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六章 遠い屋敷
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しおりを挟む翌日、ルイは熱が下がらず一日中ベッドで過ごした。ニコラウスはかいがいしくルイの世話を焼いた。氷水につけた布をルイの額に乗せ、一時間おきに取り替えた。薬を飲ませ、汗をかいた体を拭いてはその都度清潔な寝間着に着替えさせた。
伯爵は熱に浮かされているルイのそばに座り、手ずから布でルイの汗を拭った。伯爵はルイの予想と違って紳士的な態度を崩さなかった。金に物を言わせて欲しいものを手に入れるところは汚いが、生粋の貴族である彼は常に礼儀正しくルイに接した。ルイはぼんやりと考え事をしながら眠りに落ち、夢を見た。
この屋敷に囚われて十年が経った。ルイはなんの感慨もなく屋敷の一室で変わらぬ日々を過ごしている。このままここで老いて死んでいくのだと思っていた。
そこに転機が訪れた。屋敷に海の国の商人がものを売りにやってきたのだ。ルイは部屋を抜け出して、屋敷を出る商人を追いかけた。ろばにひかせた荷馬車は遅く、すぐに追いつくことができた。ルイは商人に手紙を渡した。ライオル宛の手紙だ。
数日後、窓の外を見下ろしたルイは、屋敷に向かって走ってくるライオルを見つけた。ついにライオルが助けに来てくれたのだ。ルイは喜んで部屋を飛び出した。しかし、廊下には伯爵が立ちふさがっていた。
「殿下、なぜ外に出たのですか? 外に出てはいけません。ここにいなさい」
「いやだ! 俺はライオルのところに戻るんだ!」
ルイが叫ぶと、伯爵は持っていた剣を抜き放った。
「私はあなたを失いたくない! ここにいなさい!」
ルイは斬りつけられたがさっとかわして走って逃げた。しかし追いかけてくる伯爵の足は速く、後ろを振り返るたびに近づいてきている。ルイは長い廊下を走ったが、とうとう伯爵に腕をつかまれて剣で胸を貫かれた。ルイはその場にくずおれた。
「ルイ!」
ライオルがやってきて、血だまりの中からルイを抱き起こした。しかしルイはもう息絶えている。
「ごめん、ルイ……遅くなって、ごめん……」
ライオルはルイの亡骸を抱えて泣き崩れた。嘆くライオルの肩に細い手が置かれた。髪の長いきれいな女性だ。ライオルの妻だった。彼女はライオルに優しく寄り添い、ルイを抱えて泣くライオルをなぐさめた。
そこでルイは目を覚ました。全身に汗をびっしょりかいている。眠っているあいだに夜中になってしまったらしく、部屋は真っ暗だった。ルイは重い体を起こし、サイドテーブルに置かれた水差しから水を飲んだ。
まだ頭がひどく痛み、熱は下がっていないようだった。おかげでいやな夢を見てしまった。ルイは再びベッドに横たわり、頭まで毛布をかぶった。ぎゅっと目を閉じ、いやな想像を頭の外に追いやろうと苦心した。本当にこのまま何年も過ごすことになったらどうしようと怖くなった。
次の日もルイはベッドから起き上がれなかった。ニコラウスに解熱剤をもらって飲み、静かに眠って回復に努めた。
熱を出してから三日目の朝になると、すっかり体調はよくなっていた。だがルイは具合の悪いふりをして、熱は下がったがまだだるいので寝ていると言ってニコラウスを部屋から追い出した。
ニコラウスが部屋を出て行ってルイが一人になると、さっそくベッドの下からフェイが出てきた。フェイはサイドテーブルの上に飛んでいき、ルイのために置かれたいちごのケーキを食べだした。ルイは食い意地の張った毛玉をわしづかみにして持ち上げた。
「おい、食べてる場合じゃないぞ……訓練を再開する」
フェイはケーキのかけらを持ったままぷるぷると震えた。
◆
三日間よく休んで元気を取り戻したルイを見て、伯爵は大層喜んだ。伯爵はルイをとても心配していて、大量の果物を取り寄せていた。ルイは伯爵と一緒に晩餐をとり、果物がたくさんあしらわれたデザートを食べた。
晩餐が済むとルイは自分の部屋に戻った。そこへ伯爵がヴェンディを連れてやってきた。ヴェンディは小さく切った果物が盛られた皿を持っている。
「我が領地で取れた新鮮な梨とりんごです」
伯爵は得意げに言った。ヴェンディは皿をテーブルに置くと部屋を出て行ったが、伯爵は部屋に残った。伯爵はルイを長椅子に座らせて自分も隣に座った。テーブルの上の果物には見向きもしない。ルイの笑顔が引きつった。ものすごくいやな予感がする。
