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5巻
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第一章
年が明け、貴妃になってから数日後、私は翔天門の上にいた。
この翔天門での一般参賀が、私が貴妃として民衆の前に出る初めての仕事である。
翔天門というのは宮城の第一城城門で、上が楼閣になっている。
私がいるのはその楼閣の露台。高さがあるせいで御簾の隙間から下の広場を覗くと、人の姿は豆粒より小さく見える。
「わぁ、すごい。たくさん人がいるわ」
王都は降り続く雪で白く覆われている。今も雪がちらつき、一般参賀に訪れた人々の晴れ着が白雪に映えて鮮やかだ。人の流れが、まるで色とりどりに織った布を川に流しているかのように見えた。
口を開くと息が白く染まる。びゅう、と風が吹き込むたび、頬がびりびり痺れるほど冷え込んでいた。しかしそんな寒さの中でも一般参賀に訪れる人の流れが途切れることはない。若き皇帝陛下の人気はそれだけ高いということだ。実際にこの目で確認し、私まで嬉しくなる。
「雨了って人気があるのねえ」
「今年は去年よりも一般参賀の人数がずっと多いぞ。俺が即位した時以来の人の多さだ」
「へえ、なんで今年は多いのかしら」
首を傾げた私に、雨了はクスッと笑う。
「それはもちろん、そなたがいるからだ。龍の愛妃というだけでなく、貴妃の位についたばかりなのだぞ。特別にめでたいことだし、噂の朱貴妃を一目見たいと思うのは当然だろう」
「えっ」
私が驚いていると、雨了のそばに控えていた凛勢や秋維成も話に乗ってくる。
「ええ、その通りです。朱貴妃は龍の守護神、女神の化身と、外つ国にまで噂が流れておりますから」
「そりゃあもう、すごい人気なんですよ。王都の店ではあちらこちらで朱貴妃御用達と冠した香や宝飾品、布に菓子まで盛んに売られていましたからね。ま、どれも無許可なやつですが」
「な、なによ、それ! 聞いてない!」
混乱する私に、凛勢はあっさりと言った。
「心配なさらずとも、朱貴妃の印象を悪くしそうな商品を扱った店は潰します。それ以外は目溢しをしますが、朱貴妃が立たれたことで景気が上がり税収も増え、いいことばかりです」
「そういうことじゃなく!」
問題ありまくりだ。聞いている私の方が恥ずかしい。こんなにも寒いというのに、頬がカーッと熱くなってしまう。
「に、人気はありがたいけど……せっかく来てもらったのに私は御簾越しだし、ちょっと申し訳ないわね」
私の前には御簾があり、民衆からは姿が直接は見えないようになっているのだ。
「御簾は慣例ですので、どうかご辛抱を」
「嫌ってわけじゃないんだけどね」
じろじろ見られるのはどうにも慣れない。それに、この寒い中、御簾は多少の風除けになる。ないよりマシという程度だが。
「高貴な立場にある者──特に女性はあまり顔を出してはならないものです。有事の際には顔を知られていない方が安全という、治安上の理由もございます」
顔を知られていない方が、いざという時にも民衆に紛れて逃げやすくなるとのことだ。まあ、そういう事情があるのであれば仕方ない。
「そういうの、ないに越したことはないんでしょうけどね」
十年前、雨了の父である当時の皇帝が亡くなった後、跡目争いで青妃の両親が雨了を亡き者にしようとし、後宮でもたくさんの死者が出た事件があった。いつ何が起こるかは誰にも分からないし、常日頃から用心しておく必要があるのだろう。
「それだけではない。そなたをあまり視線に晒したくはないと思ってしまう。これは嫉妬深い龍の血のせいだろうな。今日のそなたは、いつにも増して愛らしいからな」
雨了は輝くような正装姿で微笑む。雨了こそ、眩しいくらいの美貌と威風堂々たる姿で、女性からかなりの人気がある様子だが、本人はそのあたりをまったく意識していない。
「……それを雨了が言う?」
「ん、何か言ったか?」
雨了が手を振り、巻き起こった喝采で私の呟きはかき消されてしまった。
「ううん、なんでもない」
私なんて、これだけ着飾り、かつ蔡美宣の化粧技術で普段よりはマシに見えるとはいえ、雨了と並べる美貌ではない。がっかりされるくらいなら、御簾越しでちょうどいいのかもしれない、なんて少し卑屈なことを思ってしまう。
雨了の目には、そんなことをうだうだ考える私が退屈しているように映ったようだ。
「まあ、ずっと座っているのも退屈だろう。顔はともかく、手くらいなら見えても問題ないのではないか。手だけ出して民衆に振ってみたらどうだ?」
「うん、そうしようかな」
御簾の端から手を出してひらひらと振ってみせる。すると、それまでより激しい歓声が沸き起こり、あまりの音に私は思わず仰け反った。
「ひゃっ」
「莉珠、すごい人気だな」
「び、びっくりしたぁ」
