26 / 63
第23話 十七歳は、少しだけ特別
しおりを挟むデートの帰り道、夕暮れの街を歩きながらアイリスは今日の出来事を反芻していた。人混みの熱気、路地裏の緊張、そしてロイドの不思議な視線。
「そういえばさ」
別れ際、ロイドはいつもの飄々とした調子で言った。
「アイリスちゃん、もうすぐ誕生日だよね」
「……え?」
思わず足を止める。
「なんで知ってるんですか」
「内緒」
妖艶で、余裕を感じさせる、含みのある笑み。
「プレゼント、楽しみにしてて」
なぜ彼がそれを知っているのか。何を準備しようとしているのか。冗談のような、けれど確信に満ちたその一言を残し、彼はひらりと手を振って去っていく。
(なによ、それ……)
――彼はとんでもない爆弾を落としていった。
そして迎えた、誕生日当日。
目が覚めても、世界は驚くほど昨日と同じ顔をしていた。特別な鐘が鳴るわけでも、空の色が祝祭の色に変わるわけでもない。
(十七歳、か)
鏡の前で髪を整えながら、数字の重みを噛みしめる。昨日と地続きの今日。けれど、なぜか一歩だけ大人の領域へ踏み出したような、むず痒い感覚があった。
部屋を出ると、廊下の先で待っていたのはルイだった。
「おはようございます、お嬢様」
いつも通りの声。でも、次の瞬間。
「……お誕生日、おめでとうございます」
ほんの一瞬だけ、彼にしては珍しく視線が泳いだ。その緊張が伝わって、アイリスの胸がふわっと軽くなる。
「ありがとう、ルイ!」
満面の笑みを返すと、ルイは安堵したように目を細めた。
「今日の夕食は、お嬢様の好きなものにしますね」
「本当?」
近づくと、ほんのり甘酸っぱい匂いがした。
「もしかして、チェリーパイ?」
「……昨日の夜に、少しだけ」
甘酸っぱい香りの記憶が蘇る。サクサクの生地に、宝石のような真っ赤なジェリー。手間のかかるその工程を、彼は自分のために夜を徹してこなしてくれたのだ。
「大好き!」
そう伝えると、ルイは一瞬だけ睫毛を伏せ、「……本当に?」と確かめるように小さく笑った。その微かな特別感を含んだ笑みに、アイリスは何度も頷いた。
幸せな気持ちを抱えたまま教室に入ると、今度は一斉に声が飛んできた。
「アイリス、おめでとう!」
「これ、使って!」
一気に囲まれて、祝福が雪崩のように降ってくる。
渡されるプレゼントは、どれも実用的で、しかも好みをよく分かっているものばかりだった。落ち着く香りのクリーム。手に馴染みそうな羽ペン。
どれも温もりが詰まっていた。高価かどうかじゃない。“知ってくれている”ことが、こんなに嬉しい。
その光景を、少し離れた席から複雑そうな顔で見ているのはギルバートだった。
「……誕生日、だったのか」
独り言にしては重い呟き。彼は何かを計算するように眉間に皺を寄せ、居心地が悪そうにそっぽを向いていた。
一日が終わり、放課後。
寮へ戻るため昇降口を抜け、中庭へ出たところで、アイリスは足を止めた。――もう帰ったと思っていた人物が、そこにいた。
夕方の光の中、噴水のそばに立つ金髪の青年。
背筋を伸ばし、腕を組み、周囲を睨むように立つその姿は、遠目には相変わらず“王族”そのものだった。
噴水の周りに、生徒の影はない。人目を避けるような時間帯。わざわざ、この場所を選んだのが分かる。
「……ギル?」
名前を呼ぶと、ギルバートは一瞬だけ肩を強張らせた。
「……殿下とは呼ばないのか」
「二人きりだから、いいでしょ」
ギルバートは少し間を空けて、「……悪くない」と小さく零した。
それだけで、ほんの少しだけ表情が緩む。人前では決して見せない、年相応の反応だった。
「帰ったんじゃなかったの?」
「……用事が残っていた」
「噴水の前で?」
「……うるさい」
言い返す声は低いが、どこか張りがない。誤魔化すように視線を逸らす仕草が、妙に分かりやすい。
何か言い返してくるかと思った、その時。
ギルバートは一歩、距離を詰め――けれど、すぐには何も言わなかった。一瞬だけ、拳を握り直してから。
「……これだ」
短く言って、花束を差し出した。思ったより、小さなブーケだった。派手な装飾はなく、色味も落ち着いている。
その中心に――一本だけ、青いアイリスの花。
その色に思わず、息を呑む。
「……わざわざ?」
「……だから、そういう言い方をするな」
「でも、事実でしょ?」
そう言うと、ギルバートは視線を逸らしたまま答えた。
「旬じゃなかった」
ぶっきらぼうな声。けれど、耳まで真っ赤に染めて言い返す彼は、まるで隠し事ができない子供のようだった。
