あやかし狐の身代わり花嫁

シアノ

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番外編

【コミックス1巻発売記念番外編】とろけるような玄湖の日常

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「このオムライス、すっごく美味しい……」

 オムライスを一口食べるや否や、キラキラと目を輝かせている小春を玄湖は優しく見つめていた。

 とある町の、若い夫婦だけで切り盛りしている小さな洋食屋で、玄湖と小春は食事をしていた。

 正直なところ、平凡な店構えから玄湖はあまり期待していなかったのだが、名物のオムライスは卵がとろとろの半熟で、しっかり味付けされたチキンライスを優しく包み込んでおり、これまで食べたオムライスとは一線を画していた。上にかかっているのもケチャップではなくブラウンソースだ。それがまたこのオムライスに相応しい深い味わいだった。

「あ、あの……このオムライスはどうやって作るのでしょう。とっても美味しくて……」

 小春は頬を紅潮させ、配膳をしている洋食屋の妻にそう尋ねている。

「あら、ありがとう。でも、さすがにうちの看板メニューだから、簡単にレシピを教えるわけには行かないのよ。ごめんなさいねぇ」

 洋食屋の妻は大きく迫り出したお腹を撫でながらにこやかに答えた。

「そ、そうですよね。失礼しました。あまりにも美味しかったもので。あの、すごくトロトロで、口当たりもよくて!」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。うちの旦那、外資系のホテルの厨房で修行していたことがあるんですよ」
「まあ、すごいですね。絶対また食べにきますね」
「また来てちょうだい。楽しみにしてるわ。あ、でも、もうすぐあたしは出産なのよね。来週には代わりの人が来てくれるんだけど、それまでお腹の子が出るのを我慢してくれるか心配で」

 洋食屋の妻はもう臨月なのだろう。
 大きなお腹は玄湖の目にも、いつ陣痛が起こってもおかしくないように見えた。

「ご無事に出産されるのをお祈りしていますね」
「ありがとねぇ」

 小春は洋食屋の妻とすっかり会話が弾んでいる。
 洋食屋の妻しのぶとは、わずかの間に打ち解け、名前で呼び合うようになっていた。

 しばらくして美味しいオムライスを食べ終え、玄湖と小春はそろそろ店を出ることにした。
 支払いを済ませ、店の外に出ようとした時「いたたたた……陣痛来たかも……っ!」と、洋食屋の妻がうずくまった。

「し、しのぶさん!? さ、産婆さんを呼んできますっ! 玄湖さん、行きましょう!」
「ああ」

 幸い、昼時より遅い時間帯だったのもあり、店にいる客は玄湖と小春だけだった。
 洋食屋の妻──しのぶのことは厨房にいた夫に任せ、玄湖と小春は近所の産婆を呼びに行った。

「ふう……」

 産婆を連れてきて、さらに近所に住むしのぶの母親を呼び──とバタバタしていたが、小春たちにできることはそれ以上はなく、おとなしく帰宅することにしたのだった。

 小春は顔を曇らせ、洋食屋の方を何度も振り返っている。

「しのぶさん……大丈夫でしょうか」
「まあ、大丈夫だよ。顔色もよかったし、臨月でも働けるくらいに体力もあるようだからねえ」

 いつも通り、へらへらとそう答えた玄湖に、小春は唇を尖らせた。

「もう。玄湖さんったらヘラヘラして。心配じゃないんですか」
「だから大丈夫だって。軽ーくだけど、周囲の悪い気も払ったから、そうそう悪いようにはならないはずさ」
「まあ……そんなことができるんですか」
「まあねえ。それじゃ、遅くなったけど、本屋に寄って帰らないかい?」
「またですか? 玄湖さん、最近本を読み過ぎですよ」
「ま、前に買った本はちゃんと読み終わってるって」

 そんな話をしながら帰宅したのだった。 



 そして次の日。

「……すみません、玄湖さん。一週間ほど留守にしてもいいでしょうか」

 覚悟を顔に浮かべた小春からそんなことを言われ、玄湖は仰天していた。

「こ、小春さんっ、もしかして本を読みすぎで怒ったのかい?」
「い、いえ、そういうわけじゃないんです。夜には必ず戻りますから!」

 小春は行き先も告げずに飛び出していった。
 何かして怒らせてしまったのだろうか。
 玄湖の頭の中に、離縁という言葉が浮かび、慌てて打ち消した。

「私が何かしてしまったのかね……」

 正直なところ、玄湖は他人の気持ちを慮るのが下手なところがあった。しかもそれを改善しようとせず、なあなあで数百年来ていた。

 だが、このままでは小春に嫌われてしまうかもしれない。
 原因をよくよく考え、まず玄湖が普段使っている小部屋が随分散らかってきていたのを思い出す。小春が文句を言いながらも片付けてくれるのに甘えて、散らかしても放ったらかしだったのだ。

 玄湖はまず小部屋を片付けた。小春のようには行かないが、こざっぱりとした。

 小春は夕方には帰ってきて、いつも通りに過ごしていたが、次の日も朝食を終えるなり、どこかに出掛けて行ってしまった。

 玄湖は次に庭を綺麗にした。
 庭には、信田がくれたトマトが植えてあるのだが、庭師の奉公人がいなくなってからはそこ以外放ったらかしだった。ある程度は玄湖の妖力でなんとかなっているが、景観がいいとは言えない。
 なので、庭を綺麗に整えた。ついでにトマト畑の雑草も抜き、犬神の一種であるスイカツラたちが麦をいじめたり、庭を荒らしたりしないよう、庭の片隅に囲いと犬小屋を作り、そこに放した。

 また夕方になると小春は何事もなかったかのように帰ってきて、次の日になると出掛けていくのを繰り返す。

 家にいる時間が短いからなのか、玄湖が小部屋や庭を綺麗にしたのに気付いていないようだ。
 それが寂しい気持ちはあったが、玄湖も小春が家の中のことを色々やっておいてくれたのに気付いていないこともあったので、お互い様だと思い直す。

「……小春さんはずっとこんな気持ちだったのかねぇ」

 虚しいような、寂しいような。これまで誰から怒られても気にならなかったのに、小春に怒られたらと思うと、居ても立っても居られない気持ちになる。
 これからは小春に感謝の気持ちをちゃんと伝えよう。そう思ったのだった。



 それからも、玄湖にしては信じられないほど真面目に働き、古い水回りを新しいものに替え、屋敷神に力を注ぎ、さらにさお重やお楽の手伝いもした。

 そして、明日が小春が行き先を告げずに出かけるようになって一週間後だというところで、篠原からの呼び出しがあった。

「小春さん、明日は私も篠原さんからの頼みでちょっと出掛けてくるよ。帰りは夜になりそうだ」
「わかりました。夕飯は家で食べますか? 久しぶりに私が作ろうと思うのですが」

 小春は機嫌が悪いどころか可愛い顔にニコニコと笑顔を浮かべながらそう尋ねてくれたので、玄湖もホッとして大きく頷いたのだった。

 そして篠原に頼まれた用事を終えた玄湖を迎えたのは、小春のお手製のオムライスだった。

「おかえりなさい、玄湖さん! 見てください!」

 小春が見せたのは、一週間前に食べに行った洋食屋のオムライスのような、トロトロで美味しそうな半熟のオムライスだった。
 玄湖は驚き、大きく目を見開く。

「こ、これ、どうしたんだい!?」
「実は、この一週間、あの洋食屋さんのお手伝いに行っていたんです。ほら、しのぶさんが産気付いちゃったでしょう。本当は出産までに代わりの人が来る予定があったけど、まだあと一週間は来られないそうで、お店が開けられないって困ってらしたから。それで、お手伝いする代わりに、オムライスの作り方を指南してもらっていたんですよ」

 確かに納得のトロトロオムライスである。
 見ているだけで玄湖の喉がごくりと鳴ってしまう。

「ただ、ブラウンソースは秘伝だそうで、このトロトロの卵の作り方と、チキンライスの作り方だけ教えてもらったんですよ。でも、美味しそうでしょう?」
「ああ。とっても美味しそうだ!」

 小春の特製オムライスは、トロトロの卵がチキンライスに絡み、それはそれは言葉では言い表せないくらい美味しかった。
 ブラウンソースではない分、食べ慣れたケチャップの優しい味わいだ。
 店で食べたオムライスもとにかく美味しかったが、それだけではない。きっと、小春が作ってくれたからだろう。

「美味しいオムライスだったから、私も玄湖さんに作ってあげたくて」

 そう言われ、玄湖は胸がほかほかと温かくなった気がした。尻尾がふさふさと勝手に揺れてしまう。

「すっごく美味しいよ。ありがとう、小春さん」
「よかったです。教えてもらえるかわからなかったのでぬか喜びさせたくなくて、どこに行くか伝えずに心配をかけてしまってすみませんでした。あの、玄湖さん、今更ですけど私がいない間、お掃除をしたり、庭や水回りの手入れもしてくれたんですね。ありがとうございます!」

 ああ、気付いてくれたのだ。
 玄湖はさっきよりもいっそう胸の中が温かくなった。
 誰かのためにすること、それに気づいて喜ばれることはこんなにも幸せな気持ちになるだなんて、玄湖はそれなりに長い妖の生でようやく知ったのだった。

「小春さん、明日もまた店に行くのかい?」
「いえ、お店の手伝いは今日まででした。代わりに来る人が明日から来てくれるそうなので。それにしのぶさんも安産だったし、赤ちゃんも元気だそうでホッとしました」
「それじゃあ、明日はまた二人で出かけないかい?」
「ええ、ぜひ!」

 小春がニコッと笑顔になる。
 玄湖はその場に花が咲いたような笑顔を見て明るい気持ちになった。

 明日は小春が喜びそうなところに連れて行こう。
 どこへ行こうか。
 喜んで笑顔を見せてくれたなら、きっと玄湖も今以上に幸せな気持ちになるかもしれない。

 そう思い、玄湖も蕩けるような笑みを浮かべたのだった。
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感想 6

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みんなの感想(6件)

ライオンギフト

これで終わりなんて寂しいですね😞
もっと続きが読みたい!
そう思ってしまいました☺️
次回作は出る予定はないのでしょうか
幸せな時間をありがとうございました

2024.07.20 シアノ

ありがとうございます!
続刊はアルファポリスさん次第なのでなんとも言えませんが……読んでいただけて嬉しいです。コミカライズが最近始まったので、コミックスが出る際などに番外編短編を書きたいと思っています。

解除
ライオンギフト

素晴らしい物語です。感動の涙が止まりませんでした😭✨
レンタルではなく文庫本で購入して永く読ませていただきます☺️

2024.06.28 シアノ

ライオンギフトさん、ありがとうございます!
その言葉で書いていてよかったと思いました!
文庫を手に取っていただけたら嬉しいです✨

解除
にゃんこちゃん

楽しく読ませていただきました。
ほのぼの&ちょっぴり甘めのハッピーエンドでほっこりしました。
ただ、寿命の違う2人の今後がとっても気になる!
素敵なお話を有難うございます

2021.05.01 シアノ

素敵なお話と言ってくださって、こちらこそ本当にありがとうございます!とても嬉しいです!

解除

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