風の魔導師はおとなしくしてくれない

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四章 魔導師隊と幸せな夢

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 ルイはすんでのところでギレットの拳をかわした。

「ギレット!? うわっ」

 体勢を立て直す暇もなく、ギレットは再びルイに殴りかかった。ルイがしゃがんでかわすと、ギレットの拳は回廊の円柱に当たった。鈍い音がして石の柱からぱらりと砂粒が落ちてきた。

「すっげえ力!」

 アンドラクスは嬉しそうな声をあげた。

「さすが隊長! そのクソ野郎を殺したら戻ってこいよ!」

 アンドラクスはそう命令すると蔓をつかんで蔓ごと階上に戻っていった。ルイはがむしゃらにその場を逃げ出した。ギレットから一撃でも食らったら、細身のルイなどひとたまりもない。

 ルイは回廊を駆け抜けて奥の廊下に逃げこんだ。どこに向かっているわけでもなく、とにかくギレットを振り切ろうと必死に走った。

 廊下の突き当たりには木の扉があり、押してみたがびくともしなかった。後ろを見ると無表情のギレットがすぐそこまで迫ってきている。ルイは慌てて廊下を右に曲がった。だが、急いでいたせいで夜着の裾に足の指が引っかかって派手に転んでしまった。

 ギレットは埃まみれの床に転がったルイを見下ろした。ルイは恐怖で口蓋に張りついた舌をひっぺがして叫んだ。

「ギレット・ヴァフラーム! 俺の話を聞け! ギレッ……」

 ギレットは黙ってルイに馬乗りになり、ルイの顔めがけて容赦なく殴りつけた。ルイは顔の前で腕を交差させてなんとか一撃を耐え、再び振り上げられたギレットの前腕をつかんだ。

「ギレット・ヴァフラーム!」

 ルイは魔力をこめて必死に呼びかけた。昔読んだ本の中に、古代の魔術について書かれているものがあった。名前を奪って相手を操るためには、相手の本名を呼ぶ必要がある。術を解くのも同じ方法だった気がする。

「ギレット・ヴァフラーム! お前の名前はお前のものだ!」

 ギレットはつかまれていないほうの腕でルイの頬を殴った。ルイは視界に星が飛んだが、意地でもギレットの腕を離さなかった。

「ギレット……頼む、目を覚ましてくれ」

 ルイは死にものぐるいでギレットの名を呼んだ。ルイの細腕でギレットの筋骨隆々の腕を押さえておけるはずもなかったが、ギレットはルイにつかまれた右腕を振り払おうとはしなかった。ギレットは左手でルイの首をつかんだ。

「ギレッ……」

 ルイは首を絞められて息が詰まった。口を開けても呼吸ができず、ギレットの腕をつかむ手に力が入らなくなっていく。

 なにかをぶつける音がして、ルイは急に息ができるようになった。ルイは思いきり空気を吸いこんでげほげほとむせた。

 再び何かをぶつける音がしたので見てみると、ギレットが自分の頭を壁に打ちつけていた。その痛みで自分の意志を取り戻したらしい。こちらを向いたギレットの額からは血が流れていた。

「ルイ……」

 ギレットはぜえぜえと息をはくルイの上から退いた。

「すまん……お前を傷つけた」
「だい、じょうぶ……大したことないよ」

 ルイはギレットを安心させようとして笑ったが、頬を殴られた際に切れた唇にぴりっと痛みが走った。

「いてて」

 口の中も歯で切ってしまっていて、ルイは体を起こして血の混じった唾をはきだした。

「……こっちに来い。ちょっと休もう」

 ギレットはルイを軽々と抱え、小さなドアをくぐって使用人の使う細い通路に入った。静かにドアを閉めると、ルイを床に下ろして怪我の具合を確かめた。ずきずきと痛む頬に触れられ、ルイはぴくりと肩を震わせた。

「……痛むか?」
「まあ、痛いけど……耐えられないほどじゃないよ」
「左腕は? ここも赤くなっちまったな……」
「うん、でも手は動くし平気」
「骨は折れてないか……」

 ギレットは申し訳なさそうにルイの左腕をそっとなでた。

「すまなかったな……帰ったらすぐ医者に連れてくから」
「きみは悪くないよ。アンドラクスの術のせいだ」
「……あいつ、俺の名前を呼んで俺を操ったのか?」
「そう見えたけど」
「名前を縛る魔術……? そんなものが使えるなんて、あいつまさか海を渡って来たのか……?」

 ギレットの顔から血の気が引いた。

「え? 海を渡って?」
「……いや、わからないことを考えるのはよそう。とにかく今はここを出て海王軍に知らせるんだ。ここがどこかわかるか?」
「ギレットにわからないものを俺がわかるわけないよ。古い館だとしか」
「そうか……まあ、カリバン・クルスではないだろうな。周囲は森っぽいし」

 通路には小さなガラス窓がついていて、日光が差しこんでいた。ルイは窓についた汚れを拭って外を見た。窓ガラスがくもっていて判然としないが、緑の木々に囲まれているようだった。外はとても静かで、人の気配はまったく感じられない。