驚くほどの大歓声に圧倒されてしまう。
「ずっと手を振るのは大変だろう。たまにやるくらいでいい」
「そ、そうする……」
人気があるというのは本当のようだ。
でも、私はまだ貴妃になったばかり。政治に参加するわけでもないし、民衆の役には立っていない。皇帝として寝る間も惜しんで政務を行っている雨了とは違う。
「私は何もしていないのに、いい目だけ見せてもらってるみたい。なんだか気が引けちゃう」
「なに、そなたはいるだけでいいのだ」
「いるだけって、飾りじゃないんだから……」
そう呟いた声は、またも歓声にかき消されてしまった。
川のような列は途切れることがない。夕方になり、終了の合図である太鼓の音がドォンドォンと響いた。ようやく一般参賀が終わる刻限だ。
宦官たちが片付けを始めている。
「雨了、お疲れ様」
御簾に背を向け、雨了にそう声をかけた次の瞬間、背筋がザワッとした。
「莉珠、どうかしたか?」
「あ……ううん。なんでもない」
なんとなく嫌な気配を感じた気がしたのだが、御簾の隙間から広場を見下ろしても特に変わったことはない。一般参賀の人々が衛士に促され、ゾロゾロと帰っていくのが見えるだけだ。ほんの一瞬だけのことだし、気のせいだろう。
「だが、少し顔色が悪くないか。寒くないように気を配ったつもりだが、体が冷えたか?」
「これくらいなら平気よ」
参賀中は火鉢を近くに置いてもらい、肩からふかふかの毛皮までかけていた。たびたび休憩をさせてもらい、温かい飲み物も飲んでいたし、そこまで体が冷えているとは思わない。
「でも、もしかすると連日の疲れが出たのかもね」
秋からずっと貴妃になるための準備をしていた。ここしばらくは、休む間もなく忙しかったのだ。
しかも新年になって貴妃の位を得てからは、宴にも列席する必要があった。外つ国からの来賓や州長、さらには将軍やら武功を立てた武官やらを招いた宴が毎夜行われるのである。慣れないことばかりで、精神的にも疲労していた。
そう言うと、雨了は頷く。
「そうだろうな。だが、忙しいのはもうすぐ終わる。あと少しでゆっくり休めると思えば、なんとかやり過ごせるだろう?」
「雨了も休めるの?」
「ああ。俺も久しぶりにまとまった休みが取れる。数日後に離れの宴を行い、来賓の出立の無事を祈って、新年の行事は終わりとなる。凛勢からも離れの宴については聞いているだろう? 新年の参賀のために外つ国からやってきた来賓たちを盛大にもてなし、帰途の無事を祈って見送るのだ」
私は頷く。
「それから数日間は俺も完全に休めるし、政務が再び忙しくなるのは、雪解けの後、春になってからだ。遊び呆けるとまではいかないが、一年で一番ゆったりしている時期が訪れる」
「そうなんだ。雨了と一緒にゆっくり過ごせるなら嬉しい」
「ああ。それを楽しみにもうひと頑張りだ」
雨了は微笑んで私の頬を撫でた。
「う、うん」
雨了に撫でられた頬から温かさが体中に巡っていく。
「お、顔色が少しよくなったか」
「そうね。雨了が触ってくれたからかも」
そう言えば、雨了の耳のあたりが赤く染まる。
「そんな可愛いことを言われると我慢が出来なくなるだろう。人前でも気にせずに、そなたを抱きしめたくなってしまうではないか」
雨了は唇を尖らせ、私の頬をつんつんと突く。
「そ、それはもう少し我慢!」
小声でそう言う。周囲には宮女だけでなく凛勢に秋維成、他に宦官や衛士が近くにいるのだ。
恥ずかしくなって、私は雨了の手を掴み、ぎゅうぎゅうと握る。雨了は龍の血を引くため、暑いより寒い方が得意なのだと聞いている。そのせいか、手の温もりも私には熱いくらいだ。
「そうだな。そなたも、体調に無理しない程度にな」
「うん」
私は雨了の熱が伝わり、すっかり熱くなった顔で頷いた。
それから数日が経過した。
ようやく今晩が離れの宴である。遅くからの開始になるため、日中はのんびりと過ごしていた。
後宮は雪で白く覆われ、静謐な雰囲気が漂っている。
ひどく静かに感じるのは、雪のせいが半分。もう半分は正月だからだ。
後宮で働く人は、所属部署にもよるが四年に一度、宿下がりの許可をもらえる。半月から一月ほどの休暇になるのだそうだ。そのせいで後宮の賑やかさはいつもより控えめだった。
薫春殿の宮女たちは新人が多いこともあって、宿下がりしている宮女はいない。それでも正月というのは常とは違う静けさに満ちている気がしていた。いつもは騒々しい蔡美宣でさえもどこか物静かで、穏やかな時間が流れている。
「あら、雪が止んだわ」
ふと窓の外に目を向けると、ひっきりなしに降っていた雪がいつのまにか止んでいた。
「まあ、本当ですね」
恩永玉も窓に近寄り、外を見ている。窓際は寒く、恩永玉の吐息が白く染まる。汪蘭も窓のそばにいたが、幽霊宮女の彼女は体温がなく、吐息が白くならない。いや、呼吸もしていないのかもしれない。それを見ながら冬の屋外なら私の目でも幽霊の見分けがつきそうだ、なんて考えてしまった。
