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3巻
3-3
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「もしかしたら迷子かも。声をかけてみましょう!」
私はその女の子の側に行き、声をかけた。
「こんばんは。ねえ、貴方は一人で来ているの?」
「こ、こんばんわ」
女の子は目を丸くしながらも、私に返事をしてくれた。
「違ったらごめんなさい。もし貴方が迷子だったら力になれるかなって思ったの」
「えっと、ミチはねえ、アキ兄ちゃんを探しているのよ」
「おミチちゃんっていうのね。お兄さんとはぐれちゃった?」
「ううん。神様がお祭りに行ってきていいよって言ってくれたから、探してる」
「神様が……?」
首を傾げた私に、玄湖が説明してくれた。
「小春さん、この子は人間ではないみたいだ。この神社の神使だと思う」
「神使……神様の使いということですか?」
篠崎の屋敷にたくさんいる小狐たちのような存在なのだろうか。見た目はごく普通の少女にしか見えない。
玄湖はミチの前にしゃがみ、彼女と目線を合わせた。
「はじめまして。私は尾崎玄湖という、ここの近所に住んでいる狐だよ。それで、こっちは私の花嫁さんの小春さん。おミチちゃんはこの神社の神使だね?」
「うん、そう。ミチは神使なの。ずーっと前は人間だったけどね、父ちゃんも母ちゃんもミチもみんな病気で死んじゃった。一人残ったアキ兄ちゃんだけ寂しいの、可哀想でしょ。だからね、ミチは神様のところで、いつかアキ兄ちゃんが来るのを待たせてもらっているのよ」
「そうか。……お兄さんだけ生き残ってしまったのか。小春さん、この子はお兄さんが天寿を全うするまで、この神社で神使をしながら待たせてもらっているみたいだ。お兄さんが彼方に渡る時、この子も一緒に行くんだろう」
こんな幼い子が、と少なからずショックだった。しかし、彼女は自分の死を嘆いてはいない。一人現世に残された兄の身を案じている。その健気な思いに胸がきゅうっとなった。
「じゃあ、迷子じゃなかったのね。早とちりしちゃってごめんなさい」
「ううん、いいよ。お姉ちゃんたち、もしもアキ兄ちゃんに会えたら、ミチが待ってるよって伝えてね」
「ああ、会えたなら必ず伝えよう。お兄さんの名前は分かるかい?」
玄湖は優しい声でそう請け負った。
「アキ兄ちゃんはね、アキラっていうのよ。えーっとね、ササキアキラ!」
「よーし、覚えた。私は記憶力がいいからね。ササキアキラさんに会ったら必ず伝えるよ」
ミチは安心したように笑った。
「ありがとう、狐のおじちゃん!」
「お、おじちゃん……」
玄湖はおじちゃんと呼ばれて地味にショックを受けているようだ。
「ねえねえ、お姉ちゃんの持ってるお人形、可愛いねえ!」
ミチが小さな手で指差したのは、さっき表の屋台のくじで当てた人形だった。なくさないように帯締めにくくりつけておいたのを、すっかり忘れていたのだ。
「もしよければ、おミチちゃんにあげようか?」
「いいの!?」
ミチは目をキラキラと輝かせた。その様子は神使といってもごく普通の子供と変わらない。
帯締めにくくりつけていた紐を外し、ミチに手渡した。
「こんな可愛いの、ミチ初めて!」
ミチは頬を真っ赤にし、人形をギュッと抱きしめている。
「喜んでもらえてよかった」
「えっと、お返ししなきゃ。これあげる」
ミチから代わりにお手玉を渡された。
「お返しなんて構わないのに。これは大切なものでしょう」
ミチの手のひらにちょうどいい小さなお手玉は、臙脂色の着物の端切れで作られており、ミチと白い糸で刺繍がしてある。やや擦り切れた縞模様の布地から、長い間持っていたものなのだと分かる。もしかすると、ミチの母親の手作りなのかもしれない。
「大丈夫よ。神様のところにはもっとあるから。それに神様が貰いっぱなしはダメって言うの。だから、それあげる!」
「……ありがとう。大事にするわね」
「うん! ミチもお人形大事にするね」
屈託のない笑顔につられて、私もぎこちないながらも笑みを返した。
「じゃあ、ミチはアキ兄ちゃんを探すから、またね!」
ミチは人形をしっかり抱きしめ、手を振って去っていった。
「あんな小さな子が……しかもお兄さん以外の家族が全員……だなんて」
考えただけで、胸の中が冷たい水でいっぱいになるかのようだ。
父が亡くなり、一人ぼっちになってしまった寂しさは私もよく知っていた。
一人残された彼女の兄も、あんな気持ちを味わっているのだろうか。
「小春さん……」
玄湖が優しく背中を撫でてくれる。その手の温もりに、私は息を吐いた。
「……私にどうにか出来ることじゃないっていうのは分かっているんです。でも、悲しいなって……」
「そうだね……。もし、ササキアキラさんを見つけたら、おミチちゃんのことを教えてあげよう。たまにこの神社におミチちゃんの様子を見に来るのもいいかもね。このお手玉は私が預かっておくよ」
私は頷いた。
「小春さん、そろそろ帰ろうか。ほら、なんだか一雨来そうだよ」
見上げると、暗い夜空は黒い漆をべったり塗りつけたかのようで、月も星も見えない。しかし玄湖の言う通り、雨の匂いがした。
「本当、雨が降りそうですね」
雨の匂いを嗅ぎつけたのか、妖たちも屋台をぼちぼち片付け始めている。お祭りもそろそろおしまいのようだ。
「ほら、あそこで蛙の妖がご機嫌で歌ってる。これはそろそろ降り始めるよ」
法被を着た人間の胴体に雨蛙の頭をした妖が、楽しそうにゲコゲコと歌い、ヘンテコな踊りをしていた。それに負けじと、真っ赤なタコ頭の妖も手足をうねうねとくねらせるている。
「ふふ……」
そのユーモラスな動きに、思わず笑みが漏れる。
玄湖は金色の瞳を細めて私をじっと見つめた。
「うん、小春さんにはそうして笑っていてほしいな」
ドキンと胸が音を立て、私は玄湖の腕に抱きついた。
「……もう大丈夫です」
「うん。じゃあ、帰ろうか」
父が亡くなった時は悲しくて寂しくてたまらなかった。世界にただ一人きりで取り残されたような、そんな気がしていた。でも今は、玄湖がいる。
お重にお楽、そして南天と檜扇、牡丹に麦も。
私には帰る場所があり、大切な家族がいるのだ。
ミチの兄もそうであってほしい。そう、思ったのだった。
二章
雨が音を立てて降っていた。
屋根に雨粒が当たる音と、雨樋からひっきりなしに水が流れる音が合わさって、複雑な音色になっている。曲名をつけるなら『蛙の喜び』といったところだろうか。
お祭りの日の夜から降り始めた雨は、一週間近く降り続いていた。
雨は嫌いではないとはいえ、さすがにこれだけ続くと洗濯物は乾かないし、少々ウンザリしてしまう。喜んでいるのは蛙くらいのものだろう。
南天や檜扇も家の中では有り余った体力を発散しきれず、うっかり障子に穴を開けては、牡丹に怒られていた。
私も雨では掃除が捗らず、すっかり暇を持て余して怠惰な日々を送っている。
玄湖はといえば、篠崎に頼まれて、この雨の中、出かけてばかりだった。
このあたりの雨はさほどでもないが、山の方では大雨だそうで、あちこちで崖崩れが起きているらしい。それで難儀している親族の狐の手助けをしに行ったのだ。少し心配だが、玄湖なら大丈夫だろう。
梅雨なので、湿度だけでなく気温も高い。何もしていなくてもじっとりと汗ばんでくるような日々に、誰も彼も憂鬱そうにしている。麦までもが、きゅふいーっと大きなため息を吐くほどだ。この間のお祭りで買った団扇がなければ、もっとしんどかっただろう。
「早く雨がやむといいけど……」
そう独りごちたところで、出かけていた玄湖が戻ってきた。
「おかえりなさい」
「ただいま、小春さん。手伝いのお礼に西瓜を貰ったよ」
玄湖は、まん丸で縞模様がくっきりした西瓜を抱えている。
「わあ、大きな西瓜! 初物ですね」
一抱えはありそうな、立派な西瓜だ。人数の多い尾崎家のみんなで分け合っても、十分な量があるだろう。
「井戸で冷やしておきますね」
「それがね、まだまだたっくさんあるんだよ。厨に入りきらないって、お重に小言を言われてしまったくらいさ。これからしばらくは西瓜が続くと思うよ。西瓜は美味しいからいいんだけどね」
ふう、と息を吐く玄湖はいつになく疲れている様子だ。優しげな目の下に、いつもはない隈を見つけた。
「玄湖さん、だいぶお疲れみたいですね。少し休んだ方が……」
「いや、もう一回出かけなきゃならないんだよ」
「またですか?」
山の方の崖崩れはそんなにひどかったのだろうか。
玄湖は私の心を読んだかのように言った。
「大丈夫、崖崩れの避難を手伝うのは終わったんだ。ただ、その近辺でちょっと不審な人間の目撃情報があったものだから、一応見回っておこうってことになったのさ」
「それってもしかして、この間のお祭りで司波さんが言ってた……」
妖の天敵という人間のことだろうか。大怪我をした妖もいると言っていたし、玄湖には危ない目に遭ってほしくない。
しかし玄湖はへらっといつもの笑顔を浮かべた。
「平気だよ。その可能性があるってだけさ。もし見つけても、いきなり喧嘩を売ったりしないし、あくまで見回りだけ。二、三時間で戻ってくるからね」
俯いた私の頭を玄湖が安心させるように撫でた。
「そうだ、帰ってきたら小春さんが作ってくれたものが食べたいな。そうしたらきっと元気が出るからさ」
玄湖は私の髪を一房掬い取り、軽く口付けた。
その仕草に自然と頬が熱くなる。
「わ、分かりました。そうだわ、せっかくだし、西瓜を使ったデザートを用意しておきますね!」
「わあ、楽しみだ! さっそく元気になってきたよ!」
玄湖はおどけながら拳を突き上げている。
疲れているのに、私を元気づけようとしているのだ。それが分かり、胸の中が温かくなったのだった。
さて、玄湖が戻ってくるまでにデザートを作ろう。
「南天、檜扇、それから牡丹も、もしよかったらお手伝いしてくれないかしら」
「お手伝い?」
「何するの?」
外で遊べず、畳の上に転がっていた南天と檜扇がガバッと起き上がり、子犬のように瞳を輝かせて駆け寄ってくる。
「お手伝いか……牡丹にも出来るじゃろうか」
「もちろんよ。あのね、白玉フルーツポンチを作ろうと思うの」
せっかくなのでみんなで白玉作りをしようと思いついた。外で遊べない子供たちも、少しは気分転換になるだろう。
「ふるーつぽんち?」
聞き慣れない言葉に、牡丹が大きな目をぱちぱちさせている。
「ふふ、作りながら説明するわ」
私はお重に頼んで用意してもらった白玉粉と水を食卓に置いた。
「みんな、白玉は食べたことがあるでしょう? あれは、この白玉粉から作るのよ」
お重が何度か白玉を作ってくれたことがあった。甘さ控えめの茹で小豆をたっぷり載せて食べるのが尾崎家流の白玉である。それも美味しいが、今回は特別製だ。
「この白い粉で白玉が出来るの?」
「粉なのにもちもちになるの?」
「ほう、不思議じゃのう」
三人は揃って首を傾げた。とても可愛らしい。見ているだけでニコニコしてしまう。
「この白玉粉に同じ分量のお水を加えて、こねていくのよ」
今まで作り方を考えたことはなかったのだろう。実践してみせると目を輝かせて食いついている。
最初は少なめに水を入れて、ちょっとずつ足しながら、ちょうどよくまとまるようにこねていく。
「まだパサパサだよ」
「ポロポロしてるよ」
「ふむ、粘土みたいじゃ」
「牡丹の言う通り、粘土みたいよね。耳たぶより少し硬いくらい……って、本物の耳たぶがあるのは私だけだったわ」
南天と檜扇は人形なので耳はリアルだが触り心地は本物とは少し違う。そして牡丹は狐の耳である。
「私の耳でよければ触ってみて、それから生地に触って、硬さを確かめてみて」
彼らは興味深そうに手を伸ばして私の耳たぶに触れる。クスクスと笑い声が漏れた。
「小春の耳、柔らかい!」
「小春の耳、全然違う!」
生地にも触れて、硬さや感触を楽しんでいる。
「こんなものかしら。これを細く伸ばして……」
棒状に伸ばし、一口くらいの大きさに千切っていく。
「さあ、これからみんなに手伝ってもらうわよ。これを両手でコロコロ丸めていくの。そうしたら少しだけ押して、真ん中をへこませてね」
「わ、白玉っぽくなった!」
「でも、まだ粘土みたい!」
「なんだかペタペタするのじゃ」
「大丈夫。これを茹でたらいつもの白玉になるわよ。たくさん作るから、協力して頑張りましょう!」
はーい、と三人は声を揃えた。
いつの間にか側に寄ってきた麦もきゅうきゅうと手伝いたそうに鳴いていたが、さすがに麦の肉球では白玉を丸めることは出来ない。
「麦は味見係にしてあげるから、もう少し待っていてくれる?」
「きゅうーん!」
麦は味見係と聞き、「喜んで」とでも言うように、高らかに鳴き声を上げたのだった。
私はせっせと白玉粉をこね、それを南天たちがコロコロ丸めていく。みるみるうちに山のような白玉が出来上がった。みんなたくさん食べるから、いくらあってもいいだろう。
「さあ、次は茹でていくわよ」
厨に行き、大鍋に沸かした湯に白玉を沈めていく。
くっつかないようにかき混ぜながら、麦に茹でたての白玉を味見してもらう。大丈夫そうなら完成だ。
「麦、どう? 硬くないかしら」
「きゅん!」
麦は大丈夫と言うように、その場でくるっと回った。
「うん、大丈夫そうね」
「出来た?」
「完成?」
「ええ。それじゃざるに上げるわよ。お湯がはねて火傷しないように、そうっとね」
ざるに上げ、冷ましたものをみんなでいただく。麦は二回目の味見である。
「うん、もちもちして美味しくできたわね」
「これどうするの? 黒蜜ときな粉?」
「これどうするの? 茹で小豆は?」
「それもいいけど、今日はひんやりで美味しい特別なデザートにしましょう」
白玉はそのまま置いて冷ましておく。
その間に用意したのは、玄湖が貰ってきた西瓜である。井戸で冷やしていたので、触れるとひんやりしていた。
西瓜は器にするので、大ぶりの西瓜の上三分の一をジグザグに切っていく。ちなみに切ってくれたのはお重だ。
お重が研いだ包丁はスパスパとよく切れるので、私にも出来そうだが、万が一にも私に怪我をさせたくないからと、包丁を取り上げられてしまったのだ。
「小春奥様、こんな感じですかね?」
「ばっちりよ! さすがお重ね」
