72 / 134
七章 タールヴィ家とイザート家
14
しおりを挟む翌朝、ルイは馬を借りて王宮に行き、いつも通り朝の仕事をこなした。その後、騎馬師団本部の訓練用広場に向かい、カドレック班に合流して鍛錬に精を出した。班員たちはそわそわしてルイを見ていたが、宿舎で暮らすことに関してはなにも言ってこなかった。
昼食をとり、午後は執務室で書類仕事をこなした。ルイは字が上手なので、終わった任務の報告書を書く作業を任された。隊員たちが提出した調査結果を読み、重複を除いて一冊の報告書にまとめていく。調査結果は任務中に書かれたメモ書きなので、人によっては判読も難しいほど崩れた字で書かれている。なんとか解読して報告書を書き上げると、ひもで綴じてペンを机に置いた。
会議を終えて執務室に戻ってきたライオルは、角の机に座って険しい顔で書類とにらめっこしている。第九部隊の執務室はページをめくる音とペンを走らせる音と、ときどき誰かがくしゃみをする音がするだけで、とても静かだった。
夕刻の鐘が鳴ると、ルイは夕方の仕事をするため席を立った。出来上がった報告書はカドレックに渡し、軍服の上着をはおって執務室を出た。再び騎馬師団の馬で王宮に向かうと、さっと風を吹かせて騎馬師団の宿舎に帰った。
ギレットに用意してもらった部屋は、仕事に行っているあいだにきれいに清掃されていた。床や机の埃はすべて拭われ、窓ガラスのくもりもなくなっている。昨夜受け取った布団も干してくれたらしく、ふかふかになっていた。宿舎に住む者に支給されるタオルや石けん、着替えなどの生活用品一式がテーブルの上に置かれていて、居住できる環境がすべて整えられていた。
ルイは一階の食堂に行き、昨日と同様カドレックたちと一緒の席について夕食をとった。今夜のメニューはえびと貝のピラフに、豆のスープと丸パンだった。
「ルイ、ここの生活はどうだ?」
ファスマーが言った。
「窮屈でびっくりしただろ?」
「いや、快適だよ。ご飯もおいしいし」
「あ、そう……でもお屋敷のほうがもっと快適だろ? 戻りたくなったか?」
「だから戻らないって。ここで生活できるようにならないと、今後困るんだから」
ルイは熱いスープに息を吹きかけて冷ましながら言った。ファスマーは期待した返事がもらえずがっかりしたようだった。
ルイは皆と一緒に風呂場で汗を流し、することもないので早々とベッドにもぐりこんだ。だが、温かい布団にくるまって目を閉じると、どうしてもライオルとユーノのことを考えてしまい眠れなかった。
十九家の一員であるライオルは、同じ十九家のユーノと一緒になったほうがいいに違いない。周囲もそれを望んでいるはずだ。
そうなるとルイの居場所はもうタールヴィ家にはない。二人の仲を壊す可能性のあるルイは、ライオルの元を離れて暮らさねばならない。アマタはずっとここに住んでいいと言ってくれたが、息子が結婚して妻と暮らすようになれば話は別だろう。
今はギレットの好意に甘えて一人部屋を使わせてもらっているが、それも長くは続かないかもしれない。ほかの兵士と六人部屋で暮らすことになる可能性も考えておくべきだろう。ルイの技量では、自力でこの部屋を得られる地位に就くことは難しい。
今ごろライオルはなにをしているのだろうと、ルイはぼんやり考えた。忙しそうだったがもう屋敷には戻っただろうか。ユーノと一緒に夕飯を食べているのではと想像したところで、ルイは急いで別のことを考えた。
そのとき、とんとんと部屋のドアがたたかれた。半身を起こして返事をすると、ギレットが様子を見にやってきた。
「なんだもう寝てたのか」
ギレットは笑ってテーブルの上の燭台に火をつけた。
「部屋、だいぶきれいになったな」
「うん。必要なものは全部もらったよ」
「そうか。ほかになにか欲しいものはあるか?」
「大丈夫だよ。ありがとう」
「本当になにもないのか? 連れてきておいて不便な思いをさせるわけにはいかないからな。この部屋じゃ退屈だろ?」
ギレットは足を組んで椅子に座り、私物のほとんどない部屋を見回した。ルイは欲しいものを考えた。
「そうだな……それなら本が欲しいかな」
「本が好きなのか」
「うん。アクトール魔導院に行くようになってから、よく読むようになったんだ。この国は俺の知らないことであふれかえってるから、子供向けの図鑑でもおもしろいよ。むしろ子供向けのほうが基本的な説明もあるからちょうどいいくらいだ」
「確かに、ここはお前の知る世界とは全然違うだろうな」
「うん。だから本があれば退屈しないで済むと思う。あと読書用の魔導ランプがあるといいな」
「わかった。明日にでも手配しよう」
ルイはほっとして礼を言った。本に没頭できれば、頭の中に頑固に居座る感情を忘れていられるだろう。
「本を読んでいれば、いやなことを考えなくて済むか?」
ギレットが言った。ルイは思考を読まれたのかとどきりとした。
「はは、お見通しだなあ……。うん、気分転換にはちょうどいいと思うんだ。俺、もうなにも考えたくないんだ」
「今日あいつと話したか? 同じ部隊なんだから顔を合わせただろ?」
「執務室で一緒だったけど、なにも話さなかったよ。向こうも話しかけてこなかった」
「……意地の張り合いになっちまったか」
「もう俺のことはどうでもいいんだよ。忙しそうだったし、休日もいろいろ出かける用事があるみたいだし」
ルイはぎゅっと布団を握りしめてうなだれた。ギレットはルイのそばに来て、ルイの頭に手を置いて乱暴にかきまわした。
「よしよし。そんなに落ちこむな」
「……やめろよ」
「よーしよし!」
「おい……」
ギレットはルイの髪をぐしゃぐしゃにすると、すっとかがんで触れるだけのキスをした。ルイがキスに気づいた頃にはもう背を向けていて、さっさと部屋を出て行ってしまった。
ルイはいつも唐突なギレットの思惑が読めずに混乱した。からかっているだけにも見えるが、ときどき肉食獣のような鋭い目で見つめられていて、油断すると食われてしまいそうな気もする。考えてもらちがあかないので、ルイは思考を放棄して眠ることにした。
◆
