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第1章:ナナと、再出発のカフェ
第9話「“できる”を支えるということ」
しおりを挟むその朝、わんだふるOTカフェは、どこか空気がざわついていた。
「今日、ナナさん……いないんですか?」
「定期のセミナー講師の日なんだってよ。1日だけ留守番頼まれたんだわ」
タロウがソファの上で大あくびしながら言う。
「つまり……今日の担当、わたし?」
「そうなるな。まぁ、正式スタッフだし?」
そう言ってレオがタブレットをひなたに手渡す。
「本日 14:00~
新規利用者:佐伯るい(78歳)
既往歴:変形性膝関節症、COPD(慢性閉塞性肺疾患)
主訴:階段昇降への不安・外出機会の減少」
ひなたは思わず喉を鳴らす。
これは、完全に“自分一人で支援を組み立てる”やつだ。
14:00。
カフェのドアを開けて入ってきたのは、背筋の伸びた女性。
白髪交じりの髪をしっかり束ね、清潔感あるカーディガンを着ている。
「こんにちは、佐伯るいさんですね。OTの神崎ひなたです」
「……こんにちは。“先生”って呼んだ方がいいのかしら」
「いえ、ひなたって呼んでください。ここでは、“対等”が合言葉なんです」
その一言に、佐伯は少しだけ目を細めて笑った。
初回面談。
佐伯るいは淡々と語った。
・家に閉じこもりがち
・階段の上り下りに不安
・でも“ひとに頼るのが嫌い”
・今は「自分がどれくらい“できないか”を知りたい」と思って来た
――その言葉に、ひなたの胸がざわめいた。
かつての自分も、そうだった。
“できないこと”を突きつけられるのが、何より怖かった。
ひなたは1回目の関わりを、あえて“分析”に徹することに決めた。
歩き方、呼吸の深さ、表情、動作選択の癖、座っている時の体の傾き。
レオの視線すら追いつけないほどの集中で、観察を重ねていく。
そして、1時間後。
「佐伯さん、次回のセッションで、
“コーヒーを淹れに2階に行く”練習をしませんか?」
「えっ……」
「今日、帰り際に『2階にあるお気に入りのカップで飲みたい』って言ってましたよね。
それを、“できるようにする”支援が、OTの仕事です」
佐伯は目を見開いたまま、しばらく黙っていた。
そしてぽつりと、こう言った。
「……本気で言ってるのね、あなた」
「はい。本気です」
その夜。
ひなたは1人、支援計画を練りながら自問していた。
「無理をさせてないだろうか」
「2階に行く、という目的に、私はこだわりすぎていないか」
でも思い返す。
あの瞬間、佐伯さんがほんの少し見せた表情の揺れを。
“したい”を、ちゃんと感じた。
その確信だけが、今の自分の支えだった。
翌週。
セッション開始前、佐伯はいつもと違うスカーフを巻いていた。
「今日は、この子の誕生日なの。
夫が生きてた頃、買ってくれたやつ。
……こんな日くらい、いいコーヒーを飲まなきゃね」
それを聞いた瞬間、ひなたの中で“作業”の意味が、強く輪郭を持った。
階段に手すりをつけた練習用スペース。
段差を一段ずつ登るたびに、佐伯の息が荒くなる。
「あと4段……!」
「無理なら戻っても大丈夫です!」
「いいえ……今日は、淹れたいの。あのカップで」
息を切らしながら、佐伯は一歩ずつ、まっすぐに進んだ。
ついに2階へ上がりきり、棚から取り出したのは――
ブルーの小花模様が入った、磁器のカップ。
「20年ぶりに、使うわ」
コーヒーの香りが立ちのぼる。
ひなたは何も言わず、その湯気を一緒に眺めた。
「階段は、“ただ登るだけ”じゃない。
登った先に、“私らしさ”があるかどうかが、大事なのよね」
そう佐伯が言ったとき、
ひなたの目に、小さく涙がにじんでいた。
その日の記録の最後に、ひなたはこう記した。
「作業療法は、“登ること”を支援するのではない。
“登った先で、その人が何をしたいか”を支援することだ。
>私は、今日、やっとその本質を手にできた気がする」
その夜、ナナからメッセージが届いた。
「支援の現場で“迷うこと”があるのは、
支援を本気で考えている証拠です。
その迷いは、いつか自信に変わります。
今日のあなたは、とても素敵でした。」
スマホを見つめながら、ひなたは静かに、こうつぶやいた。
「私も、誰かの“その先”を見られる人でありたい」
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