雑草姫、選ばれし花の庭で踏まれて生きる 〜ガラスの靴は、土いじりには不向きです〜

お月見ましろ

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第11話 王子様にお出しするのは、秘伝の妙薬

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 レオンハルトは、案内された居間の凄惨な光景に、言葉を失って立ち尽くしていた。
 
 広い。確かに、王都の並の貴族邸とも引けを取らない広さだ。ただ、そこには生活の体温を感じさせる装飾が存在しなかった。かつては名門の社交を彩ったであろう部屋の暖炉は冷え切り、無惨にも古びたソファーからは、燻んだ綿が露出していた。
 
「……おい。これはいったいどういうことだ。泥棒にでも入られたのか? それとも、これから引っ越しでもするのか」
 
 レオンハルトの戸惑った声に、木箱に腰を下ろしていたリリーが、不思議そうに首を傾げた。
 
「泥棒? いいえ、違います。お姉ちゃんが『お掃除』したんです」
 
「掃除……だと?」
 
「はい。お父様が大きな失敗をして、お母様が後を追うように亡くなった頃。お姉ちゃんが、お家の宝石も、絨毯も、お気に入りの花瓶も、全部お掃除したの。『これで、 私たちは自由よ!』って」
 
 リリーは、遠い目をして微笑んだ。その表情には、同年代の令嬢が持つような無邪気さではなく、過酷な現実を飲み干した者特有の、静かな強さが宿っている。
 
「食器も少ししか残らなかったけれど、そのぶんお部屋が広くなって、お掃除もしやすくて。……ね、フィンくん?」
 
「……ああ。そうだね、リリー」
 
 フィンは、リリーの無邪気な言葉を肯定しながらも、固く唇を噛み締めていた。

 レオンハルトは息を呑んだ。彼女がどれだけのものを手放し、どれほどの夜をこの冷たい石畳の上で過ごしてきたのか。冬になれば凍てつくようなこの広い「空っぽの箱」の中で、少女二人が身を寄せ合い、誰に頭を下げることもなく生き抜いてきた。
 
 彼が学園で「雑草」と嘲笑っていたあの女は、泥を啜ってでも、誰の所有物でもないこの「自由」を勝ち取ってきていた。
 

 その時、重厚な玄関扉が、音を立てて開け放たれた。
 
「ただいま! リリー! 聞いて、今日は凄いのよ!」
 
 場違いなほどに明るい、弾むような声。
 
 そこには、下町の安酒場の匂いを纏い、給仕の仕事で跳ねた煤を頬に付けたままのロザリーが立っていた。腕には、茶色の紙で何重にも包まれた、大事な宝物のような包みを抱えている。
 
「あれ、もしかしてフィンもいる? 親父さんがね、今日はお客さんが少なかったからって、余ったお肉の端っこと、形が崩れたミートパイをこんなに持たせてくれたの! 今夜はご馳走よ! 温かいうちに食べ――……っ」
 
 ロザリーの言葉が、霧消した。視線の先、あり得ないほどの光量を放って鎮座する、真紅の瞳の暴君。彼女の手の中で、賄いの包みが微かにカサリと音を立てた。
 
「……レオンハルト殿下。なぜ、貴方がここに」
 
 ロザリーの声から、先ほどまでの明るい熱が、急速に引いていく。彼女は自分の汚れた給仕服を隠そうともせず、けれど抱えた包みを奪われまいとするように強く抱きしめた。
 
 レオンハルトは、彼女が「最高のご馳走」として持ち帰ったその包みが、何なのかはわからなかった。それでも、学園とは異なる彼女の姿に、生まれて初めて、顔を殴られたような衝撃を受けていた。
 
「…………あ。いや。俺は、その」
 
 あんなに不遜だった王子の舌が、もつれる。
 
 ロザリーはゆっくりと視線をフィンへ向け、それから再びレオンハルトを見据えた。その瞳には、もはや呆れすらなく、ただ自分の「聖域」に土足で踏み込まれた者特有の、静かな怒りだけが宿っていた。

 数秒の沈黙ののち、ロザリーは「すん」と鼻を鳴らすと、一瞬で背筋を伸ばした。
 
 目を見開いた驚きや、酒場の熱気を引きずった明るい表情を、完璧な貴族の礼儀という仮面の下に押し隠したのだ。彼女は手にした賄いの包みをリリーに預けると、レオンハルトに向かって優雅に膝を折った。
 
「……失礼いたしました、殿下。このような無礼な格好でお迎えすることになろうとは。エヴァレット家の不徳の致すところですわ」
 
「あ、いや。……それは、構わんが。それより貴様、その煤は何だ。どこで何をしていた」
 
 レオンハルトの問いを、ロザリーは流れるような動作で受け流す。彼女は居間のテーブルという名の木箱の上を素早く一瞥すると、横に立つフィンをジロリと睨んだ。
 
「ねえフィン。リリーと貴方だけお茶を楽しんで、殿下には何もお出ししていないなんてどういうこと? 」
 
(……おいロザリー、オレのせいにするな)
 
 フィンは視線でそう訴えたが、ロザリーは構わず台所へと消えた。だが、すぐに戻ってきた彼女の手には、中身のない空の茶缶が握られている。
 
「ねえ、フィン。貴方がくれた上質な紅茶って、もう無いの……ポケットの中にあったりしない……?」

「そんなのあったらもう出しているよ」
 
 小声で尋ねるロザリーの言葉に、フィンも声を潜めて応じる。ここからは、王子には聞こえない「身内」のトーンだ。
 
「だから言おうとしたんだよ。もう水しかないって」
 
「嘘でしょ、最悪。王族にただの水を出すなんて。どうしよう……。あ、そうだ。奥に干しておいたドクダミがあったはず。あれなら薬効も高いし、おもてなしにぴったりじゃない」
 
 フィンの顔が、一瞬で引き攣った。
 
「……ドクダミ茶、オレ、あれ苦手なんだよな。っていうか、ちょっと待て。ドクダミ茶を、第一王子殿下にお出しするのか? あの独特な匂いのやつを?」
 
「背に腹は代えられないわよ。ドクダミはね、立派な薬草なの。……あぁ、殿下! すぐにお淹れしますから、その冷たい床でお待ちくださいね」
 
 まるで演技のような、完璧な令嬢の微笑み。その言葉はレオンハルトに聞こえることはない。だが、フィンにはそれが「早く帰れという無言の圧力」にしか見えなかった。

 その見えない圧力にレオンハルトは、促されるまま冷えた床の温度を感じ、王城では決して味わったことのない居心地の悪さに眉を顰めた。
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