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第4話 隣にいることの、重さを知らずに
しおりを挟む三か月という時間は、長いようで短い。
学園の中庭は、春の瑞々しい名残をすっかり脱ぎ捨てていた。若葉だった木々は力強い濃緑へと色を変え、陽射しははっきりとした輪郭を持って地面に落ちている。朝の空気も、初夏の湿り気を帯びて少しだけ重たい。
入学したばかりの頃は、廊下を歩くことさえ緊張の連続だった。
けれど今は、教室への道順も、重厚な鐘が鳴るタイミングも、寮での生活リズムも、すっかり身体に馴染んでいる。
アイリス・ヴァレリアは、魔法実技棟へ向かいながら軽く息を整えた。
(魔法は相変わらず、得意とは言えないけれど)
それでも、基礎課程は一通り修了した。アイリスの適性は「土属性」。地面を動かし、形を作り、何かを支える魔法だ。派手な攻撃魔法のような華やかさはないが、扱い方次第でいくらでも応用が利く。
今日の授業は、その「次の段階」――より実戦に近い、二人一組での演習だった。
実技講義室に入ると、そこには独特の緊張感が漂っていた。
石壁には実践用の魔法具が整然と並び、天井の結界装置が微かな駆動音を立てている。ここは、失敗がそのまま身体的な「事故」に直結する場所だ。
「静かに」
中央に立った教師の声が低く響いた。感情の起伏が少ない、年嵩の男だ。
「基礎課程は終わった。これからは実践だ。――と言っても、期待するほど派手なことはしない」
何人かの生徒が、安堵したように肩を落とすのが分かった。
「魔法は知識だけでは扱えない。だが、勢いだけでも事故になる。今日はその“間(ま)”を知ってもらう。本日は指定のペアを組む。互いの癖を知り、暴走を防ぐためだ。単独行動は禁止」
教室内が、ざわ……と色めき立つ。
アイリスは反射的にルイの姿を探した。
(ペアか。ルイとなら、手の内もわかっているし安心なんだけどな)
そんな計算をしているうちに、教師が淡々と名簿を読み上げ始めた。属性や学力、家柄のバランスを考慮しているのか、納得のいく組み合わせが続いていく。
「……次。アイリス・ヴァレリア」
呼ばれて、アイリスは背筋を伸ばした。「はい」と短く返事をする。
「ギルバート・ラカル・ルクレール」
一拍、時間が止まった。
アイリスはきょとんとしたまま、名簿と教師の顔を見比べる。
(……え? 聞き間違い?)
少し離れた位置で、陽光を反射する金色の髪が動いた。ギルバートが静かに顔を上げる。その表情はいつも通り傲然としているが、赤い瞳だけが一瞬、こちらを捉えた。
(なんで私? バランス? それとも……私、そんなに監視が必要な問題児枠なの!?)
混乱するアイリスを置いて、教師は淡々と続けた。
「規律を守れ。勝手な判断は禁止だ」
アイリスはおそるおそる、ギルバートの方へと歩み寄った。距離が縮まると、王族特有の圧倒的な威圧感に、自然と敬語が口をつく。
「……よろしく、お願いします」
「……ああ。よろしく」
低く短い声。ギルバートはアイリスを一瞬だけ見下ろし、すぐに前へと向き直った。
「心配か」
唐突な問いかけだった。
「え?」
「危険だと思っているなら、無茶はするな。秩序を乱すような真似は許さない」
以前の忠告と同じ、厳格な響き。けれどアイリスは一瞬考え、小さく肩をすくめて笑った。
「心配は……もちろんします。私、魔法下手ですし」
「……」
「でも。殿下となら、大丈夫だと思っています」
根拠のない、曖昧な答え。けれど嘘ではなかった。
ギルバートは小さく息を吐いた。
「曖昧だな」
「よく言われます」
その返しに、彼の眉がわずかに動く。怒っているというより、予想外の反応をされた子供のような、戸惑いを含んだ表情だった。けれど、彼はそれ以上踏み込むことはなく、黙って魔力を構えた。
一方、別の場所でも「不穏なペア」が成立していた。
ルイの隣に、気だるげな足取りでロイド・ウィステリアが並び立つ。
「僕と組んだほうが、君も楽でしょ?」
ロイドの声は相変わらず力が抜けていた。軽口のようにも聞こえるが、ルイはその言葉の底に潜む「毒」を鋭く察知する。
「……なぜ、そう思われるのですか」
問い返すルイの声は静かだが、内心では最大級の警戒心が立ち上がっていた。
「水属性の制御が重い。――無理に抑えてるでしょ」
心臓を直接掴まれたような衝撃が、ルイを襲った。
誰にも見せていないはずの、魔力の「澱(おり)」。誰かを、そしてアイリスを守るために、己の出力を極限まで制限し、押し殺してきた幼い頃からの癖。
「……それは……」
言いかけて、言葉を飲み込む。否定も肯定もできず、喉が引き攣る。ロイドはそんなルイの動揺を楽しむふうでもなく、あっさりと肩をすくめた。
「大丈夫。言わないよ。君が言いたくないなら、僕も言わない」
それだけ言って、ロイドは興味を失ったかのように前を向いた。
空気だけが、わずかに熱を持ったまま残る。触れられた場所だけが、ひどくはっきりとしていた。ロイドはただ「観測」しただけなのだ。その事実が、ルイにとってはどんな威嚇よりも恐ろしく感じられた。
その二人の奇妙な距離感を、アイリスは横目で捉えながら、そっと視線を前に戻した。
(……まあ、なんとかなるわよね)
そう思えたのは、自分の隣に立つ少年が、あまりにも真面目そうに見えたからだ。
背筋の伸びた立ち姿。無駄のない魔力の構え。そして、秩序を重んじるがゆえの厳格さ。少なくとも――この人は、窮地で逃げ出すような人ではない。
アイリスは小さく深呼吸をし、目の前の課題に集中した。
運命の三か月を経て、物語の歯車はより複雑に、より深く、噛み合い始めていた。
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