雑草姫、選ばれし花の庭で踏まれて生きる 〜ガラスの靴は、土いじりには不向きです〜

お月見ましろ

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第23話 星降る夜の審判

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 数千のキャンドルが放つ光の奔流が、一瞬にして冷酷な「審判の光」へと変わった。

 はだけた純白のドレス、剥き出しの肩。そして、会場を汚す泥の匂いを纏った男たちの嘲笑。ロザリーは床に膝を突き、震える指先で崩れ落ちそうな絹を必死に押さえていた。
 周囲から降り注ぐのは、憐れみではない。醜聞を安全な距離から品定めする、冷え切った好奇の視線だった。

「おいおい、そんな怯えるなって……。酒場じゃあんなにツンとしてたのになぁ、看板娘!」

 伸びてきた汚れた手に、ロザリーは反射的に目を閉じる。

 ――次の瞬間。

 会場の空気が、叩き割られた。

「……失せろ」

 低く、苛立ちを噛み潰したような声だった。

「その汚い手で、何に触れようとしてる」

 言葉は短く、説明はない。
 ただ、圧だけがあった。

 眩い黄金と真紅が視界を塞ぐ。レオンハルト・ヴァルディアが、自らの第一正装の上着を脱ぎ捨て、ロザリーの肩を乱暴に引き寄せたのだ。

「動くな」

 命令口調。けれど、拒否の余地はない。
 王家の香油と、むき出しの体温。大きすぎる上着が、ロザリーの身体をすっぽりと覆い隠す。

「……で、殿下!?」

 男が声を上げた瞬間、その首根っこを掴まれる。

「誰に向かって口を利いてる」

 叩きつけられた石床が鈍い音を立てた。

「俺の目の前で、俺の気に入らない真似をした。それだけで十分だろ」

 理屈ではない。正義の宣言でもない。
 ただの、不快への即断。

 レオンハルトはロザリーを背後に庇ったまま、広間を見渡した。
 真紅の瞳が、貴族たち一人ひとりを射抜いていく。

「――見世物は終わりだ。文句があるなら、俺に来い」
 

一人の貴族が、必死に声を張り上げた。
 だが、レオンハルトはその言葉を聞くなり、短く鼻を鳴らした。

「……は?」

 低く、苛立ちを含んだ一音。

「身を落とす? 酒場で?」

 言葉を反芻するように繰り返し、次の瞬間、吐き捨てる。

「くだらない。生きるために己の手で労働に勤しむことが、なぜ卑しいのだ」
 
 彼は上着の上から、ロザリーの肩を強く引き寄せた。
 
「貴様らのように、先祖の遺産を食い潰し、他人を貶めることだけに知恵を絞る輩より、汗を流しながら労働に励む彼女の方が、よほど高貴だ。……俺は、そんな女が良い。その価値さえ理解できぬ貴様らこそ、眼を潰して学園から去れ!」
 
 不器用で、一方的。けれど、これ以上ないほど真っ直ぐな、彼なりの愛の叫びだった。
 
 ロザリーは彼の広い背中を見上げ、声もなく唇を震わせた。かつて自分を否定したはずの「王子」が、いま、自分さえも捨てようとした自らの「根っこ」を、誰よりも肯定している。胸が詰まり、息が震える。涙は、音もなく頬を伝った。

 そして、レオンハルトは――一歩も動けずに立ち尽くしていた、一人の少女へと視線を向けた。

 その眼差しに、激情はない。氷を削り出したような冷たさだけがあった。

「……エララ」

 名を呼ばれただけで、空気が張り詰める。

「お前が、この男たちを呼び入れたのだろう」

 断定だった。問いの形をしてはいるが、そこに迷いは一切ない。

 広間を満たしていたざわめきが、嘘のように消え失せた。エララは一拍遅れて、悲劇のヒロインをなぞるように瞳を潤ませ、ゆっくりと首を横に振る。

「……レオンハルト殿下、何をおっしゃっているのですか。私はただ、彼女を助けようと……」

 震える声。完璧に計算された、同情を誘う仕草。
 だが、レオンハルトの表情は微動だにしなかった。

「見苦しい」

 短く、切り捨てる。
 
「この学園の警備を潜り抜け、部外者を、それもこの特定の面々を招き入れる権限を持つ者は、俺を除けば学生会筆頭の貴様くらいだ」
 
 逃げ場はない。論理が、静かに首を絞めていく。

「……エララ。俺は、貴様を賢明な女だと思っていた」
 
 その言葉に、わずかな間が落ちる。
 期待していた過去を、わざわざ思い出すような沈黙。
 
「だが、俺が選んだ女の価値さえ理解できず、このような馬鹿げた芝居を仕掛けるとは。……公爵家の教育も、地に堕ちたものだな。貴様に王妃の座は重すぎるようだ」
 
 その一言は、エララがこれまで積み上げてきたすべてを、一瞬で瓦解させる致命的な一撃だった。
 レオンハルトはそれ以上言葉を交わす価値もないとばかりに、ロザリーを抱きかかえ、会場の入り口へと向かった。
 
 重厚な扉が閉じる。二人の背中が完全に視界から消えた瞬間、広間に残されたのは――音のない崩壊だった。

 ざわめきは戻らない。誰もが息を潜め、ただ一人、中央に取り残された少女を遠巻きに見つめている。

 エララ。

 完璧であるはずだった薔薇は、もう誰の視線も引き寄せてはいなかった。
 
「……お疲れ様、三流役者さん」
 
 暗がりに沈む会場の片隅から、粘りつくような声が響いた。
 
 
 漆黒を基調とした豪奢な正装。揺れる長い金髪。
 いつもと変わらぬ、軽薄で優雅な立ち姿――にもかかわらず、その琥珀色の瞳には、一切の熱も、戯れも宿っていなかった。
 
「……貴方も、私を笑いに来たの?」
 
 エララの声は低く、擦り切れていた。憎悪と恐怖を混ぜ込んだ問い。だがノアは、手癖のように襟足の三つ編みを弄りながら、蛇のように冷たく微笑んだ。
 
「君が壊したかったのは、彼女のプライド? それとも、彼女を見つめる僕たちの目かな? ……どちらにせよ、君は取り返しのつかない計算違いをしたよ」
 
 ノアは一歩近づき、エララの耳元へと身を屈めた。
 触れた指先は、驚くほど冷たい。
 
「君がこの男たちに流した金と、生徒たちに流した悪い噂……。既にすべて記録しているよ。明日の朝には、公爵家の決定的な外交問題に発展するだろうね」
 
「……何を、言っているの……」
 
 エララの顔から、みるみる血の気が失われていく。
 
「『皇太子殿下』を侮辱した。……君がこの男たちに語った『ノア様も彼女を玩具にしている』という嘘が、不敬罪として立証されるんだよ。……お疲れ様。君の席はもう、この学園にはないよ」
 
 ノアの瞳が、一瞬だけ鋭利な獣のように光った。彼はエララの横を通り過ぎる際、そっと、甘く、死神のように囁いた。
 
「……あんな無防備な泣き顔、僕もまだ見たことがなかったのに。……君のせいで、台無しだ」
 
 ノアは一度も振り返ることなく、闇の中へと消えていった。
 
 星降る夜の舞踏会。それは「雑草」と呼ばれた少女が真の気品を証明し、完璧を誇った薔薇が泥へと墜落した、運命の分水嶺となった。
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