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4巻
4-3
しおりを挟む「それはまだ公表していないはずだけど……どうして知ったの?」
薫春殿の宮女には緘口令を敷いている。どこからか漏れたのだろうか。
「いえ、聞いたのではありません。朱妃は陛下の愛妃なのですから、遠からず貴妃になるのは当然でございましょう。そして、朱妃が最近たびたび後宮の外に向かわれているとなれば、貴妃になるための準備を進めているとしか考えられませんから」
他の妃嬪にもそう思われているでしょうね、と言われ、私は頭を抱えた。
「そ、そうだったんだ……」
そ知らぬ顔をしていたつもりでバレバレだったのは恥ずかしい。
「ええ、そしてわたくしの故郷は染料や顔料の産地なのです。ひいては化粧品もですね。この舞台化粧はどうです? 白粉も他とは違い、白く輝くようでしょう。紅の発色も自慢なのです。貴妃の位を授かる式典で使っていただけたなら、これ以上ないほど光栄なのですが」
「ええと……そういうのは私が決めることじゃないのよね。だから売り込まれても困るというか……」
それに素顔が分からなくなるほどの化粧はしたくない。
「さようでございますか。朱妃もご存知の通り、わたくしは近いうちにこの後宮から出ることになっております。もしも朱妃に我が故郷の品を使っていただけたなら、最後に素晴らしい親孝行になると思っていたのですが」
蓉嬪はかくんと肩を落とし、顔を俯けた。そうすると派手な舞台化粧の顔が悲しみに暮れているかのように変化をする。角度を変えることでそう見えるように計算された化粧なのだ。この化粧をしたいとは思わないが、技術は素晴らしいと感心していた。
「わたくしが後宮に入っている間、両親にも長らく寂しい思いをさせました。後宮を出た後にはもう結婚が決まっております。親孝行の機会もありません。わたくしは妃嬪としての責務は果たせませんでしたが、せめて両親の喜ぶ顔が見たかったのですが……」
そんな話を聞くとあまりにそっけなく断るのも、少し申し訳ないような気がしてしまう。彼女は長いこと、この後宮で無為な時間を過ごしたのだ。家族や友人と引き離され、やりたいことも我慢し、辛いこともあっただろう。
「その……蓉嬪も長いこと大変だったわよね」
「朱妃、どうかお気になさらず。わたくしも両親も、陛下に思うところはありません。今後も身命を賭して忠誠を誓います。ただ、わたくしが後宮を出るとなると、仕えてくれた宮女を残していくのが心配で……。そこで朱妃にお願いがあるのですが、行く先の決まっていない宮女を薫春殿で面倒を見ていただけませんか?」
「え? うーん……」
私は腕を組む。
「もちろん全員とは申しません。一人でも構わないのです」
ふと、忙しそうな金苑や恩永玉の姿が思い浮かぶ。少ない人数で懸命に頑張ってくれているのだが、執務殿に向かう際には付き添いも必要になっており、宮女はせめてもう一人くらいは欲しいところだった。
「そうねえ、薫春殿も人手が足りないし、一人くらいなら……」
そう言うと、蓉嬪はパッと顔を上げた。
「ありがとうございます! 是非ともよろしくお願いいたします」
「あ、でも、薫春殿の宮女と仲良く出来るかしら。ほら、性格の相性なんかもあるでしょう。それに口が固い子じゃないと難しいのだけれど」
「ご心配には及びません。少しの間ですが薫春殿にいましたし、そこの恩永玉の同期の宮女ですから」
蓉嬪はにこやかな顔で私の後ろにいる恩永玉を示す。
「え……?」
今更ながら嫌な予感が背中を這っていた。
「そ、その宮女って、もしかして」
「ええ、蔡美宣です。面倒を見ると言っていただけて嬉しゅうございます。これでわたくしも心残りもなく、後宮を去ることが叶います。どうか蔡美宣をよろしくお願いいたしますね」
「……うっ!」
してやられた。おそらく、最初に化粧の売り込みを断らせ、その罪悪感を利用されたのだ。彼女の本命の要求は、薫春殿に宮女を一人引き取らせることだったのだろう。まんまと目論見に嵌まってしまった。しかし一度面倒を見ると言ってしまったのは事実。
