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4巻
4-2
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「では、次は……」
「そうねえ、歌にしてみようかしら」
「かしこまりました。さっそく教師の手配をいたします」
「よろしくね。今度こそ結果が出るよう頑張るわ!」
──しかし歌の方もダメだった。
元々鼻歌くらいしか経験はないのだが、喉というのは生まれた時から使っているものだ。それなら練習でどうとでもなるのでは、と思っていたのだが。
「そのぅ……明るく澄んでおり、良いお声だとは思うのですが、広い龍圭殿にて端まで声を響かせるのは少々難しいかもしれません。伴奏の楽器に負けてしまうのではないかと……」
笛の時にも言われたが、やっぱり肺活量が足りないそうだ。特に歌は誤魔化しが利かないそうで、広い場所で披露するには相当な実力が必要なのだという。
肺活量は鍛えられるものらしいが、そもそも練習の期間が短いので、どれほどの効果が得られるか、という問題があるとのことだ。そもそも、貴妃になる式典で歌を披露したのは歴史上でもごくわずかなんだとか。簡単なはずなかった。
というわけで、失敗である。
「あーあ、私のせいよねぇ……」
楽器同様、歌でも幾人かの教師からやんわりとお断りされてしまった私は、ガックリと卓上に突っ伏す。
何も成せていないのに時間だけは過ぎ、今日も休憩時間になってしまった。
「莉珠、気にするな。ほら、そなたの好きな甘い餡入りの包子を用意した。蒸し立てだから熱いうちに食べるといい」
雨了は気落ちした私の前にホカホカと湯気を立てる包子を差し出してくる。
練習はまったく上手くいかないが、雨了の休憩時に、こうして一緒にお茶が出来るのは救いだった。
雨了は忙しいから、会える機会はそう多くないのだ。
雨了は夏の間、体調を崩して離宮に滞在していた。その期間中は上皇が政務を代わってくれたが、それでも全て任すわけにはいかず、ある程度は溜まってしまったそうだ。それらの遅れを取り戻すために、仕事時間が増えている。仕方ないとはいえ、忙しければ私と会える時間は減ってしまう一方だ。
だから、こうして一緒にお茶が出来る環境なのはありがたい。
私は雨了に会えたことと、好物の包子で、落ち込んでいた気分が上がった。
ホカホカの包子にパクッと食い付く。口の中に餡の優しい甘さが広がるのがたまらない。
「朱妃、お茶をどうぞ」
絶妙の間で金苑がお茶を差し出す。
適温のお茶で流しながら、また大きく頬張る。甘くて美味しい。むぐむぐと咀嚼しながら、つい頬が緩んでしまう。甘いものを食べただけで機嫌がよくなるのだから、我ながら現金である。
「そなたの食べっぷりはいいな。見ていて微笑ましい。だが、頬に付けてしまっているぞ」
雨了は優しい顔をしながら、私の頬に指を伸ばして、食べかすを取ってくれた。
「あ、ありがと……」
「まあ、楽器と歌がダメでも、まだ舞がある」
「舞かぁ。私に出来るかしら」
「もちろんだ。舞こそ数えきれないほどの流派があるのだし、莉珠に向いたものも見つかるだろう」
「でも、何度も手配してもらっているのに、なかなか結果を出せないのが申し訳なくて……」
幾度目かのため息を吐きそうになる私の肩を、雨了はポンポンと叩いた。
「気にするな。早めに式典をしたいと言ったのはこちらの都合なのだから。そうだ、秋維成は剣舞が得意なのだぞ」
「へえ、すごいのね」
「秋維成、莉珠に話をしてはくれないか」
「ええまあ、構いませんが」
今日も雨了の護衛任務のために部屋の隅で仁王立ちしていた秋維成だが、雨了に呼ばれてこちらにやってきた。
「剣舞は武器を扱う延長ですね。基本的な型が近いのです。他の舞はからっきしですよ。俺には剣とこの顔しか取り柄がありませんので」
秋維成はキザったらしい手つきで前髪を払いながらそう言った。確かに顔はいいのだが、軽薄過ぎて残念な印象になってしまう。
「なるほどねえ」
と、まあ秋維成の外見の方は置いておいて、剣の実力は本物なのである。やはり得意分野に近い方が習得も有利なようだ。かといって、私が得意なことといっても、すぐには思い浮かばない。
「私じゃ基礎が出来ていないし……やっぱり舞も難しそうね」
はあ、と息を吐いた。こんな時、他の妃嬪との育ちの違いを感じてしまう。いい家柄の子女であれば、ここで躓くようなこともなかっただろうに。
そんな私に凛勢が淡々と言った。
「そうとも言えません。陛下も仰ったように舞も色々ですし、流派によっては日常で体を動かす延長の動きだけで構成されている舞もあります。そういう舞でしたら取り柄のない朱妃にも難しくはありません。教師との相性もあるでしょうし、朱妃には器用さが足りていないのかもしれませんが、人一倍の努力をしていただければ、必ず習得出来るものがあるはずです」
時折チクリとしたものを感じるが、一応励ましてくれているのだろう。多分、おそらく。
「凛勢は楽器とか舞は出来るの?」
「ええ。一応、一通りは」
控えめに頷く凛勢を尻目に、秋維成はまるで言いつける子供のようにコソコソ言った。
「朱妃、凛勢はこう言いますけど、どれも玄人はだしの実力なんですよ。呼ばれた教師も、朱妃ではなく、凛勢の視線が嫌になって断ったんじゃありませんかね。だって、自分より上手な者が目の前にいる状態で教えるのはやりにくいものでしょう」
そういえば、どの教師もやけにピリピリし、ビクついていた気がする。凛勢の綺麗な顔は黙っていても迫力があるので、そのせいもあったのかもしれない。
「へえ、凛勢ってそんなに上手なの? それなら凛勢に教わることは出来ないかしら。あ、でも凛勢は仕事が忙しいわよね」
私は思い付きを口にする。
凛勢は少し考えていたが、首を縦に振った。
「承知しました。教えるのが上手いとは思いませんが、朱妃には私が教えましょう」
「いいの?」
自分で言っておいてなんだが、まさか了承されるとは思っていなかったのだ。
「ええ。外部の教師では、信用出来る経歴かどうかの調査に時間がかかってしまいます。しかも朱妃に男性を近付けるわけにはまいりませんから、女性の教師に限定されます。そういった条件を優先するあまり、どうしても実力や教える能力が二の次になっているように感じていました。それでしたら私が教える方がまだマシかもしれません。ですが、教えるからには厳しくいたしますが、よろしいですか?」
「凛勢だもんねえ。それは覚悟の上よ。それに、今までの教師の人たち、基礎どころか、まったくの未経験って伝えると、信じられない目で見られるんだもの」
呼ばれた外部の教師も、一般的な子女のような手習いの基礎くらいは経験済みの相手に教えるつもりで来ていたのだろう。完全に未経験の私にどう教えるべきか戸惑っているようだった。それなら多少厳しくても本当に基礎の基礎から教えてもらえる方がありがたい。
「分かりました。楽器と歌はこれまでの手応えからすると少々難しいですね。舞にしましょう」
「うん、よろしく頼むわね」
「凛勢であれば安心して莉珠を任せられる。……だが、泣かせないように頼むぞ」
雨了も賛成のようだ。最後の一言がちょっぴり不穏だけれど。
「お任せください。そうですね……ただの舞より、朱妃の女神の化身という印象を強められるような、巫女舞を参考にした独自の振り付けにいたしましょうか。長い領布を振り、鈴を鳴らすのです。普通の舞より儀礼的な雰囲気を強めた方が見栄えがするでしょうね。いい機会です。神聖な雰囲気を持つ龍の愛妃を見せつけてやりましょう」
さっそく凛勢は頭を巡らせている様子だ。目がギラギラとしているし、その美貌も相まってやたらと迫力がある。
「うぐ、結局は女神の化身って呼ばれなきゃいけないのね……」
「諦めろ、莉珠。凛勢はこうなっては止まらぬぞ」
雨了はポンと私の肩を叩き、秋維成も顔に同情を滲ませながら、うんうんと頷いている。
「……腹を括るわ」
私はため息混じりにそう言うしかなかった。
それから数日後、再び凛勢に呼ばれて執務殿に向かうと、ドサッと数冊の本を渡された。
「こちらが舞の教本です。いきなり振り付けを習うより、教本を読み、頭で理解してから体を動かす方が朱妃には向いているのではないかと思います。しばらくはこの教本を読み、内容を完全に覚えていただきます。今回の舞は蝶舞を下地に、巫女舞の振り付けを足した独自の舞にする予定です。誰でも出来る振り付けの組み合わせのみで、跳ね回ったり、足を高く上げたりするような難易度が高い動きは入れません。そのため、そのままだと華やかさが欠けてしまいます。そこを補うために、領布を振り続けていただく必要性があります。ずっと領布を振り続けるのは相当大変ですので、上腕を鍛えるのも同時にお願いします。領布の振り方も教本にあります」
さらに姿勢を正すとか、体感を鍛えるようにとか、一息に言われ、目が回りそうになってしまった。
チラッと開いてみた教本は、びっしりと細かな字で舞の理論が書いてあるようだ。
「わ、分かったわ」
顔を顰めそうになったが、確かに凛勢の言う通り、本を読んで理解してからの方が出来そうな気がする。
「では、これを十日で読んできてください」
「と、十日ぁ!?」
思わず声が裏返った。
「はい。十日後にどれだけ覚えているかの確認をします。それから教本の内容を実践で練習していただきます」
この分厚い本を全部。目を通すだけでも十日以上かかりそうだが、凛勢は覚えてこいというのだ。さらに同時進行で筋肉を鍛える必要がある、とな。
「それから舞の拍子を体に覚えさせましょう。私は後宮に入れませんので、代わりの者を用意します。私の補佐役に魯順という宦官がおります。彼に手拍子を打ってもらうよう頼んでおきます。毎日一定時間は魯順の手拍子を聞いていただき、体に舞の拍子を染み込ませます。よろしいですね」
立て板に水を流したような凛勢の言葉を聞いているだけで、頭がクラクラしそうだった。思っていたよりもさらに厳しい。
「厳しいとお思いでしょう」
「うっ……」
思考まで完全に読まれている。