「このまましばらく止むといいですね」
「そうね。今夜は離れの宴だものね」
今夜の離れの宴は夜通し行われ、他国からの来賓たちは宴が終わった早朝にそのまま帰国するのだそうだ。朝まで雪が止んでいれば、帰国の途も多少は楽になるだろう。
ようやく今日で忙しいのは終わるはず。しかし、私はこのところの疲労感が一気に来たかのようで、食欲が全然湧かなくなっていた。
宴続きで、食べ慣れないご馳走に胃が驚いてしまったのか、ムカムカがなかなか抜けないのだ。
昼食もあまり食べる気にならず、少し食べては箸で突いているうちに冷めてしまった。残すのはもったいないし、自分としても食べ物を無駄にしてしまうのは気が咎めるが、どうしても完食出来そうにない。
「ごめんなさい、もう食べられないから下げてもらえるかしら」
恩永玉が心配そうに眉を寄せた。
「食欲が落ちていますね。体調が優れませんか?」
「そうね、宴で変わったものばかり食べていたからかしら。ちょっと胃の調子がよくないのよね」
ムカムカする胃のあたりを摩る。
「このところずっとではありませんか。一度、侍医に診てもらった方がよろしいのでは。最近冷えますし、風邪かもしれません」
汪蘭もそう言うが、私は首を横に振った。
「別にそこまでのことじゃないわ。風邪っぽくもないし」
「そうですか? では、額を失礼いたします」
恩永玉は私の額に触れる。
「確かにお熱はありませんね」
「でしょう? 疲れているだけだってば」
「そうですねぇ。貴妃になるための式典に加えて新年の祝いの準備もありましたし、朱貴妃は秋からずっとお忙しくされていましたものね」
「年が明けても参賀だ宴だとゆっくり休めることはないんだもの、もう疲労感は仕方がないわ」
それに、昨年末に悲しいことが起きたせいもある。黄嬪として馬理からやってきた黄夕燕との悲しい別れがあったのだ。私だけでなく、黄嬪の宮女だった潘恵と親しくしていた恩永玉も、丸みを帯びていた頬が少し痩せてしまっていた。
「恩永玉だって食欲が失せているんでしょう?」
「それはそうですけど……」
けれど、きちんと最期のお別れもしたし、日が経つにつれて黄夕燕を失った心の傷も、少しずつ癒えてきているのを感じていた。
「まあ、なんにせよ、忙しいのは今晩の離れの宴までだもの。明日以降、ゆっくり休めばすぐ元気になるわよ」
「ですが、離れの宴は一晩中続くと伺っております。今のうちにしっかり食べておかないと体がもたないのではありませんか? どうか、あと少しだけでも召し上がってください!」
目をうるうるとさせた恩永玉にそう懇願されては断りにくい。汪蘭も心配そうだ。仕方なく小ぶりの柑橘を手に取った。
「うーん、じゃあ、これくらいなら」
「はい! お剥きしますね!」
恩永玉はニッコリ笑う。
「いいことです。果物は滋養がありますから」
汪蘭も微笑んだ。
恩永玉に剥いてもらった柑橘を食べる。香りがスッキリしていて甘酸っぱい。胃がムカムカしていても食べやすかった。柑橘には疲労回復の効果があると、かつて祖父も言っていたのを思い出す。
「お腹いっぱいって思ってたけど、これくらいなら食べられちゃうわね。美味しかったわ、ありがとう」
「ええ、よかったです」
恩永玉も私が柑橘を食べたので、ホッとした様子で片付けている。
「朱貴妃、お食事はお済みですね。そろそろ準備を始めてもよろしいですか?」
「うん、お願い」
食事を済ませたことを確認した金苑にそう言われ、私は頷いた。
まだ半月程度では朱貴妃と呼ばれるのに慣れない。そして貴妃としての正装もなかなか慣れるものではなかった。煌びやかな衣装も鳳冠も、それはもうずっしりと重いのだ。着ているだけで体力を使うので、しっかり食べるように言ってくれる宮女たちの気持ちも分かる。
着替えや化粧を終えると、まだ鳳冠を被る前だというのにすっかり疲れてしまった。
「ふう、重いわね……」
「もう少しの辛抱ですよ。明日からはゆっくり過ごせますから」
金苑にも励まされ、私は頷いた。
龍圭殿はすっかり宴仕様になっていた。
式典を行う広々とした広間に長卓が据えられ、来賓がズラリと並んでいる。忙しそうに立ち働く宦官たちも数が多い。
食事のための場は式典と違って煌々と明るい。そのせいで玉座の横にいると人の目が気になった。礼儀作法通りにしているはずだが、慣れないことに緊張するのは仕方がない。玉座の雨了が私に目線を向け、大丈夫というように小さく頷く。特に問題なさそうでホッとした。
私と雨了が来賓への挨拶を済ませると、来賓の前に続々と料理や酒が並べられた。山海の珍味を集めた豪華な料理だ。見た目だけでは私にはどれがなんの料理なのかさっぱりである。分かるのはせいぜい豚の丸焼きのような、大元の形が残っているものくらいで、味の想像もつかないものばかりだった。
銅鑼が鳴り、楽師たちが賑やかな曲を奏でる。
雨了が酒杯を掲げ、離れの宴が始まった。
私は雨了の隣に座り、来賓たちが酒を飲み、食事に手をつけるのをぼんやり眺めていた。昼食を食べてから随分経ったが、豪華な料理の匂いを嗅いでも、あまり空腹を感じない。
人のざわめき、皿や箸が立てる音に耳を傾ける。
来賓たちもこれで参賀が終わり、ようやく帰途につくことが出来るからか、肩の荷が降りたような安堵や喜びが透けて見えた。
「莉珠」
どれくらい経っただろうか。小声で雨了に呼ばれて、顔を上げる。
「そろそろあちらの御簾の後ろに下がって構わぬが、どうする?」
玉座から少し離れた場所に、妃嬪のための食事の席が用意されていた。妃嬪や公主など高貴な女性は来賓に直接見えないように食事を取る決まりだそうだ。私にとっても慣れない宴料理を人前で食べないで済むのは助かる。
「あそこには青妃がいる。彼女と食事を共にするといい」
「うん、じゃあそろそろ下がろうかな」
私はしずしずと御簾の後ろに下がった。
「朱貴妃」
御簾の後ろで青妃が私を手招きしているので、彼女の横に腰を下ろした。
「お疲れ様。ここなら鳳冠を外しても平気よ」
その言葉に、待機してくれていた金苑に重い鳳冠を外してもらう。
「はあ……疲れた」
そう長い時間ではなかったが、すっかり首が凝ってしまっていた。首を摩りながら青妃に挨拶をする。
「青妃もいらしていたのですね。お会いできて嬉しいです」
「ええ、わたくしは公主の立場でもあるから、離れの宴にも出る必要があったの」
「今日の体調はいかがですか?」
「特に問題ないわ。わたくしは暑いよりは寒い時期の方が体調がいいから。まあ、寒いのも嫌いなのだけれどね」
お茶目な仕草で片目を閉じた青妃の姿につい微笑む。
「ここに青妃がいてくれて安心しました」
「よかった。雨了からも朱貴妃と一緒にいるように頼まれたの。一人だと不安だものね。宴料理の食べ方も教えてあげるわ。どれが食べたい?」
「ありがとうございます」
青妃は愛らしい顔でニコッと微笑む。
私は青妃から、豪華な料理の説明を受け、食べ方を教わった。こういうのは一朝一夕の知識だけでは身につかない。いずれは一人で出来るようにしなければならないが、今回は青妃がいてくれて助かった。
食欲はないが、食べやすそうなもので軽くお腹を満たし、私は御簾の隙間から雨了の姿を探す。来賓から挨拶をされたり酒を勧められたりと忙しそうだ。ろくに食べる暇もなさそうに見える。
「雨了は大変そう……」
「皇帝は忙しいものね。年明けすぐの今の時期が一番忙しいんじゃないかしら。これが終われば雪解けの時期まで少し楽になるはずよ」
「そうらしいですね。雨了から聞いています」
「その時期を後宮では雪蜜月とも呼ぶの。意味は分かるかしら?」
そう尋ねられて、私は首を横に振る。
「字のままなのよ。雪が降る寒い時期の蜜月、つまり世継ぎをもうけるため、陛下が後宮に籠る時期ってこと。ふふ、よかったわね。しばらく雨了と一緒にいられるわよ。来年の離れの宴では世継ぎを抱いているかもしれないわね」
そんなことを言われて私は真っ赤になった。
「そ、それは……その……」
恥ずかしさに顔を上げられない。
世継ぎは必要なものだし、皇帝の政務は普段忙しい分、そういう時期があるのも理解は出来るのだが。
「うう……」
顔が熱く、思わず頬を押さえた。
「ふふ、朱貴妃は可愛らしいこと」
ご満悦な顔の青妃を真っ赤な顔で睨むことしか出来ない。
「おそれながら、我が主人をあまりいじめないでくださいませ」
さすがに見かねた金苑がそう言ってくれた。
「いじめてないわ。教えてあげただけだもの。わたくしが教えなければ、朱貴妃は知らないことばかりの中で放っておかれて可哀想じゃないの」
青妃は唇を尖らせた。
「そ、それについては、いつも感謝していますけど……」
確かに青妃は少し我儘なところがあり、私のことを振り回すことも多々あるけれど、公主として、または長く後宮にいる妃嬪の先輩として、たくさんのことを教えてくれる人でもあるのだ。
雨了の幼い頃にも似ているため、なんとなく義理の姉のようにも感じていた。
「これからも有用なことを教えてあげるから、朱貴妃もあまり怒らないでちょうだい。そうだわ、来賓の顔は覚えたかしら?」
「いえ、恥ずかしながら全員は無理で……」
私は首を横に振る。来賓もとにかく多い。一応、出席者名簿は渡されているのだが、名前ではなく役職名で呼ばれたり、先代や先々代の頃からの呼び名がある人もいたりするものだから、頭がこんがらがってしまう。すっかり誰が誰やら、という状態だ。
「少なくとも従属国の長は覚えておいた方がいいわ。特徴で見分けやすいから教えてあげる。ほら、あそこに馬理の長、黄屯がいるわ」
青妃が指差す先に、宴席に似つかわしくない暗い顔をしている男がいる。
彼が黄夕燕の兄、黄屯か。茶色の髪が緩やかに波打っていて、一つに後ろで結んでいる。黄夕燕とも、どことなく似ているように見えた。
