28 / 134
四章 魔導師隊と幸せな夢
7
しおりを挟むルイはすんでのところでギレットの拳をかわした。
「ギレット!? うわっ」
体勢を立て直す暇もなく、ギレットは再びルイに殴りかかった。ルイがしゃがんでかわすと、ギレットの拳は回廊の円柱に当たった。鈍い音がして石の柱からぱらりと砂粒が落ちてきた。
「すっげえ力!」
アンドラクスは嬉しそうな声をあげた。
「さすが隊長! そのクソ野郎を殺したら戻ってこいよ!」
アンドラクスはそう命令すると蔓をつかんで蔓ごと階上に戻っていった。ルイはがむしゃらにその場を逃げ出した。ギレットから一撃でも食らったら、細身のルイなどひとたまりもない。
ルイは回廊を駆け抜けて奥の廊下に逃げこんだ。どこに向かっているわけでもなく、とにかくギレットを振り切ろうと必死に走った。
廊下の突き当たりには木の扉があり、押してみたがびくともしなかった。後ろを見ると無表情のギレットがすぐそこまで迫ってきている。ルイは慌てて廊下を右に曲がった。だが、急いでいたせいで夜着の裾に足の指が引っかかって派手に転んでしまった。
ギレットは埃まみれの床に転がったルイを見下ろした。ルイは恐怖で口蓋に張りついた舌をひっぺがして叫んだ。
「ギレット・ヴァフラーム! 俺の話を聞け! ギレッ……」
ギレットは黙ってルイに馬乗りになり、ルイの顔めがけて容赦なく殴りつけた。ルイは顔の前で腕を交差させてなんとか一撃を耐え、再び振り上げられたギレットの前腕をつかんだ。
「ギレット・ヴァフラーム!」
ルイは魔力をこめて必死に呼びかけた。昔読んだ本の中に、古代の魔術について書かれているものがあった。名前を奪って相手を操るためには、相手の本名を呼ぶ必要がある。術を解くのも同じ方法だった気がする。
「ギレット・ヴァフラーム! お前の名前はお前のものだ!」
ギレットはつかまれていないほうの腕でルイの頬を殴った。ルイは視界に星が飛んだが、意地でもギレットの腕を離さなかった。
「ギレット……頼む、目を覚ましてくれ」
ルイは死にものぐるいでギレットの名を呼んだ。ルイの細腕でギレットの筋骨隆々の腕を押さえておけるはずもなかったが、ギレットはルイにつかまれた右腕を振り払おうとはしなかった。ギレットは左手でルイの首をつかんだ。
「ギレッ……」
ルイは首を絞められて息が詰まった。口を開けても呼吸ができず、ギレットの腕をつかむ手に力が入らなくなっていく。
なにかをぶつける音がして、ルイは急に息ができるようになった。ルイは思いきり空気を吸いこんでげほげほとむせた。
再び何かをぶつける音がしたので見てみると、ギレットが自分の頭を壁に打ちつけていた。その痛みで自分の意志を取り戻したらしい。こちらを向いたギレットの額からは血が流れていた。
「ルイ……」
ギレットはぜえぜえと息をはくルイの上から退いた。
「すまん……お前を傷つけた」
「だい、じょうぶ……大したことないよ」
ルイはギレットを安心させようとして笑ったが、頬を殴られた際に切れた唇にぴりっと痛みが走った。
「いてて」
口の中も歯で切ってしまっていて、ルイは体を起こして血の混じった唾をはきだした。
「……こっちに来い。ちょっと休もう」
ギレットはルイを軽々と抱え、小さなドアをくぐって使用人の使う細い通路に入った。静かにドアを閉めると、ルイを床に下ろして怪我の具合を確かめた。ずきずきと痛む頬に触れられ、ルイはぴくりと肩を震わせた。
「……痛むか?」
「まあ、痛いけど……耐えられないほどじゃないよ」
「左腕は? ここも赤くなっちまったな……」
「うん、でも手は動くし平気」
「骨は折れてないか……」
ギレットは申し訳なさそうにルイの左腕をそっとなでた。
「すまなかったな……帰ったらすぐ医者に連れてくから」
「きみは悪くないよ。アンドラクスの術のせいだ」
「……あいつ、俺の名前を呼んで俺を操ったのか?」
「そう見えたけど」
「名前を縛る魔術……? そんなものが使えるなんて、あいつまさか海を渡って来たのか……?」
ギレットの顔から血の気が引いた。
「え? 海を渡って?」
「……いや、わからないことを考えるのはよそう。とにかく今はここを出て海王軍に知らせるんだ。ここがどこかわかるか?」
「ギレットにわからないものを俺がわかるわけないよ。古い館だとしか」
「そうか……まあ、カリバン・クルスではないだろうな。周囲は森っぽいし」
通路には小さなガラス窓がついていて、日光が差しこんでいた。ルイは窓についた汚れを拭って外を見た。窓ガラスがくもっていて判然としないが、緑の木々に囲まれているようだった。外はとても静かで、人の気配はまったく感じられない。
「ルイ」
呼ばれて振り向くと、ギレットは眉間にしわを寄せてルイをじっと見つめていた。
「……お前の名前はルイ・ザリシャではないのか?」
ルイは黙ってギレットを見つめ返した。
「アンドラクスは俺とお前の名前を呼んだな? それでもお前が平気だったのは、お前の名前が偽名だったからだろ? お前、なぜ偽名を名乗ってる?」
「……さあな」
ルイは通路の奥に進もうとしたが、体の両脇の壁に手をつかれてギレットの腕の中に閉じこめられた。
「おい、ごまかすな。きちんと話せ」
「…………」
「ルイ、言わなければお前を信用することはできないぞ。お前は一体誰なんだ?」
ギレットはルイから目を離さない。ルイは観念してギレットに正面から向き直った。
「……なんで偽名を名乗ってるかと言うと、俺が本名を名乗ると殺される危険があるからだ。だからライオルが俺にこの名前を与えた。俺の本当の名前はルーウェン・エレオノ・リーゲンス。俺はリーゲンス国の王族だよ」
「は……? お前が?」
「アムルタ陛下が殺されるまでは第四王子で、サルヴァトを倒したあと即位して王になった。少しのあいだだけだったけどな」
ギレットは壁から手を離してぽかんと口を開けた。ルイはギレットに身の上話をした。先ほどいやな記憶を呼び起こされてしまったので、城を逃げた日のことを話すのは辛かった。王太子を目の前で殺されたあげく己にも同じ刃を突き立てられた王妃の断末魔は、今でも耳にこびりついている。ルイは通路の壁を見つめ、壁についた埃を指ではがしながら話した。
「ルイ……お前、自分で海の国に来たんじゃなく、あいつにさらわれてきたのか……」
ギレットはルイを哀れに思ったようだった。
「……ライオルを恨んでいるか? あいつのせいで、お前は二度と祖国に帰れなくなったんだ」
「それは別にいいんだ。どっちみちあの城からは出るつもりだったし。それに、ライオルがやらなければオヴェン軍司令官に報復で殺されていただろう。ライオルにはむしろ姉上の命を助けてもらったと思ってるよ」
「でも……そんな簡単に片付くような話じゃないぞ。そんな経緯があったのに、どうして海王軍に入る気になったんだ?」
「俺はここで生きていくって決めたんだよ。ここのほうが、リーゲンスよりずっと暮らしやすい。俺のこと毒殺しようとする人もいないから、ご飯をおいしく食べられるし」
ギレットは言葉を失った。
「腐った王家だって、オヴェン軍司令官に言われたよ。……俺も、そう思うよ」
「お前は家族にいい思い出がないんだな……」
「姉上のことは好きだったけど。それ以外で言えばそうだな」
「……だからお前はアンドラクスの暗示を抜けられたんだ。あいつの言う家族と幸せが結びつかなかったんだ」
「なるほど……」
ルイはちょっと迷ったが、ギレットを見上げて言った。
「……ギレットもそうなのか? 家族と一緒にいるのは幸せじゃなかったのか?」
ギレットは表情を曇らせた。
「……そうだな。ヴァフラーム家は武力を重んじる家系で、俺は幼い頃から兄たちに敵意を向けられ続けてきた。家が安らぎの場だという感覚は俺にはない」
ギレットは腕組みをして壁にもたれかかった。
「ヴァフラーム家は子供たちの中で一番力のある者が次期当主と王太子候補、両方の権利を得る。兄弟同士で命を賭けて決闘をし、勝者を選ぶんだ。俺は昔から力が強かったから、兄たちは俺を排除しようと必死だった」
「ギレットは兄との決闘に勝って王太子候補になったのか」
「ああ。さもなければ死んでたさ。連中も死ぬ気でかかってきてたからな。ヴァフラーム家の人間はとにかく血の気が多いんだ。結局、俺は長兄の右腕を切り落とすはめになった。次兄との勝負もそのときについた。決着がついて奴らはおとなしくなったが、憎まれちまって……だから俺はカリバン・クルスで暮らすようになった。家にはあれ以来戻っていない」
「そんなことがあったのか……。大変だったな」
「お前ほどじゃないさ」
「お互い様だろ」
ルイの返しにギレットは口端をつり上げた。
「そろそろ行くか、ルイ。まずは武器になるものを探そう。この先に厨房があると思うから、そこに行ってみよう」
「うん」
ギレットはルイの話を疑うこともせず、ルイに敵意を持った様子もなかった。ルイはここで仲違いになったらおしまいだと不安だったが、ギレットが態度を変えなかったので心の底からほっとしていた。むしろギレットも自分のことを話してくれてお互い腹の内を見せ合ったおかげで、信頼関係が生まれていた。ライオルは遠くにいて助けに来てもらえないが、ギレットが一緒ならアンドラクスも怖くない気がした。
ルイは歩き出そうとして一歩踏み出したが、夜着の裾を踏んづけてつんのめった。
「あっ」
「おっと」
ギレットはぐらりとよろめいたルイを腕で受け止めた。
「ごめん、ありがとう。これ動きにくいんだよな。もういっそ破くか」
「じゃあなんでそんなもん着てるんだよ」
「ライオルに買ってもらったんだ。人気のデザインなんだって。俺はあまり好きじゃないけどね」
「……へえ……あいつこういうのが趣味かよ……」
ルイは夜着の裾をつかんで思いきり縦に引き裂いた。太ももまで破いて左右にスリットを入れると、足を高く上げられるようになった。
「これで走れるな!」
「……そんな格好でうろつく気か? あいつ泣くんじゃないか?」
「えっ誰が?」
「そのいかがわしい夜着をお前に買った奴だよ……」
「こんな状況だしそんなこと言ってられないだろ。早く行こう」
ルイはギレットを促して先に進んだ。ギレットはルイの格好を上から下まで眺めてからあとを追った。
0
あなたにおすすめの小説
〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜
上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。
体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。
両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。
せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない?
しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……?
どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
※別名義で連載していた作品になります。
(名義を統合しこちらに移動することになりました)
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【完結】悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
* ゆるゆ
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、反省しました。
BLゲームの世界で、推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)
本編完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
きーちゃんと皆の動画をつくりました!
もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画
プロフのwebサイトから両方に飛べるので、もしよかったら!
本編以降のお話、恋愛ルートも、おまけのお話の更新も、アルファポリスさまだけですー!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
【完結】お義父さんが、だいすきです
* ゆるゆ
BL
闇の髪に闇の瞳で、悪魔の子と生まれてすぐ捨てられた僕を拾ってくれたのは、月の精霊でした。
種族が違っても、僕は、おとうさんが、だいすきです。
ぜったいハッピーエンド保証な本編、おまけのお話、完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
トェルとリィフェルの動画つくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画
プロフのWebサイトから、どちらにも飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
【完結】弟を幸せにする唯一のルートを探すため、兄は何度も『やり直す』
バナナ男さん
BL
優秀な騎士の家系である伯爵家の【クレパス家】に生まれた<グレイ>は、容姿、実力、共に恵まれず、常に平均以上が取れない事から両親に冷たく扱われて育った。 そんなある日、父が気まぐれに手を出した娼婦が生んだ子供、腹違いの弟<ルーカス>が家にやってくる。 その生まれから弟は自分以上に両親にも使用人達にも冷たく扱われ、グレイは初めて『褒められる』という行為を知る。 それに恐怖を感じつつ、グレイはルーカスに接触を試みるも「金に困った事がないお坊ちゃんが!」と手酷く拒絶されてしまい……。 最初ツンツン、のちヤンデレ執着に変化する美形の弟✕平凡な兄です。兄弟、ヤンデレなので、地雷の方はご注意下さいm(__)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる