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異世界で、二人乗り 第一部
異世界で、二人乗り 第一部 第28話 「風の兆し」
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異世界で、二人乗り 第一部 第28話
「風の兆し」
そろそろ、リューネルを出ようと思う。
それは衝動じゃなかった。
何日か前から、心の奥で静かに形になっていた考えだ。
あおいに告白した。
気持ちを伝えた。
この世界で生きる覚悟を、はっきり口にした。
その瞬間、胸のどこかにあった「終点」が消えた。
帰るために旅をするのではなく、ここで生きるために進む。
進む理由を、初めて自分の手で掴んだ気がした。
ならば、もっとこの世界を見てみたい。
リューネルという町は、ちょうど良すぎる町だった。
市場があり、宿があり、依頼の受付があり、困りごとが尽きない。
旅人に慣れていて、外の人間にも優しい。
ほどほどに人がいて、ほどほどに静かで、居心地がいい。
だからこそ、ずっと居られる気がしてしまう。
ずっと居たら、そこで暮らしになってしまう。
暮らしは悪くない。現実社会と比べても、だ。
でも――だからこそ思った。
この町だけを世界だと思ってしまう前に、外へ行きたい。
この世界に腰を落ち着ける覚悟を持ったのなら、
その覚悟のまま、もっと世界を見てみたい。
どこにどんな街があり、どんな森があり、どんな山があり、どんな海があるのか。
ここにある「普通」が、外ではどれだけ違うのか。
そして――
この世界で、あおいと二人で生きていくとは、どういうことなのか。
それを確かめるには、歩くしかない。
リューネルには、結局四ヶ月ほど滞在した。
最初は、この世界で生きる術を探すための町だった。
情報を集め、とりあえず生き延び、現実世界に帰る手段を探す。
そのつもりが、いつの間にか「いつもの宿」ができ、「いつもの席」ができ、「いつもの顔」が増えていた。
宿の女将は、戻ると「おかえり」と部屋の鍵を渡す。
町門の男は、出かけるたびに「気をつけてな」と声をかける。
ギルドでは顔見知りの冒険者たちに声をかけられ、お互いの無事を確認し合う。
受付の男は、顔を見ると「この仕事どうだ?」と声をかけてくる。
この世界にも暦がある。
日付があり、週の区切りがあり、祭りや市の周期がある。
現実世界の感覚がほぼそのまま通用する異世界。
ご都合主義と言えばそうだが、
それならそれで、ありがたく思うことにした。
そこに理由を求めても、意味はない。
日々を生きる。
今日が何日で何曜日かより、今日をどう終えるかが大事な世界。
そして最近は、今日をどう終えるかより、
今日、あおいが隣でどんな顔をするかのほうが、ずっと大事になっていた。
旅立つと決めてからの数日は、準備に使った。
ギルドの依頼は軽めの仕事を中心に受ける。
あおいも、当たり前のように旅支度を手伝う。
森から森へ。
エルフは定住しない。
町を離れることも、どこか最初から決まっていたのかもしれない。
荷を整理し、道具を揃え、衣類を見直し、食料のあたりをつける。
ジュリオにもバッグを取り付け、取り出しやすく収納する。
駅までの通勤用だった原チャリは、すっかり旅仕様になってきた。
地図を見て行き先を考え、依頼仕事のついでに道を聞く。
宿の女将に出立を告げ、ギルドの受付に礼を言い、顔なじみに「しばらく出る」と伝える。
それだけのことなのに、やることは多い。
不思議なことに、そういう作業が楽しかった。
本気を出せば、大抵のことは何とかなる。
ジュリオのメットインから、必要なものが出てくる。
理由は分からない。
正直に言えば、かなりインチキだ。
胸を張れる話でもない。
それでも、何度も助けられてきた。
それが事実だ。
頼り切るつもりはない。
だが、切り捨てるほど潔くもなれない。
いざという時に使えるものがある。
その現実が、旅立つ決断を後押ししていた。
あおいが旅に役立ちそうなものを見つけてきた。
「これ、持っていこう」
小さな袋を持ち上げている。
乾燥させた薬草だ。
「効くらしいよ」
「持っていこう。……匂い、ちょっと強くないか?」
土と緑が混じった、独特の匂い。