「ですが、私としてはこれでも優しい方です。陛下から朱妃を泣かさないように仰せつかっておりますので」
これで優しいと言うなら、凛勢が本気で厳しくした場合はどれほどのものだろう。考えたくもない。
「それから朱妃付きの宮女の……金苑でしたね。細長い絹の布を用意してください。長さの異なるものを数枚」
「はい。かしこまりました」
「朱妃には長い絹布を用いて、領布を振るう練習を毎日してもらいます。食事と睡眠時を除き、教本を読むか体力作りをする、領布を振るのどれかをしてください。遊ぶ時間はしばらくありません。よろしいですね」
付き添いの金苑にチラッと視線を向ける。あの金苑ですら頬が引き攣っているほど厳しい。
「いいですか、舞は美しい所作にも繋がります。この機会に体で覚えておけば、朱妃が貴妃になり、また皇后になってからも役に立つでしょう。私は朱妃ならば出来ると信じております」
暗に私に出来るギリギリを探っている気がしたのだが、やると言ったからにはやるしかない。最初から厳しいと分かっていて凛勢に頼んだのだから。
「やってやろうじゃない!」
拳を握ってそう言うと、凛勢は満足そうに頷く。
「朱妃、そろそろ陛下も休憩の時間です。これからしばらく教本を詰め込んでもらいますが、今日くらいは共に時間を過ごしてください」
飴と鞭、いや鞭鞭鞭からの飴、といった具合だが、凛勢も鬼ではなかったらしい。
顔を合わせた雨了は、げっそりした私と似たり寄ったりの顔をしていた。やっぱり鬼かもしれない。
「雨了も大変なのね。凛勢の厳しさがちょっと分かったわ」
「ああ……。まあそれもあるのだが、今日はそれだけではなくてな」
明朗快活な雨了にしては、珍しく言葉を濁して言いにくそうにしている。
「何かよくないことがあった?」
「いや、それほどでもないのだが。以前、後宮の整理をすることを伝えていたな」
私は頷く。
妃嬪の大半は人質として後宮にいるのだと聞いている。青妃や、そしてかつては胡嬪もそうだった。
胡嬪の一件もあり、彼女たちの先の人生を考えて後宮を整理し、今後は妃嬪を減らす方向だと、以前雨了が説明してくれた。
確かに何年も閉じ込められていれば、鬱憤も溜まるはずだ。雨了と同じ年頃の妃嬪にとっては花盛りの大切な時期である。少しでも早く解放出来たら、と雨了も考えているのだろう。
「それで、まず蓉嬪を親元に返すことにしたのだ。彼女の父はこの十年、特に俺に身を尽くしてくれたからな。俺もその気持ちに応えようと思う」
「へえ、蓉嬪を」
顔は知っている。しかし挨拶を交わしたことがある程度で特に親しくしてはいなかった。人となりもよく知らない。
「それで何か問題があるの?」
「ああ、その噂を聞き付けたらしく、今度は馬理の族長が妃嬪として身内を差し出したいとうるさくてな。一人減らしたから一人増やすと思っているのだろうか。春頃に反乱の兆しがあったのを覚えているか? 実質上の人質を差し出すことで、改めて詫びと恭順を示したいとのことだ。おそらく、受け入れなければもっと面倒なことになるだろう」
はあ、と雨了はため息を吐く。
「俺にはそなたがいるから、他の妃嬪は不要なのだ。だが、どうしてもその気持ちを理解してもらえないこともある。皇帝とはいえ若輩の俺では、他国の要望を完全に突っぱねられないこともあるのだ。そなたが貴妃になれば、周囲も脈なしと考えるのではないかと思っていたのだが……」
雨了は私に向き直った。真剣な面持ちをしている。
「後宮の整理を終え、俺の愛する妃はそなただけなのだと示すにはもう少し時間がかかってしまう。だが、俺の気持ちは変わらない。どれほどの美女を送り込まれたとしても、愛しいのは莉珠だけだ」
それを聞いて、私は飲んでいたお茶の味も分からなくなり、ごくりと飲み下した。
「あ、あのね。ちゃんと分かってるよ。それに私も同じ気持ちだし……」
そう言いながらも、カーッと頬が熱い。心臓もどくどくと激しい音を立てている。
私は雨了がそう思ってくれているだけでじゅうぶんなのだ。
「それに、青妃のこともあるでしょ。青妃は体が弱いし、後宮から出るのは難しいって本人も言っていたわ。そんな青妃を追い出す形になるのは可哀想だし、他の妃嬪のことも焦って失敗しないようにしないと。彼女たちの人生がかかっているのだから、慎重に進めてほしいわ。馬理の妃嬪が来ても、なるべく私が気にかけるようにするから」
「忙しいのにすまない」
「ううん。雨了の方がずっと忙しいでしょう」
私は手を伸ばして雨了の眉間をつんと押した。
「ほら、そんな顔ばかりしてたら、ここに皺が出来ちゃうじゃない。そうなっても雨了は格好いいままだけどさ」
すると雨了はクスッと笑い、私の両頬を引っ張った。
「莉珠の方は最近、ここがよく伸びるようになったのではないか? 餅のような頬だな!」
「いひゃいってば、もーっ!」
楽しいじゃれあいに、私と雨了はクスクスと笑い合った。
薫春殿に戻ってからは、ひたすら舞の教本を読む日々を送っていた。
それから凛勢が言っていたように、魯順という若い宦官が薫春殿にやってきて、一定間隔での手拍子をずっと打ち続けている。彼が手を叩く音が耳の中でこだましてしまいそうだ。正直、手は大丈夫なのかと心配になるほどである。
そんな音を聞きながらでは、思うように教本に集中出来ない。しかし、この拍子を体に染み込ませるために必要と言われているのだから仕方がない。
落ち着かない気持ちでしばらく読み進めていると、恩永玉が部屋にやってきた。これ幸いと教本を閉じ、魯順にも休憩をさせることにした。
「朱妃、蓉嬪の使いの宮女からお茶のお誘いがございました。一度ゆっくりお話しをしたいそうなのですが、いかがなさいますか?」
それを聞いてもうすぐ蓉嬪は後宮から出ていくという話を思い出す。舞の本を読むのに忙しいが、蓉嬪がこの決定について、どう考えているのかも聞いてみたい。
「……うーん、そうね、最後になるかもしれないものね。薫春殿に招いてもいいかしら」
遊びではなく、妃嬪としての責務と考えれば、ここは話を受ける一択である。
「かしこまりました。蓉嬪のご予定を伺っておきますね」
そして互いの予定をすり合わせてお茶会をすることになった。
蓉嬪とは挨拶以外の言葉を交わしたことはない。長い黒髪が美しく、大人びた雰囲気の人、という外見の印象しかない。何を話そうか考えていると、にわかに外が騒がしくなった。蓉嬪が到着したようだ。
「あの、朱妃。蓉嬪がいらっしゃいました……ですが、その」
呼びにきてくれた恩永玉が、なんとも言いがたい、不思議な顔をしていた。
目をぱちぱちさせながら、何度も扉の方を振り返っては首を傾げている。
「どうかしたの? 何か嫌なことでも言われた?」
「い、いえ……そういうわけではないのですが」
聞いても、首をブンブン横に振り、言葉を濁す。
「そう? 私の大事な宮女に何かされたら許せないけど。困ったことがあったら、正直に言ってちょうだい」
「ほ、本当に違うのです。ですが、私ではなんと申していいか分からず……も、申し訳ありません!」
恩永玉の態度からすると、嫌味を言われたとか、いじめられたとかではなさそうだ。
「恩永玉に謝ってほしいんじゃないのよ。何もされてないならいいんだし。とりあえず蓉嬪に会ってみましょうか」
恩永玉と共に、蓉嬪が通されている客間に向かった。
そして蓉嬪の姿を一目見た私は、口をポカンと開けた。先程の恩永玉の、複雑そうな、なんとも言えない顔の理由を理解したのだ。
「朱妃、本日はお忙しい中、お時間を取っていただき、誠にありがとう存じます」
上品な仕草で深々と頭を下げる蓉嬪。
私は彼女を見て、返す挨拶の口上も忘れ、まじまじと見つめた。その、頭の上を。
蓉嬪の髪は縦にも横にも大きく、塔かなにかのように高々と結い上げられていた。
さらにギラギラと眩しい金に宝石がゴテゴテと付いた髪飾りが、これでもかというほどに挿してある。
よく頭を下げた後に再び持ち上げられるものだ。そう感心してしまうほど重そうなのである。
さらに、肌は顔だけでなく首や手の甲まで真っ白く塗られ、対照的に目の周りは真っ赤に縁取られている。もはやお化粧と言っていいものだろうか、鼻を強調する線まで書き込まれ、目は筆のような付けまつ毛で強調されていた。まるで孔雀だ。
着ている物も白地に赤と金糸でギラギラしている。間近で見ると、目が痛いくらい派手な代物だった。もう全身、上から下までギラッギラである。
「ええと……蓉嬪、よね」
おそるおそる、そう尋ねてしまった。
「はい。以前にもご挨拶をさせていただきましたね。嬪の位を授かりました蓉照でございます」
その声はごく普通で、私が不躾なことを尋ねても気分を害した様子はない。
確かに、以前挨拶された時もこんな感じの声だった気がする。声で判断するしかないほど、普段の面影がなかったのだ。
私は背後に控える恩永玉にチラッと視線をやる。このせいで変な顔をしていたのだ。恩永玉もその通りだと言うかのように、小さく頷くのが見えた。
「え、ええと……蓉嬪は……その……」
どうしても蓉嬪の奇を衒った格好に視線が吸い寄せられ、普段通りの態度を取るのが難しい。そして私は遠回しに聞くのが苦手なのである。
「いえ、まどろっこしいのは苦手だから単刀直入に聞くけれど、その格好は貴方の趣味なのかしら?」
率直にそう問えば、蓉嬪は口元を押さえ、クスクスと笑った。
「趣味ではありません。ですが、少しでも朱妃の興味が引けたのなら成功したと思っています。正直に申し上げますと、本日は朱妃に売り込みに参りました」
「売り込み……?」
蓉嬪は座ったまま器用に袖を翻し、小首を傾げた。そうすると途端に雰囲気が変わって見える。
「これは舞台化粧です。こうして日中の明るい中、至近距離で見るとおかしく見えるかもしれませんが、薄暗い舞台上では視認性が高く、遠くから見ても見栄えがするのです。髪や衣装もそうですね」
「なるほど……それは目立たせるためのものなのね」
「はい。近々、朱妃が貴妃の位を授かる式典が行われるのでしょう。わたくしはそれまでに後宮を出ることになり、式典を見届けられないのが残念でなりません。それで、今回こちらをご提案しに来たのです」