「これくらい、いつでも任せてくださいよ! 小春奥様のお料理は珍しい味で、あたしも楽しみにしてるんですから」
「ありがとう。出来上がったらみんなで食べましょうね」
お重に切ってもらった西瓜の果肉をスプーンでくり抜いていく。ちょっとコツがいるが、これは南天と檜扇がやりたがり、スイスイとくり抜いていった。
「これ、楽しい!」
二人は声を揃えて言った。
麦には、ここでも味見係として、くり抜いた西瓜を一つ食べてもらった。
西瓜のくり抜きは南天たちに任せ、私と牡丹は篠崎の隠れ里からお裾分けしてもらった桃を切っていく。ついでに、尾崎家の庭にある桑の木の熟して黒くなっていた実を一緒に入れることにした。
中身をくり抜いた西瓜の器が出来上がり、一口サイズに切った果物と白玉を入れていく。砂糖と水でシロップを作り、西瓜の汁と合わせて器に注いだら完成だ。
「きれーい!」
「美味しそーう!」
「わあ、キラキラなのじゃ!」
緑色の西瓜の器の中に、真っ赤な西瓜の果肉や白玉や桃、黒い桑の実がツヤツヤと映えて、まるで宝石箱のように綺麗だ。
「西瓜が赤くて、南天みたい!」
「桑の実黒くて、檜扇みたい!」
「ではでは、牡丹は桃で、麦は色が違うが、ぷにぷにだから、白玉じゃな!」
「わ、本当ね。みんなみたいな素敵な白玉フルーツポンチが出来たわ」
このフルーツポンチは、私が幼い頃に、母が婦人雑誌で見たレシピを参考に作ってくれたものだった。あの時は頂き物の西瓜に白玉を入れただけだったが、暑さで食欲がなくなっている時に、甘くさっぱりしているフルーツポンチは喉を通りやすく、その頃既に病気がちだった母も食が進んでいたのを覚えている。
「ただいまぁ……」
玄関の方から玄湖の声が聞こえてきた。一仕事終えて戻ってきたようだ。
「ちょうどよかった。玄湖さんが帰ってきたから、みんなでおやつにしましょう! 白玉はたくさんあるから、おかわりも出来るわよ」
やったー、とみんながぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだ。
玄関で出迎えた玄湖を、居間に引っ張ってくる。
「玄湖さん、おかえりなさい。みんなで作ったんですよ」
「わあ、これは綺麗だねえ! こんなの、銀座のパーラーじゃないと食べられないと思っていたよ!」
完成したフルーツポンチをお披露目すると、疲れた顔をしていた玄湖は、途端に目を輝かせて私に飛びついた。
「きゃっ」
「ごめんごめん、あんまりにも嬉しくて。ああー、疲れた体に小春さんが沁みるなぁ」
そう言って、ぐりぐり頬を擦り付けてくる。こんな風に甘えてくるということは、相当疲れたのだろう。このところの仕事ぶりは、私が尾崎家にやってきたばかりの頃とは比べものにならないのだ。
「もう、玄湖さんったら。さあ、召し上がれ」
クスッと笑いながら西瓜の器のフルーツポンチを硝子の器に取り分け、玄湖に手渡した。
「いただきまーす」
パクッと西瓜を口にした玄湖が目尻を下げた。
「ああ、甘いし、よく冷えていて美味しいねえ。喉にスルッと入っていくよ」
「湿気もあるし、外は暑かったでしょう。冷たい果物は喉を通りやすいから」
「うん、ありがとう」
玄湖は目尻を下げて笑ってくれた。
「さあ、みんなも食べましょう」
みんなは思い思いに器に盛り、ひんやり冷えたフルーツポンチを食べ始めた。その様子を私はじっくり見る。
麦はきゅうきゅうと鳴きながら硝子の器に顔を突っ込み、西瓜の汁で鼻面を真っ赤にしていた。
南天と檜扇は白玉を口いっぱいに詰め込んで両頬をリスのように膨らませ、牡丹は果物の味を一つずつゆっくり堪能している。食べ方にもそれぞれ個性があるようだ。いずれにせよ、みんなの喜びようを見ているだけで胸がいっぱいになってくる。
お重とお楽も味には満足してくれたようだ。
「いつもの白玉も好きですが……これは暑い最中にいいですね……」
「本当だね! 暑い時期に食が細くなっても、これならいくらでも食べられそうじゃないか!」
「おやまあ、お重はどれだけ暑くても食が細くなったことなどないというのに、おかしなことが聞こえたような……」
「なんだってぇ!」
「はいはい、お重とお楽は喧嘩しないの!」
お重とお楽のいつもの小競り合いを止めながら、私もフルーツポンチを口に運ぶ。
桃や桑の実が入っていて、西瓜と白玉だけだった母の味とは少し違うが、優しい甘さで、負けず劣らず美味しいフルーツポンチだった。
きっとみんなで一緒に食べているからかもしれない。
玄湖も白玉フルーツポンチで元気を取り戻した様子だ。
「そういえば、一通り見回りをしてきたけど怪しい人は特にいなかったよ。これで私もやっと休めそうだ」
「よかった!」
外はまだ雨が降っているが、家族との穏やかな時間が過ぎていく。
