風の魔導師はおとなしくしてくれない

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終章 二人だけの秘密

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 しばらくすると、先ほどの使用人の女性が温かい食事を運んできた。その後ろからハルダートもやってきて、女性から温かいリゾットの入った深皿を受け取り、ルイの枕元に置いた。

「さあ、これを食べて」

 ルイが寝たままハルダートをじっと見つめていると、ハルダートは首をかしげた。

「なんだい、焼き菓子のほうがよかったか?」
「……いや」

 ルイはゆっくりと上体を起こした。女性からスプーンを受け取り、深皿を足の上に置いてリゾットを一口食べた。病人向けの優しい味がした。おいしいリゾットだったが、ちっともお腹が空いておらず、半分も食べることができなかった。

「それだけしか食べないのか?」

 不満そうなハルダートに、使用人の女性がそっと声をかけた。

「ハルダート様、まだ目覚められたばかりですから仕方ありません。だんだん食べられるようになるでしょう」
「そういうもんか?」
「ええ。一口召し上がれただけでも十分です。あとは休養をとっていただくことです」
「そうか、わかった。ルイ、あとは寝て休んでろ」

 ハルダートはルイの額に手を置き、ルイをベッドに横たわらせた。ルイは額に置かれたハルダートの手が温かくなるのを感じた。ルイは急激に眠くなり、目を閉じて眠りについた。


 ◆


 ひやりと冷たいものに触れられ、ルイは驚いて目を覚ました。ベッドの脇に黒髪の男がたたずみ、はだけたルイの胸に手を置いている。ネマの村外れに潜んでいた魔族のタンサールだった。

「お前」

 ルイはタンサールの手をつかもうとしたが、逆にその手をつかまれてベッドに押さえつけられた。

「治してやるから、じっとしてろ」

 タンサールは手のひらでルイの胸をぐっと押した。ルイは細い千本の針に刺されたような痛みを感じて悲鳴をあげた。体の中をかき回されるような気持ち悪さが駆け巡り、吐きそうになった。

「おえっ……」
「我慢しろ」

 タンサールはルイをベッドに押さえつけ、ルイの胸を圧迫し続けた。ルイは下唇をかんで痛みと気持ち悪さに耐えた。

 しばらくしてタンサールの手が離れていった。ルイは全力疾走したあとのように息を切らせていた。息を整えながら身じろぎしたが、動いても胸の傷は痛まなくなっていた。

「治っただろ?」
「……ああ」
「傷を癒すかわりに体力を持ってかれてるから、飯を食って体力を戻せ。俺にできるのはここまでだからな」
「……なんで治してくれるんだ?」
「ハルダートがお前を助けろって言ったからに決まってるだろ。ほかになにがあるんだよ」

 タンサールはそう言い捨てるとさっさと部屋を出て行った。ルイの治療をするあいだもずっと無表情のままで、言われたからやっているだけでルイに興味のかけらもなさそうだった。

 ルイはふらつく足でベッドから起き上がった。立ち方を忘れてしまったかのように、体に力が入らなかった。石造りの床はとても冷たかった。ルイは裸足のまま、ベッドフレームやテーブルにつかまりながらよたよたと部屋を横断し、窓から外を眺めた。

 窓の外には広大な庭園が広がっていた。整然と刈りこまれた灌木が並び、白と黄色の花が交互に植えられている。ルイのいる部屋は二階の一室で、美しい庭がよく見渡せた。

「どこかの貴族の屋敷を乗っ取ってるのか……?」

 窓の外に足場になるものはなく、今の体力で窓から逃げることは無理そうだ。窓の内鍵をいじっていると、部屋のドアが開く音がしたので慌てて振り返った。入ってきたのは仏頂面のアンドラクスだった。手に食事を載せた盆を持っている。

「あっ!」

 アンドラクスはルイの行動をめざとくとらえ、ルイをねめつけた。

「てめえ早速逃げようとしてただろ! 地面にたたきつけられて死ぬのが見えてるからやめとけ!」

 アンドラクスはひどくいやそうに顔をしかめ、ベッドの上に乱暴に盆を置いた。

「とっととこっちに来い。てめえごときにここから逃げる力はないから、あきらめろ」
「お前もいるのか……」
「当たり前だろうが。おい、俺にこれ以上面倒をかけるな。これを食って、おとなしく寝てろ」

 ルイは仕方なくふらふらとベッドに歩み寄った。アンドラクスの脇を通ろうとすると、不意にアンドラクスが足を突き出してきた。ルイはそれをよけられずにつまずき、床に倒れた。

「あ、悪い」

 アンドラクスは喉を鳴らして笑った。

「足元気をつけろよ」
「…………」

 ルイは黙って立ち上がり、ベッドに腰かけた。アンドラクスに見下ろされながら、前回と同じリゾットをスプーンですくって少しずつ食べた。

「お前、なにも聞かないのな」

 アンドラクスはつまらなそうに言ったが、ルイはアンドラクスになにも聞く気にならなかった。少しの沈黙のあと、アンドラクスは自分から喋りだした。

「聞いたぜ。お前、リーゲンスの王子だったんだってな」

 ルイのスプーンを持つ手がぴたりと止まった。アンドラクスは楽しそうに言った。

「リーゲンスの王城ってきれいだよな。真っ白で、空に刺さりそうなほど高くてさ」
「……なんでそんなことがお前にわかる?」
「俺の術は知ってるだろ? 俺は離れたところに夢を渡って行くことができるのさ」

