黎明のアンファング

あさみこと

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#034 種の記憶

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 東京に拠点を移してから、数週間が経過した。鳴海潤葉は、アンファングチームの科学者たちの献身的なサポートの下、自らの持つ特異な能力と、少しずつ向き合い始めていた。
 その日の午後、東都工業大学の地下深く、紫京院教授の研究室に隣接された、最高レベルのバイオハザード対策が施された特殊ラボに、チームの主要メンバーが集まっていた。中央に置かれた厳重なガラスケースの中には、かつて秩父でアンファングが戦ったロスト・エヴォルヴ、『フォレスト・キャンサー』から回収された組織片が、生命維持装置に繋がれ、静かに脈動している。
 今日の実験の目的は、ただ一つ。潤葉の能力を介して、この組織片が持つ種としての記憶にアクセスし、ロスト・エヴォルヴの根源に迫ること。
「……本当に、大丈夫なの?」
 実験の準備を進める美生奈さんに、潤葉は不安げな表情で問いかけた。彼女の小さな頭には、脳波を測定するための、いくつものセンサーが取り付けられている。
「大丈夫よ」と、美生奈さんは優しく微笑み、潤葉の手を握った。「前回みたいに、無理やりこじ開けるんじゃないわ。潤葉ちゃんは、ただ、あの子の声に耳を澄ませて、聞こえたことを教えてくれるだけでいい。危なくなったら、私や教授たちが、すぐに止めるから」
 隣のコントロールルームでは、紫京院教授、蟹江教授、そして潤葉の父である松二が、固唾を飲んでモニターの数値を見守っていた。僕もその後ろに立って見守っている。今日の主役は、アンファングではなく、この小さな少女なのだ。
『潤葉ちゃん、準備はいいかしら?』
 スピーカーから、紫京院教授の落ち着いた声が響く。潤葉は、こくりと頷くと、ガラスケースの前に置かれた椅子に座り、そっと目を閉じた。
 シーンと静まり返ったラボの中で、潤葉は、意識を集中させる。都会の喧騒も、機械の駆動音も、全てをシャットアウトし、ただ、目の前のガラスケースの中にいる、か弱く、迷子の生命体の声だけに、耳を澄ませている。
「……聞こえる……」
 コントロールルームのモニターに、潤葉の脳波と、組織片から発せられる生体エネルギーの波形が、美しくシンクロしていく様子が映し出される。
「……すごい……。まるで、一つの生き物のように、完全に同調している……」
 松二が、信じられないものを見るかのように、呟いた。
「見えている……何かが、見える……」
 潤葉の口から、夢うつつのような声が漏れ出す。
「……くらい、ところ。すごく、寒くて、静かな場所……。みんな、眠ってる……。お船の中で、ずーっと、ずーっと、旅をしてる…」
 それは、ロスト・エヴォルヴたちが、宇宙を旅していた時の記憶だろうか。
「……あ」
 潤葉の表情が、わずかに喜びに輝いた。
「……見つけた……。緑色で、青くて、キラキラしてる、お星さま…。あったかい匂いがする…。やっと、着いたんだ…。ここが、私たちの、新しいお庭…!」
 地球。彼らが、安住の地として選び取った、奇跡の星。その光景は、潤葉の心を通して、見守る者たちにも、歓喜の感情として伝わってきた。
 だが、その喜びは、唐突に、絶望へと塗り替えられた。
「―――いやっ!」
 潤葉が、短い悲鳴を上げた。彼女の脳波が、激しく乱れる。
「どうしたの、潤葉ちゃん!」
 美生奈さんが駆け寄る。潤葉は、目を見開いたまま、虚空を睨みつけていた。
「来た……! たくさん、来た! 銀色で、キラキラしてて、でも、すごく冷たい虫さんたちが……!」
 銀色の、虫。その言葉に、一同は息を呑んだ。
 クリスタル・レプリカント。
「お庭が……私たちの作った、綺麗なお庭が…虫さんたちに、全部、食べられちゃう……! 家も、お友達も、みんな、キラキラの砂にされちゃう……! 痛い、熱い、助けて……!」
 潤葉の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。それは、彼女自身の涙ではなかった。遥か太古、故郷の星を、レプリカントの侵略によって滅ぼされた、ロスト・エヴォルヴという種族そのものの、慟哭だった。
『精神汚染レベルが危険域に! 鳴海潤葉の意識を、強制的に引き戻します!』
 紫京院教授の冷静な指示が飛ぶ。美生奈さんは、潤葉の身体を強く抱きしめ、必死に呼びかけた。
「潤葉ちゃん、戻ってきて! もう大丈夫だから!」
 その声に導かれるように、潤葉の意識は、ゆっくりと現実世界へと浮上してきた。深い、深い眠りから覚めたかのように、彼女は、美生奈さんの腕の中で、嗚咽を漏らしながら、泣きじゃくっていた。
 実験は、中止された。
 だが、チームは、計り知れないほど、大きな情報を手に入れていた。
 ロスト・エヴォルヴは、侵略者であると同時に、クリスタル・レプリカントという、別の脅威によって故郷を追われた、被害者でもあったのだ。

 少し落ち着きを取り戻した潤葉は、一人で、アンファングが待つ地下ドックへと、やってきていた。もちろん、その後ろからは、僕と美生奈さんが、心配そうに見守っている。
 潤葉は、巨大な純白の巨人の、その足元まで歩いていくと、そっと、その装甲に、小さな手のひらを触れさせた。
「……ありがとう、アンファングさん。この前の時も、私と、あの子のこと、守ってくれて」
 その声は、まだ少しだけ震えていたが、そこには、確かな感謝の気持ちが込められていた。
「これからも、皆を、守ってね……」
 潤葉が、アンファングの巨大な脚に、自分の頬をすり寄せた、その時だった。
 彼女は、何か、不思議な感覚に気づき、ぴくりと身体を震わせた。
「……あ、れ……?」
「どうしたの? 潤葉ちゃん」
 美生奈さんが、不思議そうに尋ねる。潤葉は、アンファングの装甲に手のひらを当てたまま、首を傾げた。
「……アンファングさんの、心臓の音、っていうのかな……。身体の中を流れてる、あったかいものの音がね……」
 彼女は、言葉を探すように、少しの間、黙り込んだ。そして、信じられない、といった表情で、僕と美生奈さんを、交互に見上げた。
「……なんだか、あの子と……ガーディアンと、似てる気がして……」
 その、あまりに無垢な一言が、ドックにいた全員に、衝撃となって突き刺さった。
 アンファングの心臓。それは、胸部に搭載された、超小型トカマク型核融合炉プロメテウス。そして、その全身を駆け巡る、温かいもの。それは、琴吹美生奈が合成した、電場応答性人工筋肉アクチュエーター。
 潤葉が感じ取ったのは、その人工筋肉の駆動系から発せられる、微弱な生体エネルギーの音だった。
 なぜ。
 なぜ、全く無関係のはずの、人間が作り出した機械の鼓動が、異星の生態系である、ロスト・エヴォルヴのそれと、似ているのか。
 それは、偶然か。
 それとも――
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