風の魔導師はおとなしくしてくれない

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六章 遠い屋敷

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 馬車は坂道を上っていき、唐突に停車した。荷台の幌が外され、ルイは箱に入れられたまま再びどこかへ運ばれていった。反響する足音から室内に運びこまれていることがわかった。

 木箱が床に下ろされると、紐がほどかれて蓋が開いた。ルイは箱の外に出され、ようやく外の空気を吸うことができた。縛っていた縄がすべてほどかれると、ルイは立ち上がって凝り固まった背筋を伸ばした。

 ルイはベッティともう一人の仲間の男とともに豪奢な部屋の中にいた。白黒のモザイク模様の床に、深緑色の壁と彫刻の施された乳白色の柱。高い天井からはきらびやかな金と水晶のシャンデリアが重く垂れ下がっている。大理石のテーブルの上には銀の燭台が並んでいる。すべてが美しく磨かれていて、ルイの入っていた黒ずんだ木箱だけが異質だった。リーゲンスの王城ではないことはすぐにわかった。城よりも華美な屋敷だ。

 ルイがぼうっと部屋を眺めていると、ベッティに服を着替えるよう指示された。ルイは着ていた海王軍の軍服を脱ぎ、ベッティが差し出した白いシャツとつやのある灰色のズボンを身につけた。どちらもしわ一つない新品だった。

 最後に櫛で髪の毛を梳かれ、ルイの身なりが整えられた。ルイはその場で突っ立ったまま、誰かが来るのを待った。

 足が疲れてきた頃になってようやく奥の扉が開き、使用人と共に一人の男が現れた。金茶の髪をきれいに巻いた恰幅のいい中年の紳士だ。この屋敷の主人らしく、宝石のついた指輪をはめて豪華に着飾っている。男はルイを見ると感嘆の声をもらした。

「おお……本当にリーゲンスの第四王子ルーウェン様だ……」

 男はつかつかとルイに歩み寄りながら震える声で言った。背後でベッティがえっと声をあげ、仲間の男がベッティをこづいて黙らせた。

「フラオルテス伯爵でございます、殿下。またお目にかかれて大変光栄です」

 ルイはひどく嬉しそうな伯爵を困惑して見つめた。確かにどこかで見た顔だが、それ以上思いだせない。

「あなたは……俺のことを知っていてここに連れてこさせたのか?」

 ルイは伯爵の機嫌を損ねないよう、言葉を選びながらたずねた。

「もちろんです。こうしてお話していると、殿下に初めてお会いしたときのことを思いだします。アムルタ王のご生誕五十年記念パーティーのときでございました」
「……父上の……」

 久しぶりに父の名前を聞き、ルイは急に城にいたときの感覚に戻された。アムルタ王の五十歳の誕生日を祝うパーティーが開催されたのは、二年前のことだ。リーゲンスの王城で、国内外の王侯貴族を呼んで盛大に執り行われた。ルイも参列し、押し寄せる客人たちと挨拶をかわした。

 ルイはフラオルテス伯爵のことを思いだした。流れるように来ては去っていく貴族たちの中で、唯一形式張った挨拶のほかにルイに語りかけてきた人だ。初めて会った人なのに目を輝かせていろいろな話をされ、不思議に思ったのを覚えている。華やかな装いの美丈夫だったが、笑い方が下品に思えてあまり好きにはなれなかった。

「確かにあのときお会いしたな……。伯爵、あなたはフェデリアの方ではなかったか? ここはフェデリアなのか?」
「ああ、私のことを覚えていてくださったのですね。そうです、ここはフェデリアのポーグから少し離れたところにある私の屋敷です」
「……そうか」

 ルイは平静を装って笑みを浮かべたが、リーゲンスの隣のフェデリア国に連れてこられたとわかり落胆した。リーゲンスなら少しは勝手がわかるが、ルイは国を出たことがなかったので、フェデリアからどうやって海の国に帰ればいいかわからない。

 ルイが黙ってしまったので、伯爵はルイが長旅で疲れたと勘違いして椅子に座らせた。伯爵は使用人に執事を連れてくるよう伝えた。

 執事は隣の部屋で待機していたようですぐにやってきた。執事は中身の詰まった袋をいくつものせた銀盆を運んでいて、銀盆をテーブルに置くと袋の中身を盆の上にあけた。ざらざらと出てきたのは大量の金貨だった。執事は金貨を一枚ずつ数えながら積み上げ始めた。

 執事は金貨を数え終えると、残った金貨は袋の中にしまい、ルイを連れてきた二人を呼びつけた。二人はそそくさとやってきて、銀盆にのせられた金貨の山を自分たちの持ってきた袋に入れていった。ルイは自分が売られる様子を壁際の椅子に座って無感情に眺めていた。

 用事が済んだ二人は金貨の袋をルイが入っていた木箱の中に投げ入れ、二人がかりで木箱を抱えて部屋を出て行った。ベッティは部屋を出しなにルイをちらりと見た。ルイは邪魔な自分を大金に換えたクウリーのしたたかさに拍手を送りたいくらいだった。


 ◆


 ルイは浴室に連れて行かれ、使用人に体を洗われた。香りの強い泡でたっぷりのタオルでごしごしこすられると、縄の食いこんでいた手首と足首がひりひりと痛んだ。

 湯浴みを終えるとひだのついた上等な服を着せられ、青い宝石がちりばめられたネックレスを首にかけられた。豪華絢爛な屋敷からして、フラオルテス伯爵はかなりの資産を有しているようだ。

 長椅子に座ってルイを待っていた伯爵は、着飾ったルイがやってくるとさっと歩み寄った。

「本当に美しい方だ……あなたは実にこの屋敷にふさわしい」

 伯爵はルイの手をとって長椅子に座らせ、自分も隣に腰を下ろした。

「あなたの青い瞳はどんな宝石より美しい。それにその艶やかな漆黒の髪、小さな珊瑚色の唇、お守りしたくなる華奢なお体……その憂いを帯びた表情も素敵だ。よくぞ私の屋敷に来てくださった……あなたに似た少年を集めていた自分が恥ずかしい。あなたの美しさに勝る者などいるわけがないのに」
「えっ?」

 ルイは目を見開いた。伯爵は夢見心地のようで、ルイの髪を優しく指で梳いている。そのまま指をあごまで滑らせ、ルイの顔をつかんで強引に引き寄せた。

「初めてお会いしたときからずっとお慕いしておりました、ルーウェン様」

 伯爵はルイに口づけた。ルイはぴくりと肩を震わせたが、理性を総動員してじっとしていた。伯爵はルイの顔をつかんだまま、しばらくルイの唇をむさぼっていた。たっぷり時間をかけて伯爵は名残惜しそうにルイから離れていき、唾液に濡れたルイの唇をうっとりと見つめた。

「一人で海の底に囚われておかわいそうに……でももう心配ありませんよ。ここなら安全です。私が全力であなたをお守りいたします」

 金でルイを買って保護者気取りのようだった。ルイはほほ笑んでありがとうと礼を言った。

 従者の少年がやってきて、晩餐の支度が整ったと伝えられた。伯爵は立ち上がると嬉々としてルイを食卓に案内した。晩餐は庭に面したホールに用意されていた。クロスのかけられた丸いテーブルには、向かい合うように二人分の食器が用意されている。

「明日になれば庭をお見せできるでしょう。東屋まで散歩するのも楽しいですよ」
「それは楽しみだ」

 伯爵とルイの前に食前酒が置かれた。美しいものを好む伯爵らしく、グラス一つとっても繊細な細工が施された工芸品だった。ルイは背筋を伸ばして品よくゆっくり食事をとった。伯爵はルイが目の前にいることが嬉しくてたまらない様子で、ルイばかり見ていて手元をおろそかにしていた。

 港が近いからか、パンと一緒に出されたスープには魚介がたっぷり入っていた。メインの料理も大きな魚をまるまる一尾使った香草焼きだった。

 メイン料理の皿が下げられてデザートの果物がやってくると、酒の回った伯爵は自分のことを話しだした。伯爵の領地はルイがやってきた港町ポーグを含む海岸線の一帯で、漁業と貿易業で今の財産を築き上げたそうだ。海の国ともさかんに貿易をしていて、エディーズ商会とは先々代からのつきあいらしい。エディーズ商会から珍しい宝石や珊瑚や芸術品をよく買っていると、伯爵は自慢げに言った。

 最近は黒髪の少年もときどき仕入れていたと聞き、ルイはフォークを持つ手を止めた。

「伯爵、それはどういう意味だ?」
「ルーウェン様を前にお話するのはお恥ずかしいですね。あなたをお慕いするがゆえのことだと思ってください」

 伯爵は笑って白ぶどうを一粒口に放りこんだ。

「私はあなたを遠くから想っているだけでよかったのです。リーゲンスの王子であるあなたをフェデリアにお迎えすることはできませんからね。ですが、あの恐ろしい凶報……宮宰一派に城の王族がすべて殺されたと聞き、自分の甘い考えをいたく後悔しました。あなたをここに招いていれば助けることができたのにと、自分を責めました」

 ルイはわずかに顔をしかめた。
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