年が明け、貴妃になってから数日後、私は翔天門の上にいた。
この翔天門での一般参賀が、私が貴妃として民衆の前に出る初めての仕事である。
翔天門というのは宮城の第一城城門で、上が楼閣になっている。
私がいるのはその楼閣の露台。高さがあるせいで御簾の隙間から下の広場を覗くと、人の姿は豆粒より小さく見える。
「わぁ、すごい。たくさん人がいるわ」
王都は降り続く雪で白く覆われている。今も雪がちらつき、一般参賀に訪れた人々の晴れ着が白雪に映えて鮮やかだ。人の流れが、まるで色とりどりに織った布を川に流しているかのように見えた。
口を開くと息が白く染まる。びゅう、と風が吹き込むたび、頬がびりびり痺れるほど冷え込んでいた。しかしそんな寒さの中でも一般参賀に訪れる人の流れが途切れることはない。若き皇帝陛下の人気はそれだけ高いということだ。実際にこの目で確認し、私まで嬉しくなる。
「雨了って人気があるのねえ」
「今年は去年よりも一般参賀の人数がずっと多いぞ。俺が即位した時以来の人の多さだ」
「へえ、なんで今年は多いのかしら」
首を傾げた私に、雨了はクスッと笑う。
「それはもちろん、そなたがいるからだ。龍の愛妃というだけでなく、貴妃の位についたばかりなのだぞ。特別にめでたいことだし、噂の朱貴妃を一目見たいと思うのは当然だろう」
「えっ」
私が驚いていると、雨了のそばに控えていた凛勢や秋維成も話に乗ってくる。
「ええ、その通りです。朱貴妃は龍の守護神、女神の化身と、外つ国にまで噂が流れておりますから」
「そりゃあもう、すごい人気なんですよ。王都の店ではあちらこちらで朱貴妃御用達と冠した香や宝飾品、布に菓子まで盛んに売られていましたからね。ま、どれも無許可なやつですが」
「な、なによ、それ! 聞いてない!」
混乱する私に、凛勢はあっさりと言った。
「心配なさらずとも、朱貴妃の印象を悪くしそうな商品を扱った店は潰します。それ以外は目溢しをしますが、朱貴妃が立たれたことで景気が上がり税収も増え、いいことばかりです」
「そういうことじゃなく!」
問題ありまくりだ。聞いている私の方が恥ずかしい。こんなにも寒いというのに、頬がカーッと熱くなってしまう。
「に、人気はありがたいけど……せっかく来てもらったのに私は御簾越しだし、ちょっと申し訳ないわね」
私の前には御簾があり、民衆からは姿が直接は見えないようになっているのだ。
「御簾は慣例ですので、どうかご辛抱を」
「嫌ってわけじゃないんだけどね」
じろじろ見られるのはどうにも慣れない。それに、この寒い中、御簾は多少の風除けになる。ないよりマシという程度だが。
「高貴な立場にある者──特に女性はあまり顔を出してはならないものです。有事の際には顔を知られていない方が安全という、治安上の理由もございます」
顔を知られていない方が、いざという時にも民衆に紛れて逃げやすくなるとのことだ。まあ、そういう事情があるのであれば仕方ない。
「そういうの、ないに越したことはないんでしょうけどね」
十年前、雨了の父である当時の皇帝が亡くなった後、跡目争いで青妃の両親が雨了を亡き者にしようとし、後宮でもたくさんの死者が出た事件があった。いつ何が起こるかは誰にも分からないし、常日頃から用心しておく必要があるのだろう。
「それだけではない。そなたをあまり視線に晒したくはないと思ってしまう。これは嫉妬深い龍の血のせいだろうな。今日のそなたは、いつにも増して愛らしいからな」
雨了は輝くような正装姿で微笑む。雨了こそ、眩しいくらいの美貌と威風堂々たる姿で、女性からかなりの人気がある様子だが、本人はそのあたりをまったく意識していない。
「……それを雨了が言う?」
「ん、何か言ったか?」
雨了が手を振り、巻き起こった喝采で私の呟きはかき消されてしまった。
「ううん、なんでもない」
私なんて、これだけ着飾り、かつ蔡美宣の化粧技術で普段よりはマシに見えるとはいえ、雨了と並べる美貌ではない。がっかりされるくらいなら、御簾越しでちょうどいいのかもしれない、なんて少し卑屈なことを思ってしまう。
雨了の目には、そんなことをうだうだ考える私が退屈しているように映ったようだ。
「まあ、ずっと座っているのも退屈だろう。顔はともかく、手くらいなら見えても問題ないのではないか。手だけ出して民衆に振ってみたらどうだ?」
「うん、そうしようかな」
御簾の端から手を出してひらひらと振ってみせる。すると、それまでより激しい歓声が沸き起こり、あまりの音に私は思わず仰け反った。
「ひゃっ」
「莉珠、すごい人気だな」
「び、びっくりしたぁ」
驚くほどの大歓声に圧倒されてしまう。
「ずっと手を振るのは大変だろう。たまにやるくらいでいい」
「そ、そうする……」
人気があるというのは本当のようだ。