「あ、やっぱり気になる?」
「ちょっとな」
「じゃあ、上に置く」
そんな会話だった。
胸が緩む。
「それと、これ」
あおいが畳んだ布を差し出す。
町で買った薄い上掛けだ。
「寒いときに」
「俺の分?」
「二人の分」
何でもない顔で言う。
――二人の分。
この数日、そういう言い方が増えた。
意図しているのか、無意識なのか分からない。
でも確実に、あおいは「二人」を前提にしている。
会話に迷いがなくなった。
あおいの視線は、まっすぐだ。
決めたら揺れない。
揺れないまま、自然に前へ進む。
タイラーがまだ警戒している段差を、あおいは軽く越えていく。
旅立ちの数日前、町外れの丘に登った。
リューネルの全景が見える。
赤茶の屋根が連なり、石畳の道が伸び、遠くに森が波打っている。
その景色は、昨日までと何も変わらないはずだった。
それでも、どこか違う気がした。
あおいは風に髪を揺らしながら、黙って町を見ていた。
水色の髪は、光を受けて透ける。
一色ではなく、層が重なって淡い海のように見える。
赤い瞳は派手じゃない。
透き通るような、もっと内側の色。
静かな火が灯っているような赤だ。
――美しい。
見た目だけじゃない。
仕草、沈黙、距離の取り方。
それらすべてが、あおいの美しさになっている。
そして、その美しさが、すぐ隣にある。
「リューネル、好き?」
あおいが聞いてくる。
「好きだな」
「じゃあ、また来ればいいよ」
「……そうだな」
「来れるよ。だって、旅なんだから」
当たり前のことを言うように言う。
返事ができなかった。
胸の奥が、少しだけ軋んだ。たぶん、オレはこの町を離れるのが寂しいのだ。
――でも、行く。
見るための旅。
生きるための旅。
あおいと一緒に生きる旅。
それが、現実になり始めている。
そして、避けていた問題があった。
あおいが積極的になっている。
距離が縮まっている。
夜、肩が触れる。
布越しに体温が伝わる。
――このままだと、いずれ一線を越える。
怖いのは、越えることじゃない。
越えたあと、何を伝えなかったことになるかだ。
隠し事を抱えたまま抱きしめるのは、
無難な逃げと同じ匂いがした。
だから決めていた。
旅立つ前夜に話す。
全部は語らない。
でも、必要なことは言う。
異世界から来たこと。
そして、時々「ありえない」ことが起きること。
それだけは、伝える。
旅立ちの前夜。 白梟亭の部屋で、二人きりになった。
外は静かだった。 リューネルの夜は、深夜になると本当に音が減る。 遠くの犬の声と、風の匂いだけがある。
部屋の中は、いつもとかわらない。 いつもと同じベッド。 いつもと同じ机。 いつもと同じ窓。
いつもと同じなのに、今夜だけ空気が違う。
あおいは椅子に座り、タイラーを見ていた。
話がある、と言った瞬間から、目を逸らさない。
タイラーは一度息を吸って、吐いた。 自分の癖が出る。 整えてから言いたい。安全を確認してから言いたい。 でも今夜は、整えきれないまま言う。
「……話しておきたいことがある」
あおいは頷いた。
「うん」
短い。
その短さが、タイラーの背中を押す。
「俺は……この世界の人間じゃない」
一瞬、あおいのまばたきが止まる。
でも、驚いた顔はしない。 怖がらない。
タイラーは続ける。
「ここより文明が発達した世界から来た」
できるだけ簡単に。
「魔法はない。でも、道具とか、社会の仕組みとかは進んでる。 夜でも明るい街があって、遠くの人と声で話せて、空を飛ぶものもある」
あおいは黙って聞いている。
否定もしない。疑う気配もない。
「……俺は、そういう世界から、この世界に来たんだ。」
言い切った。
部屋の空気が一瞬だけ止まって、また動く。
あおいは、少しだけ口元を緩めた。
「やっぱり」
あおいの口調は穏やかだった。
「やっぱりって……」
あおいは続ける。
「うん。なんとなく。最初から」
「なんで分かる」
「分かんない。でも、分かる」
説明になっていない。
でも、あおいらしい。
「それと、もう一つ」
タイラーは視線を落として、自分の手を見る。
「俺には……必要なものが、必要なときに手に入ることがある」
誤魔化さない。
でも、深入りもしない。
「ジュリオから取り出せる。それだけじゃないかも知れない。試したことがないから。
でも何度も助けられた。理由は分からない。ただ、そういうことが起きる」
あおいは、少し考えるような顔をしてから、さらっと言った。
「魔術師様だもん」
「……え?」
「それくらいできると思ってた」
「普通、驚くだろ」
「驚くほどじゃないよ」
あおいは首を傾げる。
「だって、タイラーが困ってるときに助かるなら、いいことだし」
その言い方が、あまりにも自然で、タイラーは笑ってしまいそうになる。 笑えないのに、胸が軽くなる。
「知らない世界から来たのも、気にしてない」
あおいはまっすぐ言った。
「タイラーはタイラーでしょ」
それは慰めでも、説得でもなかった。
ただ事実を置いただけの言葉だった。
タイラーは、言葉を失う。
この世界の理屈じゃない。
感情の受け止め方が、強い。
「それに」
あおいは、少しだけ声を落とした。
この数日で何度も見た、“真剣なときの目”になる。
「この“世界”では、わたしはもう大人だよ」
「ちゃんと、自分で選べる」
その一言で、タイラーの中の何かが外れた。
最後の留め金が、音もなく落ちる。
帰るかもしれない自分。
どこかで線を引いていた自分。
失敗しないように、無難な場所に立ち続けてきた自分。
それらが、一瞬で意味を失う。
――もう帰らない。
――あおいを大切にする。
――この世界で一緒に生きていく。
決意というより、現実の確定だった。
あおいが立ち上がる。
椅子が、僅かに鳴る。
距離が、一歩。
二歩。
近い。
あおいは、タイラーの前で止まった。
目を見て、ほんの一瞬だけ迷う。
その迷いは、すぐに消える。
「ねえ」
「……なに」
「旅立つ前に、わたしが、確かめたいことがあるの」
「なに。」
あおいは、ほんの少しだけ笑った。
嬉しそうなのに、照れていない。
「わたしのこと、ちゃんと見て」
要求でも、命令でもない。
確認だった。
「見てる」
タイラーは即答した。
森で出会って、この四ヶ月。
ずっと見ていた。
見ないふりをしていた時間もあった。
それでも、見ていた。
あおいが、さらに一歩近づく。
これ以上近づけば、触れる距離。
「じゃあ、触れて」
短い言葉。
息をする音のほうが、大きい。
タイラーは迷った。
理由は分かっている。
社会通念。
年齢差。
立場。
責任。
これまで積み重ねてきた“無難”。
でも、今夜のあおいは無難を許さない。
あおいは強い。
そして、優しい。
優しいからこそ、タイラーが逃げる道を塞ぐ。
タイラーは、そっと手を伸ばす。
肩に触れる。
逃げ場を残した、慎重な触れ方で。
あおいはすぐに、その手の上に自分の手を重ねた。
掴まない。
でも、離さない。
言葉は、もう要らなかった。
灯りを落とす。
夜が、部屋に満ちる。
今まで何度も、この部屋で朝を迎えてきた。
でも、今夜は違う。
怖いのは、踏み込むことじゃない。
踏み込んだあとに、迷うことだ。
迷わない。
もう、逃げない。
水色の髪が暗がりで淡く揺れる。
赤い瞳が、光のない場所でも確かにそこにある。
そして、あの匂い。
世界が切り替わったときの感覚に似ているのに、
もっと近くて、もっと確かで、もっと人間的な匂い。もう好きな匂いになっている。
――ああ。
――やっぱり。
俺は、この匂いに呼ばれて来たのかもしれない。
言葉にすれば嘘くさい。
でも、胸の奥が先に納得していた。
時間は区切られずに流れる。
どこからどこまでかは、誰にも分からない。
ただ、戻れない一歩を越えた感覚だけが、確かに残った。
――
――
夜中、ふと目が覚めた。
部屋は暗い。
窓から入る月明かりが、薄く壁に滲んでいる。
隣を見ると、あおいが眠っていた。
いつになく静かで、いつになく安らかな顔。
幸せそうだ、と思う。
そう思った瞬間、胸の奥が少し痛んだ。
――やっちまった。
行為のことじゃない。
もっと根っこの話だ。
年下の女の子に手を出してしまった。
現実社会なら、完全に案件だ。
そういう常識が、骨に染みている。
この世界では、同じ尺度じゃないのかもしれない。
それでも、簡単には消えない。
――後悔はない。
迷わないと決めた。
大切にすると決めた。
それは言葉じゃなく、行動で示すしかない。
それでも、頭は余計なことを考えた。
――エルフって、長寿なんだよな。
――実は百歳超えてるとか……?
自分で自分の思考に、苦笑する。
どうでもいい。
どうでもいいのに、逃げたがる。
――いい歳こいたおっさんが。
――現実逃避すんな。
――腹を決めろ。
あおいに想いを告げた時の言葉を繰り返す。
腹は、もう決まっている。
あおいは、あおいだ。
数字でも、種族でもない。
あの目。
あの距離。
あの強さ。
心から、愛している。
――
柔らかな感触で、目を覚ました。
唇に、かすかな熱。
瞬きをして、視界が焦点を結ぶ。
そこに、あおいがいた。
水色の髪が肩に流れ、朝の光を受けて淡く揺れている。
赤い瞳が、静かにタイラーを見ていた。
――綺麗だ。
いや、違う。
昨夜までとは、どこか違う。
少女の輪郭が、消えている。
そこにいるのは、
ひどく落ち着いた、大人の女性だった。
「……起きた?」
「うん」
短い会話。
それだけで、十分だった。
あおいは一拍置いてから、言った。
「エルフのはじめてのヒトはね……最初で、最後なんだよ。」
……
……
「それ、今いうこと?」
第一部 完
「風の兆し」
そろそろ、リューネルを出ようと思う。
それは衝動じゃなかった。
何日か前から、心の奥で静かに形になっていた考えだ。
あおいに告白した。
気持ちを伝えた。
この世界で生きる覚悟を、はっきり口にした。
その瞬間、胸のどこかにあった「終点」が消えた。
帰るために旅をするのではなく、ここで生きるために進む。
進む理由を、初めて自分の手で掴んだ気がした。
ならば、もっとこの世界を見てみたい。
リューネルという町は、ちょうど良すぎる町だった。
市場があり、宿があり、依頼の受付があり、困りごとが尽きない。
旅人に慣れていて、外の人間にも優しい。
ほどほどに人がいて、ほどほどに静かで、居心地がいい。
だからこそ、ずっと居られる気がしてしまう。
ずっと居たら、そこで暮らしになってしまう。
暮らしは悪くない。現実社会と比べても、だ。
でも――だからこそ思った。
この町だけを世界だと思ってしまう前に、外へ行きたい。
この世界に腰を落ち着ける覚悟を持ったのなら、
その覚悟のまま、もっと世界を見てみたい。
どこにどんな街があり、どんな森があり、どんな山があり、どんな海があるのか。
ここにある「普通」が、外ではどれだけ違うのか。
そして――
この世界で、あおいと二人で生きていくとは、どういうことなのか。
それを確かめるには、歩くしかない。
リューネルには、結局四ヶ月ほど滞在した。
最初は、この世界で生きる術を探すための町だった。
情報を集め、とりあえず生き延び、現実世界に帰る手段を探す。
そのつもりが、いつの間にか「いつもの宿」ができ、「いつもの席」ができ、「いつもの顔」が増えていた。
宿の女将は、戻ると「おかえり」と部屋の鍵を渡す。
町門の男は、出かけるたびに「気をつけてな」と声をかける。
ギルドでは顔見知りの冒険者たちに声をかけられ、お互いの無事を確認し合う。
受付の男は、顔を見ると「この仕事どうだ?」と声をかけてくる。
この世界にも暦がある。
日付があり、週の区切りがあり、祭りや市の周期がある。
現実世界の感覚がほぼそのまま通用する異世界。
ご都合主義と言えばそうだが、
それならそれで、ありがたく思うことにした。
そこに理由を求めても、意味はない。
日々を生きる。
今日が何日で何曜日かより、今日をどう終えるかが大事な世界。
そして最近は、今日をどう終えるかより、
今日、あおいが隣でどんな顔をするかのほうが、ずっと大事になっていた。
旅立つと決めてからの数日は、準備に使った。
ギルドの依頼は軽めの仕事を中心に受ける。
あおいも、当たり前のように旅支度を手伝う。
森から森へ。
エルフは定住しない。
町を離れることも、どこか最初から決まっていたのかもしれない。
荷を整理し、道具を揃え、衣類を見直し、食料のあたりをつける。
ジュリオにもバッグを取り付け、取り出しやすく収納する。
駅までの通勤用だった原チャリは、すっかり旅仕様になってきた。
地図を見て行き先を考え、依頼仕事のついでに道を聞く。
宿の女将に出立を告げ、ギルドの受付に礼を言い、顔なじみに「しばらく出る」と伝える。
それだけのことなのに、やることは多い。
不思議なことに、そういう作業が楽しかった。
本気を出せば、大抵のことは何とかなる。
ジュリオのメットインから、必要なものが出てくる。
理由は分からない。
正直に言えば、かなりインチキだ。
胸を張れる話でもない。
それでも、何度も助けられてきた。
それが事実だ。
頼り切るつもりはない。
だが、切り捨てるほど潔くもなれない。
いざという時に使えるものがある。
その現実が、旅立つ決断を後押ししていた。
あおいが旅に役立ちそうなものを見つけてきた。
「これ、持っていこう」
小さな袋を持ち上げている。
乾燥させた薬草だ。
「効くらしいよ」
「持っていこう。……匂い、ちょっと強くないか?」
土と緑が混じった、独特の匂い。
「あ、やっぱり気になる?」
「ちょっとな」
「じゃあ、上に置く」
そんな会話だった。
胸が緩む。
「それと、これ」
あおいが畳んだ布を差し出す。
町で買った薄い上掛けだ。
「寒いときに」
「俺の分?」
「二人の分」
何でもない顔で言う。
――二人の分。
この数日、そういう言い方が増えた。
意図しているのか、無意識なのか分からない。
でも確実に、あおいは「二人」を前提にしている。
会話に迷いがなくなった。
あおいの視線は、まっすぐだ。
決めたら揺れない。
揺れないまま、自然に前へ進む。
タイラーがまだ警戒している段差を、あおいは軽く越えていく。
旅立ちの数日前、町外れの丘に登った。
リューネルの全景が見える。
赤茶の屋根が連なり、石畳の道が伸び、遠くに森が波打っている。
その景色は、昨日までと何も変わらないはずだった。
それでも、どこか違う気がした。
あおいは風に髪を揺らしながら、黙って町を見ていた。
水色の髪は、光を受けて透ける。
一色ではなく、層が重なって淡い海のように見える。
赤い瞳は派手じゃない。
透き通るような、もっと内側の色。
静かな火が灯っているような赤だ。
――美しい。
見た目だけじゃない。
仕草、沈黙、距離の取り方。
それらすべてが、あおいの美しさになっている。
そして、その美しさが、すぐ隣にある。
「リューネル、好き?」
あおいが聞いてくる。
「好きだな」
「じゃあ、また来ればいいよ」
「……そうだな」
「来れるよ。だって、旅なんだから」
当たり前のことを言うように言う。
返事ができなかった。
胸の奥が、少しだけ軋んだ。たぶん、オレはこの町を離れるのが寂しいのだ。
――でも、行く。
見るための旅。
生きるための旅。
あおいと一緒に生きる旅。
それが、現実になり始めている。
そして、避けていた問題があった。
あおいが積極的になっている。
距離が縮まっている。
夜、肩が触れる。
布越しに体温が伝わる。
――このままだと、いずれ一線を越える。
怖いのは、越えることじゃない。
越えたあと、何を伝えなかったことになるかだ。
隠し事を抱えたまま抱きしめるのは、
無難な逃げと同じ匂いがした。
だから決めていた。
旅立つ前夜に話す。
全部は語らない。
でも、必要なことは言う。
異世界から来たこと。
そして、時々「ありえない」ことが起きること。
それだけは、伝える。
旅立ちの前夜。 白梟亭の部屋で、二人きりになった。
外は静かだった。 リューネルの夜は、深夜になると本当に音が減る。 遠くの犬の声と、風の匂いだけがある。
部屋の中は、いつもとかわらない。 いつもと同じベッド。 いつもと同じ机。 いつもと同じ窓。
いつもと同じなのに、今夜だけ空気が違う。
あおいは椅子に座り、タイラーを見ていた。
話がある、と言った瞬間から、目を逸らさない。
タイラーは一度息を吸って、吐いた。 自分の癖が出る。 整えてから言いたい。安全を確認してから言いたい。 でも今夜は、整えきれないまま言う。
「……話しておきたいことがある」
あおいは頷いた。
「うん」
短い。
その短さが、タイラーの背中を押す。
「俺は……この世界の人間じゃない」
一瞬、あおいのまばたきが止まる。
でも、驚いた顔はしない。 怖がらない。
タイラーは続ける。
「ここより文明が発達した世界から来た」
できるだけ簡単に。
「魔法はない。でも、道具とか、社会の仕組みとかは進んでる。 夜でも明るい街があって、遠くの人と声で話せて、空を飛ぶものもある」
あおいは黙って聞いている。
否定もしない。疑う気配もない。
「……俺は、そういう世界から、この世界に来たんだ。」
言い切った。
部屋の空気が一瞬だけ止まって、また動く。
あおいは、少しだけ口元を緩めた。
「やっぱり」
あおいの口調は穏やかだった。
「やっぱりって……」
あおいは続ける。
「うん。なんとなく。最初から」
「なんで分かる」
「分かんない。でも、分かる」
説明になっていない。
でも、あおいらしい。
「それと、もう一つ」
タイラーは視線を落として、自分の手を見る。