いつまでもこんな日が続けばいいのに。そう思ってしまうような優しいひと時だった。
私はその女の子の側に行き、声をかけた。
「こんばんは。ねえ、貴方は一人で来ているの?」
「こ、こんばんわ」
女の子は目を丸くしながらも、私に返事をしてくれた。
「違ったらごめんなさい。もし貴方が迷子だったら力になれるかなって思ったの」
「えっと、ミチはねえ、アキ兄ちゃんを探しているのよ」
「おミチちゃんっていうのね。お兄さんとはぐれちゃった?」
「ううん。神様がお祭りに行ってきていいよって言ってくれたから、探してる」
「神様が……?」
首を傾げた私に、玄湖が説明してくれた。
「小春さん、この子は人間ではないみたいだ。この神社の神使だと思う」
「神使……神様の使いということですか?」
篠崎の屋敷にたくさんいる小狐たちのような存在なのだろうか。見た目はごく普通の少女にしか見えない。
玄湖はミチの前にしゃがみ、彼女と目線を合わせた。
「はじめまして。私は尾崎玄湖という、ここの近所に住んでいる狐だよ。それで、こっちは私の花嫁さんの小春さん。おミチちゃんはこの神社の神使だね?」
「うん、そう。ミチは神使なの。ずーっと前は人間だったけどね、父ちゃんも母ちゃんもミチもみんな病気で死んじゃった。一人残ったアキ兄ちゃんだけ寂しいの、可哀想でしょ。だからね、ミチは神様のところで、いつかアキ兄ちゃんが来るのを待たせてもらっているのよ」
「そうか。……お兄さんだけ生き残ってしまったのか。小春さん、この子はお兄さんが天寿を全うするまで、この神社で神使をしながら待たせてもらっているみたいだ。お兄さんが彼方に渡る時、この子も一緒に行くんだろう」
こんな幼い子が、と少なからずショックだった。しかし、彼女は自分の死を嘆いてはいない。一人現世に残された兄の身を案じている。その健気な思いに胸がきゅうっとなった。
「じゃあ、迷子じゃなかったのね。早とちりしちゃってごめんなさい」
「ううん、いいよ。お姉ちゃんたち、もしもアキ兄ちゃんに会えたら、ミチが待ってるよって伝えてね」
「ああ、会えたなら必ず伝えよう。お兄さんの名前は分かるかい?」
玄湖は優しい声でそう請け負った。
「アキ兄ちゃんはね、アキラっていうのよ。えーっとね、ササキアキラ!」
「よーし、覚えた。私は記憶力がいいからね。ササキアキラさんに会ったら必ず伝えるよ」
ミチは安心したように笑った。
「ありがとう、狐のおじちゃん!」
「お、おじちゃん……」
玄湖はおじちゃんと呼ばれて地味にショックを受けているようだ。
「ねえねえ、お姉ちゃんの持ってるお人形、可愛いねえ!」
ミチが小さな手で指差したのは、さっき表の屋台のくじで当てた人形だった。なくさないように帯締めにくくりつけておいたのを、すっかり忘れていたのだ。
「もしよければ、おミチちゃんにあげようか?」
「いいの!?」
ミチは目をキラキラと輝かせた。その様子は神使といってもごく普通の子供と変わらない。
帯締めにくくりつけていた紐を外し、ミチに手渡した。
「こんな可愛いの、ミチ初めて!」
ミチは頬を真っ赤にし、人形をギュッと抱きしめている。
「喜んでもらえてよかった」
「えっと、お返ししなきゃ。これあげる」
ミチから代わりにお手玉を渡された。
「お返しなんて構わないのに。これは大切なものでしょう」
ミチの手のひらにちょうどいい小さなお手玉は、臙脂色の着物の端切れで作られており、ミチと白い糸で刺繍がしてある。やや擦り切れた縞模様の布地から、長い間持っていたものなのだと分かる。もしかすると、ミチの母親の手作りなのかもしれない。
「大丈夫よ。神様のところにはもっとあるから。それに神様が貰いっぱなしはダメって言うの。だから、それあげる!」
「……ありがとう。大事にするわね」
「うん! ミチもお人形大事にするね」
屈託のない笑顔につられて、私もぎこちないながらも笑みを返した。
「じゃあ、ミチはアキ兄ちゃんを探すから、またね!」
ミチは人形をしっかり抱きしめ、手を振って去っていった。
「あんな小さな子が……しかもお兄さん以外の家族が全員……だなんて」
考えただけで、胸の中が冷たい水でいっぱいになるかのようだ。
父が亡くなり、一人ぼっちになってしまった寂しさは私もよく知っていた。
一人残された彼女の兄も、あんな気持ちを味わっているのだろうか。
「小春さん……」
玄湖が優しく背中を撫でてくれる。その手の温もりに、私は息を吐いた。
「……私にどうにか出来ることじゃないっていうのは分かっているんです。でも、悲しいなって……」
「そうだね……。もし、ササキアキラさんを見つけたら、おミチちゃんのことを教えてあげよう。たまにこの神社におミチちゃんの様子を見に来るのもいいかもね。このお手玉は私が預かっておくよ」
