大喜びするなんて、可哀想な子よね。もう少しくらい恵んであげれば良かったかしら。ほら、お母様がアレをいじめるのを私が散々なだめていたでしょう? 私、美しいだけでなく、心根までも真っ直ぐで優しい出来た女人だと評判なのですって」
「当然でございます。お嬢様にかなう女人はここいらにはおりませんもの」

 ふふ、と姉が賛美を当然のように受け止めて婉然えんぜんと笑う。
 こんな人だっただろうか。姉はもっと、いつも申し訳なさそうに、ほんの少しだけ助け船を送ってくれて、静かに微笑んで――そんな優しい人だったはずなのに。

「――それで、お父様が用意したアレの着物代が浮いたでしょう? だから内緒で新しい帯玉を買いに行きたいの。金二枚分だから、結構良いものを買えるわ! うふふ、真珠のと、それから碧玉へきぎょくのも買えるかしら! あ、でも真珠の帯玉に合わせて真珠のかんざしも良いわねぇ」
「ええ、どちらでもお似合いです。何せお嬢様は――」

 その会話の意味を理解し、私の足は回れ右をして元の道へと戻っていた。
 どうりで父親は銀粒しか出さないはずだ。あれは道中で美味しいものでも食べなさい、くらいの意味合いだったのだろう。
 着物代を含むとはいえ、金二枚なんて大金を私に用意していたのだ。
 金一枚で中流家庭の五人家族が一月ひとつき悠々ゆうゆうと暮らせるような金額だ。金二枚もあればしばらく生活には困らない。まあ手切れ金としては妥当な額だろう。
 私のために用意されたお金を搾取さくしゅされたことはそれほど辛くはなかった。姉が本性を隠していたことも些細ささいなこと。
 なにより一番辛かったのは、あの優しかった姉が、私のいない場所では私をアレと呼んでいたことだった。
 私の名前を呼んでくれる人なんて、あの家にはいなかったのだ。
 だが、これから宮女になろうがなるまいが、あの人達とはもう二度と会うことがないだろう。そう思えば多少気が楽になった。
 縁が切れた人についてずっと悩んでるなんて馬鹿らしいし、時間の無駄だ。
 しかし、私は怒りを抱え、決して許すつもりはない。ふところに大切に忍ばせた貝殻の欠片のように、それは消えることのない尖った感情だ。
 けれど今はそれより先にやるべきことが目の前にある。宮女になって、うんと幸せになる。それだけだ。
 私は無言で歩きながら、拳を強く握りしめた。



   第二章 


「ほら、この建物だ」

 楊益と合流した私はしばらく歩き、やがて立派な扁額へんがくのかかった色鮮やかな建物へ到着した。

「うわぁ……」

 私はキョロキョロと辺りを見回す。
 私の住んでいた辺りは王都から近く、中々栄えているとは思っていたが、それでもこんな立派な建物に足を踏み入れる機会などなかった。すっかり田舎いなかもの丸出しで建物を仰ぎ見る。
 大門の左右には槍を持った衛士えじが立っており、色とりどりの着物をまとった若い女がずらりと列をなしていた。

「私はここまでとなる。あの列に並び、受付で戸籍の写しと紹介状を出すだけだ」
「ありがとう」
「これも宦官かんがんの仕事だ。別にお礼を言われるようなことはしていないよ。ただ、宮女になったお前さんと、後宮でまた会えることを祈っているよ」

 その素朴な人柄が見える楊益の物言いが、ささくれた心にみた。私は無理にでも笑顔を作ってみせる。

「そう。私もお礼を言いたくて言ってるだけよ。でも、また会えたら嬉しいわ」
「――ふむ。朱莉珠。最後にお節介かもしれないがね、お前さんは宮女に向いていると思うよ。中々立派な芯があるし、それに人生の辛さを知っている。そういう人間は強い。……元気でな」
「ありがとう、楊益」

 楊益はそのまま、ぼんやりした顔で通用門をくぐっていく。
 私はそれを見送って、言われた通りに列へ並んだ。
 前に並ぶ気の強そうな少女がこちらを振り返り、私と目が合うと途端に眉をひそめて、ツンとそっぽを向いた。随分なご挨拶あいさつだ。
 列に並んでいるのは若くて綺麗に着飾った娘ばかりだった。前の娘も姉に負けず劣らずの美人だ。こうしてみると姉だってそう特別な美人ではなかった。それで私の平凡顔が何か変わるわけでもないが、なんだか可笑おかしくなってしまう。私が今までいたのがいかに狭い世界だったのか、身をもって知ったからだ。
 思わず笑いを噛み殺す私を、前に並ぶ少女が薄気味悪そうに振り返っている。それが余計に可笑おかしくて、こらえるのに苦労した。


