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番外編 裕福な商人の秘密
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しおりを挟む俺は暖炉の火で温めておいたやかんのお湯を使ってお茶をいれ、湯気の上がるカップをルイの前に置いた。
「どうぞ」
「ありがとう」
ルイは熱いお茶をゆっくりと飲んだ。その飲み方がとてもきれいで、つい見とれてしまった。俺はルイの隣の椅子に座り、ルイがお茶を飲む様子を間近で眺めた。
「とてもおいしいお茶だね」
ルイは俺のほうを向いて屈託のない笑みを浮かべた。椅子はほかにもあるのにわざわざ隣に座った俺を見ても、なにも思わないようだ。あまりに警戒心がなさすぎて不安になる。こんなのすぐに男に捕まって食われてしまうじゃないか。この人は俺が守ってあげないといけない気がする。
「あっ、そうだ。話を聞かないといけないんだった」
ルイはお茶に息を吹きかけて冷ましていたが、突然仕事を思いだしたようでカップを置いた。唇をとがらせてふうふうしているところをもっと見ていたかったが、二人で話をするのも悪くない。
「なんでも教えてあげるよ、ルイ。なにが聞きたい?」
「そうだな。この屋敷に魔導師はいるかい?」
「え? いないと思うよ」
「そっか……じゃあ、この屋敷に妙なところはないか? 知らない人を見かけるとか、変な物音が聞こえるとか」
俺は少し考えてから言った。
「旦那様の仕事相手がよく来るから、一階の応接室ではいろいろな人を見かけるよ。二階は旦那様と奥様と大奥様が暮らすところだから客は上がってこないけど」
「ほかに気になるところは?」
「別に……あ」
俺は先日来た守衛師団の兵士が勝手に二階に上がったときのことを思いだした。
「二階の廊下の突き当たりの部屋はよくわからないな。鍵がかかってるから使用人は誰も入ったことがないし、掃除の必要もないから近づくなって先輩に言われてるんだ。でも、鍵穴が見当たらないんだよな」
「鍵穴がないのに鍵がかかってる部屋?」
「そう。なんで開かないんだろうな」
「……その部屋の前まで行ってもいい?」
「うーん……」
「お願い!」
ルイはずいっと俺に詰め寄った。息がかかるくらい近くに顔を近づけられて心臓が跳ねた。なんだか花のようないいにおいがする。
「い、いや、いくらきみのお願いでもそれは……」
「廊下からちょっと見るだけ!」
「いやー……旦那様にそれはだめだって言われてるし……」
「……そっかあ」
ルイはしゅんと肩を落とした。俺はとてつもない罪悪感にかられた。
「あの、そんなに気になるならあとで旦那様に聞いてみるよ。それならいいだろ?」
「ん……そうだな」
「その代わり、きみのことを教えてよ」
「え? 俺のこと?」
「うん。せっかく知り合えたんだしさ。きみって何歳なの? 出身は?」
ルイは少しうろたえたが、俺がにこにこしていると安心したのか話してくれた。
「えっと……俺は二十一歳だよ」
「え! 同い年だ!」
「えっ、本当?」
「うん。ルイはいつからカリバン・クルスにいるの? それともここ育ち?」
「いや、生まれは別だよ。カリバン・クルスには最近来たんだ」
「俺もだよ! へえ、意外と共通点あるな。俺たち気が合いそうじゃない?」
「はは、そうだな。きみも最近働き始めたって言ってたもんね」
「そうそう」
俺は嬉しくなってカリバン・クルスに来てからのことをいろいろと喋った。ルイは楽しそうに俺の話を聞いてくれた。
俺の生まれた町は割と大きな町でそれなりに美女もいたけど、ルイはあの町の子にはない不思議な魅力がある。見た目がかわいいだけではなく、所作が美しいんだ。カップの持ち方一つとっても、指先で持ち手をつまむ仕草が優美で、気づくと目で追ってしまう。
きれいな花を観賞するように、ルイをずっと見つめていたい気もするが、ベッドの上で乱れるところも見てみたいと思ってしまうのは男の悲しい性だ。今は上品にほほ笑んでいるこの人も、快楽におぼれてあえぐことがあるのだろうか。
「ルイって恋人はいるの?」
気づくと俺はそう聞いていた。ルイはぴしりと固まり、ぶんぶんと首を横に振った。
「い、いないよ」
「そうなの?」
しまった、嬉しそうな声を出してしまった。ルイは頬を赤らめてこくりとうなずいた。かわいすぎて心配だ……。
「もしかして今まで恋人がいたことがないとか?」
「いや、アウロ……故郷にいたときに仲良くなった子はいたけど」
「あ、そう……でも今は恋人じゃないんだろ?」
「うん……。一時のことだったというか、イオンに取られたというか……」
「イオンって誰?」
「あ……俺の姉だよ」
「え? 姉に恋人を奪われたの?」
ちょっと状況がよくわからない。俺が首をかしげていると、ルイは頬をぽりぽりとかいて言った。
「なんというか……俺の姉は女にモテるんだよ。美人だし、馬も剣も得意でその辺の男より勇ましいし。少し前まで、しょっちゅう馬に乗って町に下りては女の子の視線を独り占めしてたんだ」
「な、なにそのものすごい姉さん……見てみたい……」
「イオンばっかり目立ってたせいで、俺は全然モテなかったんだ。初めて仲良くなった子も、すぐにイオンに目移りして離れてっちゃって……。まあ、イオンに比べたら俺なんかかすむよなあ」
ルイはどんよりして言ったが、俺はちょっと違うような気がしていた。いくら美人の姉がいたとしても、ルイのような美少年がモテないはずがない。