「ルイ」

 呼ばれて振り向くと、ギレットは眉間にしわを寄せてルイをじっと見つめていた。

「……お前の名前はルイ・ザリシャではないのか?」

 ルイは黙ってギレットを見つめ返した。

「アンドラクスは俺とお前の名前を呼んだな? それでもお前が平気だったのは、お前の名前が偽名だったからだろ? お前、なぜ偽名を名乗ってる?」
「……さあな」

 ルイは通路の奥に進もうとしたが、体の両脇の壁に手をつかれてギレットの腕の中に閉じこめられた。

「おい、ごまかすな。きちんと話せ」
「…………」
「ルイ、言わなければお前を信用することはできないぞ。お前は一体誰なんだ?」

 ギレットはルイから目を離さない。ルイは観念してギレットに正面から向き直った。

「……なんで偽名を名乗ってるかと言うと、俺が本名を名乗ると殺される危険があるからだ。だからライオルが俺にこの名前を与えた。俺の本当の名前はルーウェン・エレオノ・リーゲンス。俺はリーゲンス国の王族だよ」
「は……? お前が?」
「アムルタ陛下が殺されるまでは第四王子で、サルヴァトを倒したあと即位して王になった。少しのあいだだけだったけどな」

 ギレットは壁から手を離してぽかんと口を開けた。ルイはギレットに身の上話をした。先ほどいやな記憶を呼び起こされてしまったので、城を逃げた日のことを話すのは辛かった。王太子を目の前で殺されたあげく己にも同じ刃を突き立てられた王妃の断末魔は、今でも耳にこびりついている。ルイは通路の壁を見つめ、壁についた埃を指ではがしながら話した。

「ルイ……お前、自分で海の国に来たんじゃなく、あいつにさらわれてきたのか……」

 ギレットはルイを哀れに思ったようだった。

「……ライオルを恨んでいるか? あいつのせいで、お前は二度と祖国に帰れなくなったんだ」
「それは別にいいんだ。どっちみちあの城からは出るつもりだったし。それに、ライオルがやらなければオヴェン軍司令官に報復で殺されていただろう。ライオルにはむしろ姉上の命を助けてもらったと思ってるよ」
「でも……そんな簡単に片付くような話じゃないぞ。そんな経緯があったのに、どうして海王軍に入る気になったんだ?」
「俺はここで生きていくって決めたんだよ。ここのほうが、リーゲンスよりずっと暮らしやすい。俺のこと毒殺しようとする人もいないから、ご飯をおいしく食べられるし」

 ギレットは言葉を失った。

「腐った王家だって、オヴェン軍司令官に言われたよ。……俺も、そう思うよ」
「お前は家族にいい思い出がないんだな……」
「姉上のことは好きだったけど。それ以外で言えばそうだな」
「……だからお前はアンドラクスの暗示を抜けられたんだ。あいつの言う家族と幸せが結びつかなかったんだ」
「なるほど……」

 ルイはちょっと迷ったが、ギレットを見上げて言った。

「……ギレットもそうなのか? 家族と一緒にいるのは幸せじゃなかったのか?」

 ギレットは表情を曇らせた。

「……そうだな。ヴァフラーム家は武力を重んじる家系で、俺は幼い頃から兄たちに敵意を向けられ続けてきた。家が安らぎの場だという感覚は俺にはない」

 ギレットは腕組みをして壁にもたれかかった。

「ヴァフラーム家は子供たちの中で一番力のある者が次期当主と王太子候補、両方の権利を得る。兄弟同士で命を賭けて決闘をし、勝者を選ぶんだ。俺は昔から力が強かったから、兄たちは俺を排除しようと必死だった」
「ギレットは兄との決闘に勝って王太子候補になったのか」
「ああ。さもなければ死んでたさ。連中も死ぬ気でかかってきてたからな。ヴァフラーム家の人間はとにかく血の気が多いんだ。結局、俺は長兄の右腕を切り落とすはめになった。次兄との勝負もそのときについた。決着がついて奴らはおとなしくなったが、憎まれちまって……だから俺はカリバン・クルスで暮らすようになった。家にはあれ以来戻っていない」
「そんなことがあったのか……。大変だったな」
「お前ほどじゃないさ」
「お互い様だろ」

 ルイの返しにギレットは口端をつり上げた。

「そろそろ行くか、ルイ。まずは武器になるものを探そう。この先に厨房があると思うから、そこに行ってみよう」
「うん」

 ギレットはルイの話を疑うこともせず、ルイに敵意を持った様子もなかった。ルイはここで仲違いになったらおしまいだと不安だったが、ギレットが態度を変えなかったので心の底からほっとしていた。むしろギレットも自分のことを話してくれてお互い腹の内を見せ合ったおかげで、信頼関係が生まれていた。ライオルは遠くにいて助けに来てもらえないが、ギレットが一緒ならアンドラクスも怖くない気がした。

 ルイは歩き出そうとして一歩踏み出したが、夜着の裾を踏んづけてつんのめった。

「あっ」
「おっと」

 ギレットはぐらりとよろめいたルイを腕で受け止めた。

「ごめん、ありがとう。これ動きにくいんだよな。もういっそ破くか」
「じゃあなんでそんなもん着てるんだよ」
「ライオルに買ってもらったんだ。人気のデザインなんだって。俺はあまり好きじゃないけどね」
「……へえ……あいつこういうのが趣味かよ……」

 ルイは夜着の裾をつかんで思いきり縦に引き裂いた。太ももまで破いて左右にスリットを入れると、足を高く上げられるようになった。

「これで走れるな!」
「……そんな格好でうろつく気か? あいつ泣くんじゃないか?」
「えっ誰が?」
「そのいかがわしい夜着をお前に買った奴だよ……」
「こんな状況だしそんなこと言ってられないだろ。早く行こう」

 ルイはギレットを促して先に進んだ。ギレットはルイの格好を上から下まで眺めてからあとを追った。
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