風の魔導師はおとなしくしてくれない

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八章 湖畔の村の子供たち

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 玉座の間はパニックになった。見物客たちは金切り声をあげて我先にと出入り口へ突進した。しかし扉は開かず、王太子選定の儀に参加していた全員が玉座の間に閉じこめられた。扉の前に集まった群衆に、十九家の男に化けていた魔族が飛びかかった。

 唐突に夜のとばりがおり、視界が暗くなった。窓の向こう側が真っ黒に塗りつぶされていく。ルイは覚えのある感覚にぞっとした。

「アクトールを囲んだ壁と同じやつだ……!」
「ちっ」

 ライオルは手のひらの中に炎を作り出してあちこちに投げ、広間じゅうのシャンデリアに火をともして明かりを確保した。それでも玉座の間は薄暗く、黒い魔術を使う魔族たちの攻撃をとらえにくくなった。

「王は死んだ! この国は俺たちのものだ!」

 カドレックに化けていた魔族が叫んだ。

「全員俺に従え! さもなければ死ね!」

 広間の窓が割れ、黒い狼のような獣が数体入ってきた。全身インクで塗りつぶしたように真っ黒で、目のあるべきところは眼窩がぽっかり空いている。アクトール魔導院が襲撃されたときに現れた魔力を食べる魚と、大きさや形は違うがよく似ていた。魔術でできた獣たちは空中を蹴って移動し、近衛兵にかみついた。

 ギレットは参列していた部下たちを引き連れ、見物客たちに襲いかかった魔族に立ち向かっていった。ホルシェードは鬼気迫った表情で黒い狼につららを投げつけて串刺しにした。黒い狼はアクトールに出た魚と同様、攻撃を受けると灰になって消えた。しかし、窓を破って次から次へとやってきては近くにいた人に手当たり次第に襲いかかり、きりがなかった。

 ルイも暗闇に乗じて一体の獣に襲われ、剣で斬って退治した。視界が悪い上に乱戦状態で、いつ背中から刺されてもおかしくない。近衛兵たちが必死で魔族と戦っているが、得体の知れない魔術の技で武器を折られて吹き飛ばされた。それでも果敢に立ち向かっていくが、魔術に絡め取られて花を手折るように骨を折られた。

「あの壁を破壊しなきゃ……」

 ルイはゾレイを探したが、逃げ惑う人々が走り回っていてとても見つけられる状況ではなかった。玉座の間を囲む壁をなんとかしないと、外から援軍がやってこられない。全員魔族の餌食になってしまう。

 ふと死角から獣が襲いかかってきて、ルイの右腕にかみついた。

「うわあっ」

 ルイの悲鳴を聞いたライオルは、獣の額を剣で貫いて消滅させた。

「ルイ、俺のそばから離れるな!」

 ライオルが叫んだ。ルイはかみつかれた二の腕から血が流れるのを感じたが、傷にかまっている暇はなかった。ライオルは魔術の獣たちにひっきりなしに襲いかかられ、片っ端から切り伏せている。ホルシェードやスラオ班長たちも応戦しているが、攻撃の手が多すぎて防ぎきれず、だんだんライオルから離れた場所に追いやられていった。

 ルイはライオルに守られながら獣と戦い、カドレックに化けていた魔族を見上げた。彼は魔術で器用に足場を作りながら攻撃を避けて移動し、近衛兵を次々と魔術の刃で刺し殺していく。ホルシェードの投げた氷の刃を片手で防いだ彼は、まっすぐライオルを見下ろした。

 ルイは恐怖に凍りついた。王を始末した次は、王太子に選ばれたライオルを殺すつもりなのだ。黒い狼の群れが飛び上がり、一斉にライオルに襲いかかった。

「ライオル様ぁ!!」

 ホルシェードが絶叫した。ライオルは頭上で剣をぐるりと振って炎の渦を作り出し、狼の群れを一気に燃やした。炎に照らされて広間が明るくなり、ルイは狼の背後に隠れて一本の黒い槍がライオルめがけて放たれたのを見た。

「危ない!」

 ルイは剣を振って風を起こした。風にあおられて炎が立ち消え、槍をも吹き飛ばした。しかし魔術でできた槍は固形ではなかった。槍は輪郭がぼやけたかと思うと一瞬のうちに長く伸び、空中で曲がってライオルめがけて勢いよく飛び出した。

 ルイは考えるより先にライオルを突き飛ばしていた。床に倒れたライオルの前に立ちふさがったルイは、上空から伸びた長い凶器に胸の真ん中を貫かれた。

「う、あ」

 形を変えた長い槍はルイの背中を突き抜け、ルイは串刺しになった。

「ルイ!!」

 ライオルの悲鳴混じりの叫び声が聞こえた。次の瞬間、ルイを貫いた黒い槍はひとりでに動き、カドレックに化けていた魔族のところにルイごと戻っていった。

 ルイは宙ぶらりんになって傷口を引っ張られ、脂汗をかきながら必死に黒い槍をつかんだ。刺された胸が燃えるように熱い。口を開けているのにうまく呼吸ができない。苦しくて全身が小刻みに震えた。

 黒い足場の上に立つ赤錆色の髪の魔族は、自分の放った魔術に貫かれたルイを不思議そうに見つめた。

「すごいなお前……あいつの代わりに死ぬつもりだったのか?」

 ルイは右手に握りしめた剣で魔族の首を刺そうとしたが、彼の手の一振りであっという間に剣をはじき飛ばされてしまった。はるか下のほうで、手から離れた剣がからんと落ちる音がした。

「はっ」

 魔族は短い笑い声をあげた。

「やっぱりお前の愛情はすばらしいな」

 ルイは咳をして口端から一筋の血を流した。手足が震えて視界が白くなっていった。意識が消えかかっているのかと思ったが、実際に玉座の間が明るくなっていた。黒い壁が消えて、外の光が差しこんできたようだ。ルイの顔をしげしげと眺めていた魔族は、壁が破られたことに気づいて顔をしかめた。

「……潮時だな。引き上げるぞ!」

 彼が叫ぶと、人々を襲っていた魔族たちはばちっという音とともに姿を消した。魔術の狼もすべて霧散して消え、奇襲は始まりと同じく唐突に終わった。カドレックに化けていた魔族は、串刺しになったルイごと姿を消した。



 魔術が消えて固く閉ざされていた扉が開き、王宮を警護していた兵士たちが玉座の間に押し寄せてきた。彼らは玉座の間の惨状を目の当たりにして言葉を失った。近衛兵の大多数が無残に殺されて床に転がっている。正装した参列者や十九家の親族らが幾人も血を流して倒れ伏し、親しい者がかたわらで泣きながら名前を呼んでいる。窓ガラスは粉々に割れ、血のにおいが充満していた。

「陛下が重傷だ! すぐに運べ!」

 仰向けに倒れたヒューベル王の胸に手を押し当てて止血しながら、オヴェンが怒鳴った。兵士たちは急いで王のところに走り、数名の兵士は応援を呼びに玉座の間を飛び出していった。

 ライオルは窓辺に走り寄り、割れた窓から顔を出して外を確認した。エラスム泡の空に異変はなく、穏やかな日差しが差しこんでいる。先ほどの襲撃が嘘のように、外は静まりかえっていた。魔族たちの気配はどこにもない。

 ライオルは紙のように白い顔でその場に座りこんだ。

「ライオル様、危険です! 窓から離れてください!」

 ホルシェードが蒼白になって走ってきた。しかしライオルは窓の外を見上げたまま微動だにしない。

「ライオル様……」

 ホルシェードは座りこむライオルのそばに膝をついた。ルイとライオルの近くにいたホルシェードはすべてを見ていて、絶望にうちひしがれるライオルになにも言うことができなかった。

「おい! なにしてんだ!」

 割れたガラスをぱきぱきと踏みしめ、剣を握ったギレットが大股にやってきた。額に切り傷があり、血が頬を伝って流れている。放心しているライオルを見て、ギレットは顔色を変えた。

「やられたのか!?」
「……いえ」

 ホルシェードはゆっくりと首を横に振った。

「ライオル様はご無事です……。でも、ルイがライオル様をかばって奴らの術に胸を刺されて……そのまま奴らと一緒に消えてしまいました……」

 ギレットはぽかんとしてその場に立ちつくした。

「え……一緒に、消えた……? そりゃ……なんの冗談だ……?」

 ギレットは呆然としてライオルと同じく窓の外を見上げた。だが、ふと我に返るとライオルの胸ぐらをつかんで無理やり立たせた。

「立て。座ってる場合か」

 ライオルはギレットの手を払おうともせず、窓の外を見つめるばかりだった。ギレットは舌打ちするとライオルを強くゆさぶった。

「ぼうっとすんな王太子様! 死にたいのか!」

 ライオルは紺色の瞳を揺らし、ぽつりと呟いた。

「……せっかく王太子になれたのに、ルイがいないんじゃ意味がない……」
「……てめえ」
「胸を貫かれたんだ……すぐに治療しないと、取り返しのつかないことになる……なのに、また俺の前から姿を消してしまった……」

 ギレットはライオルに頭突きをした。傷のある額をぶつけたせいで、ライオルの額にも血がついた。

「寝言言ってんじゃねえぞ! いなくなったなら探せばいいだろうが! 命令しろ! お前にはその権限があるんだぞ!」

 ギレットはライオルの首をしめる勢いで乱暴に前後にゆすった。ライオルは眉根を寄せてギレットの手首をつかみ、服から手を離させた。

「……もちろん探すさ。この世の果てまで探しに行ってやる」

 ライオルは立ち上がったホルシェードの肩に手を置いた。

「体勢を立て直す。なんとしても、魔族共の居場所を突き止めるんだ。手遅れにならないうちに、ルイを助け出す。絶対に」
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