それから数日が経ったが、ルイは一度もライオルと口をきかなかった。ライオルが主に会話をするのはカドレックら班長陣で、ルイはカドレックから指示をもらっていれば仕事に支障はなかった。本来ルイのような階級を持たない兵士は、部隊長と気軽に言葉をかわせる立場にない。今まではライオルが気遣って声をかけてくれていただけだということを思い知った。
訓練用広場や執務室でライオルとすれ違うたびに身構えたが、ライオルはルイの横を素通りするだけだった。いつまでも状況は変わらず、ルイの気分もいっこうに晴れなかった。
ある日の夕方、ルイは王宮の外壁に並ぶ側防塔の上から、いつも通り風を吹かせていた。白い煉瓦の建物が連なる美しい海の王都は、普段と変わらず穏やかだった。
いらいらして集中力が足りず、普段の倍も魔力を消費してしまい、風を吹かせ終えると足元がふらついた。だが魔力を分け与えてくれる人はいない。ふらついた体を支えてくれる人もいない。
突然、我慢の限界がやってきた。
「あーもう!!」
ルイは眼下の街並みに向かって声を張り上げた。外壁の上にいた歩哨が何事かとルイを振り返った。
ルイは肩を怒らせて回廊を歩き、乗ってきた馬でカリバン・クルス基地に引き返した。馬を厩舎に戻すと、ひとけの少なくなった敷地内を走り、第九部隊の執務室のドアをばんと開けた。
執務室にはライオルが一人で残っていて、机に向かって書類にペンを走らせていた。ライオルはドアが開いた音を聞いて顔を上げたが、入ってきたのがルイだとわかるとまた書類に視線を落とした。
「……忘れ物なら早く持っていけ」
それだけ言うとライオルは再び仕事に戻った。ルイはずきりと胸が痛んだが、意を決してライオルのところに歩いていった。だがライオルは書類を持って立ち上がり、ルイの脇を通って部屋を出て行こうとした。
「ま、待って。行かないで……」
ルイはライオルを追いかけて腕をつかんだが、ふりほどかれたらと思うと怖くてすぐに離した。ライオルは立ち止まるとゆっくり振り向いた。
「お前は勝手にあいつのところに行ってしまったくせに、俺には行くなとか、わがままも大概にしろ」
ライオルの声は冷たかった。ルイは泣きそうになるのをこらえて下を向いた。ライオルの顔が見られなかった。
0
あなたにおすすめの小説
〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜
上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。
体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。
両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。
せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない?
しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……?
どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
※別名義で連載していた作品になります。
(名義を統合しこちらに移動することになりました)
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【完結】悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
* ゆるゆ
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、反省しました。
BLゲームの世界で、推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)
本編完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
きーちゃんと皆の動画をつくりました!
もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画
プロフのwebサイトから両方に飛べるので、もしよかったら!
本編以降のお話、恋愛ルートも、おまけのお話の更新も、アルファポリスさまだけですー!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
【完結】お義父さんが、だいすきです
* ゆるゆ
BL
闇の髪に闇の瞳で、悪魔の子と生まれてすぐ捨てられた僕を拾ってくれたのは、月の精霊でした。
種族が違っても、僕は、おとうさんが、だいすきです。
ぜったいハッピーエンド保証な本編、おまけのお話、完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
トェルとリィフェルの動画つくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画
プロフのWebサイトから、どちらにも飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
【完結】弟を幸せにする唯一のルートを探すため、兄は何度も『やり直す』
バナナ男さん
BL
優秀な騎士の家系である伯爵家の【クレパス家】に生まれた<グレイ>は、容姿、実力、共に恵まれず、常に平均以上が取れない事から両親に冷たく扱われて育った。 そんなある日、父が気まぐれに手を出した娼婦が生んだ子供、腹違いの弟<ルーカス>が家にやってくる。 その生まれから弟は自分以上に両親にも使用人達にも冷たく扱われ、グレイは初めて『褒められる』という行為を知る。 それに恐怖を感じつつ、グレイはルーカスに接触を試みるも「金に困った事がないお坊ちゃんが!」と手酷く拒絶されてしまい……。 最初ツンツン、のちヤンデレ執着に変化する美形の弟✕平凡な兄です。兄弟、ヤンデレなので、地雷の方はご注意下さいm(__)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる