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六章 遠い屋敷
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しおりを挟むルイは病弱のふりをして、おとなしくニコラウスに身を任せた。ニコラウスはルイの体を清めると寝間着を着せてベッドに寝かせ、丁寧に毛布をかけた。
「おやすみなさいませ」
ニコラウスは一礼すると部屋を出ていった。かちゃりと鍵をかける音がして、足音が去っていく。ルイは起き上がると燭台を手に奥の衣装部屋に入り、クローゼットを物色した。何着かルイ用の服が入っていて、その中に黒っぽいズボンと上着があったのでそれに着替えた。靴も履き替え、町を歩いてもおかしくない格好になった。
身支度を調えたルイは窓辺に椅子を持ってきて座り、外の様子を眺めた。伯爵も部屋に戻ったらしく、中庭を囲む部屋はすべて真っ暗だ。星明かりの下、フラオルテス伯爵の屋敷は静けさに包まれている。
ルイは椅子に座って夜が更けるのを待った。ニコラウスは勤勉な使用人で朝も早い。そろそろ眠ったころだろう。
「フェイ」
ルイが呼ぶと、ベッドの下からフェイが出てきてルイのところに歩いてきた。ルイはフェイを手のひらに乗せ、ポケットに入れていたニコラウスのハンカチを取り出した。
「このハンカチの持ち主のところに行って、鍵を取ってこい」
ルイは魔力をこめながら丁寧に言葉を紡いだ。フェイはしばし鼻をひくつかせていたが、さっとルイの手から下りると一目散にドアまで走っていき、ドアの下をくぐり抜けて廊下に出て行った。
ルイは椅子に座ってフェイの帰りを待った。とても長い時間だった。フェイはなかなか戻って来ず、ルイをはらはらさせた。万が一誰かに見つかって捕まってしまったら一巻の終わりだ。食べることしか頭にないネズミには重荷だったかと不安になった。
もうすぐ真夜中になろうとしたとき、フェイが戻ってきた。口にくすんだ金色の鍵をくわえて、重そうに引きずっている。
「よくやった、フェイ!」
「プッキュ」
ルイは小躍りしたいのを抑えてフェイを手のひらに乗せた。フェイはルイの手に小さな鍵を置いた。
ルイは優秀な使い魔に焼き菓子を与えた。夕方のお茶と一緒に出されて、こっそりとっておいたものだ。
フェイは自分の頭ほどもある焼き菓子を両手で抱え、嬉しそうにかぶりついた。昨日一日フェイを訓練してわかったことには、フェイはご褒美におやつがないとやる気を出さないということだった。
たらふく焼き菓子を食べたフェイは、ルイの上着の胸ポケットにもぐりこんで眠り始めた。そのとき、丘を下ったところにある港町のポーグから、真夜中の鐘の音が低く響いてきた。ルイの部屋のドアが小さく四回たたかれた。
ルイはドアの前に忍び寄り、ドアに手をつけて話しかけた。
「ヴェンディ?」
「はい」
「カロルとフリッグも一緒か?」
「います」
「よし。下から鍵を出すから、開けてくれ」
ルイはドア下の隙間から廊下に向かって鍵を滑らせた。すぐにドアの鍵が開けられ、ルイは廊下に出た。暗い廊下にはヴェンディと、その後ろに二人の黒髪の少年が立っていた。三人とも無地のシャツとズボンを身につけ、短いマントを羽織っている。
「カロルとフリッグだね?」
ルイはヴェンディと一緒にいた二人と順番に握手をした。二人とも緊張した面持ちで、一言も声を発さなかった。ルイはヴェンディから鍵を受け取り、ドアを元通り施錠すると鍵をズボンのポケットに押しこんだ。
「裏口に案内してくれ」
ルイが言うと、三人はうなずいて廊下を先導して歩いた。明かりを持っていないので、窓から差しこむ星の光だけが頼りだった。四人は暗闇に紛れて屋敷を歩き、使用人用の裏口から外に出た。庭に出ると細い小径を歩き、小さな裏戸をくぐって伯爵の屋敷をあとにした。
四人はそのまま丘の下まで駆け下りた。白っぽい砂利でできた道は、星明かりに反射してよく見えた。
屋敷がかなり小さくなるまで離れてしまうと、四人は藪の影に腰を下ろして休憩した。ここまで来ればひとまず安心だろう。日々鍛えているルイは少し息を切らした程度だったが、何ヶ月も屋敷に閉じこめられていたヴェンディたちは相当くたびれたようだった。
「カロル、大丈夫か?」
フリッグは肩で息をするカロルの背中をさすりながら言った。カロルは痩せていて見るからに体力がなさそうだった。
「カロルは具合がよくないんだったよな? どこが悪いんだ?」
ルイがたずねるとカロルは弱々しく首を横に振った。
「別に悪いところはないんです。カリバン・クルスにいたときは元気だったんですけど、ここに連れてこられてから全然ご飯が食べられなくて……」
