風の魔導師はおとなしくしてくれない

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八章 湖畔の村の子供たち

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「ギレット・ヴァフラーム!」

 広間に感嘆の声とざわめきがさざ波のように広がった。ギレットが呼ばれたことで、残るはライオル一人となった。王太子が決定した瞬間だった。ルイは背中で組まれたライオルの手が固く握られたのを見た。

 ギレットは第一部隊の班長らと共に王の前に進み出てひざまずいた。オヴェンはよく通る声で言った。

「ヴァフラーム家第三子ギレットは、海王軍騎馬師団第一部隊の隊長として、騎馬師団でもっとも優れた剣の使い手たちを率いて王領の領民を守ってきた。六年に渡って海の国を荒らし回ったチャティオン盗賊団の頭領を捕縛し、二百余名を擁する盗賊団を壊滅させた。ほかにも大罪人マグリフ・ゲールやシェーラ海賊団など、危険な犯罪者や犯罪組織を捕らえてきた。数多の危険な任務をこなしてきた鬼神のような剣の腕を、王は高く評価しておられる」

 ヒューベル王は大きくうなずいた。

「すばらしい働きだった、ギレット。お前の率いる騎馬師団第一部隊に命を救われた領民は大勢いる。突撃隊と呼ばれるお前たちは、海の国の守護者と呼ぶにふさわしい。これからも領民の安全を頼む」
「ありがとうございます、陛下」

 ギレットはそう言って立ち上がった。戻っていくギレットのあとに従う班長の一人が涙ぐんでいる。王に海の国の守護者と評されたからか、ギレットが王太子になれなかったからかはわからないが、ルイはその両方ではないかと思った。

「ライオル・タールヴィ! 前へ」

 オヴェンが王太子候補最後の一人の名を呼んだ。ライオルは組んでいた手を離して前に進み、ルイは慌ててその背中を追いかけた。

 ライオルは広間の全員の注目を浴びながら、王の前に進み出た。ルイやホルシェードたちはライオルの後ろに横並びに立った。ライオルが王にひざまずくと、ルイたちもならって膝をついた。

「タールヴィ家第二子ライオルは、海王軍騎馬師団第九部隊の隊長として魔導師の兵士を率い、ほかの隊に真似のできぬ手法で王領の安全を守ってきた。特筆すべきは、海の国の人間計四十三名を殺害したリーゲンス国の元宮宰サルヴァトへの報復である。リーゲンスに赴き、正当な王位継承者であるルーウェン・エレオノ・リーゲンス王子を擁する一派に潜入し、玉座を奪ったサルヴァトを倒して処刑に追いこんだ。そして、新しく即位したルーウェン王を奪取し、我が国に狼藉を働いたリーゲンス王家への報復とした」

 オヴェンは巻物を最後まで広げ、末尾の一文を読み上げた。

「そして、若き王ルーウェンは風の魔導師であったため、カリバン・クルスに連れて戻り、海の国に風をもたらした。王はその勇敢な行動を高く評価しておられる」

 オヴェンは言い終えると巻物をくるくると巻いて閉じた。ルイは両脇にいるカドレックとスラオが驚愕のまなざしで自分を凝視しているのを視界の端にとらえていた。だがルイはじっとこうべを垂れたまま動かなかった。

「ライオルよ、お前の戦果はすばらしい」

 ヒューベル王が言った。

「我が民の命を奪った対価として、リーゲンス王家を廃しようとする動きも出ていた。しかし、お前の働きかけによって血を流すことなく事が収まった。さて、それに関してだが」

 ヒューベル王は段差を下りてライオルの脇を通り、ルイの前で立ち止まった。

「どうぞ顔をお上げください、ルーウェン様」

 ルイはほんの少し顔を上げたが、ライオルがひざまずいたままなのでそれ以上動けなかった。ヒューベル王は小さく笑った。ルイが考えあぐねていることも全部お見通しのようだ。

「さあ、お立ちください、陛下。あなたとはずっと話をしたかった」

 ルイはゆっくりと立ち上がり、ヒューベル王と向かい合った。ヒューベル王はところどころ白髪のまじった黒髪で、目尻にしわが刻まれているが若々しく精悍な顔立ちをしていた。肩幅が広くがっしりとしていて、年を感じさせない鍛えられた体躯の持ち主だった。

「……お言葉痛み入ります、陛下」

 ルイは腰を折って丁寧に一礼した。

「俺のことを陛下と呼んでいただく必要はありません。とうに王位はしりぞいた身です」
「そうでしょうが、あなたへの敬意の印です」
「我が叔父の不始末を改めてお詫び申し上げます」
「それはもう片のついた話です。蒸し返す必要はありません。それに、あなたは海の国に十分貢献してきました。罪滅ぼしのつもりでお考えでしたら、もう結構ですからどうぞ楽になさってください」

 ヒューベル王は両手を広げて言った。

「あなたはその身にリーゲンス国の責任をすべて背負ってここに来られた。もう十分にあなたの責務は果たされました。献身的に働いてくれたあなたをいつまでも囚われの身とするのは、海の国の本意ではありません。あなたはこれより自由の身です。国に帰られるというのであれば、私が責任を持ってお送りいたします」
「俺を解放していただけると……?」
「はい、あなたの望むままに」
「では、このままカリバン・クルスに住まわせていただきたい。俺はここが好きです」

 ヒューベル王はほほ笑んだ。予想通りの答えだとでも言いたげだ。

「あなたを連れてきたライオルと共に歩む道を選ばれるのですね」
「お許しをいただけるのであれば、そうしたいです」
「もちろん結構ですよ。あなたは自由なのですから」
「ありがとうございます、陛下」

 ルイは感謝をこめて再度一礼した。ヒューベル王も礼を返し、再び段差を上がって膝をつくライオルの前に立った。

「ライオル、お前は海の国のために戦ってきた。これからもその身を捧げることを誓えるか?」
「生涯かけて海の国に尽くします」
「よし。ではお前を私の後継者と認め、王太子の地位を授けよう」

 ライオルは差し出された王の手をとった。

「拝命いたします」

 万雷の拍手がわき起こった。ライオルは立ち上がって玉座の間を振り返った。王太子候補とその参列者たち、王太子の行方を見守っていた人々全員が、ライオルに祝福の拍手を送った。オヴェンも嬉しそうに手をたたいている。ホルシェードたちも膝をついたままライオルを見上げて拍手した。

 ルイはライオルが目立つように、ちょっと脇によけて拍手した。ライオルはルイと目が合うと口端を少しつり上げて笑った。誇らしげな顔だった。ルイは胸が熱くなった。

 拍手鳴り止まぬ中、ルイはカドレックが手をたたくのをやめて、手の中に黒いものを作り出したことに気がついた。アンドラクスが黒い手枷を作り出したときとよく似ている。

 黒いなにかは一瞬のうちに長い槍となり、カドレックの手から飛び出した。黒い槍はまっすぐ飛んでいき、ヒューベル王の胸を貫いた。

 ルイはぽかんとして目をしばたたかせた。ヒューベル王はなにが起きたかわからない様子で、胸から生えた黒い槍を見下ろしている。ヒューベル王は一歩下がるとぐらりと後ろに倒れた。振り返ったライオルはあっけにとられて倒れた王を見つめた。

「……班長?」

 わけがわからず、ルイはカドレックに声をかけた。カドレックは目を見開き、ひどく嬉しそうに歯をむき出して笑った。

「やれ、お前ら!」

 カドレックは立ち上がりざまにルイの知らない声で叫んだ。一番最初に我に返ったのは近衛兵たちだった。ルイのそばにいた近衛兵は真っ青になって抜刀したが、にやりと笑った隣の近衛兵に剣で脇腹を刺されて崩れ落ちた。

「へ、陛下っ」

 オヴェンと数名の官吏が凶刃に倒れたヒューベル王に駆け寄った。いつの間にか拍手はやみ、悲鳴と怒号が聞こえてきた。

 オヴェンはヒューベル王の胸に突き刺さった槍に触れて叫んだ。

「魔術だ! 魔族の攻撃だ!」

 カドレックは斬りかかってきた近衛兵の剣をかわして空中に飛び上がった。カドレックは魔術で黒い足場を作り上げ、高みに立った。カドレックの橙色の髪はいつの間にかくすんだ赤色に変わっている。ルイが瞬きするあいだに顔も変わり、カドレックはまったくの別人になった。

「どうして……」
「ルイ、ぼさっとするな! 奇襲だ!」

 ライオルに腕を引かれ、カドレックだった男を見上げていたルイは視線を戻した。カドレックのほか、近衛兵の一人と見物客だった十九家の男一人が姿を変え、魔術を使って集まった人々に襲いかかっている。ルイは腰に下げていた剣を抜いた。
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