「俺には……必要なものが、必要なときに手に入ることがある」
誤魔化さない。
でも、深入りもしない。
「ジュリオから取り出せる。それだけじゃないかも知れない。試したことがないから。
でも何度も助けられた。理由は分からない。ただ、そういうことが起きる」
あおいは、少し考えるような顔をしてから、さらっと言った。
「魔術師様だもん」
「……え?」
「それくらいできると思ってた」
「普通、驚くだろ」
「驚くほどじゃないよ」
あおいは首を傾げる。
「だって、タイラーが困ってるときに助かるなら、いいことだし」
その言い方が、あまりにも自然で、タイラーは笑ってしまいそうになる。 笑えないのに、胸が軽くなる。
「知らない世界から来たのも、気にしてない」
あおいはまっすぐ言った。
「タイラーはタイラーでしょ」
それは慰めでも、説得でもなかった。
ただ事実を置いただけの言葉だった。
タイラーは、言葉を失う。
この世界の理屈じゃない。
感情の受け止め方が、強い。
「それに」
あおいは、少しだけ声を落とした。
この数日で何度も見た、“真剣なときの目”になる。
「この“世界”では、わたしはもう大人だよ」
「ちゃんと、自分で選べる」
その一言で、タイラーの中の何かが外れた。
最後の留め金が、音もなく落ちる。
帰るかもしれない自分。
どこかで線を引いていた自分。
失敗しないように、無難な場所に立ち続けてきた自分。
それらが、一瞬で意味を失う。
――もう帰らない。
――あおいを大切にする。
――この世界で一緒に生きていく。
決意というより、現実の確定だった。
あおいが立ち上がる。
椅子が、僅かに鳴る。
距離が、一歩。
二歩。
近い。
あおいは、タイラーの前で止まった。
目を見て、ほんの一瞬だけ迷う。
その迷いは、すぐに消える。
「ねえ」
「……なに」
「旅立つ前に、わたしが、確かめたいことがあるの」
「なに。」
あおいは、ほんの少しだけ笑った。
嬉しそうなのに、照れていない。
「わたしのこと、ちゃんと見て」
要求でも、命令でもない。
確認だった。
「見てる」
タイラーは即答した。
森で出会って、この四ヶ月。
ずっと見ていた。
見ないふりをしていた時間もあった。
それでも、見ていた。
あおいが、さらに一歩近づく。
これ以上近づけば、触れる距離。
「じゃあ、触れて」
短い言葉。
息をする音のほうが、大きい。
タイラーは迷った。
理由は分かっている。
社会通念。
年齢差。
立場。
責任。
これまで積み重ねてきた“無難”。
でも、今夜のあおいは無難を許さない。
あおいは強い。
そして、優しい。
優しいからこそ、タイラーが逃げる道を塞ぐ。
タイラーは、そっと手を伸ばす。
肩に触れる。
逃げ場を残した、慎重な触れ方で。
あおいはすぐに、その手の上に自分の手を重ねた。
掴まない。
でも、離さない。
言葉は、もう要らなかった。
灯りを落とす。
夜が、部屋に満ちる。
今まで何度も、この部屋で朝を迎えてきた。
でも、今夜は違う。
怖いのは、踏み込むことじゃない。
踏み込んだあとに、迷うことだ。
迷わない。
もう、逃げない。
水色の髪が暗がりで淡く揺れる。
赤い瞳が、光のない場所でも確かにそこにある。
そして、あの匂い。
世界が切り替わったときの感覚に似ているのに、
もっと近くて、もっと確かで、もっと人間的な匂い。もう好きな匂いになっている。
――ああ。
――やっぱり。
俺は、この匂いに呼ばれて来たのかもしれない。
言葉にすれば嘘くさい。
でも、胸の奥が先に納得していた。
時間は区切られずに流れる。
どこからどこまでかは、誰にも分からない。
ただ、戻れない一歩を越えた感覚だけが、確かに残った。
――
――
夜中、ふと目が覚めた。
部屋は暗い。
窓から入る月明かりが、薄く壁に滲んでいる。
隣を見ると、あおいが眠っていた。
いつになく静かで、いつになく安らかな顔。
幸せそうだ、と思う。
そう思った瞬間、胸の奥が少し痛んだ。
――やっちまった。
行為のことじゃない。
もっと根っこの話だ。
年下の女の子に手を出してしまった。
現実社会なら、完全に案件だ。
そういう常識が、骨に染みている。
この世界では、同じ尺度じゃないのかもしれない。
それでも、簡単には消えない。
――後悔はない。
迷わないと決めた。
大切にすると決めた。
それは言葉じゃなく、行動で示すしかない。
それでも、頭は余計なことを考えた。
――エルフって、長寿なんだよな。
――実は百歳超えてるとか……?
自分で自分の思考に、苦笑する。
どうでもいい。
どうでもいいのに、逃げたがる。
――いい歳こいたおっさんが。
――現実逃避すんな。
――腹を決めろ。
あおいに想いを告げた時の言葉を繰り返す。
腹は、もう決まっている。
あおいは、あおいだ。
数字でも、種族でもない。
あの目。
あの距離。
あの強さ。
心から、愛している。
――
柔らかな感触で、目を覚ました。
唇に、かすかな熱。
瞬きをして、視界が焦点を結ぶ。
そこに、あおいがいた。
水色の髪が肩に流れ、朝の光を受けて淡く揺れている。
赤い瞳が、静かにタイラーを見ていた。
――綺麗だ。
いや、違う。
昨夜までとは、どこか違う。
少女の輪郭が、消えている。
そこにいるのは、
ひどく落ち着いた、大人の女性だった。
「……起きた?」
「うん」
短い会話。
それだけで、十分だった。
あおいは一拍置いてから、言った。
「エルフのはじめてのヒトはね……最初で、最後なんだよ。」
……
……
「それ、今いうこと?」
第一部 完
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気がつけば、今にも動き出しそうなドラゴンの骨の前にいた。
周囲は白骨死体だらけ。
慌てて武器になりそうなものを探すが、剣はすべて折れ曲がり、鎧は胸に大穴が空いたりひしゃげたりしている。
仏様から脱がすのは、物理的にも気持ち的にも無理だった。
ここは――
多分、ボス部屋。
しかもこの部屋には入り口しかなく、本来ドラゴンを倒すために進んできた道を、逆進行するしかなかった。
与えられた能力は、現代日本の商品を異世界に取り寄せる
【異世界ショッピング】。
一見チートだが、完成された日用品も、人が口にできる食べ物も飲料水もない。買えるのは素材と道具、作業関連品、農作業関連の品や種、苗等だ。
魔物を倒して魔石をポイントに換えなければ、
水一滴すら買えない。
ダンジョン最奥スタートの、ハード・・・どころか鬼モードだった。
そんな中、盾だけが違った。
傷はあっても、バンドの残った盾はいくつも使えた。
両手に円盾、背中に大盾、そして両肩に装着したL字型とスパイク付きのそれは、俺をリアルザクに仕立てた。
盾で殴り
盾で守り
腹が減れば・・・盾で焼く。
フライパン代わりにし、竈の一部にし、用途は盛大に間違っているが、生きるためには、それが正解だった。
ボス部屋手前のセーフエリアを拠点に、俺はひとりダンジョンを生き延びていく。
――そんなある日。
聞こえるはずのない女性の悲鳴が、ボス部屋から響いた。
盾のまちがった使い方から始まる異世界サバイバル、ここに開幕。
【AIの使用について】
本作は執筆補助ツールとして生成AIを使用しています。
主な用途は「誤字脱字のチェック」「表現の推敲」「壁打ち(アイデア出しの補助)」です。
ストーリー構成および本文の執筆は作者自身が行っております。
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※投稿時間は多少前後しますが毎日投稿は続けていくつもりです。
※タイトルは予告なしにガラリと変わる場合があるのでご了承ください。
※表紙は現在の主人公のイメージ図です。もしまた別の国へ行く場合、彼女の装いも変化するかもしれません。
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