悪役令嬢の幸せは新月の晩に

シアノ

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出会いは新月の晩に3

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「こうするの」

 切りつけた左腕の傷はあっという間に血が滲み、少年に左腕を掲げればポタポタと赤色が零れ落ちる。

「こうやって臭いを上書きすればいいんだよ。私、貴族だし魔力量も多いらしいから、血の臭いも多分濃いんじゃないかな?」
「お、おまえ……なに考えて……」

 少年の雪のように白い頰がエレノアの血で染まっていく。
 それを少しだけ勿体なく思いながら、少年の服やら手足やらに血を擦りつけた。思ったより傷が深いのか、なかなか血は止まらないのが好都合だった。最後にたっぷりの血を吸ったハンカチを握らせた。

「汚くしちゃってごめん。あと、血の付いたハンカチも持って、これで影の中に隠れて。そうしたら窓を開けるから」

 唖然としていた少年が何事かを言いかけたが、ノックの音が止まないことに舌打ちをして大人しくベッドの影へ潜ったようだった。


 それを見届けて、エレノアは窓際に寄る。

 カーテンを開ければ、巨大なコウモリが窓の外に飛んで、その羽根を窓に打ち付けているのが見えた。なるほど、ノックはそうやって音を立てていたらしい。

 エレノアは普段はそれほど動かない表情筋を思いっきり動かして、嫌そうな顔を作る。
 強くカールした金色の巻き髪、弧を描く眉にやや吊り上がり気味の目も相まって、きつそうな顔立ちのいかにもな悪役令嬢顔が出来上がる。
 いつもはぼんやりとしていると言われるエレノアであったが、きっとそれらしい表情になっていることだろう。かつて読んだ少女漫画の、悪役令嬢エレノアのような。

「ちょっと、一体なんなの、うるさいわね! 何時だと思っているのかしら!?」

 我儘でキツそうなお嬢様らしい声を張り上げながら、窓を開ける。
 内心では不安でいっぱいだったが、それを表に出さないよう、肩を怒らせ精一杯虚勢を張る。この演技がバレてはあの少年の命はないかもしれないのだ。

 入って来ようとするコウモリを強く制した。流石に近寄らせるのはまずいだろう。

「嫁入り前の私の部屋に入るおつもり!? 人を呼びましてよ!」

 コウモリの姿ではあるが、吸血鬼なのはこの国に住む人間であればすぐに分かる。彼らは変身することなど容易なのだ。あの少年もここまではきっとコウモリの姿で飛んできたに違いない。
 コウモリも渋々窓枠に逆さに掴まって、そこから先は入らないと示した。

「……すみません。同胞を追っているのですが……その血の臭いを辿るとここからしておりまして」
「はあ? 血? これは今さっき私が羽根ペンを削っていて切ってしまったのよ」

 そうして腕の傷を見せつける。まだ血は止まっておらず、真っ赤な血が今にも零れそうだ。
 コウモリはその傷口を見て、思わずと言った様子で舌舐めずりをした。
 それにエレノアは背筋が寒くなる。演技でもなく、珍しく本気で不快な感情を露わにした。

「まあ、なにを見てるのよ! いやらしいコウモリね! 用は済んだのでしょう? この傷の手当がしたいんだから、さっさと消えて!」
「いえ、その、ですから……同胞を探しておりまして」
「そんなの知らないわ! ……ああ、そう言って部屋に入り込んで私の血を吸う気なのでしょう? 守護吸血鬼を呼ぶわよ! いいこと? 私はバロウズ公爵家の娘なのよ? 月の王の花嫁の第一候補なんだから。あんたみたいな下衆はこの私の血の臭いを嗅げただけで感謝なさい!」
「あ、いえ……そんな」

 キツそうな令嬢の激しい剣幕にタジタジとなったコウモリは、窓を閉めようとしたエレノアに押し出されて飛んで行った。
 しばらく窓の近くで旋回していたようだが、諦めたのか遠くに飛んで行ったのを見て、エレノアは再びきっちりとカーテンを閉めた。

 心臓がドクドクと早鐘を打っていた。手足は緊張で冷え、僅かに震えている。あんな大きな声を出したのも生まれて初めてだった。前世にだってなかったかもしれない。
 はあ、と思わず口から息が漏れる。しかし、なんとか追い返すことに成功したらしい。

「おい、大丈夫か?」

 エレノアの背中に少年の声がかけられ、思わず肩を震わせた。

「だ、大丈夫。帰っていったよ」
「じゃなくて、怪我の方だよ! なんてことするんだお前! なんで……俺なんかを」
「なんでって……なんでだろうね」

 エレノアはなぜそんなことをしたのかなんて、自分でも分からなかった。考えようとすれば、麻痺していた左腕の傷が急にジクジクと痛みはじめた。

「ただ……私の部屋に逃げ込んできたから……かな」
「お前おかしい。俺が悪いやつだったらどうするんだ。まあ……俺としては助かったけど……」
「うん、そうだね」

 見れば左腕の傷はまだ血を滲ませている。なかなか止まらないものだ。布かなにかで押さえた方がいいかもしれない。

「痛むのか?」

 心配そうな赤い目と視線がぶつかる。この少年は口ではともかく、優しい心根なのかもしれない、とエレノアは思った。

 痛くない、と反射的に言おうとして、一旦口を噤んだ。

「……ちょっと、痛いかな」

 エレノアは正直にそう言った。
 少し深く切りすぎたかもしれないが、血が足りなくて2度3度と切りつけるよりはマシだろう。それに他にいい案は出なかった。それでも痛いものは痛い。エレノアも痛覚がないわけではない。

「……ごめんな」
「ううん、私がしたくてやっただけだから」
「ごめん……俺に力がないばっかりに……」

 少年はエレノアの左腕を取り、唇を近付けた。
 傷口を柔らかな舌で舐められ、全身が総毛立った。
 気持ちが悪いとかではなく、傷口から体の中に何か甘やかなモノが入り込んできたように錯覚したからだった。

「えっ、な、なに?」
「吸血鬼の唾液には血止めとか痛み止めの効果があるから。勝手に……すまない」
「あ、本当だ」

 少年が口を離せば、腕の傷からは血が止まり、ジクジクとしたあの痛みもなくなっている。

「すごいね、ありがとう」
「礼を言うのはこっちだ。それに、まだ直ったわけじゃないからな。俺じゃまだこれくらいしか出来ないんだ」
「じゃあ肩の傷も私が手当するより自分で舐めた方がよかったのかな」
「……肩はちょっと舐めにくい。それにこれは人間の血を吸う時に使うやつだから、自分には効きにくいし」
「そっか」

 エレノアは返事をしながら、残っていた包帯で傷を覆った。触っても痛みはない。まるで魔法のようだ。

「じゃあ、私はそろそろ寝るけど、貴方はどうする? 出て行くならそれでもいいけど、さっきの人、まだ近くにいるかもしれないから、しばらくここで休んでからでもいいよ」
「寝、寝るって、お前……」
「だってもう遅いし、痛みがなくなったら急に眠くなってきた気がするから」

 緊張が解けて、カチカチに固まっていた気が緩んだせいで眠気が起こったのかもしれない。

 エレノアは虚脱感を耐え、もそもそとベッドに向かい、ナイトテーブルに置いた魔石ランプに手を伸ばして灯りを消した。途端に部屋は暗闇に包まれる。少年は闇に溶けて、もうどこにいるのかもわからない。あの赤い目は闇の中では光るかと思っていたが、そうでもないようだ。

「吸血鬼って夜目が利くんでしょう? 消しちゃったけど、大丈夫だよね」
「そ、そりゃあ見えるけど……でも、俺」
「じゃあ、出て行く時、鍵はいいから窓だけ閉めておいてね。……おやすみ」

 もしかすると吸血鬼の唾液には眠くなる成分もあったのだろうか。耐えがたいほどの眠い気がした。瞼を閉じればとろとろと眠気が押し寄せ、すぐに意識を保っていられなくなる。

「……俺だって……男だっての」

 少年が何かボヤいた声が聞こえた気がした。
 何を言ったのかは聞こえなかったけれど、意識の落ちる瞬間、そういえば名前を聞き忘れたとエレノアは思ったのだった。

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