 しばらく並んで、少しずつ前へ進んでいく。
 ようやく受付に到着して戸籍の写しと紹介状を提出する。すると何故かじっくりと読まれ、じろじろと頭のてっぺんから爪先まで何往復も凝視ぎょうしされ、それからようやく左側に通された。気のせいか、他の娘より時間がかかった気がする。落とされたのかとも思ったが、右側に通された娘は泣いていたから、とりあえず受付は突破出来たようだ。
 もしかすると私の境遇を哀れんだ楊益が、特別に推挙でもしてくれたのかもしれない。
 目の前に本人がいない以上、そう想像するしかなかった。
  

「朱莉珠、進め」
「はい」

 最後に通された部屋に着いた時には、最初にあれだけの人数が並んでいたとは信じられないほど人数が減っていた。驚くことにもう二十数名しかいない。先程私にそっぽを向いた娘も残っていた。というか、残ったのはとびきりの美女や美少女ばかり。私がものすごく浮いているのは理解出来た。さすがにこの美女達の中でど真ん中に居座るほど図太くない。隅っこの目立たないところに立ち位置を決めた。
 その部屋にはとりわけ美しく、仕立ての良さそうな着物の女性がいた。おそらく本物の宮女なのだろう。ただ美女というだけでなく、立っているだけでりんとした品位を感じさせた。やはり本物は違う。
 それと医師らしい白い着物の宦官かんがん。部屋を見回すと、どうやらこの部屋には宮女一人と宦官かんがん達しかいない様子だ。
 それまで部屋を守るように隅に立っていた衛士えじは全員部屋を出て行った。
 そして、細かな彫刻のほどこされた大きな木の衝立ついたてが部屋の真ん中に置かれていたので、私は次にすることを察した。
 おそらくあの裏で身体検査をするのだろう。かつて、後宮について記された古い書物でそんな記述を見たことがある。
 後宮で働く宮女なのだから、健康なのは勿論として、もしも皇帝の目に留まれば、下働きだろうと一気に妃になることがある。後宮はそういう世界なのだ。寵愛を受け、皇帝の子供を産む可能性がほんの少しでもある以上、身体検査は必要不可欠だ。
 私はなによりも、この貧相な体を見て不健康だと落とされないかだけが不安だった。

「――それでは名前を呼んだ者から、この衝立ついたての向こうで着物を全て脱ぐように」

 案の定、医師がそう言うと、宮女志望の少女達は急に狼狽うろたえて騒ぎ出す。

「で、ですが、この部屋には殿方もおります!」
「ええ、こんなところで肌を見せるだなんて……」

 気の強そうな娘達が必死にそう訴えるが、その意見は一蹴いっしゅうされた。

「この部屋の男は全て宦官かんがんだ。問題ない。それでも脱ぐのが嫌なのであれば、即刻出ていくとよい。引き留めはせぬ」

 宮女の言葉に、たった二十数名しかいないのに、その場はまるで蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。それでも誰も出ていこうとはしない。

「出ていく者はおらぬな。それでは開始する。これで問題がなかった者は晴れて宮女となる。それでは、一番の者――」

 この身体検査で終わりということもあり、今までみたいに多数を落とすようなふるいにかけているわけではなさそうだった。
 現に衝立ついたてに向かう時は真っ青で死にそうな顔をしていた子も、出る時には心底ほっとした表情ばかりだ。そうして、検査の終わった少女達から別室に案内されていく。今のところ落ちた人はいないようだ。
 私はどうやら最後の方らしい。順番が来るまで暇だった。
 昨晩あまり眠れなかったせいもあり、立っていてもたまに睡魔がやってくる。
 裸になるから他よりも部屋が暖かくされていることも理由かもしれない。人数が少ない分目立つだろうし、立ったまま居眠りするのだけは避けなければと眠い目をこすった。
 ふと、私の斜め前に立っている少女の背中が目に入る。さっき私にそっぽを向いた娘だ。他の候補と同じく不安そうにソワソワとしているが、その背中に何か黒いかたまりが張り付いているように見えた。
 目の錯覚か、と再び目をこすったが消えない。キョロキョロと辺りを見回しても、他にはこんな黒いものなどなかった。

(なんだろう……?)

 私はその子の後ろに少しだけ近寄った。
 やっぱりある。人の頭二つ分よりほんの少し小さい楕円形の黒いかたまり。じっと見ていると背筋がざわざわとして、これ以上近くに寄りたくない。

「……あ、あの、背中に汚れが付いてる」
「え?」

 触るのは躊躇ためらわれて、離れた場所からそう声をかけると、彼女は眉をひそめて背中を振り返ろうとした。


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