91 / 134
終章 二人だけの秘密
2
しおりを挟むしばらくすると、先ほどの使用人の女性が温かい食事を運んできた。その後ろからハルダートもやってきて、女性から温かいリゾットの入った深皿を受け取り、ルイの枕元に置いた。
「さあ、これを食べて」
ルイが寝たままハルダートをじっと見つめていると、ハルダートは首をかしげた。
「なんだい、焼き菓子のほうがよかったか?」
「……いや」
ルイはゆっくりと上体を起こした。女性からスプーンを受け取り、深皿を足の上に置いてリゾットを一口食べた。病人向けの優しい味がした。おいしいリゾットだったが、ちっともお腹が空いておらず、半分も食べることができなかった。
「それだけしか食べないのか?」
不満そうなハルダートに、使用人の女性がそっと声をかけた。
「ハルダート様、まだ目覚められたばかりですから仕方ありません。だんだん食べられるようになるでしょう」
「そういうもんか?」
「ええ。一口召し上がれただけでも十分です。あとは休養をとっていただくことです」
「そうか、わかった。ルイ、あとは寝て休んでろ」
ハルダートはルイの額に手を置き、ルイをベッドに横たわらせた。ルイは額に置かれたハルダートの手が温かくなるのを感じた。ルイは急激に眠くなり、目を閉じて眠りについた。
◆
ひやりと冷たいものに触れられ、ルイは驚いて目を覚ました。ベッドの脇に黒髪の男がたたずみ、はだけたルイの胸に手を置いている。ネマの村外れに潜んでいた魔族のタンサールだった。
「お前」
ルイはタンサールの手をつかもうとしたが、逆にその手をつかまれてベッドに押さえつけられた。
「治してやるから、じっとしてろ」
タンサールは手のひらでルイの胸をぐっと押した。ルイは細い千本の針に刺されたような痛みを感じて悲鳴をあげた。体の中をかき回されるような気持ち悪さが駆け巡り、吐きそうになった。
「おえっ……」
「我慢しろ」
タンサールはルイをベッドに押さえつけ、ルイの胸を圧迫し続けた。ルイは下唇をかんで痛みと気持ち悪さに耐えた。
しばらくしてタンサールの手が離れていった。ルイは全力疾走したあとのように息を切らせていた。息を整えながら身じろぎしたが、動いても胸の傷は痛まなくなっていた。
「治っただろ?」
「……ああ」
「傷を癒すかわりに体力を持ってかれてるから、飯を食って体力を戻せ。俺にできるのはここまでだからな」
「……なんで治してくれるんだ?」
「ハルダートがお前を助けろって言ったからに決まってるだろ。ほかになにがあるんだよ」
タンサールはそう言い捨てるとさっさと部屋を出て行った。ルイの治療をするあいだもずっと無表情のままで、言われたからやっているだけでルイに興味のかけらもなさそうだった。
ルイはふらつく足でベッドから起き上がった。立ち方を忘れてしまったかのように、体に力が入らなかった。石造りの床はとても冷たかった。ルイは裸足のまま、ベッドフレームやテーブルにつかまりながらよたよたと部屋を横断し、窓から外を眺めた。
窓の外には広大な庭園が広がっていた。整然と刈りこまれた灌木が並び、白と黄色の花が交互に植えられている。ルイのいる部屋は二階の一室で、美しい庭がよく見渡せた。
「どこかの貴族の屋敷を乗っ取ってるのか……?」
窓の外に足場になるものはなく、今の体力で窓から逃げることは無理そうだ。窓の内鍵をいじっていると、部屋のドアが開く音がしたので慌てて振り返った。入ってきたのは仏頂面のアンドラクスだった。手に食事を載せた盆を持っている。
「あっ!」
アンドラクスはルイの行動をめざとくとらえ、ルイをねめつけた。
「てめえ早速逃げようとしてただろ! 地面にたたきつけられて死ぬのが見えてるからやめとけ!」
アンドラクスはひどくいやそうに顔をしかめ、ベッドの上に乱暴に盆を置いた。
「とっととこっちに来い。てめえごときにここから逃げる力はないから、あきらめろ」
「お前もいるのか……」
「当たり前だろうが。おい、俺にこれ以上面倒をかけるな。これを食って、おとなしく寝てろ」
ルイは仕方なくふらふらとベッドに歩み寄った。アンドラクスの脇を通ろうとすると、不意にアンドラクスが足を突き出してきた。ルイはそれをよけられずにつまずき、床に倒れた。
「あ、悪い」
アンドラクスは喉を鳴らして笑った。
「足元気をつけろよ」
「…………」
ルイは黙って立ち上がり、ベッドに腰かけた。アンドラクスに見下ろされながら、前回と同じリゾットをスプーンですくって少しずつ食べた。
「お前、なにも聞かないのな」
アンドラクスはつまらなそうに言ったが、ルイはアンドラクスになにも聞く気にならなかった。少しの沈黙のあと、アンドラクスは自分から喋りだした。
「聞いたぜ。お前、リーゲンスの王子だったんだってな」
ルイのスプーンを持つ手がぴたりと止まった。アンドラクスは楽しそうに言った。
「リーゲンスの王城ってきれいだよな。真っ白で、空に刺さりそうなほど高くてさ」
「……なんでそんなことがお前にわかる?」
「俺の術は知ってるだろ? 俺は離れたところに夢を渡って行くことができるのさ」
ルイが目を見開いたのを見て、アンドラクスはにやりと笑った。
「サルヴァトに悪夢を見せて、海の国に刃向かうように仕向けたのは俺だよ。すでに精神的に参ってる奴だったから簡単だったぜ。あいつに権力を握らせて、港町にいた海の人間共を皆殺しにさせてやったのさ。そのあとは海の国とリーゲンスが戦争になって、海の国の兵力をそぎ落とす予定だったんだけど、てめえがサルヴァトを殺して高潔な犠牲とやらになってくれちゃったから、想定よりずっと穏便に――」
ルイの手からリゾットの皿が滑り落ちて床に落ちた。陶器の深皿は床に落ちて粉々に砕け散った。ルイは震えながら立ち上がり、笑みを浮かべるアンドラクスの胸ぐらをつかんだ。
「お前がサルヴァトをそそのかして、アムルタ王を殺させたのか? ヘンリエッテ様もロラン様も、皆死んだのはお前のせいなのか? ……そうなんだな!」
「お前は生きのびたんだから別にいいじゃないか」
「ふざけるな!!」
ルイはあらん限りの声を張り上げた。怒りと憎しみが噴出して目の前が真っ赤になった。
「お前のせいでリーゲンスはめちゃくちゃになったんだ! 俺とイオンだって、一歩間違えば死んでいた! お前がいなければ叔父上だってあんな真似をしなかった! 叔父上は病を患った母上を最後まで見舞ってくれた人だったのに! お前のせいで、叔父上は兄殺しの罪で死ぬことになったんだ!!」
ルイは爪が肉に食いこむまで拳を強く握りしめ、アンドラクスに殴りかかった。アンドラクスはやすやすとルイの拳を手で受け止め、ルイの体を押して転ばせた。床に横ざまに倒れたルイは、割れた食器の破片の上に手をついて親指の付け根の肉を切ってしまった。
アンドラクスは涙を流しながらにらみつけてくるルイを見下ろし、ふんと鼻を鳴らした。
「みじめったらしくわめくな。ハルダートの命令だったんだからしょうがないだろ。四百年も封印されてた俺たちのほうがてめえよりよっぽどかわいそうだ。目が覚めてからなんかおかしいと思ってたら、あれから四百年も経っていやがった。それがわかったときの俺の気持ちがわかるか? お前らはいつも自分ばかり悲劇の中にいると思っていやがる」
アンドラクスはそれだけ言うと去っていった。ルイは悔しさのあまりどうにかなってしまいそうだった。ルイは床にへたりこんだまま、血のにじむ手で床をたたいて怨嗟の声をあげた。
夜になると、再びハルダートがやってきた。ルイはベッドの上で膝を抱えてうずくまっていた。
「怪我は治ったみたいだね?」
ハルダートはルイに優しく声をかけた。
「お腹はすいたか? なにか食べたいものはあるか?」
ルイは顔を上げてそっとハルダートを見た。ハルダートは薄く笑みを浮かべ、暗い部屋の中に一人で立っている。
「……俺を気遣ってくれるのなら、ライオルのところに帰してくれ……」
「それはだめだ。きみには俺を愛してもらわないと」
「……は? 今なんて?」
「だから、俺を愛してもらいたいんだ。きみは隊長の優しくて頼れるところが好きなんだろ? 俺も優しくするからさ、だからきみのその愛情を俺にも向けてくれ。俺に尽くしてくれよ」
ルイは開いた口がふさがらなかった。
「……魔族は人を慈しんだり愛したりできない種族だと聞いた。お前には誰かを愛するという感情があるのか?」
「さあ、わからない。でも、俺はきみのように他人のために自分の命を捨てるということはできないかな。それが愛だと言うのなら、俺には備わっていないものだと思う。でも、きみの行動は本当にすごいと思ったから、俺のことも愛してもらおうと思ったんだ」
「お前のために喜んで命を投げ出せって?」
「投げ出せるようになってくれよ」
ルイはあきれて首を横に振った。
「そんな頼み方をするようじゃ、一生お前に人を好きになる気持ちなんかわからないさ……」
「だからきみが俺に教えてくれればいいんだよ」
「断る」
「強情だな……まあいいや。ほら、きみの好きな焼き菓子を持ってきたから、食べろよ」
ハルダートは上着のポケットから小さな包みを取り出し、ルイの手をぐいっと引っ張った。
「あれ、手を切ったのか?」
ルイの右手は食器の破片で切ったせいで血まみれになっている。床に散らばった食器は、様子を見にやってきた使用人の女性が片付けてくれたが、ルイが黙っていたので手の傷には気づいてもらえなかった。
