52 / 52
番外編
【コミックス1巻発売記念番外編】とろけるような玄湖の日常
しおりを挟む「このオムライス、すっごく美味しい……」
オムライスを一口食べるや否や、キラキラと目を輝かせている小春を玄湖は優しく見つめていた。
とある町の、若い夫婦だけで切り盛りしている小さな洋食屋で、玄湖と小春は食事をしていた。
正直なところ、平凡な店構えから玄湖はあまり期待していなかったのだが、名物のオムライスは卵がとろとろの半熟で、しっかり味付けされたチキンライスを優しく包み込んでおり、これまで食べたオムライスとは一線を画していた。上にかかっているのもケチャップではなくブラウンソースだ。それがまたこのオムライスに相応しい深い味わいだった。
「あ、あの……このオムライスはどうやって作るのでしょう。とっても美味しくて……」
小春は頬を紅潮させ、配膳をしている洋食屋の妻にそう尋ねている。
「あら、ありがとう。でも、さすがにうちの看板メニューだから、簡単にレシピを教えるわけには行かないのよ。ごめんなさいねぇ」
洋食屋の妻は大きく迫り出したお腹を撫でながらにこやかに答えた。
「そ、そうですよね。失礼しました。あまりにも美味しかったもので。あの、すごくトロトロで、口当たりもよくて!」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。うちの旦那、外資系のホテルの厨房で修行していたことがあるんですよ」
「まあ、すごいですね。絶対また食べにきますね」
「また来てちょうだい。楽しみにしてるわ。あ、でも、もうすぐあたしは出産なのよね。来週には代わりの人が来てくれるんだけど、それまでお腹の子が出るのを我慢してくれるか心配で」
洋食屋の妻はもう臨月なのだろう。
大きなお腹は玄湖の目にも、いつ陣痛が起こってもおかしくないように見えた。
「ご無事に出産されるのをお祈りしていますね」
「ありがとねぇ」
小春は洋食屋の妻とすっかり会話が弾んでいる。
洋食屋の妻しのぶとは、わずかの間に打ち解け、名前で呼び合うようになっていた。
しばらくして美味しいオムライスを食べ終え、玄湖と小春はそろそろ店を出ることにした。
支払いを済ませ、店の外に出ようとした時「いたたたた……陣痛来たかも……っ!」と、洋食屋の妻がうずくまった。
「し、しのぶさん!? さ、産婆さんを呼んできますっ! 玄湖さん、行きましょう!」
「ああ」
幸い、昼時より遅い時間帯だったのもあり、店にいる客は玄湖と小春だけだった。
洋食屋の妻──しのぶのことは厨房にいた夫に任せ、玄湖と小春は近所の産婆を呼びに行った。
「ふう……」
産婆を連れてきて、さらに近所に住むしのぶの母親を呼び──とバタバタしていたが、小春たちにできることはそれ以上はなく、おとなしく帰宅することにしたのだった。
小春は顔を曇らせ、洋食屋の方を何度も振り返っている。
「しのぶさん……大丈夫でしょうか」
「まあ、大丈夫だよ。顔色もよかったし、臨月でも働けるくらいに体力もあるようだからねえ」
いつも通り、へらへらとそう答えた玄湖に、小春は唇を尖らせた。
「もう。玄湖さんったらヘラヘラして。心配じゃないんですか」
「だから大丈夫だって。軽ーくだけど、周囲の悪い気も払ったから、そうそう悪いようにはならないはずさ」
「まあ……そんなことができるんですか」
「まあねえ。それじゃ、遅くなったけど、本屋に寄って帰らないかい?」
「またですか? 玄湖さん、最近本を読み過ぎですよ」
「ま、前に買った本はちゃんと読み終わってるって」
そんな話をしながら帰宅したのだった。
そして次の日。
「……すみません、玄湖さん。一週間ほど留守にしてもいいでしょうか」
覚悟を顔に浮かべた小春からそんなことを言われ、玄湖は仰天していた。
「こ、小春さんっ、もしかして本を読みすぎで怒ったのかい?」
「い、いえ、そういうわけじゃないんです。夜には必ず戻りますから!」
小春は行き先も告げずに飛び出していった。
何かして怒らせてしまったのだろうか。
玄湖の頭の中に、離縁という言葉が浮かび、慌てて打ち消した。
「私が何かしてしまったのかね……」
正直なところ、玄湖は他人の気持ちを慮るのが下手なところがあった。しかもそれを改善しようとせず、なあなあで数百年来ていた。
だが、このままでは小春に嫌われてしまうかもしれない。
原因をよくよく考え、まず玄湖が普段使っている小部屋が随分散らかってきていたのを思い出す。小春が文句を言いながらも片付けてくれるのに甘えて、散らかしても放ったらかしだったのだ。
玄湖はまず小部屋を片付けた。小春のようには行かないが、こざっぱりとした。
小春は夕方には帰ってきて、いつも通りに過ごしていたが、次の日も朝食を終えるなり、どこかに出掛けて行ってしまった。
玄湖は次に庭を綺麗にした。
庭には、信田がくれたトマトが植えてあるのだが、庭師の奉公人がいなくなってからはそこ以外放ったらかしだった。ある程度は玄湖の妖力でなんとかなっているが、景観がいいとは言えない。
なので、庭を綺麗に整えた。ついでにトマト畑の雑草も抜き、犬神の一種であるスイカツラたちが麦をいじめたり、庭を荒らしたりしないよう、庭の片隅に囲いと犬小屋を作り、そこに放した。
また夕方になると小春は何事もなかったかのように帰ってきて、次の日になると出掛けていくのを繰り返す。
家にいる時間が短いからなのか、玄湖が小部屋や庭を綺麗にしたのに気付いていないようだ。
それが寂しい気持ちはあったが、玄湖も小春が家の中のことを色々やっておいてくれたのに気付いていないこともあったので、お互い様だと思い直す。
「……小春さんはずっとこんな気持ちだったのかねぇ」
虚しいような、寂しいような。これまで誰から怒られても気にならなかったのに、小春に怒られたらと思うと、居ても立っても居られない気持ちになる。
これからは小春に感謝の気持ちをちゃんと伝えよう。そう思ったのだった。
