雑草姫、選ばれし花の庭で踏まれて生きる 〜ガラスの靴は、土いじりには不向きです〜

お月見ましろ

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第13話 毛布一枚分の平穏

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 漆黒の馬車が跳ね上げた泥の音が遠ざかり、森が本来の静寂を取り戻した。残されたのは、枝葉の間を縫う夜風の擦過音と、遠くで梟がひとつ鳴く声だけだ。

 エヴァレット邸の居間には、高級な馬車の潤滑油の匂いと、レオンハルトが纏っていた香水の残り香が、場違いなほど濃厚に漂っている。甘く、鋭く、胸の奥に張りつく匂い――この家の煤と乾いた木の匂いを、無遠慮に塗り替えていくような。

 ロザリーは玄関の重い扉を閉めると、鍵を掛ける指先に力が入らないまま、ずるずるとその場に座り込んだ。膝が床に当たると、冷えた石の感触が布越しにじわりと滲む。
 
「……あー、もう、めちゃくちゃ。なんなのよ、あいつ。人の家を家畜小屋だのなんだの……。挙句の果てに居座って、ドクダミ茶飲んで。本当に、意味がわからない」
 
  令嬢らしい背筋の伸びた姿勢はどこへやら。膝を抱えて項垂れる姿は、どこにでもいる「疲れ果てた女の子」そのものだった。口調も、学園で使う刃のような丁寧さが剥がれ落ち、素の苛立ちが息になって零れている。

 フィンは黙って、テーブルの上に残された年季の入ったカップを大切に片付け始めた。レオンハルトが残したドクダミ茶は、半分も減っていない。
 
「お疲れさま、ロザリー。……まあ、殿下も悪気はなかったんだろうけど。あの人の『普通』と、オレたちの『普通』は、住んでる世界が違いすぎるんだよ」
 
「悪気がないのが一番タチが悪いわ」

 ロザリーは吐き捨てるように言ってから、ふっと息をついた。怒り切れない疲労が、肩から砂のように落ちていく。

「……フィン、悪いわね。せっかく貴方が来てたのに、リリーの面倒を見てくれていたんでしょ?」
 
「バレてた? 大丈夫だよ、好きでやっているんだ。……それより、リリーが寝ちゃった。よっぽど緊張したんだろうね」

 フィンが顎で示した先、居間の隅に置かれた古びた寝椅子で、リリーが小さな寝息を立てていた。手には、先ほどまで刺繍していた布がしっかりと握られている。指先だけが、夢の中でも何かを縫い留めようとしているみたいに、少し丸まっていた。

 ロザリーは這うようにしてリリーに近づくと、薄い毛布を優しくかけ直した。頬にかかった髪を指で払う。その手つきには、学園で見せる鋭い観察眼とは別の、切実な慈愛が宿っている。

 毛布の端を整えた瞬間、リリーが寝言みたいに小さく笑った。

「……お姉ちゃん、勝った……」

 ロザリーの口元が、かすかに緩む。勝ち負けの言葉を、こんなにも優しく聞いたのは久しぶりだった。
 
「……ねえ、フィン」
 
「ん?」
 
「貴方が持ってきてくれたお菓子、リリー、すごく喜んでた。……ありがとう。本当は、私が買ってあげなきゃいけないのに」
 
 ロザリーの声が、微かに震える。

「いいんだよ。オレは、笑顔が見たいだけだから」

 フィンは軽く言って、けれど視線を逸らした。真正面から「優しさ」を差し出すと、彼女がそれを刃で切り捨てることを知っている顔だった。

「……ロザリー、君が一人で背負いすぎる必要はないんだよ? オレの商会には、君の家の生活費くらい――」
 
「言わないで」
 
 ロザリーは、フィンの言葉をぴしゃりと遮った。振り返った彼女の瞳には、先ほどまでの疲れは消え、暗闇の中でも鈍く光る鋼のような意志が戻っていた。
 
「貴方のお金を使ったら、それはもう『私たち』じゃないわ。……リリーは、この空っぽの家を『自由の証』だと思ってる。私がそれを壊すわけにはいかないの。貴方には、ただの『近所のお節介な幼なじみ』でいてほしいのよ。……それ以上には、ならないで」
 
 フィンは、差し伸べようとした手を、そっとポケットに隠した。
 
 彼女のプライドを折ることは、彼女という「雑草」の根を枯らすことだ。フィンはそれを、誰よりも理解している。だからこそ、彼は直接的な金銭ではなく、リリーへの「手土産」という名目で、ささやかな栄養を運び続けることしかできない。
 
「わかってるよ。……頑固なところは、昔から変わらないな」
 
「昔から、って。私が頑固じゃなかったら、今ごろ貴方の家の倉庫で箱詰めされて売られてるわよ」

「なんでオレが誘拐犯みたいな扱いなんだよ」

 小声の掛け合い。子どもの頃、井戸端で喧嘩して、次の瞬間には同じパンを分け合っていた頃の温度が、一瞬だけ戻る。

 フィンは苦笑し、残っていたミートパイの欠片を紙に包み直した。
 
「これ、明日の朝食にするだろ。……オレも、もう帰る。明日、学園で殿下に会うのが憂鬱だろうけど、頑張れよ。ロザリーなら、あの暴君相手でも、適当にあしらえるだろ」
 
「あしらえるわけないでしょ……。あの人、私のドクダミ茶に毒を盛られたって本気で思ってそうだし」
 
 ロザリーが少しだけ、年相応の悪戯っぽい笑みを浮かべる。フィンはその笑顔を脳裏に焼き付け、暗い玄関から外へ出た。
 
 見上げれば、夜空の星座が冷たく光っている。
 フィンは、自分の心臓が痛いほど脈打っているのを感じていた。
 
 彼は知っている。ロザリーが幸せにならなければ、リリーも幸せにすることはできない。そして、ロザリーが「選ばれる」ことを拒み、自らの力で立とうとする限り、彼女の苦難は終わらないことも。

「……レオンハルト殿下。……あんた、本気であの子を『踏む』つもりなら、怪我をするよ」

 フィンは闇に向かって独り言をこぼすと、静かに歩き出した。

 家の中では、ロザリーが一人、消えかけたランプの火を見つめていた。炎は風に揺れ、時折、煤けた壁に影を伸ばす。明日、学園という戦場へ戻るための、束の間の――けれど重い夜が更けていく。
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