それは“それでも探した”と言っているのと、同じだ。
青いアイリス。その花が持つ意味を、彼女は知っていた。まっすぐで、譲らない。簡単には折れない意思。
(……この人らしい)
「ありがとう、ギル」
花束を受け取ったアイリスが小さく微笑むと、ギルバートは言葉を失ったように固まった。
「……おめでとう」
小さく。けれど、確かに。それだけを言って、彼は踵を返し足早に去っていった。背中だけは威風堂々としているが、歩幅がいつもの倍近い。
アイリスは胸元の花束を見下ろした。
派手じゃない。でも、確かに――想って選ばれた花。
(……ほんと、不器用)
そう思いながら、静かに花束を抱きしめた。
冬が近づき、日が落ちるのが目に見えて早くなっていた。夕暮れの光は、気づけばすぐに薄れていく。昼の喧騒が嘘みたいに、学園の敷地は静まり返っていた。
空は、淡い紫色。昼と夜の境目みたいな色で、星はまだ出きらない。
石畳を踏む音だけが、規則正しく響く。
「やぁ」
その声は、背後からというより――紫色の夜の中から、ふっと滲み出たみたいだった。
「待ってたよ、アイリスちゃん」
ロイド・ウィステリア。普段はひきこもりがちな彼を、見かけたのはあの日以来だった。
街灯の下に立つ姿は、いつもより輪郭が柔らかい。影に溶けそうで、でも確かにそこにいる――そう見えた。
「十七歳、おめでとう」
紫の闇に溶けそうなほど不確かな佇まいで、彼は小さな箱を差し出した。
受け取ろうとして、ふと――胸の奥に、引っかかるものがあった。
あの日の約束。別れ際、含んだ笑みで言われた言葉。
――プレゼント、楽しみにしてて。
冗談みたいな調子だったのに。からかわれているだけだと思っていたのに。箱を受け取る指先が、少しだけ震える。
そして、蓋を開けた。
一瞬、息を呑む。中にあったのは、紫色のブローチ。
淡く光を反射するアメジスト。その奥に、小さな花の意匠が刻まれている。
派手じゃない。でも、なぜか視線を離せなくなる、不思議な存在感だった。
「これにはね」
ロイドは、いつもより少しだけ低い声で言った。
「ちょっとだけ、勇気が出るおまじないをかけておいた」
「なにそれ、胡散臭い」
思わずそう返すと、彼は肩をすくめる。
「ひどいなぁ」
「でも、信じるかどうかは自由」
まるで、 “どう受け取るかも含めて、君のものだ”と言っているみたいだった。
パン、と夜空に乾いた音が響いた。
紫の空を背景に、白と金の光が静かに、けれど鮮やかに広がった。派手な打ち上げ花火ではない。けれど、一瞬だけ世界を塗り替えるような、透き通った光。
「……綺麗」
光はすぐに消えて、闇に溶ける。その余韻だけが、しばらく、アイリスの胸に残っていた。
ロイドは何も言わず、ただ夜空を見上げていた。まるで約束を果たしたことを確認するかのような、静かな横顔。
アイリスは、ブローチを胸元で握りしめた。
言葉にしなくても、分かることがある。
そんな気が、確かにした。
十七歳の誕生日。なんでもない平日で、特別な行事もなくて、いつも通りに始まって、終わるはずだった日。
それでも、胸の奥に、静かに灯るものがあった。
(……少しだけ違って見える気がする)
少しだけ大人になった彼女の視界に、冬の冷たい風が、今は心地よく吹き抜けていった。
1
あなたにおすすめの小説
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない
朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。
美人同僚のおまけとして異世界召喚された私、無能扱いされ王城から追い出される。私の才能を見出してくれた辺境伯様と一緒に田舎でのんびりスローライ
さら
恋愛
美人な同僚の“おまけ”として異世界に召喚された私。けれど、無能だと笑われ王城から追い出されてしまう――。
絶望していた私を拾ってくれたのは、冷徹と噂される辺境伯様でした。
荒れ果てた村で彼の隣に立ちながら、料理を作り、子供たちに針仕事を教え、少しずつ居場所を見つけていく私。
優しい言葉をかけてくれる領民たち、そして、時折見せる辺境伯様の微笑みに、胸がときめいていく……。
華やかな王都で「無能」と追放された女が、辺境で自分の価値を見つけ、誰よりも大切に愛される――。
仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!