でも、私はまだ貴妃になったばかり。政治に参加するわけでもないし、民衆の役には立っていない。皇帝として寝る間も惜しんで政務を行っている雨了とは違う。
「私は何もしていないのに、いい目だけ見せてもらってるみたい。なんだか気が引けちゃう」
「なに、そなたはいるだけでいいのだ」
「いるだけって、飾りじゃないんだから……」
そう呟いた声は、またも歓声にかき消されてしまった。
川のような列は途切れることがない。夕方になり、終了の合図である太鼓の音がドォンドォンと響いた。ようやく一般参賀が終わる刻限だ。
宦官たちが片付けを始めている。
「雨了、お疲れ様」
御簾に背を向け、雨了にそう声をかけた次の瞬間、背筋がザワッとした。
「莉珠、どうかしたか?」
「あ……ううん。なんでもない」
なんとなく嫌な気配を感じた気がしたのだが、御簾の隙間から広場を見下ろしても特に変わったことはない。一般参賀の人々が衛士に促され、ゾロゾロと帰っていくのが見えるだけだ。ほんの一瞬だけのことだし、気のせいだろう。
「だが、少し顔色が悪くないか。寒くないように気を配ったつもりだが、体が冷えたか?」
「これくらいなら平気よ」
参賀中は火鉢を近くに置いてもらい、肩からふかふかの毛皮までかけていた。たびたび休憩をさせてもらい、温かい飲み物も飲んでいたし、そこまで体が冷えているとは思わない。
「でも、もしかすると連日の疲れが出たのかもね」
秋からずっと貴妃になるための準備をしていた。ここしばらくは、休む間もなく忙しかったのだ。
しかも新年になって貴妃の位を得てからは、宴にも列席する必要があった。外つ国からの来賓や州長、さらには将軍やら武功を立てた武官やらを招いた宴が毎夜行われるのである。慣れないことばかりで、精神的にも疲労していた。
そう言うと、雨了は頷く。
「そうだろうな。だが、忙しいのはもうすぐ終わる。あと少しでゆっくり休めると思えば、なんとかやり過ごせるだろう?」
「雨了も休めるの?」
「ああ。俺も久しぶりにまとまった休みが取れる。数日後に離れの宴を行い、来賓の出立の無事を祈って、新年の行事は終わりとなる。凛勢からも離れの宴については聞いているだろう? 新年の参賀のために外つ国からやってきた来賓たちを盛大にもてなし、帰途の無事を祈って見送るのだ」
私は頷く。
「それから数日間は俺も完全に休めるし、政務が再び忙しくなるのは、雪解けの後、春になってからだ。遊び呆けるとまではいかないが、一年で一番ゆったりしている時期が訪れる」
「そうなんだ。雨了と一緒にゆっくり過ごせるなら嬉しい」
「ああ。それを楽しみにもうひと頑張りだ」
雨了は微笑んで私の頬を撫でた。
「う、うん」
雨了に撫でられた頬から温かさが体中に巡っていく。
「お、顔色が少しよくなったか」
「そうね。雨了が触ってくれたからかも」
そう言えば、雨了の耳のあたりが赤く染まる。
「そんな可愛いことを言われると我慢が出来なくなるだろう。人前でも気にせずに、そなたを抱きしめたくなってしまうではないか」
雨了は唇を尖らせ、私の頬をつんつんと突く。
「そ、それはもう少し我慢!」
小声でそう言う。周囲には宮女だけでなく凛勢に秋維成、他に宦官や衛士が近くにいるのだ。
恥ずかしくなって、私は雨了の手を掴み、ぎゅうぎゅうと握る。雨了は龍の血を引くため、暑いより寒い方が得意なのだと聞いている。そのせいか、手の温もりも私には熱いくらいだ。
「そうだな。そなたも、体調に無理しない程度にな」
「うん」
私は雨了の熱が伝わり、すっかり熱くなった顔で頷いた。
それから数日が経過した。
ようやく今晩が離れの宴である。遅くからの開始になるため、日中はのんびりと過ごしていた。
後宮は雪で白く覆われ、静謐な雰囲気が漂っている。
ひどく静かに感じるのは、雪のせいが半分。もう半分は正月だからだ。
後宮で働く人は、所属部署にもよるが四年に一度、宿下がりの許可をもらえる。半月から一月ほどの休暇になるのだそうだ。そのせいで後宮の賑やかさはいつもより控えめだった。
薫春殿の宮女たちは新人が多いこともあって、宿下がりしている宮女はいない。それでも正月というのは常とは違う静けさに満ちている気がしていた。いつもは騒々しい蔡美宣でさえもどこか物静かで、穏やかな時間が流れている。
「あら、雪が止んだわ」
ふと窓の外に目を向けると、ひっきりなしに降っていた雪がいつのまにか止んでいた。
「まあ、本当ですね」
恩永玉も窓に近寄り、外を見ている。窓際は寒く、恩永玉の吐息が白く染まる。汪蘭も窓のそばにいたが、幽霊宮女の彼女は体温がなく、吐息が白くならない。いや、呼吸もしていないのかもしれない。それを見ながら冬の屋外なら私の目でも幽霊の見分けがつきそうだ、なんて考えてしまった。
「このまましばらく止むといいですね」
「そうね。今夜は離れの宴だものね」
