風の魔導師はおとなしくしてくれない

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一章 海の国へ

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 ルイはまたライオルに息をさせられながら海の中を移動し、一台の海馬車に乗せられた。海馬車は馬の代わりに海豚や水棲馬にひかせる馬車で、荷台はエラスム泡に覆われている。ルイはふかふかの座席に座らされ、右側をライオル、左側をライオルの部下に挟まれて移動した。

 ライオルはこれから海の国の王都カリバン・クルスに向かうと教えてくれた。ルイは相づちを打ったものの、それ以外はずっと黙っていた。

 海馬車は海流に乗って全速力で進み、翌日カリバン・クルスに到着した。ルイは海馬車の窓から海の都を眺めた。海底に広がる巨大な街だ。水深の浅いところなので、海面から日の光がさんさんと降り注いでいる。アウロラよりずっと大きく、美しい街だった。大小の白い建物が街の中心から円を描くように建ち並び、街の奥には森が広がっている。

 雨が降らないからか家々の屋根は平らで、天井のない建物も散見された。カリバン・クルスを覆うエラスム泡は綺麗な円形で、天井のいたるところから海馬車の荷台くらいの泡がぽつぽつと海上に向かって断続的に放たれ、同時に海上からやってくる泡がカリバン・クルスのエラスム泡に合流していた。

「エラスム泡はなにもしなくても海中から空気を取りこんでくれるけど、ここまで巨大な人工泡だとどうしても淀んでしまうから、ああやって空気を入れ替えているんだ」
「ふうん……」

 窓に釘づけのルイにライオルが説明した。

「エラスム泡が光って見えるだろ? エラスム泡には海中でぼやけた日光を集める性質もあるから、日中は地上と同じくらい明るく街を照らしてくれるんだ。夜の星明かりまでは届かないけどな」

 海馬車はカリバン・クルスの入り口の門をくぐり、ルイたちは待機していた普通の馬車に乗り換えて王都の中を進んだ。にぎやかな大通りはたくさんの馬車が行き来していて、歩く人もたくさんいた。色とりどりの看板が連なり、商店街は買い物客でいっぱいだった。見たことのない白い煉瓦でできた建物がほとんどで、道はすべて石畳で舗装されていた。

 ルイは道行く人々を窓ごしに観察した。水色や赤色や黄色など、鮮やかな色の服を着ている人が多い。リーゲンスではあまり派手な色は好まれなかったので、ルイは目がちかちかした。カリバン・クルスの人々は皆表情が豊かで、忙しそうだが楽しそうに見えた。

 大通りを抜けると、大きな屋敷が並ぶ通りに差しかかった。その先には白い城壁がそびえている。海の国の王宮だ。馬車は城壁の外門を抜けて外壁沿いにぐるりと進み、門の反対側でようやく停まった。まずライオルがおり、そのあとルイがライオルの部下と一緒におり立った。

 白い城壁と地面がまぶしくてルイは目を細めた。どうやら目の前の四角い建物に入るらしい。周囲には茶色の軍服を着た兵士がずらりと並んでいて、皆興味深そうにルイを見ている。

「心配するな。客が滞在するための迎賓館だよ」

 ライオルはそう言って不安げなルイを先導した。ライオルの言う通り、人を拘束するための施設ではなく、広い窓のあるきれいな館だった。ルイはそこの三階の部屋に通された。ベッドとテーブルと椅子があり、奥に洗面室のついた立派な客室だった。

「疲れただろ。ここで休んでいるといい。護衛を置いていくから、必要なものがあったら言いつけてくれ」

 ライオルはそれだけ告げると部屋を出て行った。入れ替わりに二人の兵士が入ってきて扉の両脇に立った。護衛というより見張り役なのだろう。ルイは布張りの柔らかい椅子に座り、窓から外の景色を眺めた。

 その日、ライオルが戻ってくることはなかった。夜になると兵士が運んできた食事を食べ、洗面室で簡単に体を洗ってベッドで浅い睡眠をとった。今後自分はどうなるのだろうと不安でいっぱいで、ろくに眠れなかった。

 次の日、ライオルがいつもの部下を伴ってやってきた。ルイは椅子に座ったまま二人を出迎えた。

「ようやくきちんと話ができるな」

 ライオルはテーブルをはさんだ向かいに座り、彼の部下はその背後に立った。

「改めて自己紹介しよう。俺の名前はライオル・タールヴィ。こっちは俺の護衛のホルシェードだ。俺はタールヴィ家の第二子で、海の国の王太子候補の一人だ」
「えっ」

 ルイは目を丸くした。

「お前も王子だったのか?」
「いや、違う。海の国の王は世襲制じゃないんだ。海の国には十九家と呼ばれる十九の一族があって、そこの当主がそれぞれの地方を治める首長になる。十九家の一つがタールヴィ家だ。そして、それぞれの首長の子供の中から一族を代表する王太子候補が一人選ばれ、合計十九人の王太子候補の中から次の王が選ばれるというわけだ」
「どうやって選ぶんだ? 選挙か?」
「いや、実力だ。まず、首長の子供同士で競わせて王太子候補を選ぶところから始まる。その後、王太子候補たちは海王軍に入ったり家業を継いだりして、国のために働く。その働きの結果如何によって、次代の王が選ばれるんだ。あと知力武力統率力なんかも必要だな」
「じゃあ、お前は武勲をたてるためにリーゲンスにやってきたのか……?」
「そうだ」

 ライオルは紺色の目を細めた。

「リーゲンスにいた海の国の者が皆殺しにされたという知らせを受けて、海王軍と王宮は揺れた。我々の選択肢は報復一択だったが、理由がわからなかったし、報復の方法は議論の余地ありだった。国として海の国に攻撃したのか、金目的の賊の犯行だったのか、まずそこを見極めなければならなかった。俺は賊だろうと思ったけどな。でもそのあとわかったことには、リーゲンスの王が命令したそうじゃないか」
「あいつは王じゃない……王を殺して玉座を奪っただけだ」
「それもすぐわかったよ。だからこっちとしてどう出るべきか決めかねていて、そこで俺が名乗りをあげたんだ。策があるから、リーゲンスに行ってその簒奪王を抹殺するってな」
「無謀だな」
「そうでもないさ。俺は火の魔導師だから、火を貴ぶ地上の寺院に行けば敵とはみなされないと思っていた。それにリーゲンスに行って情報を得るだけでも、十分な成果になるからな」

 ライオルは自信たっぷりに言った。ルイは無茶だと思ったが、実際ライオルはうまくルイのふところに入りこんでルイを誘拐してみせた。彼の度胸が功を奏したのだ。

「俺はホルシェードと一緒にフルクトアト寺院に行き、司祭からルーウェン王子とイオン王女が生きのびていて、彼らを旗頭にした勢力がいるという話を聞いた。それで司祭に手紙を書いてもらってテンペスト寺院に行って、あとはまあご存じの通りだ。俺は王子を守ってサルヴァトを追いつめたことで信用されて近衛兵に登用された」
「近衛兵士はほぼ総入れ替えで人手不足だったからな……それで、俺を殺そうとしたのか?」

 ライオルは首を横に振った。

「……お前を殺す気にはなれなかった。だからホルシェードに海の国宛の手紙を持たせて、お前を海の国に連れて帰る算段をつけたんだ。ルーウェン王の性格からすると、呼び出せば国のために本人が出てくるだろうと思ってな」

 ライオルは小馬鹿にしたように短く笑った。

「ずいぶん雑に扱われていたのに、よくそこまで思えたな。いや、国というより姉のためか。イオン王女はお前に優しかったからな。だから情勢が不安定な時期の王を買ってでたんだろう」
「……王を名乗れた時間はサルヴァトより短かったけど」
「そうだな。ルーウェン王は死んだ」

 ルイはびくりと肩を震わせた。ライオルはテーブルの上に手をついて身を乗り出した。

「お前は今日からルイ・ザリシャと名乗れ。ルーウェン・エレオノ・リーゲンスを名乗ることは禁じる。リーゲンスからやってきたただの風の魔導師のルイとして、海の国で働くんだ」
「ルイ・ザリシャ……」
「風の魔導師は海の国にはいないんだ。見ての通り、風の吹かない海の底だからな。でも俺たちは風の力が欲しい。だから力を貸してくれ」

 つまりルイはライオルの戦利品として、ここで働かされるのだ。

「俺に選択権などないだろうに」

 ルイはふんと鼻を鳴らした。

「……風を吹かせればいいんだろ。やるよ。役に立たないと殺されるんだろ。オヴェン軍司令官が言ってたじゃないか」
「まあ、そうだな」
「わかったよ。ルイ・ザリシャね」

 新しい名前を反芻するルイを、ライオルは満足そうに眺めた。

「それにしても、名を禁じることを宣言するなんて、古典的な魔術様式を使うんだな。名を奪って相手を操る術が昔はあったと聞く」

 ルイが言うと、ライオルは意外そうに片眉を上げた。

「知ってたのか。そう、本で読んだことがあったんだ。そんな古代の魔術なんか使えないけど、名前を奪って精神を縛るってなんか理にかなってる感じがするだろ?」
「知らない」

 ルイはぷいと横を向いた。そっけない態度のルイにライオルは苦笑した。



 その後、ルイはライオルとホルシェードに連れられ、内門を抜けて王宮の中にやってきた。王宮は馬車でないと端から端まで移動できないほど広かった。ルイは王宮の一画の大きな広間に通された。アーチ状の天井はかなり高く、足音がよく響いた。