ぽんちゃん
恋愛
――仕事で疲れて会えない。
十年付き合ってきた恋人を支えてきたけど、いつも後回しにされる日々。
記念日すら仕事を優先する彼に、十分だけでいいから会いたいとお願いすると、『距離を置こう』と言われてしまう。
そして、思い出の高級レストランで、予約した席に座る恋人が、他の女性と食事をしているところを目撃してしまい――!?
記憶を無くした、悪役令嬢マリーの奇跡の愛
三色団子
恋愛
豪奢な天蓋付きベッドの中だった。薬品の匂いと、微かに薔薇の香りが混ざり合う、慣れない空間。
「……ここは?」
か細く漏れた声は、まるで他人のもののようだった。喉が渇いてたまらない。
顔を上げようとすると、ずきりとした痛みが後頭部を襲い、思わず呻く。その拍子に、自分の指先に視線が落ちた。驚くほどきめ細やかで、手入れの行き届いた指。まるで象牙細工のように完璧だが、酷く見覚えがない。
私は一体、誰なのだろう?
働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』
鷹 綾
恋愛
前世では、仕事に追われるだけの人生を送り、恋も自由も知らないまま終わった私。
だからこそ転生後に誓った――
「今度こそ、働かずに優雅に生きる!」 と。
気づけば貴族夫人、しかも結婚相手は冷静沈着な名門貴族リチャード様。
「君は何もしなくていい。自由に過ごしてくれ」
――理想的すぎる条件に、これは勝ち確人生だと思ったのに。
なぜか気づけば、
・屋敷の管理を改善して使用人の待遇が激変
・夫の仕事を手伝ったら経理改革が大成功
・興味本位で教えた簿記と珠算が商業界に革命を起こす
・商人ギルドの顧問にまで祭り上げられる始末
「あれ? 私、働かない予定でしたよね???」
自分から出世街道を爆走するつもりはなかったはずなのに、
“やりたいことをやっていただけ”で、世界のほうが勝手に変わっていく。
一方、そんな彼女を静かに見守り続けていた夫・リチャードは、
実は昔から彼女を想い続けていた溺愛系旦那様で――。
「君が選ぶなら、私はずっとそばにいる」
働かないつもりだった貴族夫人が、
自由・仕事・愛情のすべてを“自分で選ぶ”人生に辿り着く物語。
これは、
何もしないはずだったのに、幸せだけは全部手に入れてしまった女性の物語。
夫が愛人を離れに囲っているようなので、私も念願の猫様をお迎えいたします
葉柚
恋愛
ユフィリア・マーマレード伯爵令嬢は、婚約者であるルードヴィッヒ・コンフィチュール辺境伯と無事に結婚式を挙げ、コンフィチュール伯爵夫人となったはずであった。
しかし、ユフィリアの夫となったルードヴィッヒはユフィリアと結婚する前から離れの屋敷に愛人を住まわせていたことが使用人たちの口から知らされた。
ルードヴィッヒはユフィリアには目もくれず、離れの屋敷で毎日過ごすばかり。結婚したというのにユフィリアはルードヴィッヒと簡単な挨拶は交わしてもちゃんとした言葉を交わすことはなかった。
ユフィリアは決意するのであった。
ルードヴィッヒが愛人を離れに囲うなら、自分は前々からお迎えしたかった猫様を自室に迎えて愛でると。
だが、ユフィリアの決意をルードヴィッヒに伝えると思いもよらぬ事態に……。
男装の騎士に心を奪われる予定の婚約者がいる私の憂鬱
鍋
恋愛
私は10歳の時にファンタジー小説のライバル令嬢だと気付いた。
婚約者の王太子殿下は男装の騎士に心を奪われ私との婚約を解消する予定だ。
前世も辛い失恋経験のある私は自信が無いから王太子から逃げたい。
だって、二人のラブラブなんて想像するのも辛いもの。
私は今世も勉強を頑張ります。だって知識は裏切らないから。
傷付くのが怖くて臆病なヒロインが、傷付く前にヒーローを避けようと頑張る物語です。
王道ありがちストーリー。ご都合主義満載。
ハッピーエンドは確実です。
※ヒーローはヒロインを振り向かせようと一生懸命なのですが、悲しいことに避けられてしまいます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる