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終章 二人だけの秘密
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しおりを挟むルイは灼熱の海に放りこまれておぼれる夢を見ていた。体が燃えるように熱く、息をしようとしても空気がなく、地獄の苦しみが続いていた。海面に出ようともがくたび、逆にどんどん海の底に沈んでいく。
ルイの頭上をライオルが泳いでいて、ルイに手を伸ばしている。ルイも手を伸ばしたが、遠くてとうてい届かない。着ている服は水を吸って重くなり、ルイは暗い海の底に沈んでいった。
ルイはふと目を覚ました。ベッドに寝ていて、きちんと布団をかけている。部屋の中は窓から差しこむ日の光で明るく満たされていた。朝はとっくに過ぎたらしい。だがいつ部屋に戻ってきたのかわからない。起き上がろうとしたとたん、胸部に激痛が走った。
「いっ……」
ルイはうめいて胸に手を当てた。胸の奥がずきずきと鈍く痛んでいる。
歯を食いしばって痛みに耐えていると、使用人の格好をした女性がルイの顔をのぞきこんだ。
「目が覚めましたか。まだお怪我が治っていませんから、そのまま寝ていてください」
「……誰?」
彼女の顔に見覚えはなかった。ルイが聞くと、使用人の女性は優しくほほ笑んだ。
「このお屋敷にお仕えする者ですわ」
「え……」
ルイは周りを見回し、ここが自分の部屋ではないことに気がついた。広い部屋だが、柱と床はむきだしの灰色の石でできていて、寒々しい雰囲気の部屋だった。
「ここはどこなんだ?」
「ハルダート様のお屋敷ですよ」
「ハルダート……?」
「ひどい怪我を負ったあなたを助けた方ですよ。今お呼びしますね」
使用人の女性はにっこり笑い、足早に部屋を出て行った。ルイは痛む胸を手でさすった。長く眠っていたのか、頭が少しぼうっとしている。いまいち状況が理解できず、ルイは見知らぬ天井をぼんやり眺めていた。
部屋のドアが開けられ、一人の男が入ってきた。ルイは赤錆色の髪の男を見てすべてを思いだした。王太子選定の儀のときの、カドレックに化けていた魔族の男だ。怪我を負ったルイを助けたどころか、ルイを魔術の槍で貫いた張本人だった。
「起きたんだね。死ななくてよかった」
ハルダートは笑みを浮かべてルイの顔に手を伸ばした。ルイは息をのんでその手を払いのけた。
「触るな!」
ハルダートはルイに拒絶されて気分を害したようだった。
「助けてやったのになんだそれは。礼もなしか」
「お前に攻撃された傷だぞ」
「きみを殺すつもりじゃなかった。勝手にそっちが攻撃を食らったんだろ」
ハルダートはベッドに腰かけ、ルイの顔色を確かめた。
「傷口はふさいだけど、まだ完治してないから動くと痛むよ。またあとでタンサールに治療してもらおう。あいつは怪我の治癒が得意なんだ」
「……なんなんだお前は。なにがしたいんだ? なんで俺を助けた?」
「きみの献身的な愛情に感動したんだよ。初めて会ったときから仲がいいと思ってたけど、まさかあいつを生かすために自分の命を放り出すとはね。恐れ入ったよ、人間」
まるでずっとそばで見ていたような言いぐさだった。
「お前、いつからカドレック班長に成り代わってた? それとも、ウィーデ・カドレックなんて人は最初からいなかったのか?」
「……なんだ。きみ、俺のこと忘れてしまったんだね」
「え?」
「この姿のとき一度会っただろ。カリバン・クルスの路上で倒れてた俺を助けてくれたじゃないか。あのときは封印が解けたばっかりで、まだ力が戻ってなくてさ」
ルイはでまかせだと思ったが、ふとライオルと一緒に大通りに買い物にでかけたときのことを思いだした。アクトール襲撃事件を解決した褒賞としてもらった金貨を使いたくて、道具屋で買い物をしたときのことだ。帰ろうとしたら道ばたに倒れている男がいて、声をかけたことが確かにある。
ルイはハルダートの顔をじっと見つめた。赤錆色の髪に、端正だが青白い顔の男だ。道ばたに倒れていたときはひどくやつれていたので気づかなかったが、よく見ると同じ男だった。
「……思いだした。確かにあのとき、ハルダートと名乗っていたな……」
「だろ? カリバン・クルスは魔族避けの結界が張ってあるから、力の強い俺はかなり影響を受けちゃったんだよ。でも、王を殺すために王都にいる必要があったから、魔力を持つ人間の姿を借りることにしたんだ。人間の魔力をまとっていれば、結界の効果も半減するからね」
ルイは黙って続きを促した。
「俺がウィーデ・カドレックと入れ替わったのは、カリバン・クルスを南下したところにある海の森でだよ。カリバン・クルスを追い出されたあと、あそこにいて枯渇した魔力を回復させてたんだ。そこにやってきたのが盗賊団の一行だった」
「盗賊団……風の吹く森のことか……」
「そうそう、海の森なのに風が吹いてるところだった。その盗賊団の誰かになることもできたけど、お尋ね者じゃ入れ替わっても意味ないから放っておいた。そうしたら、しばらくしてきみたち海王軍の一団がやってきたんだ。しかも半分は魔導師だったから、この上ないチャンスだった。本当は途中で隊列を離れた魔力の高い銀髪の魔導師がよかったんだけど、俺がもらう前に盗賊団にさらわれちゃったから断念した。風に乗って飛んでたきみを捕まえることも考えたけど、きみの恋人が面倒そうだからやめておいた」
ルイは背筋が凍りついた。あのときは森にたまった風の魔力のおかげで空を飛べたのが嬉しくて、楽しく空中を散歩していた。そこを魔族に狙われていたなんて予想だにしていなかった。
「そのあと、きみたちと盗賊団が戦闘になっただろ? 戦いに敗れて逃げた盗賊を追って何人かの兵士が森の中に入ってきたから、その中で一番強そうな魔導師を捕まえて、術をかけて姿を借りたんだ。それがきみたちの班長だったってわけだ」
「……本物のカドレック班長は?」
「生きてるよ。姿を写し取っても、ほかの人と話が合わないとすぐに別人だと気づかれてしまうだろ? だからカドレックの記憶を読むために、カドレックと俺の精神をつなげて一心同体にしたんだ。だから俺はカドレックの記憶を見ることができて、逆にカドレックも俺の見ているものを見ることができた。意識を共有していたせいで、俺の頭の中でずーっとやめろだの気づいてくれだのわめいてて、非常にうるさかったよ。でももう術は解いたから、森の中で目を覚ましたんじゃないかな」
ルイはカドレックが無事でいることを祈った。ルイたちが去ったあと、風の吹く森には調査団が何度も派遣されている。うまくいけば調査団と合流してカリバン・クルスに戻れるだろう。
「あれからどれくらい経ったんだ?」
「三日だよ。きみの出血はかなりひどかったから、このまま目を覚まさないんじゃないかと思ってたところだった。なにか食べるといいよ。今食事を持ってくるから」
ハルダートはそう言って部屋を出て行った。ルイはベッドに寝たまま、玉座の間でのことを思い返していた。ルイはライオルをかばってハルダートの槍に胸部を貫かれた。着ているシャツの中をのぞいてみると、胸の傷はどこにも見当たらなかった。魔術で治療してもらったようだが、少しでも動くと胸の内側がじくじくと痛むので、完全には治っていないようだった。
ルイは残してきたライオルたちが心配でならなかった。最後までそばにいたライオルとホルシェードは怪我らしい怪我はしていなかった。だが、ギレットやほかの王太子候補たちや、見物に来ていたユーノやゾレイがどうなったかはわからない。
「皆無事のはずだ……きっとそうだ……」
ルイは自分に言い聞かせるように言った。ギレットが簡単にやられるはずはないし、ユーノは周りに守られていたはずだ。ゾレイのそばにはコニアテスがいたし、アクトール襲撃を経験している王宮魔導師たちはうまくあの場を切り抜けられただろう。早々に壁を壊したのも彼らかもしれない。
だが、一番最初に攻撃を受けたヒューベル王が生きているかどうか、ルイには確信が持てなかった。ハルダートの槍はヒューベル王の胸を深くえぐっていた。ルイのように魔術で傷をふさぎでもしないと、出血で死んでしまうだろう。
ヒューベル王が死んだとなると、王太子に選ばれたばかりのライオルが王になるのだろうか。だがきっとライオルはルイを探すのに必死で、それどころではないだろう。
ルイは頭の中でライオルに、俺は生きてるよ、と語りかけた。ライオルはルイが死んだと思っているかもしれない。イオンに引き続き、ライオルまで悲しませることはしたくはなかった。
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