悪役令嬢の幸せは新月の晩に

シアノ

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ささやかな幸せ1

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 左腕には薄っすらと傷跡が残った。しかしエレノアは色白だったから普通にしていればほとんど目立たない。風呂上がりなどにふと左腕を捲れば、三日月よりもさらに細い繊月のような傷跡が浮かび上がる。
 夜にはそれをなんとはなしに指でなぞるのが癖になっていた。

 少年はあれからなんの音沙汰もない。たまたま逃げ込んで来ただけの、名前すら知らない行きずりの関係である。音沙汰がないのは当然だが、それでも時折思い出しては逃げ切れたのかを考える。



 そうしている内に月日は巡り、また新月の日になっていた。

 今日に限って屋敷のメイドは夜になっても大勢残っていた。エレノアの母が何事か時間のかかる仕事を命じたらしい。
 彼女達はエレノアがその場にいるのにも気にせずに不満を口にしていた。

「やぁだもう遅くなっちゃった。奥様がこんな時間に急に言い出すんだもの」
「本当にねぇ。明日だっていいじゃないさ」
「しっ、お嬢様がいらっしゃるよ!」
「ああ、大丈夫よ。あの方はいつもぼーっとしてお人形みたいだし。いっそ告げ口くらいする気概でもあれば良かったのにねぇ」
「手がかからないから楽なのはいいけど」
「それよりさぁ、今から帰るの嫌じゃない? もう外真っ暗だよ」
「ええー? 私の家、外れの方なのにぃ!」
「今日、新月だもんね。家令さんに休憩室に泊めてもらえないか聞いてみようよ」

 メイド達の口さがない話でエレノアも今日が新月だと気が付いたのだった。

 新月の夜は特に魔物が活性化する。この国には守護吸血鬼がいるとはいえ、吸血鬼自体の人数には限りがある。そもそも魔物は基本的に人間よりも個体数が少ないのだ。強い魔物ほど希少だとも聞く。
 だから守護吸血鬼とは言えども、優先的に王族や有力な貴族を守ることになる。
 他の国に比べれば安全だが、絶対ではない。平民が魔物に襲われないようにするには夜間の出歩きを控えることくらいしかない。 


 エレノアにとって、メイド達に自分のことを噂されるのは、当然嬉しくもないが、直接言葉をぶつけられるのに比べればマシであった。
 エレノアが家族の中で軽んじられているのはメイド達にも伝わる。それはそのままメイドからの対応になった。けれどエレノアはメイドに生活の全ての世話をされるのは苦手であったから、この現状に満足していた。
 時折、エレノアの父や母に理不尽に叱られたメイドが、エレノアで鬱憤を晴らすためか服にわざとマチ針を残したり、部屋の掃除でわざと埃を立てたり、水差しが空のまま放置されたりもするが、その程度なら自分でどうにかできる。腐った食べられない食事を出されることもなく、死ぬほどのことはない。メイドに軽く扱われるのも、エレノアが両親に認められていないから仕方のないことだ。

 メイド達のおしゃべりはまだ続いている。エレノアは邪魔にならないようにそっと部屋へと戻った。



 エレノアが暗い自室に戻っても、もう少年の血の臭いもその気配もない。
 もう一か月経ったのだから当然だ。
 闇と静謐だけがそこにある。

 だが、いつも通り自分で魔石ランプを点けたエレノアは、机の上に見慣れないものを見つけ、目を瞬かせた。

「これ……」

 それはエレノアの親指の先ほどのサイズをした水晶だった。小さいが透き通っていて、片側は透明、もう片側はほんのりと緑色をしている。濃さは違うが、エレノアの瞳と同じ緑色。

 摘んで手のひらに乗せると、ひんやりと冷たい。

 そして空気の入れ替えに細く開けておいたはずの窓は閉まり、カーテンだけが半分ほど開かれている。それはいつかの朝と同じ。

「お礼のつもり、かな」

 前世に絵本かなにかでこんな話を読んだ気がする。動物が家の前に贈り物を置いていく話だ。

 エレノアのあまり動かない表情筋は珍しく緩み、唇にほんの少しだけ笑みを浮かべ、水晶を握り直した。
 手の中の水晶は、エレノアの体温を吸ってほんのりと温かくなっていた。





 それからも新月のたびに物が増えていった。

 陽に透かすと虹色に光る羽根、無くしたはずのコートの金釦、可愛らしい包み紙の美味しそうなキャンディ。

 少年からの子供らしい贈り物が嬉しくて、キャンディは食べてしまったけれど、それ以外は箱を用意して大切に仕舞った。
 両親や兄から「不出来だ」「駄目な妹だ」「存在しているだけで恥ずかしい」ときつい言葉を浴びせられた後や、メイド達がエレノアのことを「何を言われても響かないのはオツムが足りない阿呆なのだ」と笑っているのを聞いてしまった後には、その箱を開けることが心の慰めになっていた。
 キラキラしている宝物をじっくりと眺めたり、手に取って少年がどこでこれを手に入れたのか、どんな気持ちで選んだのかを想像し、くすぐったい気持ちになるのだった。そんな時には普段はほとんど動かない表情筋も僅かに緩み、自然と笑みが浮かんでいたがエレノアは気がついていなかった。

 あの少年にもう一度会いたくて何度かは新月の日に待ち伏せていたが、エレノアが部屋にいる時には音沙汰はない。待ちきれなくなって眠った後にこっそりと入って机に置いていくので、会って話すことは叶わなかった。

 エレノアはまた新月が来るたびに、もしかするともう来ないかもしれない、といつも考えてしまう。
 そしていつも目が覚めた時に机にささやかなプレゼントを発見して安堵するのだ。
 前世の誕生日やクリスマスにプレゼントを貰った記憶はなく、目が覚めた時に枕元にプレゼントが置いてあったらこんな気分なのだろうか、と嬉しさを噛み締め、胸に手を当てたりもした。
 前世の少女にとって、クリスマスはフィクションの世界と同じだった。クリスマスソングの流れる賑やかな街で、寒さに震えていたあの時の少女の心が慰められていく気がしていた。
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