歌えなくなった僕を、あの2人は諦めてくれない

ことざわ

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6.俺は汚れてたから

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カラオケルームに入ると、八雲はさっそくリモコンを操作してお気に入りの曲を入れていた。
マイクを手に持つその顔は、なんのてらいもなく楽しそうで、まるで俺の心を読む気なんて、最初からないかのように見えた。

(どういうつもりなんだ、こいつ……)

来る途中、八雲は「逃がすもんか」とでも言うように肩を組んで離さなかった。あれで断る気力なんて、すっかり削がれてしまった。

曲が終わり、満足げに息を吐いた八雲がこちらを見る。

「い、言っとくけど俺は……歌は――」

「やっぱダメか~!」

八雲は首をかしげて笑っている。

(……本当に歌わせる気だったのかよ)

「で、最近どんなの聴いてる?流行り?それともマニアック系?」

「へ?」

「トークだよ、トーク。せっかく2人きりなんだし、ゆっくり話したくてさ。さ、いっつも邪魔入ってまともに喋れなかっただろ?」

「あ……あぁ、まぁ」

八雲の口調は軽い。でも、どこか懐かしさを滲ませているのが分かる。

そこからは、音楽の話題で自然と盛り上がった。
好きな曲、注目のバンド、気になるアレンジ。互いの知識と熱量が交差して、気づけば自然と笑っていた。

(……楽しい。悩んでた時間がバカみたいに思えるくらい……)

「……あ、この曲だわ」
八雲が再生リストから1曲選ぶ。「この後のフレーズのアレンジ、最高なんだよな~」

その曲は、確かに昔2人でよく聴いた思い出の曲だった。気づけば、俺の口が勝手にそのフレーズを口ずさんでいた。

「~♪……だろ?」

「……」

「あっ、い、いいよなこのアレンジ💦サビ後のハモりも」

(な、なんで歌ってんだ俺……!言ってたことと違うだろ!////)

「~♪~🎶のとこ?」

八雲も乗ってきて、ふたりで自然に短いフレーズをハモった。

「……やっぱ楽しいわ、お前と歌うの」

そう言って、八雲がいつもの無邪気な笑顔を向けてきた。

(……ああ、やっぱりこの感じ、好きだ)

曲が終わり、時計を見るともうすぐ退出時間だった。

(どうなることかと思ったけっど楽しくてあっという間に過ぎたな…)

