風の魔導師はおとなしくしてくれない

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後日談1 噂話と謎の魔導具

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 カリバン・クルスに王太子が婚約したとの知らせが出回った。嬉しい知らせに人々は沸き立ったが、婚約者の名前を聞くと驚きの声をあげた。

 海王軍騎馬師団第九部隊にもその知らせは届いた。朝、訓練用広場に集まった隊員たちは、互いに肩をたたきあって情報を交換した。

「おい、聞いたか! 隊長の婚約相手!」
「ああ、聞いたさ! まさか……この流れでルイじゃないとか……!」
「信じられねえよな……」

 隊員たちは青い顔で話し合った。

「誰なんだよルーウェンって……リーゲンスの前国王と隊長になんの関係があるっていうんだよ……」
「関係はあるさ。隊長がリーゲンスに行ったとき、隊長と一緒に戦った当時の王子だよ。で、うちの国の人を殺した王様を隊長と一緒に倒したあと、その王子が即位したんだ。でもすぐに退位して姉の第一王女が女王になったから、前国王にあたるってわけ」
「よく知ってるな」
「井戸の前にいたご婦人方がそう言ってたんだよ。噴水広場に王宮からのお知らせが張ってあるんだって。これを機にリーゲンスとの交流が始められるそうだ」
「それってさあ……」

 ファスマーは顔をしかめて言いにくそうに言った。

「……政略結婚じゃないのか? リーゲンスと仲良くしたいからその人と結婚しろって、陛下に言われたんじゃないの?」

 その場の全員が黙りこんだ。鬱々とした空気がただよった。

「……きっとそういうことだろうなあ……」
「そんな……ルイがかわいそう過ぎるだろ……隊長の命を救ったのはルイなのに……」
「さすがの隊長も王の命令には逆らえなかったか……」
「だからってこんなのひどすぎる……」

 うなだれていた隊員たちは、ルイとホルシェードがやってきたことにも気づかなかった。ルイは沈痛な面持ちでぼそぼそと話し合う仲間たちを見て、ホルシェードと顔を見合わせた。

「どうしたんだろ?」
「さあ?」

 ホルシェードは首をかしげ、隊員たちの前に立って咳払いをした。

「おはよう」

 ホルシェードが声をかけると、話しこんでいた隊員たちは派手に飛び上がった。

「ライオル様は本部に呼ばれていてちょっと遅れるから、俺が朝礼を始める」

 ルイはそわそわしながら皆の後ろに並ぼうとした。だが、ルイを見つけた隊員たちにたちまち囲まれてしまった。

「え、な、なに?」
「ルイ……」

 ルイは辛そうな顔の隊員に肩をぽんとたたかれた。

「俺たちはお前の味方だからな」
「そうだぞ。辛いときは呼べよ。いつでも駆けつけるからな」
「それは……ありがとう……?」

 妙な態度の仲間たちに、ルイは目をぱちくりさせた。全員ホルシェードそっちのけでルイを取り囲んでいる。ホルシェードも困惑した様子で、朝礼を始められずにいる。

「どうしたんだ? 皆変だよ? なにかあったのか?」

 ルイがたずねると、ジェルコに脇をこづかれたファスマーが気が進まない様子で口を開いた。

「その……隊長の婚約の話なんだけど……」
「ああ。もう聞いたんだな」
「知ってるのか?」
「そりゃ、もちろん」

 ルイは照れて頬をかいた。

「そういうことになったんだ。驚いたよね」

 ルイは照れ隠しににやりと笑った。だがファスマーも誰も笑わなかった。ルイはなにかまずいことを言ったかと不安になって笑みを引っこめた。

「あれ……?」

 てっきりおめでとうと言われると思っていたルイは焦り始めた。もしかしてファスマーたちはルイとライオルの結婚に反対なのだろうか。

「ルイ、まさか、知らないのか……?」

 ファスマーが言った。

「なにを?」
「隊長の婚約相手だよ」
「えっ?」

 ルイは急に怖くなってきた。なにかがおかしい。

 ファスマーは深く息を吸いこみ、一息に言った。

「隊長はルーウェン・エレオノ・リーゲンスと結婚することになったんだよ!」
「うん……ん?」

 ルイはきょとんとして頭の中を整理し始めた。ファスマーの言っていることは正しい。だが、なにか根本的なところが間違っている気がする。

 ファスマーはルイが混乱しているのを見て青ざめた。

「や、やっぱり知らなかったんじゃないか……」

 ファスマーは哀れんだ目でルイを見つめた。その様子を見て、ルイはある可能性に行き当たった。

 ルイは周りをきょろきょろと見回した。そして、ルイを囲む隊員たちの後ろにカドレックとスラオが並んでいるのを見つけた。二人とも口に手を当てて笑いを押し殺している。

「……カドレック班長」
「ど、どうした?」
「どうしたじゃないですよ……。ねえ。スラオ班長も。あなたたち知ってますよね? 王太子選定の儀にいたんだから」
「んー?」

 スラオはしらじらしく首を傾けた。

「ちょっと! なんで教えてあげないんですか!」
「おもしろいから」
「スラオ班長! え、待って、本当に誰も教えてあげてないんですか!?」

 王太子選定の儀には第九部隊から五人の班長が出席していた。その全員がオヴェンの話を聞いている。ルイの本当の名前を知らないはずがない。

 王太子選定の儀が襲撃されてルイがさらわれ、しばらくは話どころではなかったかもしれない。だが、扉を閉じて平和になった今なら、いくらでも話す機会はあったはずだ。

 カドレックとスラオはこらえきれずに笑いだした。少し離れたところでほかの班長たちも笑いだした。ファスマーやほかの隊員たちはぽかんとして、急に笑い始めた班長たちを見つめている。