私はそれを聞いて目をぱちくりとさせた。
「そうねえ、歌にしてみようかしら」
「かしこまりました。さっそく教師の手配をいたします」
「よろしくね。今度こそ結果が出るよう頑張るわ!」
──しかし歌の方もダメだった。
元々鼻歌くらいしか経験はないのだが、喉というのは生まれた時から使っているものだ。それなら練習でどうとでもなるのでは、と思っていたのだが。
「そのぅ……明るく澄んでおり、良いお声だとは思うのですが、広い龍圭殿にて端まで声を響かせるのは少々難しいかもしれません。伴奏の楽器に負けてしまうのではないかと……」
笛の時にも言われたが、やっぱり肺活量が足りないそうだ。特に歌は誤魔化しが利かないそうで、広い場所で披露するには相当な実力が必要なのだという。
肺活量は鍛えられるものらしいが、そもそも練習の期間が短いので、どれほどの効果が得られるか、という問題があるとのことだ。そもそも、貴妃になる式典で歌を披露したのは歴史上でもごくわずかなんだとか。簡単なはずなかった。
というわけで、失敗である。
「あーあ、私のせいよねぇ……」
楽器同様、歌でも幾人かの教師からやんわりとお断りされてしまった私は、ガックリと卓上に突っ伏す。
何も成せていないのに時間だけは過ぎ、今日も休憩時間になってしまった。
「莉珠、気にするな。ほら、そなたの好きな甘い餡入りの包子を用意した。蒸し立てだから熱いうちに食べるといい」
雨了は気落ちした私の前にホカホカと湯気を立てる包子を差し出してくる。
練習はまったく上手くいかないが、雨了の休憩時に、こうして一緒にお茶が出来るのは救いだった。
雨了は忙しいから、会える機会はそう多くないのだ。
雨了は夏の間、体調を崩して離宮に滞在していた。その期間中は上皇が政務を代わってくれたが、それでも全て任すわけにはいかず、ある程度は溜まってしまったそうだ。それらの遅れを取り戻すために、仕事時間が増えている。仕方ないとはいえ、忙しければ私と会える時間は減ってしまう一方だ。
だから、こうして一緒にお茶が出来る環境なのはありがたい。
私は雨了に会えたことと、好物の包子で、落ち込んでいた気分が上がった。
ホカホカの包子にパクッと食い付く。口の中に餡の優しい甘さが広がるのがたまらない。
「朱妃、お茶をどうぞ」
絶妙の間で金苑がお茶を差し出す。
適温のお茶で流しながら、また大きく頬張る。甘くて美味しい。むぐむぐと咀嚼しながら、つい頬が緩んでしまう。甘いものを食べただけで機嫌がよくなるのだから、我ながら現金である。
「そなたの食べっぷりはいいな。見ていて微笑ましい。だが、頬に付けてしまっているぞ」
雨了は優しい顔をしながら、私の頬に指を伸ばして、食べかすを取ってくれた。
「あ、ありがと……」
「まあ、楽器と歌がダメでも、まだ舞がある」
「舞かぁ。私に出来るかしら」
「もちろんだ。舞こそ数えきれないほどの流派があるのだし、莉珠に向いたものも見つかるだろう」
「でも、何度も手配してもらっているのに、なかなか結果を出せないのが申し訳なくて……」
幾度目かのため息を吐きそうになる私の肩を、雨了はポンポンと叩いた。
「気にするな。早めに式典をしたいと言ったのはこちらの都合なのだから。そうだ、秋維成は剣舞が得意なのだぞ」
「へえ、すごいのね」
「秋維成、莉珠に話をしてはくれないか」
「ええまあ、構いませんが」
今日も雨了の護衛任務のために部屋の隅で仁王立ちしていた秋維成だが、雨了に呼ばれてこちらにやってきた。
「剣舞は武器を扱う延長ですね。基本的な型が近いのです。他の舞はからっきしですよ。俺には剣とこの顔しか取り柄がありませんので」
秋維成はキザったらしい手つきで前髪を払いながらそう言った。確かに顔はいいのだが、軽薄過ぎて残念な印象になってしまう。
「なるほどねえ」
と、まあ秋維成の外見の方は置いておいて、剣の実力は本物なのである。やはり得意分野に近い方が習得も有利なようだ。かといって、私が得意なことといっても、すぐには思い浮かばない。
「私じゃ基礎が出来ていないし……やっぱり舞も難しそうね」
はあ、と息を吐いた。こんな時、他の妃嬪との育ちの違いを感じてしまう。いい家柄の子女であれば、ここで躓くようなこともなかっただろうに。
そんな私に凛勢が淡々と言った。
「そうとも言えません。陛下も仰ったように舞も色々ですし、流派によっては日常で体を動かす延長の動きだけで構成されている舞もあります。そういう舞でしたら取り柄のない朱妃にも難しくはありません。教師との相性もあるでしょうし、朱妃には器用さが足りていないのかもしれませんが、人一倍の努力をしていただければ、必ず習得出来るものがあるはずです」
時折チクリとしたものを感じるが、一応励ましてくれているのだろう。多分、おそらく。
「凛勢は楽器とか舞は出来るの?」
「ええ。一応、一通りは」
控えめに頷く凛勢を尻目に、秋維成はまるで言いつける子供のようにコソコソ言った。