私は頷いた。
「小春さん、そろそろ帰ろうか。ほら、なんだか一雨来そうだよ」
見上げると、暗い夜空は黒い漆をべったり塗りつけたかのようで、月も星も見えない。しかし玄湖の言う通り、雨の匂いがした。
「本当、雨が降りそうですね」
雨の匂いを嗅ぎつけたのか、妖たちも屋台をぼちぼち片付け始めている。お祭りもそろそろおしまいのようだ。
「ほら、あそこで蛙の妖がご機嫌で歌ってる。これはそろそろ降り始めるよ」
法被を着た人間の胴体に雨蛙の頭をした妖が、楽しそうにゲコゲコと歌い、ヘンテコな踊りをしていた。それに負けじと、真っ赤なタコ頭の妖も手足をうねうねとくねらせるている。
「ふふ……」
そのユーモラスな動きに、思わず笑みが漏れる。
玄湖は金色の瞳を細めて私をじっと見つめた。
「うん、小春さんにはそうして笑っていてほしいな」
ドキンと胸が音を立て、私は玄湖の腕に抱きついた。
「……もう大丈夫です」
「うん。じゃあ、帰ろうか」
父が亡くなった時は悲しくて寂しくてたまらなかった。世界にただ一人きりで取り残されたような、そんな気がしていた。でも今は、玄湖がいる。
お重にお楽、そして南天と檜扇、牡丹に麦も。
私には帰る場所があり、大切な家族がいるのだ。
ミチの兄もそうであってほしい。そう、思ったのだった。
二章
雨が音を立てて降っていた。
屋根に雨粒が当たる音と、雨樋からひっきりなしに水が流れる音が合わさって、複雑な音色になっている。曲名をつけるなら『蛙の喜び』といったところだろうか。
お祭りの日の夜から降り始めた雨は、一週間近く降り続いていた。
雨は嫌いではないとはいえ、さすがにこれだけ続くと洗濯物は乾かないし、少々ウンザリしてしまう。喜んでいるのは蛙くらいのものだろう。
南天や檜扇も家の中では有り余った体力を発散しきれず、うっかり障子に穴を開けては、牡丹に怒られていた。
私も雨では掃除が捗らず、すっかり暇を持て余して怠惰な日々を送っている。
玄湖はといえば、篠崎に頼まれて、この雨の中、出かけてばかりだった。
このあたりの雨はさほどでもないが、山の方では大雨だそうで、あちこちで崖崩れが起きているらしい。それで難儀している親族の狐の手助けをしに行ったのだ。少し心配だが、玄湖なら大丈夫だろう。
梅雨なので、湿度だけでなく気温も高い。何もしていなくてもじっとりと汗ばんでくるような日々に、誰も彼も憂鬱そうにしている。麦までもが、きゅふいーっと大きなため息を吐くほどだ。この間のお祭りで買った団扇がなければ、もっとしんどかっただろう。
「早く雨がやむといいけど……」
そう独りごちたところで、出かけていた玄湖が戻ってきた。
「おかえりなさい」
「ただいま、小春さん。手伝いのお礼に西瓜を貰ったよ」
玄湖は、まん丸で縞模様がくっきりした西瓜を抱えている。
「わあ、大きな西瓜! 初物ですね」
一抱えはありそうな、立派な西瓜だ。人数の多い尾崎家のみんなで分け合っても、十分な量があるだろう。
「井戸で冷やしておきますね」
「それがね、まだまだたっくさんあるんだよ。厨に入りきらないって、お重に小言を言われてしまったくらいさ。これからしばらくは西瓜が続くと思うよ。西瓜は美味しいからいいんだけどね」
ふう、と息を吐く玄湖はいつになく疲れている様子だ。優しげな目の下に、いつもはない隈を見つけた。
「玄湖さん、だいぶお疲れみたいですね。少し休んだ方が……」
「いや、もう一回出かけなきゃならないんだよ」
「またですか?」
山の方の崖崩れはそんなにひどかったのだろうか。
玄湖は私の心を読んだかのように言った。
「大丈夫、崖崩れの避難を手伝うのは終わったんだ。ただ、その近辺でちょっと不審な人間の目撃情報があったものだから、一応見回っておこうってことになったのさ」
「それってもしかして、この間のお祭りで司波さんが言ってた……」
妖の天敵という人間のことだろうか。大怪我をした妖もいると言っていたし、玄湖には危ない目に遭ってほしくない。
しかし玄湖はへらっといつもの笑顔を浮かべた。
「平気だよ。その可能性があるってだけさ。もし見つけても、いきなり喧嘩を売ったりしないし、あくまで見回りだけ。二、三時間で戻ってくるからね」
俯いた私の頭を玄湖が安心させるように撫でた。
「そうだ、帰ってきたら小春さんが作ってくれたものが食べたいな。そうしたらきっと元気が出るからさ」
玄湖は私の髪を一房掬い取り、軽く口付けた。
その仕草に自然と頬が熱くなる。
「わ、分かりました。そうだわ、せっかくだし、西瓜を使ったデザートを用意しておきますね!」
「わあ、楽しみだ! さっそく元気になってきたよ!」
玄湖はおどけながら拳を突き上げている。
疲れているのに、私を元気づけようとしているのだ。それが分かり、胸の中が温かくなったのだった。
さて、玄湖が戻ってくるまでにデザートを作ろう。
「南天、檜扇、それから牡丹も、もしよかったらお手伝いしてくれないかしら」
「お手伝い?」
「何するの?」
外で遊べず、畳の上に転がっていた南天と檜扇がガバッと起き上がり、子犬のように瞳を輝かせて駆け寄ってくる。
「お手伝いか……牡丹にも出来るじゃろうか」
「もちろんよ。あのね、白玉フルーツポンチを作ろうと思うの」
せっかくなのでみんなで白玉作りをしようと思いついた。外で遊べない子供たちも、少しは気分転換になるだろう。
「ふるーつぽんち?」
聞き慣れない言葉に、牡丹が大きな目をぱちぱちさせている。
「ふふ、作りながら説明するわ」
私はお重に頼んで用意してもらった白玉粉と水を食卓に置いた。
「みんな、白玉は食べたことがあるでしょう? あれは、この白玉粉から作るのよ」
お重が何度か白玉を作ってくれたことがあった。甘さ控えめの茹で小豆をたっぷり載せて食べるのが尾崎家流の白玉である。それも美味しいが、今回は特別製だ。
「この白い粉で白玉が出来るの?」
「粉なのにもちもちになるの?」
「ほう、不思議じゃのう」
三人は揃って首を傾げた。とても可愛らしい。見ているだけでニコニコしてしまう。
「この白玉粉に同じ分量のお水を加えて、こねていくのよ」
今まで作り方を考えたことはなかったのだろう。実践してみせると目を輝かせて食いついている。
最初は少なめに水を入れて、ちょっとずつ足しながら、ちょうどよくまとまるようにこねていく。
「まだパサパサだよ」
「ポロポロしてるよ」
「ふむ、粘土みたいじゃ」
「牡丹の言う通り、粘土みたいよね。耳たぶより少し硬いくらい……って、本物の耳たぶがあるのは私だけだったわ」
南天と檜扇は人形なので耳はリアルだが触り心地は本物とは少し違う。そして牡丹は狐の耳である。
「私の耳でよければ触ってみて、それから生地に触って、硬さを確かめてみて」
彼らは興味深そうに手を伸ばして私の耳たぶに触れる。クスクスと笑い声が漏れた。
「小春の耳、柔らかい!」
「小春の耳、全然違う!」
生地にも触れて、硬さや感触を楽しんでいる。
「こんなものかしら。これを細く伸ばして……」
棒状に伸ばし、一口くらいの大きさに千切っていく。
「さあ、これからみんなに手伝ってもらうわよ。これを両手でコロコロ丸めていくの。そうしたら少しだけ押して、真ん中をへこませてね」
「わ、白玉っぽくなった!」
「でも、まだ粘土みたい!」
「なんだかペタペタするのじゃ」
「大丈夫。これを茹でたらいつもの白玉になるわよ。たくさん作るから、協力して頑張りましょう!」
はーい、と三人は声を揃えた。
いつの間にか側に寄ってきた麦もきゅうきゅうと手伝いたそうに鳴いていたが、さすがに麦の肉球では白玉を丸めることは出来ない。
「麦は味見係にしてあげるから、もう少し待っていてくれる?」
「きゅうーん!」
麦は味見係と聞き、「喜んで」とでも言うように、高らかに鳴き声を上げたのだった。
私はせっせと白玉粉をこね、それを南天たちがコロコロ丸めていく。みるみるうちに山のような白玉が出来上がった。みんなたくさん食べるから、いくらあってもいいだろう。
「さあ、次は茹でていくわよ」
厨に行き、大鍋に沸かした湯に白玉を沈めていく。
くっつかないようにかき混ぜながら、麦に茹でたての白玉を味見してもらう。大丈夫そうなら完成だ。
「麦、どう? 硬くないかしら」
「きゅん!」
麦は大丈夫と言うように、その場でくるっと回った。
「うん、大丈夫そうね」
「出来た?」
「完成?」
「ええ。それじゃざるに上げるわよ。お湯がはねて火傷しないように、そうっとね」
ざるに上げ、冷ましたものをみんなでいただく。麦は二回目の味見である。
「うん、もちもちして美味しくできたわね」
「これどうするの? 黒蜜ときな粉?」
「これどうするの? 茹で小豆は?」
「それもいいけど、今日はひんやりで美味しい特別なデザートにしましょう」
白玉はそのまま置いて冷ましておく。
その間に用意したのは、玄湖が貰ってきた西瓜である。井戸で冷やしていたので、触れるとひんやりしていた。
西瓜は器にするので、大ぶりの西瓜の上三分の一をジグザグに切っていく。ちなみに切ってくれたのはお重だ。
お重が研いだ包丁はスパスパとよく切れるので、私にも出来そうだが、万が一にも私に怪我をさせたくないからと、包丁を取り上げられてしまったのだ。
「小春奥様、こんな感じですかね?」
「ばっちりよ! さすがお重ね」
「これくらい、いつでも任せてくださいよ! 小春奥様のお料理は珍しい味で、あたしも楽しみにしてるんですから」
「ありがとう。出来上がったらみんなで食べましょうね」
お重に切ってもらった西瓜の果肉をスプーンでくり抜いていく。ちょっとコツがいるが、これは南天と檜扇がやりたがり、スイスイとくり抜いていった。
「これ、楽しい!」
二人は声を揃えて言った。
麦には、ここでも味見係として、くり抜いた西瓜を一つ食べてもらった。
西瓜のくり抜きは南天たちに任せ、私と牡丹は篠崎の隠れ里からお裾分けしてもらった桃を切っていく。ついでに、尾崎家の庭にある桑の木の熟して黒くなっていた実を一緒に入れることにした。
中身をくり抜いた西瓜の器が出来上がり、一口サイズに切った果物と白玉を入れていく。砂糖と水でシロップを作り、西瓜の汁と合わせて器に注いだら完成だ。
「きれーい!」
「美味しそーう!」
「わあ、キラキラなのじゃ!」
緑色の西瓜の器の中に、真っ赤な西瓜の果肉や白玉や桃、黒い桑の実がツヤツヤと映えて、まるで宝石箱のように綺麗だ。
「西瓜が赤くて、南天みたい!」
「桑の実黒くて、檜扇みたい!」
「ではでは、牡丹は桃で、麦は色が違うが、ぷにぷにだから、白玉じゃな!」
「わ、本当ね。みんなみたいな素敵な白玉フルーツポンチが出来たわ」
このフルーツポンチは、私が幼い頃に、母が婦人雑誌で見たレシピを参考に作ってくれたものだった。あの時は頂き物の西瓜に白玉を入れただけだったが、暑さで食欲がなくなっている時に、甘くさっぱりしているフルーツポンチは喉を通りやすく、その頃既に病気がちだった母も食が進んでいたのを覚えている。
「ただいまぁ……」
玄関の方から玄湖の声が聞こえてきた。一仕事終えて戻ってきたようだ。
「ちょうどよかった。玄湖さんが帰ってきたから、みんなでおやつにしましょう! 白玉はたくさんあるから、おかわりも出来るわよ」
やったー、とみんながぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだ。
玄関で出迎えた玄湖を、居間に引っ張ってくる。
「玄湖さん、おかえりなさい。みんなで作ったんですよ」
「わあ、これは綺麗だねえ! こんなの、銀座のパーラーじゃないと食べられないと思っていたよ!」
完成したフルーツポンチをお披露目すると、疲れた顔をしていた玄湖は、途端に目を輝かせて私に飛びついた。
「きゃっ」
「ごめんごめん、あんまりにも嬉しくて。ああー、疲れた体に小春さんが沁みるなぁ」
そう言って、ぐりぐり頬を擦り付けてくる。こんな風に甘えてくるということは、相当疲れたのだろう。このところの仕事ぶりは、私が尾崎家にやってきたばかりの頃とは比べものにならないのだ。
「もう、玄湖さんったら。さあ、召し上がれ」
クスッと笑いながら西瓜の器のフルーツポンチを硝子の器に取り分け、玄湖に手渡した。
「いただきまーす」
パクッと西瓜を口にした玄湖が目尻を下げた。
「ああ、甘いし、よく冷えていて美味しいねえ。喉にスルッと入っていくよ」
「湿気もあるし、外は暑かったでしょう。冷たい果物は喉を通りやすいから」
「うん、ありがとう」
玄湖は目尻を下げて笑ってくれた。
「さあ、みんなも食べましょう」
みんなは思い思いに器に盛り、ひんやり冷えたフルーツポンチを食べ始めた。その様子を私はじっくり見る。
麦はきゅうきゅうと鳴きながら硝子の器に顔を突っ込み、西瓜の汁で鼻面を真っ赤にしていた。
南天と檜扇は白玉を口いっぱいに詰め込んで両頬をリスのように膨らませ、牡丹は果物の味を一つずつゆっくり堪能している。食べ方にもそれぞれ個性があるようだ。いずれにせよ、みんなの喜びようを見ているだけで胸がいっぱいになってくる。
お重とお楽も味には満足してくれたようだ。
「いつもの白玉も好きですが……これは暑い最中にいいですね……」
「本当だね! 暑い時期に食が細くなっても、これならいくらでも食べられそうじゃないか!」
「おやまあ、お重はどれだけ暑くても食が細くなったことなどないというのに、おかしなことが聞こえたような……」
「なんだってぇ!」
「はいはい、お重とお楽は喧嘩しないの!」
お重とお楽のいつもの小競り合いを止めながら、私もフルーツポンチを口に運ぶ。
桃や桑の実が入っていて、西瓜と白玉だけだった母の味とは少し違うが、優しい甘さで、負けず劣らず美味しいフルーツポンチだった。
きっとみんなで一緒に食べているからかもしれない。
玄湖も白玉フルーツポンチで元気を取り戻した様子だ。
「そういえば、一通り見回りをしてきたけど怪しい人は特にいなかったよ。これで私もやっと休めそうだ」
「よかった!」
外はまだ雨が降っているが、家族との穏やかな時間が過ぎていく。
いつまでもこんな日が続けばいいのに。そう思ってしまうような優しいひと時だった。
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