「あきれた……」

 ルイは部下をからかって遊んでいる意地の悪い班長たちを白い目で眺めた。

「……俺が話そう」

 一部始終を聞いていたホルシェードがため息混じりに言った。

「いいかお前ら。ルーウェン・エレオノ・リーゲンスというのは、そいつの本名だ」

 ホルシェードはルイを指さした。

「ルイはライオル様に連れられてやってきたリーゲンスの元国王だ。ルイ・ザリシャというのはライオル様がつけた偽名だ。あのときはまだリーゲンスに対する反感が大きかったから、ルイに危害が及ばないようにというライオル様の配慮だったんだよ」
「そういうこと」

 ルイは大きくうなずいて見せた。ファスマーたちは驚愕のあまり言葉も出ない。

「ルイはずっとただの風の魔導師として過ごしてたけど、王太子選定の儀でライオル様の戦果が発表されて、ルイのことも周知された。だからそこで笑ってる班長たちはとっくに知ってたんだよ。お前ら、一発ずつ殴っていいぞ」

 ホルシェードはカドレックたちを指さして言った。ファスマーはまだ状況が飲みこめないらしく、おずおずと言った。

「えっと……つまり、ルイがルーウェン・エレオノ・リーゲンスってことですか……?」
「そうだ」
「じゃあ、隊長と婚約したのはルイってこと……?」
「そうだ」

 ファスマーたちはみるみるうちに破顔した。

「なーんだ!」
「よかったー! そうだったのか!」
「なんだよじゃあめでたいことじゃないか!」
「ルイ! よかったな!」
「おめでとうルイ!」

 あちこちから伸びてきた手に、ルイは容赦ない力でばしばしと背中や頭をたたかれた。誤解が解けて皆安心したようだ。ルイは大好きな仲間たちに全力で祝われ、嬉しさで胸がいっぱいになった。

「ありがとう、みんな」

 ルイは心からの感謝を告げた。

「てことはルイって地上では王様だったの? とてもそうは見えないけど」

 ファスマーが言った。ほかの皆もうんうんとうなずいた。

「本当だって!」
「え、じゃあ陛下って呼んだほうがいい?」
「それはやめろ」
「というかお前、ずっと偽名を名乗ってたのかよ」
「あ! だからキリキアの集団誘拐事件のとき、ルイはアンドラクスの魔術にかからなかったのか。ヴァフラーム隊長でさえ名前を縛られて操られたのに、ルイが操られなかったのはおかしいと思ってたんだよなあ。本名を名乗ってなかったからなのか」
「なるほど! てことはルイが実はすごい力を秘めてるんじゃないかって説、やっぱり違ったじゃねえか」
「名前が違うって発想はなかったよな」
「ギレットはすぐに気づいたけどな」

 ルイが苦笑しながら言うと、ファスマーは目を丸くした。

「え、そうなのか?」
「ああ。キリキアでお前は誰なんだって問い詰められて、全部白状させられた」
「へえ、さすがヴァフラーム隊長。じゃ、あのときからヴァフラーム隊長はお前のことを知ってたんだ」
「そうだよ」
「ほかには誰が知ってたんだ?」
「ほかはテオフィロとオヴェン軍司令官と……あのときフルクトアトにいたオヴェンの部下たちくらいかな」

 ほかにも何人か正体を明かしてしまった人はいるが、数えるほどしかいない。彼らからルイの素性が暴露されることも危惧していたが、杞憂に終わった。もっとも、突拍子もない話なので言ったところで誰も信じなかっただろうが。

「それはそうと、お前って王様をやめてまで海の国に移住してきたんだよな? どうしてそんな決心したんだ?」

 カドレックが不思議そうに言うと、ファスマーはぷっと吹き出した。

「班長、そんなの決まってるじゃないですか。タールヴィ隊長のことが好きだったから追いかけてきたんですよ!」
「いや?」

 間髪入れずルイは手を振って否定した。

「俺、ライオルに誘拐されてここに来たんだよ」

 その場の全員が顔色を変えた。

「え……? 誘拐……?」
「うん。俺、自分の意志でここに来てないよ。リーゲンスで俺が即位したあと、ホルシェードがこっそり海の国に手紙を送って俺をさらう算段をつけてたんだ。それで、オヴェンに呼び出されてフルクトアトの海中屋敷に行ったら、ライオルに海の中に突き落とされて連れ去られた。ライオルは俺の護衛としてすぐそばにいたから、あっさりやられたよ」
「ええっ……」
「リーゲンスの王が海の人間を殺したんだから、王の命で償えってことだったんだよ。それで、ずぶ濡れでオヴェンの足元に転がされてさ。約束通りリーゲンス王の首を持ってきたぞ! ってライオルがオヴェンに言ってた。うれしそーに」
「く、首……」

 衝撃の事実に、カドレックたちは呆然と立ちつくした。ホルシェードは申し訳なさそうに頭をかいた。

「……あのときは乱暴にして悪かった」
「はは、もういいよそんなの。それより、オヴェンに殺されないように取りはからってくれて助かったよ」

 ルイは笑って言った。ホルシェードもつられてにやりと笑った。一方、ファスマーたちは青い顔でまだショックから抜け出せていない。
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