「朱妃、凛勢はこう言いますけど、どれも玄人はだしの実力なんですよ。呼ばれた教師も、朱妃ではなく、凛勢の視線が嫌になって断ったんじゃありませんかね。だって、自分より上手な者が目の前にいる状態で教えるのはやりにくいものでしょう」
そういえば、どの教師もやけにピリピリし、ビクついていた気がする。凛勢の綺麗な顔は黙っていても迫力があるので、そのせいもあったのかもしれない。
「へえ、凛勢ってそんなに上手なの? それなら凛勢に教わることは出来ないかしら。あ、でも凛勢は仕事が忙しいわよね」
私は思い付きを口にする。
凛勢は少し考えていたが、首を縦に振った。
「承知しました。教えるのが上手いとは思いませんが、朱妃には私が教えましょう」
「いいの?」
自分で言っておいてなんだが、まさか了承されるとは思っていなかったのだ。
「ええ。外部の教師では、信用出来る経歴かどうかの調査に時間がかかってしまいます。しかも朱妃に男性を近付けるわけにはまいりませんから、女性の教師に限定されます。そういった条件を優先するあまり、どうしても実力や教える能力が二の次になっているように感じていました。それでしたら私が教える方がまだマシかもしれません。ですが、教えるからには厳しくいたしますが、よろしいですか?」
「凛勢だもんねえ。それは覚悟の上よ。それに、今までの教師の人たち、基礎どころか、まったくの未経験って伝えると、信じられない目で見られるんだもの」
呼ばれた外部の教師も、一般的な子女のような手習いの基礎くらいは経験済みの相手に教えるつもりで来ていたのだろう。完全に未経験の私にどう教えるべきか戸惑っているようだった。それなら多少厳しくても本当に基礎の基礎から教えてもらえる方がありがたい。
「分かりました。楽器と歌はこれまでの手応えからすると少々難しいですね。舞にしましょう」
「うん、よろしく頼むわね」
「凛勢であれば安心して莉珠を任せられる。……だが、泣かせないように頼むぞ」
雨了も賛成のようだ。最後の一言がちょっぴり不穏だけれど。
「お任せください。そうですね……ただの舞より、朱妃の女神の化身という印象を強められるような、巫女舞を参考にした独自の振り付けにいたしましょうか。長い領布を振り、鈴を鳴らすのです。普通の舞より儀礼的な雰囲気を強めた方が見栄えがするでしょうね。いい機会です。神聖な雰囲気を持つ龍の愛妃を見せつけてやりましょう」
さっそく凛勢は頭を巡らせている様子だ。目がギラギラとしているし、その美貌も相まってやたらと迫力がある。
「うぐ、結局は女神の化身って呼ばれなきゃいけないのね……」
「諦めろ、莉珠。凛勢はこうなっては止まらぬぞ」
雨了はポンと私の肩を叩き、秋維成も顔に同情を滲ませながら、うんうんと頷いている。
「……腹を括るわ」
私はため息混じりにそう言うしかなかった。
それから数日後、再び凛勢に呼ばれて執務殿に向かうと、ドサッと数冊の本を渡された。
「こちらが舞の教本です。いきなり振り付けを習うより、教本を読み、頭で理解してから体を動かす方が朱妃には向いているのではないかと思います。しばらくはこの教本を読み、内容を完全に覚えていただきます。今回の舞は蝶舞を下地に、巫女舞の振り付けを足した独自の舞にする予定です。誰でも出来る振り付けの組み合わせのみで、跳ね回ったり、足を高く上げたりするような難易度が高い動きは入れません。そのため、そのままだと華やかさが欠けてしまいます。そこを補うために、領布を振り続けていただく必要性があります。ずっと領布を振り続けるのは相当大変ですので、上腕を鍛えるのも同時にお願いします。領布の振り方も教本にあります」
さらに姿勢を正すとか、体感を鍛えるようにとか、一息に言われ、目が回りそうになってしまった。
チラッと開いてみた教本は、びっしりと細かな字で舞の理論が書いてあるようだ。
「わ、分かったわ」
顔を顰めそうになったが、確かに凛勢の言う通り、本を読んで理解してからの方が出来そうな気がする。
「では、これを十日で読んできてください」
「と、十日ぁ!?」
思わず声が裏返った。
「はい。十日後にどれだけ覚えているかの確認をします。それから教本の内容を実践で練習していただきます」
この分厚い本を全部。目を通すだけでも十日以上かかりそうだが、凛勢は覚えてこいというのだ。さらに同時進行で筋肉を鍛える必要がある、とな。
「それから舞の拍子を体に覚えさせましょう。私は後宮に入れませんので、代わりの者を用意します。私の補佐役に魯順という宦官がおります。彼に手拍子を打ってもらうよう頼んでおきます。毎日一定時間は魯順の手拍子を聞いていただき、体に舞の拍子を染み込ませます。よろしいですね」
立て板に水を流したような凛勢の言葉を聞いているだけで、頭がクラクラしそうだった。思っていたよりもさらに厳しい。
「厳しいとお思いでしょう」
「うっ……」
思考まで完全に読まれている。
「ですが、私としてはこれでも優しい方です。陛下から朱妃を泣かさないように仰せつかっておりますので」
これで優しいと言うなら、凛勢が本気で厳しくした場合はどれほどのものだろう。考えたくもない。
