迦国あやかし後宮譚

シアノ

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番外編

【迦国コミックス3巻発売記念番外編】春に薫る

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 春──薫春殿はその名前の通り、咲き誇る花の香りに満ちていた。
 梅に沈丁花、風信子。それぞれ違いはあるが、どれも芳しい。

 それは夜でも変わらない。むしろ、闇の中でも春まっさかりなのだと、よりいっそう強く主張しているように感じられた。

「春の花か、いい香りだな」

 夜遅く、ひっそりと薫春殿にやってきた雨了は、窓の外、花が咲いているであろう暗がりに顔を向けてそう言った。

「そうでしょう。明るい時は香りだけじゃなくて、とても綺麗なのよ。でも、雨了は花の香り平気なの? 茉莉花の時は臭いって言っていたじゃない」

 私は以前のことを思い出した。よりにもよって、薫春殿への初の御渡りの時、雨了は茉莉花を浮かべた風呂に入った私を臭いと言って丸洗いしたのだ。さすがに何年経とうとも忘れられない記憶である。

「……あの頃、龍の力が暴走しかけており、五感が強くなりすぎていたせいが半分だな。特に嗅覚は酷かった。おそらく、龍は番を香りで探すせいなのだろうが。だがそなたのおかげで龍の力は安定し、嗅覚も通常に戻った。もう茉莉花が咲いても辛くはない」
「そうなんだ。残りの半分は?」

 雨了はどことなく困ったように目を逸らす。照れているのだと気付き、私は雨了の脇腹を突いた。

「ねえ、教えてよ」
「……その、茉莉花の強い芳香で、そなたの本来の匂いが隠されてしまうのが腹立たしかったのが残りの半分だ。正式に番となった今は、もうそなたの匂いは他にどれだけ強い匂いがあっても俺からは隠せないからいいのだが……」

 そう言われて頬が熱くなる。
 匂いを嗅ぎ分けられてしまうのは恥ずかしい気がするのだが、雨了の特別であることに嬉しい気持ちもあるのだった。
 それに私も雨了の五月の風のような爽やかな香りが好きだった。

 それでもやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。私はこの辺りで話を変えることにした。

「そ、そう言えばさ、薫春殿ってわりと新しい建物よね。庭の木は移植したんだろうけど、室内は綺麗だもん」

 天井や梁などはまだかなり綺麗で、建物内にもまだ木の香りが残っているくらいなのだ。最近建てたのだろうと思っていたが、後宮自体この二、三十年はほとんど機能していなかったと聞いていた。

「そういえば説明をしていなかったか。この薫春殿は、俺が采配した初仕事なのだ」
「へえ、そうなの?」
「ああ。数年前──俺が成人した頃だな。立太子の式典を行い、当時代理の皇帝だった母の政務を手伝うことになったのだが、まずはその練習として、だな。もう六年くらい経つのだろうか……」

 雨了は昔を懐かしむように青い瞳を細めた。

「幼い頃から政務に関係した勉強はしていたが、実際に案を出し、人を使うというのはまた違った才覚が必要になる。この薫春殿を建てたのも、いい勉強になった。だがそれだけではない」

 私は雨了の含みがある言い方に首を傾げた。

「……幼い俺は、辛く耐えがたい記憶とともに、そなたと会った記憶も、龍の祖に封印されてしまった。だが、それは完全ではなかったのだろうな。いつも心に何か欠けていると感じていた。だが、この建物を作っている間は少しだけそれが埋まる気がしていた。母はこの建物を、いつか来る愛妃のために建てろと言ったのだ。忘れてしまった俺なりに、無意識に幼いそなたの印象をかき集めていたのだろうな」

 雨了は口元に優しい微笑みを浮かべた。

「この薫春殿はよく似ている。居心地がよく、どこか柔らかな雰囲気がしていて、小ぢんまりしているが花に満ち、春が薫るような、そなたに」

 話を変えたつもりが変わっていない。
 私の頬はどんどん熱を帯びてしまう。

「薫春殿が出来上がるまで、三年ほどかかっただろうか。ちょうど完成した辺りで俺は母から皇帝の座を譲位され、即位したのだ。政務があまりに忙しくてな、実際に薫春殿が完成した後、移植した木や花々が根付き、咲き誇るようになった美しい春にも訪れることのないままだった」

 雨了は私の頬に触れ、それから解いた髪を撫でた。その指が心地いい。

「いや、行かなかったのはただの言い訳だな。愛妃不在の薫春殿は、心に欠けたままの部分がある俺と同じ、空っぽで寂しいものだと感じていた。だから直視したくなかったのかもしれないな。だが今はそなたがいる。俺はそなたと共にここで春を過ごせてよかったと思っているよ」
「うん……わ、私も……」

 羽のように唇に触れた柔らかな感触に、私は目を閉じた。



 かつて咲いた小さな恋の花は、長い時を経て結実した。
 それは、ひっそりと春の花が薫る夜のこと──。






※ ※ ※


 迦国あやかし後宮譚コミカライズをお読みくださいましてありがとうございました!
 コミカライズの方は3巻で完結となりました。
 村上ゆいち先生とムネヤマヨシミ先生のおかげで素晴らしいコミカライズになったと思っています。先生がた、本当にありがとうございました!

 原作小説は2巻からコミカライズとはちょっと違う展開になっており、3巻では莉珠の血筋にまつわるお話になっています。
 3巻まででとりあえずの区切りがついているので、手に取っていただけたら嬉しいです。

 ですがまだ、小説の方も終わりではありません!
 まだまだ書きたいこともあります。鈍足で申し訳ないのですが、お待ちいただけたら幸いです。
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