「まあ、では、蔡美宣が薫春殿に戻ってくるのですね! もう一度共に働けるのは嬉しいです!」
そんな風にニコニコ微笑む恩永玉を見てしまったのもあって、やっぱりなしとは言いにくい。
「お礼にこの衣装一式と、朱妃と、薫春殿の宮女の人数分、自慢の白粉や紅を差し上げます。衣装の方は何か余興にでも使ってくださいませ」
白粉や紅はともかく、衣装はきっと不必要だから置いていくのだ。使い途が限られており、蓉嬪も嫁ぐ予定があるから、なるべく身軽にしたいのだろう。
「ああもう……仕方ないわね。でも蔡美宣があんまりにも怠けるようなら、首にするかもしれないわよ」
「どうぞご随意に。ですが、蔡美宣はああ見えてなかなか仕事が出来ますのよ。この髪や化粧をしたのも、衣装を選んだのも全て蔡美宣でした。どうぞ上手く使ってくださいまし」
蓉嬪のギラギラした格好はともかく、化粧にはかなりの技術を感じていたので少しだけ見直した。あくまでほんの少しであるのだが。
しかし、蓉嬪は大人しい人としか思っていなかったが、実際はこれほど強かで賢い人であったとは。きっと後宮から出て結婚した後も自力で幸せを掴めるだろう。それが分かっただけで話した甲斐がある。もっと早いうちから話していれば、もしかしたら仲良くなれたのかもしれない。それが少しだけ残念だ。
話すうちに蓉嬪の奇怪な格好にも見慣れてしまい、お茶会はつつがなく終了したのだった。
それから少し経ち、私が舞の教本をなんとか読み終えた頃、蓉嬪はひっそりと後宮から去っていった。
「──というわけで、本日からよろしくお願いしますわ」
にこやかに笑う蔡美宣とは裏腹に、金苑は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
なんと蔡美宣は初日から遅刻をしたのだ。しかし当の本人はケロッとした顔で、申し訳なさそうにすらしていない。
やっぱり蓉嬪から体よく押し付けられただけじゃないかしら。
ついついそう思ってしまったのだった。
凛勢に言われた通り、たったの十日で何とか舞の教本を頭に詰め込んだ私は、ようやく実践練習を開始した。
しかし手も足も思うようには動かない。もたもた、よろよろと足踏みをするので精一杯だった。踊りの形には程遠い。
舞の理論が頭に入っていたところで、体がついていかなければ踊れるはずもなかったのだ。
凛勢にビシバシとしごかれて、半泣きで初回の練習を終えた。
しかも間の悪いことに今日は雨了がとにかく忙しく、休憩時間に顔を合わせることも出来なかった。
厳しさの後に、雨了という癒しがないのは正直なところ辛い。あの大きな手でわしわしと頭を撫でてもらえれば元気が出たのに。
「朱妃、お疲れ様でした」
「凛勢……上手く出来なくてごめんなさい」
私は肩を落として凛勢に言った。
「いえ、初日としてはじゅうぶんな出来です。振り付けの完成もこれからですし、どうしても難しい場合は調整します。しかし、本当に教本を暗記したのですね」
「え? 凛勢がやれって言ったんでしょう。でも、理論だけじゃ、やっぱり踊れないわ」
凛勢は私の顔をじっと見た。
「実は、全て暗記するのは無理だったと言われることも想定していました。しかし、さすがですね。朱妃は潜在的な能力が高いのでしょう。素晴らしいことです」
凛勢から突然褒められて、嬉しいよりも困惑の方が大きい。
凛勢は基本的に厳しく、人を褒めることはそう多くない。何か企んでいるのだろうかと深読みしてしまう。
「と、突然なんなの? ちょっと怖いんだけど」
「おや、そんなに怯えないでください」
凛勢は薄い唇の両端を吊り上げ、部屋の隅にいる魯順に合図を送った。
すると魯順は、部屋から出て行き、すぐさま分厚い本を何冊も抱えて戻ってくる。
凛勢は唇に微笑みを刻んだまま、魯順が抱えている本を指し示した。
「朱妃には貴妃になるまでに、政治や経済のことも覚えていただきたいことがございます。次はこちらを読んでください。こちらの本に関しては一文一句全てを暗記せよとは申しません。内容を理解して覚えていただけたら、それだけでじゅうぶんですので」
「ほらぁ、やっぱりぃ!」
凛勢がただ褒めることなどないのだ。
魯順の抱えた本は十冊近くあるし、どれも相当の分厚さだ。宦官の中でも特に小柄で、宮女と変わらない体格の魯順では運ぶだけでも大変そうな量である。
「舞の稽古も大事ですが、政治や経済に関しての見聞を広めるのも大切です。ゆくゆくは陛下と共に執務を担っていただくためにも必要ですから。こちらは十日とは言いません。ゆっくりと、貴妃の式典までに読み終えてください」
「式典っていつなの?」
「まだはっきりとした日取りは決まっておりませんが、半年以内には」
「ということは、舞の練習もしながら、半年以内にこの量を……」
はああ、とため息が零れる。
「大丈夫、朱妃なら出来ます。何しろ舞の教本をたったの十日で暗記してきたのです。それほどの努力と才覚がおありなのですから、これくらい簡単でしょう」
簡単なわけはない。
しかしやるしかないのだろう。
愛妃も楽ではないと今更ながら認識したのだった。
第二章
青妃から呼ばれ、私は久しぶりに青薔宮を訪れた。
「朱妃、来てくれて嬉しいわ」
青妃は愛らしい微笑みを浮かべ、甘えるように私にしなだれかかる。
体の弱い青妃は夏の暑さでしばらく体調を崩していたが、涼しくなって回復してきたのだろう。夏に比べれば随分と顔色がいい。
「こちらこそ、夏の間はろくの面倒を見てくれてありがとうございました」
青妃には夏の間、離宮に赴いていた私の代わりにろくの面倒を見てもらっていた。
青薔宮の宮女にはろくに餌をあげるだけでなく、円茘にお供えとして甘味を持っていってもらい、色々助かったのだ。
「まあ、そんなこと気にしないで」
ふ、と微笑む青妃は、見た目には少女のようなあどけなさがあるが、実際は私より年上で、雨了と同い年の従姉妹なのである。角度によって色が変わる宝石のように、無垢な少女にも年相応の妖艶な美女にも見える、不思議な雰囲気の女性だ。
「世話をしたのはわたくしではなく宮女たちですもの」
「でも、青妃のおかげで何も心配することなく離宮に滞在出来たのは事実ですから」
「貴方の猫──ろく、だったわね。わたくしの側には全然来てくれなかったけれど、外で何度か狩りをしているのを窓辺から見かけたわ。ほら、たまに外をうろちょろしている黒いのがいるでしょう」
話だけ聞くと、宮女が嫌がる黒い害虫でも狩っているように聞こえるだろうが、ろくは妖の猫なのである。外をうろちょろする黒いの、とはおそらく淀みのことだろう。雨了が浄化してから数を減らしたが、それでもどこからともなく発生してくるのだ。
「あの黒いのって、わたくしではどうしようもないけれど、いるだけで厄介でしょう。ろくが退治してくれて助かったわ。偉い猫ね」
私はろくを褒められて、つい微笑んでしまう。
「ええ! ろくはすごいんですよ! 賢くて強いし、私のことも守ってくれるんです」
「しかも愛らしいものね。あの黒いのを狩っていたからかしら。夏の間に少し大きくなった気がするわ」
「そうかもしれません。私が後宮に連れてきた頃はまだ子猫っぽさがありましたが、そろそろ成猫になる頃合いでしょうか」
最近では毛並みもますます美しく、黒い毛が艶々と輝くのだ。賢いし、粗相もしない。結構な大物を仕留めたこともある。仕留めた獲物を自慢げに見せてくることだけは玉に瑕であるのだが。
「そうそう、離宮での話を聞かせてちょうだい。わたくし、外の話に飢えているの」
青妃は私の袖を軽く引き、まるで幼子のようにせがんでくる。
「せっかくだもの、女同士の内緒話もしましょうね!」
青妃は最初からそのつもりだったのだろう。人払いまでされて、連れてきた薫春殿の宮女も別室に連れて行かれてしまった。
悪気はないのは分かっているのだが、青妃はどうにも自分勝手に物事を進めようとするところがある。こういうところが汪蘭から少し我儘と言われてしまう所以なのだろう。
「あちらでは色々と大変だったとは聞いているわ。でも離宮の温泉はよかったでしょう。それから、雨了との仲は進んだのかしら」
