ストロベリームーン・セレナーデ

ukon osumi

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第13話「落下」

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 昼の光がまだ強いワイキキの空の下、撮影現場は再び動き出していた。
テントの下、スタッフたちの交錯する声。発電機のかすれた唸り。ヘアメイクや音声、カメラのスタッフがそれぞれの機材を調整し、指示を飛ばし合っている。そのすべての中心に、ヨウジは立っていた。
照りつける日差しは汗を呼ぶが、それよりも彼の額に滲んでいたのは、別の熱だった。張り詰めた緊張感。再開された撮影の中で、どこかにまだ影が潜んでいる気がしてならなかった。
 サリーの死後、現場の空気は変わった。いや、変えざるを得なかったというべきか。君島葵が代役として入り、スタッフたちはそれなりに新しい流れに順応していたが、それでも完全に元の空気には戻っていない。
 「……セッティング完了です」
 若いスタッフが声をかけ、ヨウジは軽く頷くと、立ち位置の確認へと向かった。
 海岸に向かってやや傾斜のある撮影エリアの中心――そこにようこがいた。撮影補助の一員として、カメラマンと立ち位置の確認をしていた。白いTシャツにキャップというラフな装い。なのに、その姿は不思議と目を引く。
 ――ああ、やっぱり、彼女は……。
 考えかけて、ヨウジは目を細めた。違和感。
 風が吹いたせいではない。スタッフの動きが妙に鈍く感じられたのでもない。何かが、自分の視界に引っかかったのだ。
 ――上だ。
 照明機材。背後のテントに設置された大型のフレーム、その中央に吊るされたライトが、微かに揺れていた。
 しかも――異様な揺れ方だった。
 風向きと違う。重心がずれている。固定されているはずの金具が、きしむような角度で光を反射していた。
 嫌な予感が、首筋を走った。
 そして次の瞬間、視線の先にいたようこが、その機材の真下に立っていることに気づいた。
 胸が凍る。
 判断ではない。思考でもなかった。
 ヨウジの身体は、自分の意志よりも先に動いていた。
 「ようこ――!」
 叫びながら駆け出し、彼女との距離を詰めた。彼女がこちらを向いた時には、もうその場に辿り着いていた。瞬間、彼はようこの肩を抱えるようにして、横へ跳ね飛ばす。
 ドン、と身体がぶつかり、地面が背中に衝撃を返す。そのすぐ後――耳をつんざく金属音が鳴り響いた。
 照明機材が落下したのだ。
 砂煙と破片が舞い上がる。スタッフたちの叫び声。カメラの三脚が倒れ、誰かが「救急箱!」と叫んでいた。
 ヨウジは痛む腕をかばいながら、ようこの顔を見た。
 「……大丈夫か?」
 砂を払おうとする彼女の手が微かに震えていた。
 「……うん……うん、平気。ありがとう……」
 言葉は震えていなかったが、その瞳は、今しがた見た光景をまだ飲み込めていないままだった。細く開かれた唇が、わずかに震えを残している。
 「危なかったな」
 ヨウジはそれだけ言って、立ち上がろうとした。が、膝に力が入らない。少しだけ、深呼吸をした。
 現場はすでに騒然としていた。スタッフが倒れた機材の周囲を囲み、設置担当の男が何度も「信じられない……ちゃんと確認したのに……」と繰り返している。
 監督が「撮影一時中断!」と叫び、PAの女性がスピーカーで状況説明を始めた。
 そんな中、ようこが小さく身を寄せてきた。
 「……ねえ、ヨウジさん」
 その声はかすれていたが、はっきりと耳に届いた。
 「今の、偶然じゃないよね?」
 ヨウジは返事をしなかった。ただ、砂の上に落ちた照明の支柱をじっと見つめた。
 それはまるで、誰かの意図をなぞるように、正確に“そこ”に落ちていたのだった。
 砂埃の収まった現場には、一瞬、言葉を失った静寂が落ちていた。
 誰もが動きを止めて、落下した照明と、その破片を見つめている。
 その中心に、ヨウジとようこはいた。
 「担架、持ってきて!」
 ADが走りながら叫び、医療スタッフが駆け寄ってくる。
 「大丈夫、大丈夫です。倒れただけ……彼が助けてくれたんです」
 ようこが慌てて立ち上がり、医療スタッフの制止を制してそう言った。
 ヨウジは一歩遅れて立ち上がり、背中を払った。痛みはあったが、骨は折れていない。そんな確信があった。
 「本当に……なんで、あんな緩み方するの……?」
 誰かがそう漏らし、ヨウジの耳に入った。
 設営スタッフの一人が、顔を青くして吊り下げ金具を指差している。
 「今朝、点検したときには……ちゃんと締まってました。確認もした。ふたりで、念入りに」
 傍らの年配スタッフが無言で頷く。明らかに“手抜き”ではなさそうだった。
 「誰かが、いじった……?」
 誰かがつぶやく。それは声というより、現場の空気に染み出した疑念だった。
 ヨウジは言葉を挟まず、照明の根本に近づいた。
 外れた金具の一部は、あきらかに“ねじり”によって変形していた。自然に抜けたのではない。ゆっくりと、確実に力をかけてゆるめられた跡だ。
 「ヨウジさん……」
 ようこがそっと隣に立つ。その顔に、明らかな怯えがあった。
 それでも、崩れずに立っているのが、彼女の強さだった。
 「……あれ、私、狙われてたのかな」
 彼女の声は静かだったが、その中にある震えを、ヨウジは聞き逃さなかった。
 「偶然じゃない。たぶん、確実に。あれは“落とされた”んだと思う」
 「でも、どうして……?」
 ようこは、誰かに答えを求めるように彼を見上げた。
 ヨウジは答えなかった。いや、答えられなかった。
 思考がめぐる。
 サリーが死に、君島葵が代役に入り、亮二は情緒を崩しかけている。
 そしてようこは、葵と亮二の“関係”を目撃してしまった。
 ……見ていたことが、誰かに知られた?
 考えすぎだと切り捨てたくても、今のこの出来事を“偶然”として処理するには、あまりに不自然だった。
 「ヨウジさーん!」
 スタッフの一人が駆けてきた。録画用の記録カメラを持っている。
 「事故の瞬間、カメラ回ってました。編集用とは別で、記録保存用のやつ……」
 「それ、見せてもらえるか」
 ヨウジが低く言い、すぐにテント裏に設置されたモニターに連れて行かれる。
 再生された映像には、確かに現場の様子が一部始終映っていた。
 吊り下げ機材のあたりで誰かが手を動かした――そんな明確な映像はなかったが、落下の直前、テントの影に人影があるように見える。
 「……止めて、巻き戻して。その影、そこ」
 ヨウジが指差し、再度映像が巻き戻される。
 カメラは固定だったため、あまりクリアではない。しかし、確かに誰かが“そこ”にいた。
 その人物が、誰かまでは判別できない。
 「……これだけじゃ特定できないですね」
 スタッフが首を振る。
 ヨウジも頷いた。だが、これは決定的な“偶然ではない”証明だった。
 現場に戻ると、ようこが照明機材のそばに立っていた。
 その姿は、強い日差しの中でもどこか心細く映った。
 「見たんだって。カメラに、人影が」
 ようこが、彼の顔をじっと見つめる。
 「やっぱり……私、狙われたのかもしれないんだね」
 その言葉には、不安だけではなく、どこか決意のようなものが混じっていた。
 彼女の目は、何かを覚悟した者のそれに近かった。
 「……ヨウジさん」
 「……ああ」
 「これ、サリーの事件と……つながってるかもしれない。そう思わない?」
 ヨウジはその問いに、すぐには答えなかった。
 だが、彼の中でゆっくりと、確信が芽吹いていた。
 殺人事件は終わっていない。
 何かがまだ動いている。
 その中心に――ようこが、踏み込んでしまったのだ。
ようこが崩れた機材のそばで、ふと顔をしかめた。
「……このあたり、甘い匂いがしない?」
「香水か?」ヨウジが問い返すと、ようこは一瞬、何かを思い出したように目を伏せた。
「ローズと……たぶん、ネロリ系。君島葵が使ってるやつに似てる」
「ここにいたってことか?」
ようこは無言で頷いた。照明事故の前、その場所には“誰か”が立っていた。
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