今夜の離れの宴は夜通し行われ、他国からの来賓たちは宴が終わった早朝にそのまま帰国するのだそうだ。朝まで雪が止んでいれば、帰国の途も多少は楽になるだろう。
ようやく今日で忙しいのは終わるはず。しかし、私はこのところの疲労感が一気に来たかのようで、食欲が全然湧かなくなっていた。
宴続きで、食べ慣れないご馳走に胃が驚いてしまったのか、ムカムカがなかなか抜けないのだ。
昼食もあまり食べる気にならず、少し食べては箸で突いているうちに冷めてしまった。残すのはもったいないし、自分としても食べ物を無駄にしてしまうのは気が咎めるが、どうしても完食出来そうにない。
「ごめんなさい、もう食べられないから下げてもらえるかしら」
恩永玉が心配そうに眉を寄せた。
「食欲が落ちていますね。体調が優れませんか?」
「そうね、宴で変わったものばかり食べていたからかしら。ちょっと胃の調子がよくないのよね」
ムカムカする胃のあたりを摩る。
「このところずっとではありませんか。一度、侍医に診てもらった方がよろしいのでは。最近冷えますし、風邪かもしれません」
汪蘭もそう言うが、私は首を横に振った。
「別にそこまでのことじゃないわ。風邪っぽくもないし」
「そうですか? では、額を失礼いたします」
恩永玉は私の額に触れる。
「確かにお熱はありませんね」
「でしょう? 疲れているだけだってば」
「そうですねぇ。貴妃になるための式典に加えて新年の祝いの準備もありましたし、朱貴妃は秋からずっとお忙しくされていましたものね」
「年が明けても参賀だ宴だとゆっくり休めることはないんだもの、もう疲労感は仕方がないわ」
それに、昨年末に悲しいことが起きたせいもある。黄嬪として馬理からやってきた黄夕燕との悲しい別れがあったのだ。私だけでなく、黄嬪の宮女だった潘恵と親しくしていた恩永玉も、丸みを帯びていた頬が少し痩せてしまっていた。
「恩永玉だって食欲が失せているんでしょう?」
「それはそうですけど……」
けれど、きちんと最期のお別れもしたし、日が経つにつれて黄夕燕を失った心の傷も、少しずつ癒えてきているのを感じていた。
「まあ、なんにせよ、忙しいのは今晩の離れの宴までだもの。明日以降、ゆっくり休めばすぐ元気になるわよ」
「ですが、離れの宴は一晩中続くと伺っております。今のうちにしっかり食べておかないと体がもたないのではありませんか? どうか、あと少しだけでも召し上がってください!」
目をうるうるとさせた恩永玉にそう懇願されては断りにくい。汪蘭も心配そうだ。仕方なく小ぶりの柑橘を手に取った。
「うーん、じゃあ、これくらいなら」
「はい! お剥きしますね!」
恩永玉はニッコリ笑う。
「いいことです。果物は滋養がありますから」
汪蘭も微笑んだ。
恩永玉に剥いてもらった柑橘を食べる。香りがスッキリしていて甘酸っぱい。胃がムカムカしていても食べやすかった。柑橘には疲労回復の効果があると、かつて祖父も言っていたのを思い出す。
「お腹いっぱいって思ってたけど、これくらいなら食べられちゃうわね。美味しかったわ、ありがとう」
「ええ、よかったです」
恩永玉も私が柑橘を食べたので、ホッとした様子で片付けている。
「朱貴妃、お食事はお済みですね。そろそろ準備を始めてもよろしいですか?」
「うん、お願い」
食事を済ませたことを確認した金苑にそう言われ、私は頷いた。
まだ半月程度では朱貴妃と呼ばれるのに慣れない。そして貴妃としての正装もなかなか慣れるものではなかった。煌びやかな衣装も鳳冠も、それはもうずっしりと重いのだ。着ているだけで体力を使うので、しっかり食べるように言ってくれる宮女たちの気持ちも分かる。
着替えや化粧を終えると、まだ鳳冠を被る前だというのにすっかり疲れてしまった。
「ふう、重いわね……」
「もう少しの辛抱ですよ。明日からはゆっくり過ごせますから」
金苑にも励まされ、私は頷いた。
龍圭殿はすっかり宴仕様になっていた。
式典を行う広々とした広間に長卓が据えられ、来賓がズラリと並んでいる。忙しそうに立ち働く宦官たちも数が多い。
食事のための場は式典と違って煌々と明るい。そのせいで玉座の横にいると人の目が気になった。礼儀作法通りにしているはずだが、慣れないことに緊張するのは仕方がない。玉座の雨了が私に目線を向け、大丈夫というように小さく頷く。特に問題なさそうでホッとした。
私と雨了が来賓への挨拶を済ませると、来賓の前に続々と料理や酒が並べられた。山海の珍味を集めた豪華な料理だ。見た目だけでは私にはどれがなんの料理なのかさっぱりである。分かるのはせいぜい豚の丸焼きのような、大元の形が残っているものくらいで、味の想像もつかないものばかりだった。
銅鑼が鳴り、楽師たちが賑やかな曲を奏でる。
雨了が酒杯を掲げ、離れの宴が始まった。
私は雨了の隣に座り、来賓たちが酒を飲み、食事に手をつけるのをぼんやり眺めていた。昼食を食べてから随分経ったが、豪華な料理の匂いを嗅いでも、あまり空腹を感じない。
人のざわめき、皿や箸が立てる音に耳を傾ける。
来賓たちもこれで参賀が終わり、ようやく帰途につくことが出来るからか、肩の荷が降りたような安堵や喜びが透けて見えた。
「莉珠」
どれくらい経っただろうか。小声で雨了に呼ばれて、顔を上げる。
「そろそろあちらの御簾の後ろに下がって構わぬが、どうする?」
玉座から少し離れた場所に、妃嬪のための食事の席が用意されていた。妃嬪や公主など高貴な女性は来賓に直接見えないように食事を取る決まりだそうだ。私にとっても慣れない宴料理を人前で食べないで済むのは助かる。
「あそこには青妃がいる。彼女と食事を共にするといい」
「うん、じゃあそろそろ下がろうかな」
私はしずしずと御簾の後ろに下がった。
「朱貴妃」
御簾の後ろで青妃が私を手招きしているので、彼女の横に腰を下ろした。
「お疲れ様。ここなら鳳冠を外しても平気よ」
その言葉に、待機してくれていた金苑に重い鳳冠を外してもらう。
「はあ……疲れた」
そう長い時間ではなかったが、すっかり首が凝ってしまっていた。首を摩りながら青妃に挨拶をする。
「青妃もいらしていたのですね。お会いできて嬉しいです」
「ええ、わたくしは公主の立場でもあるから、離れの宴にも出る必要があったの」
「今日の体調はいかがですか?」
「特に問題ないわ。わたくしは暑いよりは寒い時期の方が体調がいいから。まあ、寒いのも嫌いなのだけれどね」
お茶目な仕草で片目を閉じた青妃の姿につい微笑む。
「ここに青妃がいてくれて安心しました」
「よかった。雨了からも朱貴妃と一緒にいるように頼まれたの。一人だと不安だものね。宴料理の食べ方も教えてあげるわ。どれが食べたい?」
「ありがとうございます」
青妃は愛らしい顔でニコッと微笑む。
私は青妃から、豪華な料理の説明を受け、食べ方を教わった。こういうのは一朝一夕の知識だけでは身につかない。いずれは一人で出来るようにしなければならないが、今回は青妃がいてくれて助かった。
食欲はないが、食べやすそうなもので軽くお腹を満たし、私は御簾の隙間から雨了の姿を探す。来賓から挨拶をされたり酒を勧められたりと忙しそうだ。ろくに食べる暇もなさそうに見える。
「雨了は大変そう……」
「皇帝は忙しいものね。年明けすぐの今の時期が一番忙しいんじゃないかしら。これが終われば雪解けの時期まで少し楽になるはずよ」
「そうらしいですね。雨了から聞いています」
「その時期を後宮では雪蜜月とも呼ぶの。意味は分かるかしら?」
そう尋ねられて、私は首を横に振る。
「字のままなのよ。雪が降る寒い時期の蜜月、つまり世継ぎをもうけるため、陛下が後宮に籠る時期ってこと。ふふ、よかったわね。しばらく雨了と一緒にいられるわよ。来年の離れの宴では世継ぎを抱いているかもしれないわね」
そんなことを言われて私は真っ赤になった。
「そ、それは……その……」
恥ずかしさに顔を上げられない。
世継ぎは必要なものだし、皇帝の政務は普段忙しい分、そういう時期があるのも理解は出来るのだが。
「うう……」
顔が熱く、思わず頬を押さえた。
「ふふ、朱貴妃は可愛らしいこと」
ご満悦な顔の青妃を真っ赤な顔で睨むことしか出来ない。
「おそれながら、我が主人をあまりいじめないでくださいませ」
さすがに見かねた金苑がそう言ってくれた。
「いじめてないわ。教えてあげただけだもの。わたくしが教えなければ、朱貴妃は知らないことばかりの中で放っておかれて可哀想じゃないの」
青妃は唇を尖らせた。
「そ、それについては、いつも感謝していますけど……」
確かに青妃は少し我儘なところがあり、私のことを振り回すことも多々あるけれど、公主として、または長く後宮にいる妃嬪の先輩として、たくさんのことを教えてくれる人でもあるのだ。
雨了の幼い頃にも似ているため、なんとなく義理の姉のようにも感じていた。
「これからも有用なことを教えてあげるから、朱貴妃もあまり怒らないでちょうだい。そうだわ、来賓の顔は覚えたかしら?」
「いえ、恥ずかしながら全員は無理で……」
私は首を横に振る。来賓もとにかく多い。一応、出席者名簿は渡されているのだが、名前ではなく役職名で呼ばれたり、先代や先々代の頃からの呼び名がある人もいたりするものだから、頭がこんがらがってしまう。すっかり誰が誰やら、という状態だ。
「少なくとも従属国の長は覚えておいた方がいいわ。特徴で見分けやすいから教えてあげる。ほら、あそこに馬理の長、黄屯がいるわ」
青妃が指差す先に、宴席に似つかわしくない暗い顔をしている男がいる。
彼が黄夕燕の兄、黄屯か。茶色の髪が緩やかに波打っていて、一つに後ろで結んでいる。黄夕燕とも、どことなく似ているように見えた。
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