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三章 魔力を食べる魚
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ルイはアクトール図書館に通うようになっていた。ほかに行くところもなかったし、かといって屋敷にいるのも退屈なので、図書館にこもって本をあさる毎日を送っていた。最初は謎の手枷について調べていたが、だんだんジェドニスの花や海の森にしかない植物など、海の国の様々な事柄について調べるようになっていった。
海の国の歴史も地上では知り得ないことだったので、ほとんど手をつけられていないほこりをかぶった歴史書も読みこんだ。海の国にはルイの知らない魔導がたくさん存在していて、知識欲を刺激するものばかりだった。
ホルシェードはルイがアクトール魔導院に行くときは必ずそばに付き添った。いつもルイの隣に座り、黙って調べものをしていた。ホルシェードの調べものは海王軍の任務の一環でもあるらしく、紙に書かれたリストを見ながら本を選び、ページをめくってはなにかノートに書きつけていた。
「ねえ、ホルシェード」
ルイが話しかけると、ホルシェードは本から顔を上げた。
「なんだ」
「ホルシェードは第九部隊の隊長補佐なんだよね?」
「そうだ」
「あのさ、ホルシェードの紹介で俺を海王軍に入れてほしいんだけど」
ホルシェードはわずかに目を見開いた。
「……なんでお前が海王軍に入る必要があるんだ?」
「だっていつもきみに守ってもらうのも悪いし、俺だってきちんとした立場が欲しいんだよ。魔導師の隊なら俺でもやれることはあると思うよ」
「そういうことならライオル様に言ってくれ。俺にそんな権限はない」
とたんにルイの顔がくもったので、ホルシェードは事情を察した。
「もう断られたんだな」
「…………」
「当たり前だろ。ライオル様がお前を危険な目に遭わせるはずがない」
ルイはがっかりして机に突っ伏した。
「どこにも行かせようとしないなんて、やっぱり俺は人質に過ぎないんだな」
「いや、そういうことじゃなくて……」
ホルシェードは伸ばした手を宙にさまよわせた。落ちこむルイに声をかけようと口を開いたが、口下手だったのでなんと言えばいいかわからず、結局静かに手を下ろして黙りこんだ。
はす向かいで本の山に埋もれていたゾレイは、作業が一段落したようでうーんと腕を上げてのびをした。
「ああ、肩がこった。……あれ、どうしたのルイ? 疲れたのか?」
「……なんだかいやになってきた」
「行き詰まったのか? どれ、王宮魔導師の僕が力を貸してあげようか」
ゾレイががたりと椅子から立ち上がったとき、図書館の中が突然暗くなった。
「ん? なんだ?」
ゾレイの困惑した声を聞いたルイは机から顔を上げた。図書館は本を傷めないように日の光がほとんど入らない造りになっているが、天井付近には明かり取りの窓がある。その窓の外が真っ暗になっていた。まだ日の高い時間なのにすっかり夜のようになってしまい、明かりは机に置いてある魔導ランプの光だけになった。
図書館にいたアクトール院生たちは突然の異変にざわついた。ゾレイはランプを持ってルイを手招きした。
「外に行ってみよう。誰かがなにか魔導を使ったのかも」
ルイとホルシェードもランプを持って図書館を出た。
外は暗闇に包まれていて、頭上はインクで塗りつぶしたように真っ黒だった。夜でも王都の明かりが反射してエラスム泡がきらきらして見えるので、ここまで真っ暗になることはない。まるでエラスム泡の下に黒い幕が下ろされたようだ。
ルイは前方が騒がしいことに気がついた。アクトール魔導院の入り口のほうだ。
「あっちで誰か騒いでるな。行ってみよう」
三人は暗闇の中を走り、アクトールの玄関口である正門に向かった。
門の前には小さな人だかりができていた。門は開け放たれているが、その向こうは真っ黒でなにも見えない。黒い壁がアクトールを取り囲み、中にいるルイたちを閉じこめてしまったようだ。外に出ようとしたアクトール院生たちは、壁をたたきながら助けを求めて叫んでいる。
「なにがあったんだ? これはなんだ?」
ルイは背の低い少年アクトール院生の肩をつかんでたずねた。少年は泣きそうな顔で訴えた。
「知らないよ! 外に出ようと思ったら門の上のほうから急に黒い壁がおりてきて、あっという間に全部覆ってしまったんだ!」
少年はこぶしで何度も壁をたたいているが、まったく壊れる気配はない。ルイも黒い壁に触ってみた。冷たくも温かくもなく、とても固い。腰の剣を抜いて刃先でたたいてみると、かんかんと石のような音がした。思いきって斬りかかってみたが傷一つつかなかった。
「あっ、刃こぼれした」
「どいてろ」
後ろからホルシェードの声がして、ルイは慌てて脇によけた。ホルシェードは巨大なとがった氷を五つ空中に作り出し、黒い壁めがけて放った。百枚の皿を同時に割ったようなものすごい音がして、氷塊が割れた。だが壁は振動ひとつしなかった。
「かてえな。なにでできてるんだこの壁?」
ホルシェードは腕組みをして首をひねった。門に詰めかけていたアクトール院生たちは、ホルシェードの荒技を見せつけられてぽかんとした。
「氷使いのホルシェードさんだ……」
年長のアクトール院生がぽつりと呟いた。ゾレイはホルシェードが散らかした氷を踏みつけ、黒い壁をしげしげと眺めた。
「音は響かないね。魔導で作った壁で間違いなさそうだ」
「なるほど」
ルイはしゃがんで氷のかけらを拾い上げた。氷のかけらは手のひらの温度で溶けて水になり、ルイの袖をぬらした。
「ホルシェードとギレットがいれば、氷を熱で溶かして無限に飲み水が作れるんじゃないか?」
「今そんなこと言ってる場合か?」
「は!? ルイお前なんでギレット様まで呼び捨てにしてるんだ!? お前一体なんなんだ! 許さんぞ!」
「ゾレイ、お前もそんな場合じゃないだろ……。ジョアン! ちょっと来い」
ホルシェードは先ほど自分の名前を呟いた年長のアクトール院生に呼びかけた。呼ばれたアクトール院生はホルシェードに駆け寄った。
「なんでしょうホルシェードさん!」
「ちょっと光の玉を飛ばしてみてくれ」
「あ、はい。どこにですか?」
「壁に沿って上のほうに。この壁がどれくらい大きいのか知りたい」
「わかりました」
ジョアンは手のひらの中に収まるほどの青く光る球体を作り出し、上に向かって投げた。青い光はときどき壁にぶつかりながら高く飛んでいった。そのうち一番高いところまでたどり着いた。
「結構高いな……」
どうやらアクトールは黒い巨大なお椀型の壁で覆われ、外から遮断されているようだ。
「もういいぞ。ジョアン、助かった」
「いえ、このくらい全然。明かりが必要でしょうからホルシェードさんの周りにいくつか飛ばしておきますね」
「頼む。今から研究棟に行って王宮魔導師を呼んでくるから、それまでここにいろ」
「はい!」
「ルイ、ゾレイ、行けるか?」
ホルシェードに声をかけられ、王太子候補たちに色目を使っているか否かで言い争っていたルイとゾレイは口論をやめた。三人は王宮魔導師たちのいる研究棟へ助けを呼びに走った。三人の周りを青い光がふわふわ飛んで足元を照らした。
「王宮魔導師の魔導だと思う?」
走りながらルイが聞いた。ゾレイとホルシェードは同時に首を横に振った。
「違うだろう」
「僕も違うと思う。こんなの使うなら先に言うよ。研究に熱中するあまり周りが見えなくなる先輩は多いけど、院生たちを怯えさせるようなことは絶対にしない」
「そうだよなあ」
そうなると残りの可能性は何者かの攻撃だ。今のところ閉じこめられただけで危害は加えられていないが、外に出る手段が見つからなければ詰みだ。しかし、優れた頭脳を持つ王宮魔導師なら解決の糸口を見つけるだろう。
研究棟に到着した三人は、状況が思ったより悪いことを悟った。研究棟は、元神殿の大きな教育棟の裏に隠れるようにひっそりと建っている。王宮魔導師はここの研究室でそれぞれ研究にいそしんでいて、いつも静かな建物だ。
その建物内から、悲鳴と怒声、なにかを壊すような音がひっきりなしに響いてくる。ホルシェードを先頭にして、ルイはおそるおそる研究棟に近づいた。不意に奥の窓が壊れ、なにかが外に逃げていくのが見えた気がした。
「俺が様子を見てくる。お前たちはここにいろ」
ホルシェードの言葉にルイとゾレイは一斉に反論した。
「だめだ! 一緒に行くぞ。一人より三人のほうがいい」
「そうですホルシェードさん。一人じゃ危険です。それに内部の構造は僕のほうが詳しいです」
「……わかった」
ホルシェードは短くうなずくと、足音を立てずに研究棟の入り口に近づき、そっとドアを開けた。中の廊下には誰もいない。
三人は忍び足で暗い廊下を進んだ。研究室の入り口に着くと、ゾレイがドアを開け、ホルシェードとルイが剣を構えて中に飛びこんだ。
研究室は上を下への大騒ぎだった。ルイの想像よりずっと広い大部屋で、等間隔に大きな長方形の机が置かれて魔導具やら本やらが積まれている。その部屋じゅうを何人もの王宮魔導師たちが逃げ回っていた。
ルイは自分の目を疑った。なにやら黒くて細長い蛇のような魚のようなものが、体をくねらせながら何体も空中を漂っている。王宮魔導師たちはその黒い魚に襲われ逃げ惑っていた。椅子や本を振り回して撃退している人もいるが、床にはすでに大勢が倒れている。
一人の王宮魔導師がドアを開けて飛びこんできたルイとホルシェードに目を留め、青い顔で叫んだ。
「馬鹿、ドアを閉めろ! こいつらが外に出てしまう!」
叫んだ際に一瞬の隙が生まれた。彼は背後から魚群に襲われ、黒い魚たちに体中に吸いつかれた。すると彼の顔からすっと血の気が引いていき、くたりと床に倒れた。彼に吸いついていた黒い魚たちは透明になっていき、空中に霧散した。
「危ない!」
一体の黒い魚がルイたちに向かってきて、ホルシェードはルイの頭に手を置いて床に伏せさせた。黒い魚はそのまま二人の上を通過し、ドアの影から中をのぞきこんでいるゾレイに突進していった。
「ゾレイ、逃げろ!」
ルイが叫んだが、ゾレイは驚いてその場で硬直してしまった。だが、黒い魚はゾレイに吸いつこうと口を開いたところで、土のつぶてを全身に浴びて床に転がった。転がった死骸は白く枯れて灰のようになった。
土のつぶてを放ったのは、教育棟の責任者で王宮魔導師のコニアテスだった。青白い顔で額に汗を垂らしているが、しっかりと二本足で立っている。
「ぼうっとするな! こいつらは魔力を食うぞ!」
コニアテスは自分の胸元を指さした。シャツに小さな丸い穴が開いている。一度黒い魚にやられたらしい。
「戦うんだ! こいつらは剣でも切れる!」
コニアテスは叫びながら大量の土のつぶてを目の前の魚群に放った。ルイとホルシェードとゾレイはコニアテスのそばに来て、力を合わせて魔力を食う魚を退治した。ルイの細い剣でも黒い魚は簡単にまっぷたつになった。しかし数が異常に多く、何人もいた王宮魔導師たちがどんどん襲われて倒れていく。倒れた魔導師に吸いつく魚もいた。
「まずい、魔力を奪い尽くされて死んでしまう!」
コニアテスが悲鳴混じりに叫んだ。ゾレイは部屋のすみのドアを指さした。
「コニアテス先生、あそこの書庫の中に倒れた人を避難させましょう!」
「よし、ゾレイにルイ、倒れてる奴を片っ端から書庫に放りこむんだ! ホルシェードは俺と一緒に援護だ!」
「わかりました!」
ルイとゾレイは姿勢を低くして倒れた魔導師を書庫まで引っ張っていき、中に放りこんで隠した。ホルシェードとコニアテスは襲いかかってくる黒い魚を片っ端からさばいていった。
狭い書庫内は、海の国を代表する王宮魔導師たちが山と積み重なってうめき声をあげているという、なんとも恐ろしい光景になった。ルイとゾレイは息も絶え絶えで、全身汗だくだった。それでもまだ黒い魚は絶えず襲ってくる。
海の国の歴史も地上では知り得ないことだったので、ほとんど手をつけられていないほこりをかぶった歴史書も読みこんだ。海の国にはルイの知らない魔導がたくさん存在していて、知識欲を刺激するものばかりだった。
ホルシェードはルイがアクトール魔導院に行くときは必ずそばに付き添った。いつもルイの隣に座り、黙って調べものをしていた。ホルシェードの調べものは海王軍の任務の一環でもあるらしく、紙に書かれたリストを見ながら本を選び、ページをめくってはなにかノートに書きつけていた。
「ねえ、ホルシェード」
ルイが話しかけると、ホルシェードは本から顔を上げた。
「なんだ」
「ホルシェードは第九部隊の隊長補佐なんだよね?」
「そうだ」
「あのさ、ホルシェードの紹介で俺を海王軍に入れてほしいんだけど」
ホルシェードはわずかに目を見開いた。
「……なんでお前が海王軍に入る必要があるんだ?」
「だっていつもきみに守ってもらうのも悪いし、俺だってきちんとした立場が欲しいんだよ。魔導師の隊なら俺でもやれることはあると思うよ」
「そういうことならライオル様に言ってくれ。俺にそんな権限はない」
とたんにルイの顔がくもったので、ホルシェードは事情を察した。
「もう断られたんだな」
「…………」
「当たり前だろ。ライオル様がお前を危険な目に遭わせるはずがない」
ルイはがっかりして机に突っ伏した。
「どこにも行かせようとしないなんて、やっぱり俺は人質に過ぎないんだな」
「いや、そういうことじゃなくて……」
ホルシェードは伸ばした手を宙にさまよわせた。落ちこむルイに声をかけようと口を開いたが、口下手だったのでなんと言えばいいかわからず、結局静かに手を下ろして黙りこんだ。
はす向かいで本の山に埋もれていたゾレイは、作業が一段落したようでうーんと腕を上げてのびをした。
「ああ、肩がこった。……あれ、どうしたのルイ? 疲れたのか?」
「……なんだかいやになってきた」
「行き詰まったのか? どれ、王宮魔導師の僕が力を貸してあげようか」
ゾレイががたりと椅子から立ち上がったとき、図書館の中が突然暗くなった。
「ん? なんだ?」
ゾレイの困惑した声を聞いたルイは机から顔を上げた。図書館は本を傷めないように日の光がほとんど入らない造りになっているが、天井付近には明かり取りの窓がある。その窓の外が真っ暗になっていた。まだ日の高い時間なのにすっかり夜のようになってしまい、明かりは机に置いてある魔導ランプの光だけになった。
図書館にいたアクトール院生たちは突然の異変にざわついた。ゾレイはランプを持ってルイを手招きした。
「外に行ってみよう。誰かがなにか魔導を使ったのかも」
ルイとホルシェードもランプを持って図書館を出た。
外は暗闇に包まれていて、頭上はインクで塗りつぶしたように真っ黒だった。夜でも王都の明かりが反射してエラスム泡がきらきらして見えるので、ここまで真っ暗になることはない。まるでエラスム泡の下に黒い幕が下ろされたようだ。
ルイは前方が騒がしいことに気がついた。アクトール魔導院の入り口のほうだ。
「あっちで誰か騒いでるな。行ってみよう」
三人は暗闇の中を走り、アクトールの玄関口である正門に向かった。
門の前には小さな人だかりができていた。門は開け放たれているが、その向こうは真っ黒でなにも見えない。黒い壁がアクトールを取り囲み、中にいるルイたちを閉じこめてしまったようだ。外に出ようとしたアクトール院生たちは、壁をたたきながら助けを求めて叫んでいる。
「なにがあったんだ? これはなんだ?」
ルイは背の低い少年アクトール院生の肩をつかんでたずねた。少年は泣きそうな顔で訴えた。
「知らないよ! 外に出ようと思ったら門の上のほうから急に黒い壁がおりてきて、あっという間に全部覆ってしまったんだ!」
少年はこぶしで何度も壁をたたいているが、まったく壊れる気配はない。ルイも黒い壁に触ってみた。冷たくも温かくもなく、とても固い。腰の剣を抜いて刃先でたたいてみると、かんかんと石のような音がした。思いきって斬りかかってみたが傷一つつかなかった。
「あっ、刃こぼれした」
「どいてろ」
後ろからホルシェードの声がして、ルイは慌てて脇によけた。ホルシェードは巨大なとがった氷を五つ空中に作り出し、黒い壁めがけて放った。百枚の皿を同時に割ったようなものすごい音がして、氷塊が割れた。だが壁は振動ひとつしなかった。
「かてえな。なにでできてるんだこの壁?」
ホルシェードは腕組みをして首をひねった。門に詰めかけていたアクトール院生たちは、ホルシェードの荒技を見せつけられてぽかんとした。
「氷使いのホルシェードさんだ……」
年長のアクトール院生がぽつりと呟いた。ゾレイはホルシェードが散らかした氷を踏みつけ、黒い壁をしげしげと眺めた。
「音は響かないね。魔導で作った壁で間違いなさそうだ」
「なるほど」
ルイはしゃがんで氷のかけらを拾い上げた。氷のかけらは手のひらの温度で溶けて水になり、ルイの袖をぬらした。
「ホルシェードとギレットがいれば、氷を熱で溶かして無限に飲み水が作れるんじゃないか?」
「今そんなこと言ってる場合か?」
「は!? ルイお前なんでギレット様まで呼び捨てにしてるんだ!? お前一体なんなんだ! 許さんぞ!」
「ゾレイ、お前もそんな場合じゃないだろ……。ジョアン! ちょっと来い」
ホルシェードは先ほど自分の名前を呟いた年長のアクトール院生に呼びかけた。呼ばれたアクトール院生はホルシェードに駆け寄った。
「なんでしょうホルシェードさん!」
「ちょっと光の玉を飛ばしてみてくれ」
「あ、はい。どこにですか?」
「壁に沿って上のほうに。この壁がどれくらい大きいのか知りたい」
「わかりました」
ジョアンは手のひらの中に収まるほどの青く光る球体を作り出し、上に向かって投げた。青い光はときどき壁にぶつかりながら高く飛んでいった。そのうち一番高いところまでたどり着いた。
「結構高いな……」
どうやらアクトールは黒い巨大なお椀型の壁で覆われ、外から遮断されているようだ。
「もういいぞ。ジョアン、助かった」
「いえ、このくらい全然。明かりが必要でしょうからホルシェードさんの周りにいくつか飛ばしておきますね」
「頼む。今から研究棟に行って王宮魔導師を呼んでくるから、それまでここにいろ」
「はい!」
「ルイ、ゾレイ、行けるか?」
ホルシェードに声をかけられ、王太子候補たちに色目を使っているか否かで言い争っていたルイとゾレイは口論をやめた。三人は王宮魔導師たちのいる研究棟へ助けを呼びに走った。三人の周りを青い光がふわふわ飛んで足元を照らした。
「王宮魔導師の魔導だと思う?」
走りながらルイが聞いた。ゾレイとホルシェードは同時に首を横に振った。
「違うだろう」
「僕も違うと思う。こんなの使うなら先に言うよ。研究に熱中するあまり周りが見えなくなる先輩は多いけど、院生たちを怯えさせるようなことは絶対にしない」
「そうだよなあ」
そうなると残りの可能性は何者かの攻撃だ。今のところ閉じこめられただけで危害は加えられていないが、外に出る手段が見つからなければ詰みだ。しかし、優れた頭脳を持つ王宮魔導師なら解決の糸口を見つけるだろう。
研究棟に到着した三人は、状況が思ったより悪いことを悟った。研究棟は、元神殿の大きな教育棟の裏に隠れるようにひっそりと建っている。王宮魔導師はここの研究室でそれぞれ研究にいそしんでいて、いつも静かな建物だ。
その建物内から、悲鳴と怒声、なにかを壊すような音がひっきりなしに響いてくる。ホルシェードを先頭にして、ルイはおそるおそる研究棟に近づいた。不意に奥の窓が壊れ、なにかが外に逃げていくのが見えた気がした。
「俺が様子を見てくる。お前たちはここにいろ」
ホルシェードの言葉にルイとゾレイは一斉に反論した。
「だめだ! 一緒に行くぞ。一人より三人のほうがいい」
「そうですホルシェードさん。一人じゃ危険です。それに内部の構造は僕のほうが詳しいです」
「……わかった」
ホルシェードは短くうなずくと、足音を立てずに研究棟の入り口に近づき、そっとドアを開けた。中の廊下には誰もいない。
三人は忍び足で暗い廊下を進んだ。研究室の入り口に着くと、ゾレイがドアを開け、ホルシェードとルイが剣を構えて中に飛びこんだ。
研究室は上を下への大騒ぎだった。ルイの想像よりずっと広い大部屋で、等間隔に大きな長方形の机が置かれて魔導具やら本やらが積まれている。その部屋じゅうを何人もの王宮魔導師たちが逃げ回っていた。
ルイは自分の目を疑った。なにやら黒くて細長い蛇のような魚のようなものが、体をくねらせながら何体も空中を漂っている。王宮魔導師たちはその黒い魚に襲われ逃げ惑っていた。椅子や本を振り回して撃退している人もいるが、床にはすでに大勢が倒れている。
一人の王宮魔導師がドアを開けて飛びこんできたルイとホルシェードに目を留め、青い顔で叫んだ。
「馬鹿、ドアを閉めろ! こいつらが外に出てしまう!」
叫んだ際に一瞬の隙が生まれた。彼は背後から魚群に襲われ、黒い魚たちに体中に吸いつかれた。すると彼の顔からすっと血の気が引いていき、くたりと床に倒れた。彼に吸いついていた黒い魚たちは透明になっていき、空中に霧散した。
「危ない!」
一体の黒い魚がルイたちに向かってきて、ホルシェードはルイの頭に手を置いて床に伏せさせた。黒い魚はそのまま二人の上を通過し、ドアの影から中をのぞきこんでいるゾレイに突進していった。
「ゾレイ、逃げろ!」
ルイが叫んだが、ゾレイは驚いてその場で硬直してしまった。だが、黒い魚はゾレイに吸いつこうと口を開いたところで、土のつぶてを全身に浴びて床に転がった。転がった死骸は白く枯れて灰のようになった。
土のつぶてを放ったのは、教育棟の責任者で王宮魔導師のコニアテスだった。青白い顔で額に汗を垂らしているが、しっかりと二本足で立っている。
「ぼうっとするな! こいつらは魔力を食うぞ!」
コニアテスは自分の胸元を指さした。シャツに小さな丸い穴が開いている。一度黒い魚にやられたらしい。
「戦うんだ! こいつらは剣でも切れる!」
コニアテスは叫びながら大量の土のつぶてを目の前の魚群に放った。ルイとホルシェードとゾレイはコニアテスのそばに来て、力を合わせて魔力を食う魚を退治した。ルイの細い剣でも黒い魚は簡単にまっぷたつになった。しかし数が異常に多く、何人もいた王宮魔導師たちがどんどん襲われて倒れていく。倒れた魔導師に吸いつく魚もいた。
「まずい、魔力を奪い尽くされて死んでしまう!」
コニアテスが悲鳴混じりに叫んだ。ゾレイは部屋のすみのドアを指さした。
「コニアテス先生、あそこの書庫の中に倒れた人を避難させましょう!」
「よし、ゾレイにルイ、倒れてる奴を片っ端から書庫に放りこむんだ! ホルシェードは俺と一緒に援護だ!」
「わかりました!」
ルイとゾレイは姿勢を低くして倒れた魔導師を書庫まで引っ張っていき、中に放りこんで隠した。ホルシェードとコニアテスは襲いかかってくる黒い魚を片っ端からさばいていった。
狭い書庫内は、海の国を代表する王宮魔導師たちが山と積み重なってうめき声をあげているという、なんとも恐ろしい光景になった。ルイとゾレイは息も絶え絶えで、全身汗だくだった。それでもまだ黒い魚は絶えず襲ってくる。
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