最後の言葉はそっと耳打ちされた。顔がボッと熱くなる。私を揶揄って楽しんでいるのだ。
ニマニマとしている青妃に私は唇を尖らせる。しかし彼女は気にした様子もない。
「唇を尖らせても愛らしいけれど、そんなに怒らないで。そうそう、朱妃はそろそろ貴妃になる準備をしていくのでしょう?」
雨了と同じ青い瞳で見透かすように微笑まれると、つい怯んでしまう。幼い頃に会った雨了によく似ているせいかもしれない。
「やっぱり青妃も気付いていたのですか。蓉嬪──いえ、蓉照にも同じようなことを言われました」
嬪の位を返上し、後宮から出ていった彼女のことを思い出す。
「わたくしの方は一足先に雨了から相談されていたのよ。わたくしからも早く貴方を貴妃にさせた方がいいと伝えたわ」
「そうだったのですか」
「蓉照は聞いていなかったはずだけれど、カマをかけられたんじゃないかしら。あの子はなかなかに強かだったから。わたくしはあの子のことが嫌いではなかったわ。互いの立場的に仲良くしてはいけなかったから、ほとんど交流は出来なかったのよね。ほんの少しだけ、残念だけれど、後宮から出たからには幸せになってほしいわ」
私もそれには同意見だ。
「まあ雨了は貴方のところにしか通わないんだもの。後宮に長くいればその意味が分からないはずはないわ。貴方は本当ならすぐに貴妃になってもおかしくなかったのよ。きっと、根回しに時間がかかっていたのでしょうね。雨了は従属国からは、まだ皇帝になって間もない青二才だと思われているから」
従属国と言われて真っ先に浮かぶのは馬理である。私が後宮に来てそう間もない頃に反乱の兆しがあるとのことで、雨了が直々に赴いて解決したのだ。その際の詫びと恭順の証として、馬理から近々妃嬪がやってくると聞いている。
「そういえば、青妃は馬理から来る予定の方をご存知ですか?」
そう尋ねてみたが、青妃はフルフルと首を横に振った。
「いいえ、それが知らないのよね。わたくし含め、雨了と年齢が近い妃嬪は、幼い頃から妃嬪候補として交流があったものなの。蓉照もそう。けれど、馬理とはそういうことがなかったから、近い年頃の娘がいないのだと思っていたのよね。先の反乱の件で代表の族長が変わったらしいから、そちらの身内なのではないかしら。馬理は複数の氏族からなる国で、白琅なんかの他の従属国ともまた毛色が違うのよね」
青妃は小首を傾げてそう言った。
私は凛勢から渡されている政治や経済に関する本にあった従属国の内容を思い出す。馬理は迦国の西方に位置し、そこそこの広さを持つが、農業に適さない土地が多いそうだ。代わりに牧草が豊かに生えることから名馬の産地なのだとか。それ以外の産業もほぼ牧畜で、氏族ごとの放牧地を持ち、季節ごとに移動する遊牧民族であるそうだ。そのため、国を治めるのは一人の王ではなく、氏族ごとに長がおり、その中の一人が馬理の代表として迦国との窓口になっている、と本には書かれていた。
「まあ、どちらにせよ、わたくしは立場上あまり仲良く出来ないでしょうから。その馬理の妃嬪は朱妃が気にかけてくれるかしら」
「ええ、そのつもりです。蓉照も面白い人で、もっとたくさん話しておけばよかったって思いましたから。馬理の妃嬪とも、出来れば仲良くしたいですね」
そう言うと、青妃は鈴を転がしたように笑った。
「そうね。本当に朱妃は可愛らしくて好きよ。さてと、そろそろお話ではなく遊びましょうか」
そう言いながら立ち上がる。
「へ?」
私は青妃とお茶を飲んで話をするだけのつもりだったのだが。
しかし青妃はがっちりと私の腕を掴んで放さない。
「朱妃は着せ替え人形で遊んだことってあるかしら?」
「い、いえ、ないですけど」
「あらそう。それじゃ、遊び方を教えてあげなきゃね」
くすくす、と笑いながら、チラッと私に流し目をしてくる青妃。
猛烈に嫌な予感がする。
私は背筋に汗が流れるのを感じた。
「す、すみません、私そろそろ帰ります。凛勢から渡された本の内容を読んで覚えないといけなくて……」
「だぁーめ。放さないわよ、わたくしのお人形さん」
青妃は私にその愛らしい顔を近付け、甘ったるく囁く。
予感的中。
こうなるとしばらく帰してもらえないだろう。
「こっちよ」
青妃の手を振り払えず、大鏡の前に連れてこられてしまった。周囲には煌びやかな布がどっさりと積まれている。
「さあ、お着替えしましょう! 貴方に試したい着物も宝石もたくさんあるの。朱妃の肌色を一番綺麗に見せてくれる色を見つけないとね。宝石はどれが一番似合うかしら。今から決めて仕立てておかないと、貴妃になる式典に間に合わなくなってしまうわ」
「ええーっ! ま、待ってください。これを着るんですか? まさか、全部?」
私は布の山を見て青ざめる。
「大丈夫、わたくしが貴方を一番素敵に見せてくれるものを選んであげる。ふふふ、今回は雨了にも許可を取っているから安心してね。つまり、邪魔は入らないってこと。ああ、わたくし、お人形さん遊びが大好きなの。朱妃とたくさん遊ぼうと思って、うんと用意させたわ! 宝石は雨了の母君からもお借りしているのよ。さあ、わたくしに身を委ねてちょうだい」
それから数時間、私は青妃が満足するまで着せ替え人形役をさせられた。
一応、大義名分として、貴妃になる式典用の衣装選びということではあるのだが、どう考えても大半は青妃の趣味だったと思う。
何度着替えたか分からなくなるくらい着物を着せられ、布を被せられる。大粒の宝石が付いた指輪や真珠を連ねた首飾り、帯留めなどがあちこちに転がるのは信じられない光景である。
青妃の着せ替え遊びが終わる頃には、私はげっそりとやつれてしまった気がしたのだった。
それからしばらく。凛勢も仕事が忙しいとのことで、舞の練習は少しの期間休みになっていた。とはいえ、魯順の手拍子を聞きながらの自主練は必要不可欠である。
先に理論を知ったせいか、何度も自主練を繰り返すことで、わけも分からず手足を動かしていた頃に比べれば一歩前進だろうか。それでもなんとなく変なのだが、どこがおかしいのか分からずじまいである。私は手を止め、額の汗を拭った。
「ねえ、魯順はずっと手拍子を打っていて疲れないの?」
凛勢から命じられたとはいえ、魯順は嫌がることなく、ひたすら手を叩いている。まったくズレることなく手拍子を打ち続けるのは、相当大変だろう。
しかし、魯順はプルプルと首を横に振った。
「い、いえ。平気です! 僕は雑技団にいたことがあって……まだ芸を見せられない子供の頃には、よくこんな風に稽古の手伝いで手拍子を打っていたんです。懐かしいくらいですよ」
魯順は女性と聞き間違えそうなくらい甲高い声でそう言った。宦官は年齢を推測しにくいものだが、魯順もまるで少年のような外見である。もしかすると、これまで見た宦官の中でも一番若いかもしれない。そして、前歴も随分と変わっているらしい。
「へえ、そうなのね。いつも手拍子がまったくぶれないから、すごいと思っていたのよ。でも、そろそろ休憩にしましょう。いつも練習に付き合ってくれてありがとう」
「は、はいっ!」
魯順は真っ赤にした顔を伏せてしまった。
仕事はとても出来るのだが、どうやら恥ずかしがり屋のところがあるらしい。宮女相手にも同じような反応をしているのを見たことがある。
「さてと、気分転換に散歩にでも行きたいわね」
天気もいいので、恩永玉と汪蘭を連れて散歩に出かけることにした。
特に目的がないのでおしゃべりしながらてくてく歩き、比較的広い道まで来た。
恩永玉がふと顔を上げる。
「そういえば、この道をまっすぐ行ったところにある建物に、馬理から来た妃嬪が入られたそうですね」
蓉嬪が後宮を去ってしばらく、入れ替わるかのように馬理から黄嬪がやってきたのだ。
「黄嬪ね。建物の名前は輪鋒館だったかしら」
馬理からやってきた黄嬪が後宮入りすることになったのが急だったため、建物の準備がかなりギリギリになってしまったと聞いている。
そういえば、私の時もかなり急に入宮したのだったと思い出す。後宮に入る時はどうしてもバタバタしてしまうものなのだろう。
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