「それから朱妃付きの宮女の……金苑でしたね。細長い絹の布を用意してください。長さの異なるものを数枚」
「はい。かしこまりました」
「朱妃には長い絹布を用いて、領布を振るう練習を毎日してもらいます。食事と睡眠時を除き、教本を読むか体力作りをする、領布を振るのどれかをしてください。遊ぶ時間はしばらくありません。よろしいですね」
付き添いの金苑にチラッと視線を向ける。あの金苑ですら頬が引き攣っているほど厳しい。
「いいですか、舞は美しい所作にも繋がります。この機会に体で覚えておけば、朱妃が貴妃になり、また皇后になってからも役に立つでしょう。私は朱妃ならば出来ると信じております」
暗に私に出来るギリギリを探っている気がしたのだが、やると言ったからにはやるしかない。最初から厳しいと分かっていて凛勢に頼んだのだから。
「やってやろうじゃない!」
拳を握ってそう言うと、凛勢は満足そうに頷く。
「朱妃、そろそろ陛下も休憩の時間です。これからしばらく教本を詰め込んでもらいますが、今日くらいは共に時間を過ごしてください」
飴と鞭、いや鞭鞭鞭からの飴、といった具合だが、凛勢も鬼ではなかったらしい。
顔を合わせた雨了は、げっそりした私と似たり寄ったりの顔をしていた。やっぱり鬼かもしれない。
「雨了も大変なのね。凛勢の厳しさがちょっと分かったわ」
「ああ……。まあそれもあるのだが、今日はそれだけではなくてな」
明朗快活な雨了にしては、珍しく言葉を濁して言いにくそうにしている。
「何かよくないことがあった?」
「いや、それほどでもないのだが。以前、後宮の整理をすることを伝えていたな」
私は頷く。
妃嬪の大半は人質として後宮にいるのだと聞いている。青妃や、そしてかつては胡嬪もそうだった。
胡嬪の一件もあり、彼女たちの先の人生を考えて後宮を整理し、今後は妃嬪を減らす方向だと、以前雨了が説明してくれた。
確かに何年も閉じ込められていれば、鬱憤も溜まるはずだ。雨了と同じ年頃の妃嬪にとっては花盛りの大切な時期である。少しでも早く解放出来たら、と雨了も考えているのだろう。
「それで、まず蓉嬪を親元に返すことにしたのだ。彼女の父はこの十年、特に俺に身を尽くしてくれたからな。俺もその気持ちに応えようと思う」
「へえ、蓉嬪を」
顔は知っている。しかし挨拶を交わしたことがある程度で特に親しくしてはいなかった。人となりもよく知らない。
「それで何か問題があるの?」
「ああ、その噂を聞き付けたらしく、今度は馬理の族長が妃嬪として身内を差し出したいとうるさくてな。一人減らしたから一人増やすと思っているのだろうか。春頃に反乱の兆しがあったのを覚えているか? 実質上の人質を差し出すことで、改めて詫びと恭順を示したいとのことだ。おそらく、受け入れなければもっと面倒なことになるだろう」
はあ、と雨了はため息を吐く。
「俺にはそなたがいるから、他の妃嬪は不要なのだ。だが、どうしてもその気持ちを理解してもらえないこともある。皇帝とはいえ若輩の俺では、他国の要望を完全に突っぱねられないこともあるのだ。そなたが貴妃になれば、周囲も脈なしと考えるのではないかと思っていたのだが……」
雨了は私に向き直った。真剣な面持ちをしている。
「後宮の整理を終え、俺の愛する妃はそなただけなのだと示すにはもう少し時間がかかってしまう。だが、俺の気持ちは変わらない。どれほどの美女を送り込まれたとしても、愛しいのは莉珠だけだ」
それを聞いて、私は飲んでいたお茶の味も分からなくなり、ごくりと飲み下した。
「あ、あのね。ちゃんと分かってるよ。それに私も同じ気持ちだし……」
そう言いながらも、カーッと頬が熱い。心臓もどくどくと激しい音を立てている。
私は雨了がそう思ってくれているだけでじゅうぶんなのだ。
「それに、青妃のこともあるでしょ。青妃は体が弱いし、後宮から出るのは難しいって本人も言っていたわ。そんな青妃を追い出す形になるのは可哀想だし、他の妃嬪のことも焦って失敗しないようにしないと。彼女たちの人生がかかっているのだから、慎重に進めてほしいわ。馬理の妃嬪が来ても、なるべく私が気にかけるようにするから」
「忙しいのにすまない」
「ううん。雨了の方がずっと忙しいでしょう」
私は手を伸ばして雨了の眉間をつんと押した。
「ほら、そんな顔ばかりしてたら、ここに皺が出来ちゃうじゃない。そうなっても雨了は格好いいままだけどさ」
すると雨了はクスッと笑い、私の両頬を引っ張った。
「莉珠の方は最近、ここがよく伸びるようになったのではないか? 餅のような頬だな!」
「いひゃいってば、もーっ!」
楽しいじゃれあいに、私と雨了はクスクスと笑い合った。
薫春殿に戻ってからは、ひたすら舞の教本を読む日々を送っていた。
それから凛勢が言っていたように、魯順という若い宦官が薫春殿にやってきて、一定間隔での手拍子をずっと打ち続けている。彼が手を叩く音が耳の中でこだましてしまいそうだ。正直、手は大丈夫なのかと心配になるほどである。
そんな音を聞きながらでは、思うように教本に集中出来ない。しかし、この拍子を体に染み込ませるために必要と言われているのだから仕方がない。
落ち着かない気持ちでしばらく読み進めていると、恩永玉が部屋にやってきた。これ幸いと教本を閉じ、魯順にも休憩をさせることにした。
「朱妃、蓉嬪の使いの宮女からお茶のお誘いがございました。一度ゆっくりお話しをしたいそうなのですが、いかがなさいますか?」
それを聞いてもうすぐ蓉嬪は後宮から出ていくという話を思い出す。舞の本を読むのに忙しいが、蓉嬪がこの決定について、どう考えているのかも聞いてみたい。
「……うーん、そうね、最後になるかもしれないものね。薫春殿に招いてもいいかしら」
遊びではなく、妃嬪としての責務と考えれば、ここは話を受ける一択である。
「かしこまりました。蓉嬪のご予定を伺っておきますね」
そして互いの予定をすり合わせてお茶会をすることになった。
蓉嬪とは挨拶以外の言葉を交わしたことはない。長い黒髪が美しく、大人びた雰囲気の人、という外見の印象しかない。何を話そうか考えていると、にわかに外が騒がしくなった。蓉嬪が到着したようだ。
「あの、朱妃。蓉嬪がいらっしゃいました……ですが、その」
呼びにきてくれた恩永玉が、なんとも言いがたい、不思議な顔をしていた。
目をぱちぱちさせながら、何度も扉の方を振り返っては首を傾げている。
「どうかしたの? 何か嫌なことでも言われた?」
「い、いえ……そういうわけではないのですが」
聞いても、首をブンブン横に振り、言葉を濁す。
「そう? 私の大事な宮女に何かされたら許せないけど。困ったことがあったら、正直に言ってちょうだい」
「ほ、本当に違うのです。ですが、私ではなんと申していいか分からず……も、申し訳ありません!」
恩永玉の態度からすると、嫌味を言われたとか、いじめられたとかではなさそうだ。
「恩永玉に謝ってほしいんじゃないのよ。何もされてないならいいんだし。とりあえず蓉嬪に会ってみましょうか」
恩永玉と共に、蓉嬪が通されている客間に向かった。
そして蓉嬪の姿を一目見た私は、口をポカンと開けた。先程の恩永玉の、複雑そうな、なんとも言えない顔の理由を理解したのだ。
「朱妃、本日はお忙しい中、お時間を取っていただき、誠にありがとう存じます」
上品な仕草で深々と頭を下げる蓉嬪。
私は彼女を見て、返す挨拶の口上も忘れ、まじまじと見つめた。その、頭の上を。
蓉嬪の髪は縦にも横にも大きく、塔かなにかのように高々と結い上げられていた。
さらにギラギラと眩しい金に宝石がゴテゴテと付いた髪飾りが、これでもかというほどに挿してある。
よく頭を下げた後に再び持ち上げられるものだ。そう感心してしまうほど重そうなのである。
さらに、肌は顔だけでなく首や手の甲まで真っ白く塗られ、対照的に目の周りは真っ赤に縁取られている。もはやお化粧と言っていいものだろうか、鼻を強調する線まで書き込まれ、目は筆のような付けまつ毛で強調されていた。まるで孔雀だ。
着ている物も白地に赤と金糸でギラギラしている。間近で見ると、目が痛いくらい派手な代物だった。もう全身、上から下までギラッギラである。
「ええと……蓉嬪、よね」
おそるおそる、そう尋ねてしまった。
「はい。以前にもご挨拶をさせていただきましたね。嬪の位を授かりました蓉照でございます」
その声はごく普通で、私が不躾なことを尋ねても気分を害した様子はない。
確かに、以前挨拶された時もこんな感じの声だった気がする。声で判断するしかないほど、普段の面影がなかったのだ。
私は背後に控える恩永玉にチラッと視線をやる。このせいで変な顔をしていたのだ。恩永玉もその通りだと言うかのように、小さく頷くのが見えた。
「え、ええと……蓉嬪は……その……」
どうしても蓉嬪の奇を衒った格好に視線が吸い寄せられ、普段通りの態度を取るのが難しい。そして私は遠回しに聞くのが苦手なのである。
「いえ、まどろっこしいのは苦手だから単刀直入に聞くけれど、その格好は貴方の趣味なのかしら?」
率直にそう問えば、蓉嬪は口元を押さえ、クスクスと笑った。
「趣味ではありません。ですが、少しでも朱妃の興味が引けたのなら成功したと思っています。正直に申し上げますと、本日は朱妃に売り込みに参りました」
「売り込み……?」
蓉嬪は座ったまま器用に袖を翻し、小首を傾げた。そうすると途端に雰囲気が変わって見える。
「これは舞台化粧です。こうして日中の明るい中、至近距離で見るとおかしく見えるかもしれませんが、薄暗い舞台上では視認性が高く、遠くから見ても見栄えがするのです。髪や衣装もそうですね」
「なるほど……それは目立たせるためのものなのね」
「はい。近々、朱妃が貴妃の位を授かる式典が行われるのでしょう。わたくしはそれまでに後宮を出ることになり、式典を見届けられないのが残念でなりません。それで、今回こちらをご提案しに来たのです」
私はそれを聞いて目をぱちくりとさせた。
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