 ルイが目を見開いたのを見て、アンドラクスはにやりと笑った。

「サルヴァトに悪夢を見せて、海の国に刃向かうように仕向けたのは俺だよ。すでに精神的に参ってる奴だったから簡単だったぜ。あいつに権力を握らせて、港町にいた海の人間共を皆殺しにさせてやったのさ。そのあとは海の国とリーゲンスが戦争になって、海の国の兵力をそぎ落とす予定だったんだけど、てめえがサルヴァトを殺して高潔な犠牲とやらになってくれちゃったから、想定よりずっと穏便に――」

 ルイの手からリゾットの皿が滑り落ちて床に落ちた。陶器の深皿は床に落ちて粉々に砕け散った。ルイは震えながら立ち上がり、笑みを浮かべるアンドラクスの胸ぐらをつかんだ。

「お前がサルヴァトをそそのかして、アムルタ王を殺させたのか? ヘンリエッテ様もロラン様も、皆死んだのはお前のせいなのか? ……そうなんだな!」
「お前は生きのびたんだから別にいいじゃないか」
「ふざけるな!!」

 ルイはあらん限りの声を張り上げた。怒りと憎しみが噴出して目の前が真っ赤になった。

「お前のせいでリーゲンスはめちゃくちゃになったんだ! 俺とイオンだって、一歩間違えば死んでいた! お前がいなければ叔父上だってあんな真似をしなかった! 叔父上は病を患った母上を最後まで見舞ってくれた人だったのに! お前のせいで、叔父上は兄殺しの罪で死ぬことになったんだ!!」

 ルイは爪が肉に食いこむまで拳を強く握りしめ、アンドラクスに殴りかかった。アンドラクスはやすやすとルイの拳を手で受け止め、ルイの体を押して転ばせた。床に横ざまに倒れたルイは、割れた食器の破片の上に手をついて親指の付け根の肉を切ってしまった。

 アンドラクスは涙を流しながらにらみつけてくるルイを見下ろし、ふんと鼻を鳴らした。

「みじめったらしくわめくな。ハルダートの命令だったんだからしょうがないだろ。四百年も封印されてた俺たちのほうがてめえよりよっぽどかわいそうだ。目が覚めてからなんかおかしいと思ってたら、あれから四百年も経っていやがった。それがわかったときの俺の気持ちがわかるか? お前らはいつも自分ばかり悲劇の中にいると思っていやがる」

 アンドラクスはそれだけ言うと去っていった。ルイは悔しさのあまりどうにかなってしまいそうだった。ルイは床にへたりこんだまま、血のにじむ手で床をたたいて怨嗟の声をあげた。



 夜になると、再びハルダートがやってきた。ルイはベッドの上で膝を抱えてうずくまっていた。

「怪我は治ったみたいだね?」

 ハルダートはルイに優しく声をかけた。

「お腹はすいたか? なにか食べたいものはあるか?」

 ルイは顔を上げてそっとハルダートを見た。ハルダートは薄く笑みを浮かべ、暗い部屋の中に一人で立っている。

「……俺を気遣ってくれるのなら、ライオルのところに帰してくれ……」
「それはだめだ。きみには俺を愛してもらわないと」
「……は? 今なんて?」
「だから、俺を愛してもらいたいんだ。きみは隊長の優しくて頼れるところが好きなんだろ? 俺も優しくするからさ、だからきみのその愛情を俺にも向けてくれ。俺に尽くしてくれよ」

 ルイは開いた口がふさがらなかった。

「……魔族は人を慈しんだり愛したりできない種族だと聞いた。お前には誰かを愛するという感情があるのか?」
「さあ、わからない。でも、俺はきみのように他人のために自分の命を捨てるということはできないかな。それが愛だと言うのなら、俺には備わっていないものだと思う。でも、きみの行動は本当にすごいと思ったから、俺のことも愛してもらおうと思ったんだ」
「お前のために喜んで命を投げ出せって?」
「投げ出せるようになってくれよ」

 ルイはあきれて首を横に振った。

「そんな頼み方をするようじゃ、一生お前に人を好きになる気持ちなんかわからないさ……」
「だからきみが俺に教えてくれればいいんだよ」
「断る」
「強情だな……まあいいや。ほら、きみの好きな焼き菓子を持ってきたから、食べろよ」

 ハルダートは上着のポケットから小さな包みを取り出し、ルイの手をぐいっと引っ張った。

「あれ、手を切ったのか?」

 ルイの右手は食器の破片で切ったせいで血まみれになっている。床に散らばった食器は、様子を見にやってきた使用人の女性が片付けてくれたが、ルイが黙っていたので手の傷には気づいてもらえなかった。

「治してあげる」

 ハルダートは嬉々としてルイの手を握り、傷口を指で押さえた。傷口が熱くなり、じわじわと内側からくっついていった。

「はい、もう大丈夫だよ。ちょっと跡が残ってるけど、そのうち消えるよ」

 ハルダートは傷跡を眺め、満足そうにうなずいた。ルイはなにも言わなかった。ハルダートは小さな包みを開き、茶色い焼き菓子を取り出してルイの口元に突きつけた。

「きみ、これ好きだろ?」
「いらな……むぐ」

 喋った隙に焼き菓子を口の中に突っこまれた。ルイは仕方なく焼き菓子を咀嚼した。香ばしい香りのする、ロンロ焼きに似た甘いお菓子だった。
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