「……そろそろ出るか」

そう言った瞬間、腕を引っ張られギュッと八雲に抱きしめられた。


「なあ、ほんとに最高だったよ。お前と、バンドできて。……小さい頃の夢だったんだよな」

「……!」

「一緒にステージに立てるならキーボードだけでもいいって思ってた。
けど……お前の歌、あんなの聞かされたらもう諦められねぇよ俺」

八雲の声が、冗談抜きで真剣だった。

「お前の歌が……声が、音が、好きだ」

言葉のひとつひとつが、胸の奥に落ちてくる。

「……なんで、もう歌わないんだよ。理由、聞かせてくれよ」

俺は目を伏せた。

「……理由なんて……大したことじゃないよ。お前に言っても……
でも……俺もお前と歌えて本当に嬉しかった……俺も夢だったから……」

そう口に出すと溜め込んでいた気持ちが涙になって溢れそうだった。

俺はゆっくりと口を開く。

「……俺さ、お前にガッカリされてるって勝手に思ってて……」

「……」

「お前と対等でいたかったのに、俺はあの頃――いじめられてて」

八雲の表情が少し動いた。

「……いたんだろ、文化祭の日。俺の……あの姿、見たんだろ?」

俺の声は震えていた。でも言葉は止まらなかった。
隠していたかった、情けなかった。音楽に純粋なお前に申し訳なくて逃げた過去……


 *


中学で転校が決まった日、俺は八雲と笑って別れた。
「離れてても音楽続けるから」なんて言って――

でも新しい学校にはなじめなかった。
俺は、ひどいイジメに遭っていた。殴られ、蹴られ、言いなりにされる毎日。

それでも、文化祭の日だけは特別だった。
「八雲が会いに来てくれるかもしれない」――そんな淡い期待があった。

俺は事前に、空き教室の場所を手紙で伝えていた。
絶対、あの時間だけは安全な場所にいようと、それまで傷を作らないように奴らを避けてきた。

でも。

「あれぇ~、日南くぅん? ここにいたんだぁ」

――最悪だった。

「最近遊んでくれないから、寂しかったぜ?」

(駄目だ。見つかった――)

「……おい、お願いだ。今日だけは殴るの勘弁してくれ……!」

「はぁ?……生意気だな。……いいぜ。代わりに――」

奴は机に腰かけ、にやりと笑った。

「ほら、しゃぶれよ」

「……っ」

(大丈夫。まだ八雲との待ち合わせ時間まではある)

俺は何も言わず、膝をつき、奴のズボンのジッパーに口を伸ばした。

手を使わず縋るように咥えるのが奴のお気に入りだった。

(このまま満足させれば、何事もなく、帰ってくれる……)

「ふっ……んっ……」

喉奥まで入るたび、呼吸が苦しくなった。

――ガタッ。

廊下から物音がした。

ビクリと体が震える。

「あ?どうせ誰も入ってこねぇよ」

(だ、大丈夫。まだ時間じゃないし。八雲じゃない……違う……)



でも、その日、八雲は来なかった。

(……きっと見られたんだ。俺の、あの姿)
体から力が抜け目からは光が消える。
嫌なイメージが俺を襲う。
口はドロドロに溶け俺の体がみるみるヘドロにまみれていく。
こんな体では八雲に会えない。嫌われてしまう。

自分が気持ち悪くて嗚咽が止まらない。

お前を汚さないもう触れないから。会わないから。どうか嫌いにならないで。
だからお前の光みたいで眩しい音楽を辞めないで。


八雲からは「行けなかった」と手紙が届き、代わりに中学の文化祭への招待が添えられていた。
けど、とても行く気にはなれなかった。

(八雲は俺に失望した。……俺は汚れてる。あんな口で、もう歌なんて……)



 *



「……」

「お前が俺の隣にふさわしくない? 勝手に決めて勝手にいなくなって……」

八雲の声が震えていた。

「……俺の情熱、そんな甘く見んじゃねぇよ!」

ぐっと強く、俺の体を抱きしめてくる。

「俺は――お前の歌に惚れてんだよ!」

「お前に会えなくなって、どれだけ後悔したか……!」

「俺の隣は、お前がいいんだよ!」

……その言葉に、何も返せなかった。
俺の目から、涙がまたひとつ、落ちた。



カラオケは延長をして、ふたりで静かに夜を終えた。
別れ際、八雲は「またな」と笑ったが、俺の心はまだ、整理がつききっていなかった。



 *


夜。アパートに戻ると、カイがいた。

「おー、おかえり。……遅かったな」

「……色々あって、疲れた」

「はは、なんだそりゃ」

カイはソファに寝転んだまま、チラリとこっちを見る。

その視線が、俺の目元をとらえた。

「……おい」

「……ずずっ。もう寝る」

「……?」

背中を向けて自室に入る俺を見送りながら、カイのスマホに通知が入る。

『文化祭後のライブのハプニング!』

開いた動画には、ギターが転んだ後、照明の奥から歌い始めた人物――

「……日南だな」

ステージの上、顔までははっきり映ってない。けど、声が、姿勢が、歌っているその声は、聞き覚えのあるものだった。

「なにがちょっとだ。しっかり歌ってんじゃねぇか」

スマホを伏せ飲みかけのワインを煽る。

「……八雲くん、ねぇ……気に食わないな」

カイの心に、静かにモヤが広がっていく――


――つづく
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