「それはかわいそうに。きっと地上の空気や食べ物が合わないんだろう」
「そうだと思います……」
「カリバン・クルスに戻ればまた食べられるようになるよ。すぐによくなるはずだ」
ルイは元気づけるようにカロルの細い肩に手を置いた。カロルは少し表情を緩めた。
「ありがとうございます」
「走らせてごめんね。もう少しだけがんばってくれ」
朝になれば伯爵はルイたちがいなくなったことに気がつき、追っ手を出すだろう。ルイはその前になるべく遠くまで逃げたかったが、カロルの体調を見る限り長距離の移動は難しそうだった。リーゲンスまで逃れることも考えたが、その前にカロルの体力が尽きてしまうだろう。
ルイは三人を連れてポーグに向かうことにした。間違いなく伯爵の追っ手が差し向けられるだろうが、なんとかやり過ごすしかない。ヴェンディたち三人はいざとなれば海の中に隠しておけるし、ルイだけなら身軽に行動できる。
四人はポーグへと続く道を歩いた。馬車だとすぐだったが、徒歩ではかなりの距離があった。開けた草原地帯からは、小高い丘の上に建つ豪華な屋敷がよく見えた。真っ暗な屋敷はなんだか不気味だった。カロルはフリッグに支えられながら歩き、ルイとヴェンディはカロルと歩調を合わせて先を進んだ。
東の空がうっすら青く色づいてきた頃、四人はポーグの町外れに到着した。まだ港町は眠っていて、波の音だけが静かに響いている。ぬるい潮風が吹いてルイの頬をくすぐった。
リーゲンスの港町フルクトアトに比べて、四分の一程度の規模の町だ。フルクトアトは各国の貿易船が集う商業の中心地だが、ポーグは民家の多い小さな港町だった。
船着き場を回ってみたが、停泊しているのはすべて漁船だった。小さな漁船群がいかりを下ろしてゆらゆらと波間に揺られている。朝早くから漁に向かう漁師が何人かいて、船の支度をしていた。
港の奥には板の間が海の中まで続いている場所があり、一台の海馬車が停まれるようになっていた。ここで海の国との商いが行われているようだ。
ヴェンディたちは海を見て少し元気を取り戻したようだった。ルイは町外れの砂浜に掘っ立て小屋を見つけて近づいた。扉に鍵はかかっておらず、中には埃のかぶった大きな網がいくつかと、ちぎれた古いロープ二巻きが置かれていた。使われなくなった漁師の道具置き場のようだ。
朝になり、町に人の気配がし始めたので、ルイはひとまず小屋でカロルを休ませることにした。フリッグにそばにいてもらい、ルイとヴェンディの二人で町の中を探りに向かった。まずは情報を得て、食べ物と飲み物を確保しないとならない。
まだ朝も早く、商店はどこもやっていなかった。だが港町の住人たちは活動を開始していて、港のあちこちでたばこをふかしたり、友人と集まっておしゃべりしたりしている。ルイは楽しそうに話している若い四人組のところに行った。
「おはようございます」
ルイが笑顔で挨拶すると、向こうも挨拶を返してくれた。
「ちょっと聞いてもいいですか? 俺たち旅の途中でこの町に寄ったんですけど」
「へえ? 街道から外れてるのに、どうしてこんなところ立ち寄ったんだ?」
「海馬車を見てみたくて。ここには海馬車が来るんでしょう?」
「ああ、来るぜ。ときどきだけどな」
「次はいつ来るか知ってます?」
「いつだっけ?」
青年が仲間たちにたずねると、たばこをふかしている背の低い青年が答えた。
「まだ当分こねえよ。いつもの商会が数日前に来たばっかりだしな」
「……そうですか」
ルイはヴェンディと顔を見合わせた。タイミングが悪かったようだ。
「ここに来る海馬車って、決まった商会のものだけなんですか?」
「いや、いろいろだよ。海の国にもいろんな商会があって、入れ替わりで来るんだ」
「へえ。それはぜひ見てみたいなあ」
にこやかなルイと対照的にヴェンディは沈痛な面持ちだった。それを不思議に思ったのか、一人の青年がルイにたずねた。
「旅って二人だけでか? どこに行くんだ?」
「あ……えっと、リーゲンスのアウロラまで行く予定です。……親戚に会いに」
「それは長旅だな。次の海馬車が来るまで待ってたら遅くなっちまうから、あきらめろよ。リーゲンスのフルクトアトはここよりうんと大きくて立派な港町だぞ? そっちを見に行ったほうがよかったと思うぜ。俺たちもたまに船で行くんだけど、にぎやかで楽しい町だぞ」
「そうですか……」
ルイは少し迷ったがどうしても聞きたくて口を開いた。
「あの……リーゲンスの新しい女王の具合ってかなり悪いんですか? なにか知ってます?」
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