風の魔導師はおとなしくしてくれない

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八章 湖畔の村の子供たち

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「いてっ……おとなしくしろ!」

 タンサールは顔をなぐられて一瞬ひるんだが、ルイから手を離そうとはしなかった。ルイは遠くでジェルコが自分を呼ぶ声を聞いた気がした。

「誰か来やがったな」

 タンサールの耳にも入ったらしく、ルイの首を絞める手が緩んだ。もう一度、さっきより近くからジェルコの切羽詰まった声が聞こえてきた。タンサールは舌打ちした。

「面倒だなあ……やっぱり全員殺すか」

 タンサールはルイを離して立ち上がった。ルイは首を押さえて咳きこんだ。目の前がちかちかして視界がかすむ。

「あっ」

 手の中でなにやら魔術を練り上げていたタンサールは、村の方角を見て目を見開いた。ルイも重い頭を上げてそちらを見た。ジェルコだけでなく、何人もの仲間が全速力でこちらに駆けてきている。

 ばちっとなにかが弾ける音がして、気づくとタンサールは姿を消していた。

「ルイ!」

 先頭を切って走ってきたのはカドレックだった。カドレックは地面に倒れているルイを抱き起こした。

「大丈夫か!? 怪我は!?」
「かすり傷です……。班長、なんでここに……」
「近くを捜索していた海中師団から、隣の町で魔族が潜伏しているのが見つかったと報告を受けたんだ。それで捜索を一時中断して村に引き返した。ここにも潜伏している魔族がいたらまずいと思ってな。でも戻ってきたらお前がいなくて、ジェルコに聞いたら子供たちと一緒に湖のほうに行ったって言うから、急いで追いかけてきたんだ」
「ここにも一人いました……」
「ああ、見たよ。間に合ってよかった」

 ファスマーもやってきて立て膝をついて座り、ルイの顔をのぞきこんだ。

「怪我は?」
「左腕を切られた。でも大した傷じゃないよ」
「見せろ。大したことないかどうかは俺が決める」

 ファスマーは険しい表情でルイの左腕を持ち上げ、傷の深さを確かめた。ジェルコはルイのそばにしゃがみ、ルイの右手首に巻きついた剣をまじまじと眺めた。

「なんだこりゃあ……」

 得体の知れない攻撃にジェルコは青くなった。

「ルイ、すまん……俺が子供たちを押しつけたばっかりに……」
「ジェルコのせいじゃないよ。まさかこんなところに魔族がいるなんて思わなかっただろ?」
「それはそうだが……」
「それより班のみんなを連れてきてくれてありがとう。あと一歩遅かったら殺されてたかもしれない」
「……すまん」

 ジェルコは申し訳なさそうに肩を落とした。カドレックは渋い顔でルイの手首に巻きついた剣をつかんだ。

「結構固いけど、なんとかすれば折れそうだ。ルイ、動くなよ」
「はい」

 カドレックは剣の両端を握って力任せに引っ張った。木の剣はみしみしと鳴りながら徐々に折れ曲がり、ばきりと派手な音を立てて真っ二つになった。

「これでよし」
「ありがとうございます」

 ルイは自由になった手首をぐるりとまわした。木に巻きつかれただけだったので、少し擦り傷になっているが血は出ていなかった。カドレックは剣の残骸を背後に投げ捨てた。

「そこまで深くは切ってないな」

 ルイの左腕の傷を見ながらファスマーが言った。

「左手も動くだろ?」
「ああ」
「ならいい。戻って手当をすれば大丈夫だ」
「ありがとう」

 ほかの隊員たちは周囲にタンサールがいないか確かめ、木の上の小屋に登って中をあらためた。ルイは確認が終わるまでファスマーと一緒に座って待った。

 子供たちは全員無事に保護され、誰にも怪我はなかった。顔を真っ赤にして大泣きしているディンは、年長の隊員に抱きかかえられてあやされている。ほかの子たちは泣いているディンを不思議そうに見つめている。

 ルイはファスマーに手を貸してもらって立ち上がった。少し足が震えているが、歩くのに支障はなかった。

 海王軍の野営地に戻ると、ルイは海馬車の中でファスマーに手当をしてもらった。腕に包帯を巻いてもらいながら、ルイはカドレックに子供たちのことを話した。

「あの子たちはタンサールに操られていました。ディンだけ術を解きましたが、ほかの子たちの術が解けたかはわかりません。タンサールは村の子なのかとたずねて、まだ術にかかっているかどうか確かめてください」
「……わかった。村の子だと答えたら、術を解けばいいんだな」
「はい」