「ルイ」
「なに?」
「きみは姉さんと仲がいいのか?」
「ああ、うん。仲はよかったよ」
「姉さんはきみのことをかわいがってる? もしかして結構心配性なんじゃないか?」
「ああ、いつも俺のことを気遣ってくれてたよ。確かにちょっと心配し過ぎるときもあったけどね」
「なるほど」
その姉は間違いなく意図的にルイから恋人を奪ったな。大事な弟に虫がつかないように見張っていたんだろう。だからルイはこの容姿で今でもこんなに純粋なのか。ルイの姉おそるべし。
「そういうきみはどうなんだよ」
ルイは恥ずかしくなったようで俺に話を振ってきた。
「俺? 俺も今恋人はいないよ。せっかく王都に来たんだし、とびきりのかわいい子と仲良くなることが今の目標なんだ」
「はは、それはいいね」
「でも今日でその目標も達成できそうかなー」
「え? そうなのか?」
ルイはきょとんとして俺を見つめた。俺は鼻血の気配を感じて急いで鼻を押さえた。落ち着け俺。
「だってきみに出会えただろ」
俺はそうっとルイの背中に手を伸ばした。ルイの華奢な肩を抱こうとしたとき、勝手口から声がした。
「こんにちは! 注文の品を受け取りに来ました!」
「はいっ!?」
俺は慌てて立ち上がった。なんで今客が来るんだよ。心臓が口から出るかと思った。
勝手口に立っていたのは、定期的にうちの商品を買いに来る青年だった。そういえば今日来るって先輩が言ってたな。
「こんにちはテオフィロさん。いつものやつですね」
「ああ、きみか。そうだよ」
「今持ってきます。えーと……」
俺はたくさんのものが並んでいる棚から彼に渡す品物を探した。ルイは勝手口に背を向けて座っていたが、振り向いてテオフィロさんを見ると目を見開いた。
「あれ、テオフィロ?」
「えっ……ルイ様!? なんでここに!?」
テオフィロさんが驚いて叫んだ。どうやら二人は知り合いらしい。
「海王軍の任務で来てるんだよ。テオフィロこそなにしてるんだ?」
ルイが言うと、テオフィロさんは俺をじっと見てからルイに向き直った。
「ジャーダスゾーンの葡萄酒を買いに来たんです。ライオル様が気に入ってるので、特別に直接買わせてもらってるんですよ」
「ああ、あれってここのやつだったんだ」
「ええ。……ところでルイ様、単独任務ですか?」
「いや、ファスマーも一緒だよ。今は屋敷の外を見に行ってるけど、もうすぐ戻ってくるんじゃないかな」
「それならいいです。ライオル様があなた一人に任務を与えるはずないですよね……」
「うん。危ないことはするなって言われてるし」
「……今危なかったように見えましたけど」
俺は二人の会話を聞き流しながら、ごちゃごちゃした棚の荷物をあちこち引っかき回していた。先輩がいろいろなものを置くせいで、目当てのものが見つからない。
俺が葡萄酒を探しているうちに、屋敷の周りを見に行っていたファスマーが戻ってきた。
「ルイ、待たせたな。どうだ、話は聞けたか?」
「おかえり。うん、聞けたよ。そっちはどう?」
「あー……とりあえず今日のところは引き上げようか」
「わかった」
ルイは小走りに俺のところにやってきた。
「タリエラ」
「なんだい?」
「俺たちこれで帰ることにするよ。いろいろありがとう」
「え、もう帰るの……あ、いや、力になれたならよかった」
「また来るかもしれないけど、そのときはよろしく」
「もちろんだよ。またね、ルイ」
「うん、またね」
ルイは俺に手を振ってファスマーと一緒に帰ってしまった。まだ住んでいるところも聞けてないし、一緒に遊びに行く約束もしてないのにがっかりだ。
俺は棚の奥から麻ひもでまとめられた三本の葡萄酒の瓶を見つけて引っ張り出した。軽く汚れを払ってから、テオフィロさんに手渡した。
「お待たせしてすいません。こちらどうぞ」
「ありがとう」
テオフィロさんは葡萄酒を受け取ると、なぜかそのままテーブルの上に置いた。
「どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもあるかボケ」
テオフィロさんは先ほどまでの笑みを消して、突然俺の胸ぐらをつかんで乱暴に引き寄せてきた。
「お前、さっきルイ様になにする気だった?」
「え!?」
いつもの柔和なテオフィロさんはどこかに行き、鬼の形相でにらんできた。痛いところを突かれて俺は冷や汗を禁じ得なかった。
「い、いや……質問に答えてただけですけど」
「わざわざ隣に座って密着する必要があるか? それに抱きしめようとしてただろ」
「違いますって、お茶を渡した流れで偶然……」
「だってきみに出会えただろ」
「うっ……聞いてたんですか」
「お前、ルイ様に手を出してみろ……ばらばらにして魚のえさにするぞ」
本気の目だ。俺は死を覚悟した。
「テオフィロさんの知り合いだったとは知らなかったんですよ……というか、どういう関係なんですか?」
「主人の命令で、今あの人のお世話をしてるんだよ」
「へ、へえ、やっぱりいいとこの坊ちゃんなんだ」
「……とにかく、その手でルイ様に触れたときがお前の命日だからな。よく覚えとけ」
「はい」
「ちっ」
テオフィロさんは舌打ちすると、俺の胸ぐらをつかんでいた手を離した。
「代金だ」
テオフィロさんはテーブルにばんと数枚の金貨を置き、葡萄酒を持って去っていった。
「こ、こわ……」
おとなしそうな人なのに、人は見かけによらないんだな。
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