「りんごは……?」
「すっかり顔色もよくなりましたね。安心いたしました」
伯爵はルイの頬を指の腹でねっとりとなでた。
「きっと今までのご苦労のせいで熱を出してしまったんでしょう。おかわいそうに。でも今日は普通に歩けていますし、もう大丈夫ですね」
伯爵はじりじりとルイとの距離を詰めていく。ルイは椅子に座ったまま不自然に見えない程度に後退したが、伯爵に服をつかまれて引き寄せられた。伯爵は宝物を愛でるようにルイの顔をなで、そのまま首筋まで手をはわせた。
「は、伯爵」
「あなたがよくなったことを確認させてください」
伯爵は左手でルイの腰を引き寄せ、右手でルイの体をなでまわした。薄いシャツを着せられているせいで、直に触られているような感覚だった。伯爵の指はルイの肩を触り、二の腕をもんで胸に触れた。ルイは思わず右手を上げたが、どうすることもできなかった。伯爵はルイの胸の突起を探り当てて指で弾き、ぴくりと反応したルイを見て笑みを浮かべた。
「ふふ……かわいい方ですね」
伯爵は目をらんらんと輝かせ、ルイの内ももをなでた。近づきすぎているせいでルイが嫌悪に顔をゆがめていることに気づいていない。伯爵はほとんどルイを抱きしめながら、無遠慮にルイに触り続けた。ついにズボンの中に入れていたシャツの裾を出し、服の中に手を突っこんできた。温かい指に腹部をなでられ、ルイは鳥肌が立った。
「けほ、けほっ」
突然ルイが咳きこみ始め、伯爵はぱっとルイを離した。
「けほっ」
「殿下、大丈夫ですか? 水を……」
伯爵は飲み物を探したが、テーブルの上には果物の皿しかない。ルイは伯爵の腕に手を置いて首を横に振った。
「大丈夫……ちょっと、まだ辛くて」
ルイは体を丸め、伯爵を見上げて弱々しくほほ笑んだ。
「あなたの言う通り、今まで無理をしてきた疲れが出たんだろう。でもここでなら安心して休めるから、明日になればよくなってるよ。明日またゆっくりお話しましょう」
「あ……ええ、そうですね」
伯爵はルイに見つめられて顔を赤くした。伯爵は少し迷っていたが、名残惜しそうに立ち上がった。
「今日はもう休むから、その皿は下げておいてくれ」
「わかりました。それではまた明日」
伯爵がふところに入れていた鈴を鳴らすと、すぐにヴェンディがやってきた。伯爵はヴェンディに皿を下げるよう告げて部屋を出て行った。廊下でニコラウスを呼ぶ声がする。ルイは弾かれたように立ち上がり、シャツの裾をズボンに押しこみながらヴェンディに駆け寄った。
「今夜逃げるぞ。真夜中の鐘が鳴ったらカロルとフリッグを連れてきて、ドアを四回ノックしろ。いいな」
ルイはひそひそ声で言った。ここで明日を迎えたら、今度こそ伯爵に襲われて好きなようにされてしまうだろう。二度も仮病が通用するとも思えない。
ヴェンディは驚いて声をあげそうになったが、慌てて口を手で覆った。
「でも、ここには鍵がかけられます。あなたは出られませんよ」
ヴェンディはささやくように言った。
「なんとかするから大丈夫だ。鍵はニコラウスが管理しているな?」
「そうです。ここの鍵はニコラウスが肌身離さず持ち歩いていますから……」
「でも寝るときは部屋に置くだろ? で、あいつくらいの古株になれば一人部屋を使ってるんじゃないか?」
「はあ、確かに彼は専用の自室を持っていますが……」
「よし、いいぞ。だからニコラウスのハンカチを用意してもらったんだ」
ルイが寝こんだ日、ニコラウスと一緒にルイの世話をしていたヴェンディは、ニコラウスの目を盗んでルイの手にニコラウスの使ったハンカチを握らせていた。ルイはそのハンカチのにおいをフェイに覚えさせ、においのついたものを取ってくる訓練をしていた。フェイは頭と視力は悪いが、嗅覚と聴覚はとても優れていた。
「もし俺が部屋を出られなければ、そのまま引き返してなにもなかったように振る舞うんだ。気取られなければ逃げる機会はまだある。できるな?」
「は、はい」
「よし、じゃあまたあとで会おう」
ルイはそう言い残すと長椅子のところに戻って座った。ヴェンディは手をつけていない果物の皿を持って部屋を出て行った。入れ替わりにニコラウスが湯を張ったたらいを持ってやってきた。
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