それからも、玄湖にしては信じられないほど真面目に働き、古い水回りを新しいものに替え、屋敷神に力を注ぎ、さらにさお重やお楽の手伝いもした。
そして、明日が小春が行き先を告げずに出かけるようになって一週間後だというところで、篠原からの呼び出しがあった。
「小春さん、明日は私も篠原さんからの頼みでちょっと出掛けてくるよ。帰りは夜になりそうだ」
「わかりました。夕飯は家で食べますか? 久しぶりに私が作ろうと思うのですが」
小春は機嫌が悪いどころか可愛い顔にニコニコと笑顔を浮かべながらそう尋ねてくれたので、玄湖もホッとして大きく頷いたのだった。
そして篠原に頼まれた用事を終えた玄湖を迎えたのは、小春のお手製のオムライスだった。
「おかえりなさい、玄湖さん! 見てください!」
小春が見せたのは、一週間前に食べに行った洋食屋のオムライスのような、トロトロで美味しそうな半熟のオムライスだった。
玄湖は驚き、大きく目を見開く。
「こ、これ、どうしたんだい!?」
「実は、この一週間、あの洋食屋さんのお手伝いに行っていたんです。ほら、しのぶさんが産気付いちゃったでしょう。本当は出産までに代わりの人が来る予定があったけど、まだあと一週間は来られないそうで、お店が開けられないって困ってらしたから。それで、お手伝いする代わりに、オムライスの作り方を指南してもらっていたんですよ」
確かに納得のトロトロオムライスである。
見ているだけで玄湖の喉がごくりと鳴ってしまう。
「ただ、ブラウンソースは秘伝だそうで、このトロトロの卵の作り方と、チキンライスの作り方だけ教えてもらったんですよ。でも、美味しそうでしょう?」
「ああ。とっても美味しそうだ!」
小春の特製オムライスは、トロトロの卵がチキンライスに絡み、それはそれは言葉では言い表せないくらい美味しかった。
ブラウンソースではない分、食べ慣れたケチャップの優しい味わいだ。
店で食べたオムライスもとにかく美味しかったが、それだけではない。きっと、小春が作ってくれたからだろう。
「美味しいオムライスだったから、私も玄湖さんに作ってあげたくて」
そう言われ、玄湖は胸がほかほかと温かくなった気がした。尻尾がふさふさと勝手に揺れてしまう。
「すっごく美味しいよ。ありがとう、小春さん」
「よかったです。教えてもらえるかわからなかったのでぬか喜びさせたくなくて、どこに行くか伝えずに心配をかけてしまってすみませんでした。あの、玄湖さん、今更ですけど私がいない間、お掃除をしたり、庭や水回りの手入れもしてくれたんですね。ありがとうございます!」
ああ、気付いてくれたのだ。
玄湖はさっきよりもいっそう胸の中が温かくなった。
誰かのためにすること、それに気づいて喜ばれることはこんなにも幸せな気持ちになるだなんて、玄湖はそれなりに長い妖の生でようやく知ったのだった。
「小春さん、明日もまた店に行くのかい?」
「いえ、お店の手伝いは今日まででした。代わりに来る人が明日から来てくれるそうなので。それにしのぶさんも安産だったし、赤ちゃんも元気だそうでホッとしました」
「それじゃあ、明日はまた二人で出かけないかい?」
「ええ、ぜひ!」
小春がニコッと笑顔になる。
玄湖はその場に花が咲いたような笑顔を見て明るい気持ちになった。
明日は小春が喜びそうなところに連れて行こう。
どこへ行こうか。
喜んで笑顔を見せてくれたなら、きっと玄湖も今以上に幸せな気持ちになるかもしれない。
そう思い、玄湖も蕩けるような笑みを浮かべたのだった。
16
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(6件)
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く
液体猫
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/
香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。
ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……
その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。
香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。
彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。
テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。
後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。
シリアス成分が少し多めとなっています。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
これで終わりなんて寂しいですね😞
もっと続きが読みたい!
そう思ってしまいました☺️
次回作は出る予定はないのでしょうか
幸せな時間をありがとうございました
ありがとうございます!
続刊はアルファポリスさん次第なのでなんとも言えませんが……読んでいただけて嬉しいです。コミカライズが最近始まったので、コミックスが出る際などに番外編短編を書きたいと思っています。
素晴らしい物語です。感動の涙が止まりませんでした😭✨
レンタルではなく文庫本で購入して永く読ませていただきます☺️
ライオンギフトさん、ありがとうございます!
その言葉で書いていてよかったと思いました!
文庫を手に取っていただけたら嬉しいです✨
楽しく読ませていただきました。
ほのぼの&ちょっぴり甘めのハッピーエンドでほっこりしました。
ただ、寿命の違う2人の今後がとっても気になる!
素敵なお話を有難うございます
素敵なお話と言ってくださって、こちらこそ本当にありがとうございます!とても嬉しいです!