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七章 タールヴィ家とイザート家

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 翌朝、ルイは馬を借りて王宮に行き、いつも通り朝の仕事をこなした。その後、騎馬師団本部の訓練用広場に向かい、カドレック班に合流して鍛錬に精を出した。班員たちはそわそわしてルイを見ていたが、宿舎で暮らすことに関してはなにも言ってこなかった。

 昼食をとり、午後は執務室で書類仕事をこなした。ルイは字が上手なので、終わった任務の報告書を書く作業を任された。隊員たちが提出した調査結果を読み、重複を除いて一冊の報告書にまとめていく。調査結果は任務中に書かれたメモ書きなので、人によっては判読も難しいほど崩れた字で書かれている。なんとか解読して報告書を書き上げると、ひもで綴じてペンを机に置いた。

 会議を終えて執務室に戻ってきたライオルは、角の机に座って険しい顔で書類とにらめっこしている。第九部隊の執務室はページをめくる音とペンを走らせる音と、ときどき誰かがくしゃみをする音がするだけで、とても静かだった。

 夕刻の鐘が鳴ると、ルイは夕方の仕事をするため席を立った。出来上がった報告書はカドレックに渡し、軍服の上着をはおって執務室を出た。再び騎馬師団の馬で王宮に向かうと、さっと風を吹かせて騎馬師団の宿舎に帰った。



 ギレットに用意してもらった部屋は、仕事に行っているあいだにきれいに清掃されていた。床や机の埃はすべて拭われ、窓ガラスのくもりもなくなっている。昨夜受け取った布団も干してくれたらしく、ふかふかになっていた。宿舎に住む者に支給されるタオルや石けん、着替えなどの生活用品一式がテーブルの上に置かれていて、居住できる環境がすべて整えられていた。

 ルイは一階の食堂に行き、昨日と同様カドレックたちと一緒の席について夕食をとった。今夜のメニューはえびと貝のピラフに、豆のスープと丸パンだった。

「ルイ、ここの生活はどうだ?」

 ファスマーが言った。

「窮屈でびっくりしただろ?」
「いや、快適だよ。ご飯もおいしいし」
「あ、そう……でもお屋敷のほうがもっと快適だろ? 戻りたくなったか?」
「だから戻らないって。ここで生活できるようにならないと、今後困るんだから」

 ルイは熱いスープに息を吹きかけて冷ましながら言った。ファスマーは期待した返事がもらえずがっかりしたようだった。

 ルイは皆と一緒に風呂場で汗を流し、することもないので早々とベッドにもぐりこんだ。だが、温かい布団にくるまって目を閉じると、どうしてもライオルとユーノのことを考えてしまい眠れなかった。

 十九家の一員であるライオルは、同じ十九家のユーノと一緒になったほうがいいに違いない。周囲もそれを望んでいるはずだ。

 そうなるとルイの居場所はもうタールヴィ家にはない。二人の仲を壊す可能性のあるルイは、ライオルの元を離れて暮らさねばならない。アマタはずっとここに住んでいいと言ってくれたが、息子が結婚して妻と暮らすようになれば話は別だろう。

 今はギレットの好意に甘えて一人部屋を使わせてもらっているが、それも長くは続かないかもしれない。ほかの兵士と六人部屋で暮らすことになる可能性も考えておくべきだろう。ルイの技量では、自力でこの部屋を得られる地位に就くことは難しい。

 今ごろライオルはなにをしているのだろうと、ルイはぼんやり考えた。忙しそうだったがもう屋敷には戻っただろうか。ユーノと一緒に夕飯を食べているのではと想像したところで、ルイは急いで別のことを考えた。

 そのとき、とんとんと部屋のドアがたたかれた。半身を起こして返事をすると、ギレットが様子を見にやってきた。

「なんだもう寝てたのか」

 ギレットは笑ってテーブルの上の燭台に火をつけた。

「部屋、だいぶきれいになったな」
「うん。必要なものは全部もらったよ」
「そうか。ほかになにか欲しいものはあるか?」
「大丈夫だよ。ありがとう」
「本当になにもないのか? 連れてきておいて不便な思いをさせるわけにはいかないからな。この部屋じゃ退屈だろ?」

 ギレットは足を組んで椅子に座り、私物のほとんどない部屋を見回した。ルイは欲しいものを考えた。

「そうだな……それなら本が欲しいかな」
「本が好きなのか」
「うん。アクトール魔導院に行くようになってから、よく読むようになったんだ。この国は俺の知らないことであふれかえってるから、子供向けの図鑑でもおもしろいよ。むしろ子供向けのほうが基本的な説明もあるからちょうどいいくらいだ」
「確かに、ここはお前の知る世界とは全然違うだろうな」
「うん。だから本があれば退屈しないで済むと思う。あと読書用の魔導ランプがあるといいな」
「わかった。明日にでも手配しよう」

 ルイはほっとして礼を言った。本に没頭できれば、頭の中に頑固に居座る感情を忘れていられるだろう。

「本を読んでいれば、いやなことを考えなくて済むか?」

 ギレットが言った。ルイは思考を読まれたのかとどきりとした。

「はは、お見通しだなあ……。うん、気分転換にはちょうどいいと思うんだ。俺、もうなにも考えたくないんだ」
「今日あいつと話したか? 同じ部隊なんだから顔を合わせただろ?」
「執務室で一緒だったけど、なにも話さなかったよ。向こうも話しかけてこなかった」
「……意地の張り合いになっちまったか」
「もう俺のことはどうでもいいんだよ。忙しそうだったし、休日もいろいろ出かける用事があるみたいだし」

 ルイはぎゅっと布団を握りしめてうなだれた。ギレットはルイのそばに来て、ルイの頭に手を置いて乱暴にかきまわした。

「よしよし。そんなに落ちこむな」
「……やめろよ」
「よーしよし!」
「おい……」

 ギレットはルイの髪をぐしゃぐしゃにすると、すっとかがんで触れるだけのキスをした。ルイがキスに気づいた頃にはもう背を向けていて、さっさと部屋を出て行ってしまった。

 ルイはいつも唐突なギレットの思惑が読めずに混乱した。からかっているだけにも見えるが、ときどき肉食獣のような鋭い目で見つめられていて、油断すると食われてしまいそうな気もする。考えてもらちがあかないので、ルイは思考を放棄して眠ることにした。


 ◆


 それから数日が経ったが、ルイは一度もライオルと口をきかなかった。ライオルが主に会話をするのはカドレックら班長陣で、ルイはカドレックから指示をもらっていれば仕事に支障はなかった。本来ルイのような階級を持たない兵士は、部隊長と気軽に言葉をかわせる立場にない。今まではライオルが気遣って声をかけてくれていただけだということを思い知った。

 訓練用広場や執務室でライオルとすれ違うたびに身構えたが、ライオルはルイの横を素通りするだけだった。いつまでも状況は変わらず、ルイの気分もいっこうに晴れなかった。

 ある日の夕方、ルイは王宮の外壁に並ぶ側防塔の上から、いつも通り風を吹かせていた。白い煉瓦の建物が連なる美しい海の王都は、普段と変わらず穏やかだった。

 いらいらして集中力が足りず、普段の倍も魔力を消費してしまい、風を吹かせ終えると足元がふらついた。だが魔力を分け与えてくれる人はいない。ふらついた体を支えてくれる人もいない。

 突然、我慢の限界がやってきた。

「あーもう!!」

 ルイは眼下の街並みに向かって声を張り上げた。外壁の上にいた歩哨が何事かとルイを振り返った。

 ルイは肩を怒らせて回廊を歩き、乗ってきた馬でカリバン・クルス基地に引き返した。馬を厩舎に戻すと、ひとけの少なくなった敷地内を走り、第九部隊の執務室のドアをばんと開けた。

 執務室にはライオルが一人で残っていて、机に向かって書類にペンを走らせていた。ライオルはドアが開いた音を聞いて顔を上げたが、入ってきたのがルイだとわかるとまた書類に視線を落とした。

「……忘れ物なら早く持っていけ」

 それだけ言うとライオルは再び仕事に戻った。ルイはずきりと胸が痛んだが、意を決してライオルのところに歩いていった。だがライオルは書類を持って立ち上がり、ルイの脇を通って部屋を出て行こうとした。

「ま、待って。行かないで……」

 ルイはライオルを追いかけて腕をつかんだが、ふりほどかれたらと思うと怖くてすぐに離した。ライオルは立ち止まるとゆっくり振り向いた。

「お前は勝手にあいつのところに行ってしまったくせに、俺には行くなとか、わがままも大概にしろ」

 ライオルの声は冷たかった。ルイは泣きそうになるのをこらえて下を向いた。ライオルの顔が見られなかった。
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