「治してあげる」
ハルダートは嬉々としてルイの手を握り、傷口を指で押さえた。傷口が熱くなり、じわじわと内側からくっついていった。
「はい、もう大丈夫だよ。ちょっと跡が残ってるけど、そのうち消えるよ」
ハルダートは傷跡を眺め、満足そうにうなずいた。ルイはなにも言わなかった。ハルダートは小さな包みを開き、茶色い焼き菓子を取り出してルイの口元に突きつけた。
「きみ、これ好きだろ?」
「いらな……むぐ」
喋った隙に焼き菓子を口の中に突っこまれた。ルイは仕方なく焼き菓子を咀嚼した。香ばしい香りのする、ロンロ焼きに似た甘いお菓子だった。
0
あなたにおすすめの小説
〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜
上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。
体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。
両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。
せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない?
しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……?
どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
※別名義で連載していた作品になります。
(名義を統合しこちらに移動することになりました)
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【完結】悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
* ゆるゆ
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、反省しました。
BLゲームの世界で、推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)
本編完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
きーちゃんと皆の動画をつくりました!
もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画
プロフのwebサイトから両方に飛べるので、もしよかったら!
本編以降のお話、恋愛ルートも、おまけのお話の更新も、アルファポリスさまだけですー!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
【完結】お義父さんが、だいすきです
* ゆるゆ
BL
闇の髪に闇の瞳で、悪魔の子と生まれてすぐ捨てられた僕を拾ってくれたのは、月の精霊でした。
種族が違っても、僕は、おとうさんが、だいすきです。
ぜったいハッピーエンド保証な本編、おまけのお話、完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
トェルとリィフェルの動画つくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画
プロフのWebサイトから、どちらにも飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
【完結】弟を幸せにする唯一のルートを探すため、兄は何度も『やり直す』
バナナ男さん
BL
優秀な騎士の家系である伯爵家の【クレパス家】に生まれた<グレイ>は、容姿、実力、共に恵まれず、常に平均以上が取れない事から両親に冷たく扱われて育った。 そんなある日、父が気まぐれに手を出した娼婦が生んだ子供、腹違いの弟<ルーカス>が家にやってくる。 その生まれから弟は自分以上に両親にも使用人達にも冷たく扱われ、グレイは初めて『褒められる』という行為を知る。 それに恐怖を感じつつ、グレイはルーカスに接触を試みるも「金に困った事がないお坊ちゃんが!」と手酷く拒絶されてしまい……。 最初ツンツン、のちヤンデレ執着に変化する美形の弟✕平凡な兄です。兄弟、ヤンデレなので、地雷の方はご注意下さいm(__)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる