風の魔導師はおとなしくしてくれない

文字の大きさ
94 / 134
終章 二人だけの秘密

しおりを挟む

「あれ、ルイ?」

 ハルダートはルイがなんの反応も示さなくなったことに気づいて動くのをやめた。ルイは目を開いているが、虚空を見つめるばかりで表情がなくなっている。

「なんだ? 魔力が消えた……?」

 ハルダートはルイの頬をたたいたが、ルイは眉一つ動かさなかった。細い肢体をベッドに投げ出したまま、ルイはぴくりとも動かなくなった。

 ハルダートはルイに口づけて魔力を渡したが、なにも変わらなかった。ハルダートはルイを治そうと試行錯誤したがうまくいかず、ベッドを下りて部屋を出た。

 しばらくしてハルダートは眠そうな目のアンドラクスを連れて戻ってきた。

「なんなんだよ、こんな時間に……」

 アンドラクスはぶつぶつ文句を言いながら、ベッドに横たわるルイを見下ろした。

「あん? とうとう死んじまったのか」
「まだ生きてるよ。でも急に魔力が消えてなんの反応も返さなくなったんだ。なんでかわかる?」
「はあ?」

 アンドラクスは身をかがめてルイの顔をじっと見つめた。ルイはまだ薄く目を見開いている。

「……精神が死んじまったんじゃねえの? 精神のないただの肉の塊に魔力は宿らないだろ」

 アンドラクスはルイを頭のてっぺんから足のつま先まで眺めた。

「いや、違うな……魔力はまだここにある。けど見えなくなってるだけだ」
「見えなくなってるって?」
「精神が死んだように見せてる……というか隠してやがるのかもな。ま、ほっときゃ死ぬだろ」
「治せるか?」
「無理だな。勝手にこうなったんだろ? こいつの意志だ。どうにもならねえよ」
「ええ……」

 ハルダートは枕元にしゃがみこみ、ルイの頬をなでた。

「まだ俺のこと好きになってもらってないのにな……」

 悲しそうに言うハルダートに、アンドラクスはため息をついた。

「お前って本当にいかれてるよな……好き勝手に犯しまくっておいて、好かれるわけねえだろうが。こんな風になっちまって、完全に拒絶されてるじゃねえか」
「このまま死ぬのか?」
「だろうな」
「えー……どうしよう……」

 ハルダートは頭をがしがしとかき、考え事をしながらどこかに歩いていった。アンドラクスは人形のようになったルイの顔をつかんで虚ろな目をのぞきこんだ。

「哀れなやつ……」

 アンドラクスはそう呟くと、ルイを放してあくびをしながら部屋を出て行った。


 ◆


 ライオルは剣を握りしめ、魔族たちの隠れていた大きな屋敷のエントランスに立っていた。すぐ後ろにはホルシェードが控えている。ライオルは次々と入り口から入ってくる兵士たちに指示を与えていた。屋敷のあちこちで潜んでいた魔族との戦闘になり、屋敷の内外に火の手が上がり始めている。

「タールヴィ隊長!」

 スラオ班長が班員たちを連れて廊下の向こうからやってきた。

「前庭と向こうの屋敷はすべて押さえました。例の魔族はいませんでした」
「クント師団長は?」
「結界の外です。まだ魔族の結界を破壊しきれていません」
「わかった。師団長に合流して結界のほうを頼む」
「はい」

 スラオ班長はうなずくと外に走っていった。班員たちもそれに続いた。その直後、階上をこちらに駆けてくる足音がして、吹き抜けの階段の上からカドレックが顔を出した。

「隊長! ルイがいました!」

 カドレックは大声で叫んで自分の後ろを指さした。

「生きてます! でも……」

 カドレックは口ごもってわずかに表情をくもらせた。ライオルは迷わず階段を駆け上がった。ホルシェードもライオルの背中を追った。

「こっちです!」

 カドレックは廊下を疾走してライオルを一つの部屋に連れて行った。ライオルとホルシェードはカドレックに続いて部屋に飛びこんだ。

 部屋のベッドにはルイが仰向けに寝かされていた。ファスマーはベッドに片足をついて乗り上げ、ルイの首筋に手を当てて脈を確認している。カドレック班のほかの面々はベッドを囲んで立ちつくしている。

「ルイ!」

 ライオルはファスマーの隣に来てルイを見下ろした。ルイは目を閉じてぴくりとも動かず、顔は血の気がなく真っ白で、わずかに開かれた唇は乾燥してひび割れている。ファスマーはライオルが来ると慌てて立ち上がった。

「た、隊長……」

 ライオルはルイの首にそっと手を当てた。

「……生きてる……」
「はい……まだ息があります」
「こんな……死体みたいななりで、どうやって生きてるんだ……」

 ライオルはルイの体を覆っているシーツに手をかけた。

「あっだめですっ」

 ファスマーが慌てて止めたが、ライオルはかまわずシーツをめくった。ルイは大きなシャツを一枚着せられているだけで、下はなにも身につけていなかった。太ももには強く押さえつけた指の跡が青白い肌にくっきりと残っている。誰かが無理やりルイの足を開かせたことが見て取れた。

 ファスマーは絶句するライオルの手からシーツを取り返し、ルイの体にかけて乱暴の跡を隠した。ライオルはルイの顔を両手で包みこんだ。

「ルイ……」

 ライオルが呼びかけると、ルイのまぶたがふるりと震えた。

「ルイ!」

 ルイはうっすら目を開けた。

「ルイ、遅くなってすまなかった。助けに来たぞ。一緒に帰ろう……ルイ?」

 ライオルは必死に呼びかけたが、ルイは薄く目を開けたまま表情一つ変えなかった。ライオルは口端をひきつらせた。

「ルイ、俺の声が聞こえるか? ……見えていないのか? ルイ」

 白い顔をしたルイは瞬き一つせず、その瞳にはなにも映っていなかった。ファスマーは口をぱかりと開けた。

「カルガリ症だ……」
「カルガリ症?」
「ルイが……カルガリ症……そんな……」
「ファスマー、説明しろ。頼む」

 ライオルに強い口調で言われ、ファスマーは震える声で説明した。

「カルガリ症は、自分の魔力で心を覆って、なにも感じないようになる症状です……。見えないし聞こえないし、しゃべれません……すべての感覚をなくしてしまうんです。もうなにも感じたくないと……死にたいと思った魔導師が、陥る状態です……!」

 ファスマーは顔をくしゃりとゆがめてぼろぼろと泣きだした。

「こんなの、あんまりだ……なんでルイがこんな……し、死にたいと思うくらいひどい目に……」

 ファスマーはしゃくりあげながら袖で涙をぬぐい、後ろにいる班員に言った。

「とにかくお水……衰弱が激しいから……たぶん、魔力を与えられて生かされてるけど、しばらくなにも口にしてないんだ……」

 ショックで呆然としていた班員の一人は、慌てて背負っていたリュックを下ろして中を探り始めた。様子を見ていたホルシェードは、ルイの顔にぱたりとしずくが落ちたのを見た。

「……ライオル様」

 ライオルは泣いていた。歯を食いしばって、ルイの顔を見つめながら、静かに涙を流している。ライオルはルイを真上から見下ろしているので、涙はすべてルイの顔にぽたぽたと落ちた。誰もなにも言えなかった。あまりにむごたらしい状況だった。

「……わざわざ傷を治して、こいつをもてあそんだのか」

 ライオルは海の底からわき出るような低い声をあげた。ホルシェードはライオルの怒気を感じて背筋が寒くなった。ライオルはルイの頬を慈しむようになでると、涙を指でさっと拭いて振り返った。

「ファスマー、ルイの手当を頼む。お前たちはルイを連れて戦線離脱しろ。一刻も早く医者に診せるんだ」
「……はいっ」

 隊長の指示に、カドレック班一同は悲しみを押し殺して行動を開始した。ライオルはホルシェードに目配せすると、一緒に部屋を出て廊下を走った。

「カドレックを襲ったハルダートという魔族、そいつが四百年前に魔獣を呼び出した魔族で間違いないだろう」

 廊下を走りながらライオルが言った。ライオルはカリバン・クルスに帰還したカドレックから、ハルダートのことをすべて聞いていた。

 第九部隊と第一部隊がクントの依頼で風の吹く森に調査に行ったときのことだ。カドレックは逃げていく盗賊を追って単身森に入った。そこを背後から何者かに襲われ、反撃するまもなく拘束されて地面に倒れた。襲撃者はカドレックに謎の術をかけ、カドレックはそのまま眠りについた。

 夢の中でカドレックはライオルたちと合流し、海馬車に乗ってカリバン・クルスに帰っていた。夢の中の自分は勝手に動いて勝手に喋っていた。カドレックは必死に班員たちの名前を呼んだが、ルイもファスマーも誰も反応してはくれなかった。カドレックが別人と入れ替わっていることに誰一人気づかないまま、日々が過ぎていった。

 夢の中の自分はときどき一人でカリバン・クルスの街中に行き、人目につかないところでフードをかぶった怪しい男たちと話していた。男たちは夢の中の自分をハルダートと呼んでいた。会話の内容からすぐに彼らが魔族であり、自分は魔術をかけられて体を乗っ取られたのだとわかった。カドレックがそれに気づくとハルダートは笑い、その通りだ、でもお前にこの術を破るすべはないから黙ってろと独り言・・・を言った。

 魔族たちはこっそり集まって王宮を襲撃する計画を練っていた。カドレックは必死に第九部隊の皆の名前を呼んで助けを求めたが、どうにもならなかった。ハルダートはルイのことをよく盗み見ていた。どうやらルイとライオルの関係に興味があるらしい。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜

上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。 体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。 両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。 せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない? しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……? どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに? 偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも? ……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない?? ――― 病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。 ※別名義で連載していた作品になります。 (名義を統合しこちらに移動することになりました)

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】悪役令息の伴侶(予定)に転生しました

  *  ゆるゆ
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、反省しました。 BLゲームの世界で、推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑) 本編完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 きーちゃんと皆の動画をつくりました! もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。 インスタ @yuruyu0 絵もあがります Youtube @BL小説動画 プロフのwebサイトから両方に飛べるので、もしよかったら! 本編以降のお話、恋愛ルートも、おまけのお話の更新も、アルファポリスさまだけですー! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

【完結】お義父さんが、だいすきです

  *  ゆるゆ
BL
闇の髪に闇の瞳で、悪魔の子と生まれてすぐ捨てられた僕を拾ってくれたのは、月の精霊でした。 種族が違っても、僕は、おとうさんが、だいすきです。 ぜったいハッピーエンド保証な本編、おまけのお話、完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください! トェルとリィフェルの動画つくりました!  インスタ @yuruyu0 絵もあがります Youtube @BL小説動画 プロフのWebサイトから、どちらにも飛べるので、もしよかったら! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

【完結】弟を幸せにする唯一のルートを探すため、兄は何度も『やり直す』

バナナ男さん
BL
優秀な騎士の家系である伯爵家の【クレパス家】に生まれた<グレイ>は、容姿、実力、共に恵まれず、常に平均以上が取れない事から両親に冷たく扱われて育った。  そんなある日、父が気まぐれに手を出した娼婦が生んだ子供、腹違いの弟<ルーカス>が家にやってくる。 その生まれから弟は自分以上に両親にも使用人達にも冷たく扱われ、グレイは初めて『褒められる』という行為を知る。 それに恐怖を感じつつ、グレイはルーカスに接触を試みるも「金に困った事がないお坊ちゃんが!」と手酷く拒絶されてしまい……。   最初ツンツン、のちヤンデレ執着に変化する美形の弟✕平凡な兄です。兄弟、ヤンデレなので、地雷の方はご注意下さいm(__)m

処理中です...