 カドレックは渋い顔のまま海馬車を出て行った。手当が終わったのでルイも外に出ようとしたが、ファスマーに無理やり海馬車の中に寝かされた。

「怪我人は休んでいろ」
「でも大した怪我じゃなかったし……」
「魔術でつけられた傷を甘く見るなよ? なんてことないと思って普段通りに過ごしてたら、突然奇声をあげて二階の窓から飛び降りた奴が昔いたらしいぞ」
「え、怖……」
「だろ? だからしばらく休んでろ」

 ルイはファスマーの気迫に押されておとなしく横になった。ファスマーはルイのそばで医療道具を整理した。

「ほかの班も呼び戻したから、もうすぐ皆帰ってくるはずだ」
「そっか」
「隊長が血相変えて駆けつけてくるまでここで見ててやるから、寝てろよ」
「なんだそりゃ……」

 ルイが苦笑したとき、海馬車の扉が勢いよく開いて血相を変えたライオルが入ってきた。濡れて青くなった髪から、海水が一滴したたり落ちた。

「ルイ!」
「ほら来た」

 ファスマーは笑って奥に移動し、ライオルに場所を譲った。

「魔族とはち合わせて交戦しただと!?」
「ああ」

 ライオルは目の下をひくりと痙攣させ、ルイの脇にどかりと座った。ルイは上半身を起こして座り、湖のほとりで起きたことを話して聞かせた。ライオルはタンサールがルイを連れていこうとしたと聞いて血の気が引いたようだった。

「……それで、怪我の具合は?」

 ライオルはファスマーを見上げてたずねた。

「軽傷です。出血も多くないし、数日経てば傷もふさがるでしょう」
「……そうか、ならいい。引き続き怪我人を見張っていてくれ」
「はい、隊長」

 ライオルはルイをファスマーに任せ、せわしなく海馬車を出て行った。ルイはディンたちがどうなったのか気になったが、外に出ようとするとファスマーに止められるので、おとなしく寝ているほかなかった。



 ディン以外の子供たちはタンサールの術にかかったままだったので、カドレックたちで手分けして術を解いた。正気を取り戻した子供たちは、得体の知れない怪しい男に従っていたことを思いだし、怯えてわんわん泣いた。ライオルは村長に状況を伝えて子供たちの親を野営地に呼び、子供たちを引き渡した。

 ライオルは泣きわめく子を抱く母親たちに状況を説明した。湖のそばの森に魔族が一人いたことと、自分たちは魔族の捜索のために来たことを正直に語った。母親たちは魔族の存在は知っていたものの、海の向こうに住む種族で自分たちと関わり合いになることはないと思っていたらしく、ひどく動揺した。

 ライオルは母親たちに、魔族を探しに来たことをなぜ黙っていた、子供たちになにがあったと詰め寄られ、今海の国が置かれている状況を説明した。扉についての詳細は省き、数人の魔族が国内で確認されていて、海王軍と各地方の海中師団が懸命に捜索していることを伝えた。

 ライオルはネマは海王軍が警護すると約束した。母親たちはライオルの誠実な対応に納得してくれて、子供たちを連れて家に帰った。

 その後、ライオルは村長に村の男たちを集めてもらって案内を頼み、動ける者全員で湖畔に広がる森をすみずみまで探索した。一日かけて森を回ったがなんの異常もなく、タンサール以外の魔族は来ていないようだった。

 タンサールがいた木の上の小屋の存在を、ネマの大人は誰も知らなかった。気味が悪いということで小屋は地面に落とされ、ライオルがすべて燃やして灰にした。

 あとでディンに話を聞いたところ、一月ほど前に湖畔で遊んでいると、タンサールがふらりとやってきたとのことだった。タンサールは魔術で子供たちを捕まえ、名前を聞き出して術をかけた。そのときすでに木の上の小屋は完成していて、子供たちはそれぞれ家から食料を少しずつ持ち寄っては、小屋に住みついたタンサールに渡していた。タンサールがそこでなにをしていたかはわからないが、隣の町にも魔族が隠れていたことから、近くに扉があることは間違いなさそうだった。

 数日後、海中師団の応援がネマに到着したので、第九部隊はカリバン・クルスに帰還した。ルイはネマで過ごすあいだに左腕の傷もふさがり、元気な姿を見せてライオルたちを安心させた。
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