風の魔導師はおとなしくしてくれない

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六章 遠い屋敷

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 何度もフェイを練習させているうちに昼になり、ドアがノックされた。ルイは慌ててフェイに隠れるよう指示した。さんざん部屋を歩き回らされたフェイは、これ幸いとあっという間に姿を消した。

 やってきたのはニコラウスと、昨夜の晩餐のときにいたルイに似た少年従者だった。黒髪の従者は食事を運んできてテーブルの上に並べ、ニコラウスはベッドのシーツを取り替え始めた。ルイはテーブルについておとなしく昼食をとった。

「ねえ、ニコラウス」
「なんでしょうか」
「痛み止めはある? 今朝から頭痛がするんだ」
「風邪でも引かれましたか?」
「海馬車の中が寒かったから、そうかもしれない」
「わかりました。今お持ちします」

 ニコラウスは作業の手を止めて部屋を出て行った。ルイは水を飲みながらニコラウスの背中を見送った。部屋のドアが閉められると、ルイは水の入ったグラスを床に落とした。グラスは絨毯の上に転がり、こぼれた水が絨毯に染みこんでいった。

「おっと手が滑った」

 黒髪の従者は腰につけていた布巾を取り、床に膝をついてこぼれた水を拭いた。ルイがナプキンを手に床にしゃがみこむと、黒髪の従者は慌てて手を振った。

「大丈夫です。僕がやりますから」
「いい、そのまま聞いて。きみをカリバン・クルスに帰してやる。きみは海の国の人間だろ?」
「え?」

 彼はびっくりしてルイを見つめた。ルイは自分と同じ青い目を見つめ返した。

「俺は海王軍騎馬師団の兵士だ。ここに連れてこられたきみたち三人と一緒に海の国に帰るつもりでいる。だから俺の話を聞いてくれ」
「えっ、リーゲンスの王子様じゃないんですか?」
「……人違いでさらわれたんだ。昨日は伯爵と話を合わせていただけだ。手を動かしながら聞いてくれ」

 黒髪の従者は言われた通り、こぼれた水をゆっくり拭きだした。二人は床を見ながら小さい声で話した。

「必ず三人とも助けると約束する。きみたちを見捨てて一人では逃げない。海の国に戻ったら、タールヴィ家にきみたちを保護するようお願いするから、安心してほしい」
「ほ、本当に? 僕も帰れるんですか?」
「もちろんだ。でも俺一人じゃ難しいから、きみたちに手伝ってほしいんだ。できる?」
「……そういうことでしたら、なんでもします」

 彼の声は震えていた。ルイは彼らが意に沿わぬ形でここに連れてこられたことを確信した。

「きみの名前は?」
「ヴェンディです」
「ヴェンディか。きみはどうやってここに来たの? クウリー・エディーズと関係があるんじゃないか?」
「僕はカリバン・クルスの反物問屋で働いていました。エディーズ商会にも卸していたので、商会の人とは何度も顔を合わせています。でも支部長のクウリー様はよく知らないです」
「会ったことはないのか? 肩までの銀髪で俺より少し背が高くて、女みたいな顔の奴だけど」
「あっ、その人なら一度お会いしました」
「そうか……」

 クウリーはそこでヴェンディに目をつけたのだろう。

「そのあとさらわれたのか?」
「はい……いつものように搬出の手伝いをしていたら、突然後ろから……」
「おかしいな。最近事件が多いからカリバン・クルスでの失踪者はさかのぼって確認していたのに、きみのことは知らなかった」
「それは僕が書き置きを残したからだと思います……。商会の人に捕まったとき、実家に帰るので戻らないと紙に書けと言われて書きました」
「……なるほど。きみは反物問屋の息子じゃないんだね?」
「ええ、僕はイザート地方の村の出身です。三年前からカリバン・クルスに来て働いていました。カロルとフリッグとも話しましたが、僕と一緒で地方から王都に働きに来ていたそうです。僕たちは家族と離れて暮らしているので、いなくなっても誰も探してくれません」

 ルイは抜け目のないクウリーをいまいましく思った。クウリーは周到に標的を選んで誘拐していた。出稼ぎに来ている少年が突然帰ると言い出していなくなっても、軍に失踪届けは出されない。勝手な奴だと文句を言われて新しい下働きを探されるのが関の山だ。ヴェンディとカロルとフリッグは不運にも、クウリーの求めていた条件に合致してしまったのだ。

「わかった。話してくれてありがとう、ヴェンディ。きみたちは逃げようと思えばすぐに逃げられるか?」
「僕とフリッグは大丈夫です。カロルはちょっと体調を崩していて……でも寝こんでいるわけじゃないので逃げられると思います」
「そうか。よし、じゃあ機会を見て逃げだそう。すまないがもう少しだけ我慢していてくれ。ちなみにヴェンディ、ニコラウスの持ち物をなんでもいいから一つ持ってこられるか?」
「持ち物ですか?」
「そう。ハンカチとか手袋とか、いつも身につけているものがいい」
「はあ……カロルが洗濯係をしていますので、できると思いますけど」
「よし、じゃあ洗濯前のやつを頼む」
「どうしてそんなもの……」

 ヴェンディが首をかしげたとき、廊下をこちらに歩いてくる足音が聞こえてきた。

「また連絡するから逃げる準備をしておけ」

 そう言ってルイがさっと椅子に座ったとき、ドアが開いてニコラウスが戻ってきた。ルイは何事もなかったかのように食べかけのオムレツをスプーンですくって口に運んだ。ヴェンディも落ちたグラスを持って立ち上がり、ルイの後ろに控えた。

「こちらの薬をどうぞ」
「ありがとう」

 ルイはニコラウスから粉薬をもらい、お茶で流しこんだ。ニコラウスは特になにも言わず、自分の仕事に戻った。



 その日の夜、ルイは昨夜と同じホールで伯爵と晩餐をとった。晩餐が終わると、伯爵は見せたいものがあると言ってルイを自分の部屋に連れて行った。

「こちらです、さあ」

 伯爵は躊躇するルイの背中を押して寝室に入れた。寝室の壁にはたくさんの絵が飾られている。その中で、金の額縁に入れられた一枚の大きな絵がルイの目を引いた。

「これ……」

 ルイは絵の前に立った。イオンとルイが描かれた肖像画だった。中央に置かれた椅子に淡い黄色のドレスを着たイオンが座り、宝石をあしらった剣を膝の上に乗せている。ルイは詰め襟の濃紺と灰色の服を着て、椅子の背に手をかけてイオンの脇にたたずんでいる。まばゆいばかりに美しく描かれている王女に比べて、マントも羽織っていない王子は添え物のようだった。

「驚きましたでしょう? ある筋から入手したのですよ。王家の肖像画が売りに出されることはまれですから、手に入れるのに苦労しました。なんでもこれを描いた画家が城で不祥事を起こしたとかで解雇され、この絵は描き途中だったので画家が持って帰ったそうで……」

 伯爵は絵を手に入れたいきさつを語ったが、ルイの耳には入らなかった。ルイは久しぶりにイオンの顔を見て感情があふれかえった。絵の中のイオンは気品のある微笑をたたえていて、普段の彼女の笑い方ではない。だが顔は記憶の中の姉そのものだった。まだ穏やかな日々を過ごしていた頃、イオンに呼ばれて一緒に画家にスケッチをしてもらったことがある。数少ない優しい思い出だった。

「殿下……?」

 伯爵は動揺した様子でルイに声をかけた。ルイは泣いていた。なつかしい日々は消え去り、ルイはリーゲンス国を永遠に去った。イオンに心配するなと言って城を出発したきり、戻ることはなかった。

 残してきたイオンは女王となったが、ルイを失った痛みに耐えかね床に伏してしまった。ルイは申し訳なさとやるせなさから、あふれてくる涙を止めることができなかった。伯爵ははらはらと涙をこぼすルイの横顔に魅入っていた。

 不意にルイの体がぐらりとかしいだ。

「殿下!?」

 ルイは伯爵の腕の中に倒れこんだ。体が熱くて目の前がぼうっとしている。どうやら本当に風邪を引いて熱を出してしまったようだ。伯爵がニコラウスを呼ぶ声が遠くに聞こえた。
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