 広間では、オヴェン軍司令官と数人の役人らしき男たちがルイを待っていた。オヴェンはフルクトアトで会ったときと同じ軍服を着て、背筋に定規を当てたかのように直立し、ルイを品定めするように眺めた。

「さて、ここに呼ばれた理由はわかっていますか?」
「わかっています」
「なら結構です。さあ、あなたの力を見せてください」
「あ、でも、なにかないとうまくできないです」
「どういうことですか?」
「いつも剣を振ってできる風を大きくしていたんです。剣か、なにか振って風が出るものをもらえませんか?」
「うーん……そうですねえ……」

 オヴェンが悩んでいると、ライオルが助け舟を出してきた。

「そうだと思って、用意させてますよ」

 控えていたホルシェードが無言で進み出て、ルイに訓練用の剣を差し出した。ルイの細腕でも扱えるような細身の剣だ。ルイは剣を受け取り、軽く振ってからオヴェンを見た。

「これでいいです」
「わかりました。では、始めてください」

 ルイは剣を横に構え、すっと空を切った。風が舞い上がり、離れたところにいるオヴェンたちの髪を揺らした。だが威力はそこまでなく、オヴェンは眉一つ動かさなかった。

「うーん……」

 ルイは顔をしかめ、上を向いた。

「あの」

 ルイは高い天井から二列になって低くぶら下がっているシャンデリアを指さした。

「中だと物を壊しそうで怖いので、外でやらせてもらえませんか?」
「なるほど。では移動しましょう」

 一行は広間の外に出た。内壁の上にあがると、仕事中の歩哨たちが何事かと振り返った。高い内壁の上からはカリバン・クルスが一望できた。ルイは見晴らしのいい見張り台によじ登り、開けた前方めがけて剣を振った。

 ざあっと風がうなり、王宮の下に建ち並ぶ屋敷の庭木をざわめかせた。後ろを振り返りながら剣を振ると、舞い上がった庭木の葉が王宮の上空まで飛んで行った。ルイが剣先を上に向けると葉っぱがくるくる舞った。

「おお……」

 オヴェンと一緒にいた役人たちが驚きの声をあげた。上着のすそが風でなびくのを嬉しそうに手で押さえている。オヴェンは思案顔だったが、悩みながらもうなずいた。

「王宮を風が包みこんでいますね。これなら、まあ……」

 ルイは剣を下ろし、ライオルの手を借りて見張り台から下りた。魔力を使いすぎてふらふらしていることにライオルは気づいたようだが、ルイが涼しい顔をしているのでなにも言わなかった。

「王都に風をもたらしてくれて感謝します。ええと……」
「ルイ・ザリシャです」
「ルイ・ザリシャどの。のちほど王に報告しておきましょう」

 歓迎している様子ではなかったが、ひとまずオヴェンはルイを認めたようだった。ルイは礼を言って、ライオルに連れられて王宮をあとにした。ライオルはふらつくルイをさりげなく支えながらため息をついた。

「やりすぎたんだろう……限界以上の力を使うと痛い目を見るぞ」
「わかってるよそれくらい」

 ルイはむっとしてライオルの手をはねのけた。元いた客室に戻ると、ライオルは機嫌よく言った。

「リーゲンスへの報復に加え、風の魔導師の獲得。王太子選定までまだ十月あるが、これで俺の一番はほぼ確定だな!」

 ルイはソファに倒れこむように座った。

「それはよかったな……」
「なんで他人事なんだよ。お前も俺が王になれるよう協力してくれるんだろ?」
「なんで俺がお前なんかのために」

 魔力を使いすぎてくたくたのルイは、ソファにもたれかかったまま上機嫌のライオルをにらんだ。

「この国のために仕事はするさ。役に立つよ。でもなんでお前が王になる手助けまでしなきゃいけないんだ」
「お前の処遇は俺に一任されているからに決まってるだろ。俺が王になればお前にいい思いさせてやれる」
「王なんてつまんないよ」
「お前と一緒にするなって。とにかく、これから一緒に暮らすんだから仲良くしよう」
「え?」

 ルイはびっくりしてソファから体を起こした。

「ここで暮らせるんじゃないのか?」
「まさか。お前は俺の客なんだから、王宮の下にあるタールヴィ家の屋敷で俺と一緒に暮らすんだよ」
「ええっ!」

 いやそうにするルイにライオルは優しく笑いかけた。

「不自由はさせないさ。欲しいものは俺がなんでも買ってやる。だからお前は働きながら自由に過ごしていいんだ。お前のことを知ってる奴は誰もいないから、なにをしたって構わない。これからも俺が守ってやるよ、ルイ」

 そう言われても、ルイは綺麗な顔の下でなにを企んでいるかわからないライオルを信用する気にはなれなかった。だがどうあがこうと、海の国でのルイの自由は彼の手の上だけだった。
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