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後日談2 星の見えるところ

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 緊張がとけたルイは、すっかり冷めてしまったお茶を一口飲んだ。ライオルはのんびりし始めたルイに声をかけた。

「おい、お前はなにも聞かなくていいのか? 帰ってからまた騒ぎ出すのだけは勘弁しろよ」

 そう言われ、ルイはなんのために予定を早めてまでリーゲンスに来たかったのかを思いだした。

「あっ、そうだった! イオン、きみの婚約のことだけど――」

 ルイが言いかけたとき、応接室の扉がノックもなしにいきなりバンと開かれた。

「ルイが戻ってきたって!?」

 前触れもなく扉を開け放ったのは、身なりの良い全体的にきらきらした美青年だった。よく手入れされたつやつやの金髪に甘い顔立ちで、深緑のマントを小粋に羽織っている。ルイはあっと声を上げて勢いよく立ち上がった。

「エンデュミオ……!」
「ルイ! やあ、久しぶりだね!」

 エンデュミオは屈託のない笑みを浮かべ、ルイにぶんぶんと手を振った。エンデュミオの背後から、近衛兵が困った様子で遠慮がちに声をかけた。

「殿下、今女王陛下は海の国の……」
「わかってるって。少しルイと話したいだけだから」

 エンデュミオはそう言うとすたすたと応接室に入ってきた。ルイは体をこわばらせたが、エンデュミオはルイではなくイオンに歩み寄り、慣れた手つきでイオンの手をとった。

「やあ、イオン。今日のきみも最高にきれいだ」

 エンデュミオは低い声で囁くように言うと、イオンの手の甲にキスを落とした。ルイは歯ぎしりをしてエンデュミオをにらみつけた。

「ルイが戻ってきてよかったね。俺もとても嬉しいよ」
「ありがとう、エンデュミオ。予定より早く着いたのね」
「ああ。そしたら少し前にルイが帰ってきたって聞いたから、急いで来たんだ」
「そうだったのね。それで、こちらの方が海の国の王太子殿下よ」
「えっ」

 イオンばかり見つめていたエンデュミオは、やっとライオルの存在に気がついたようだった。ライオルはすっとソファから立ち上がって一礼した。エンデュミオは足早にライオルの前にやってきて、軽く膝を曲げて深々とお辞儀をした。

「エンデュミオ・ラディト・フェデリアと申します」
「ライオル・タールヴィです。初めまして」
「初めまして……」

 ライオルを間近で見たエンデュミオは、その整った目鼻立ちに目を奪われたようだった。エンデュミオも美青年だが、ライオルには他の人にはない迫力があるので、正面から見ると気圧されてしまう。だからライオルは普段から笑顔でいるように心がけていた。

「きれいな方ですね」

 エンデュミオは率直にほめた。ライオルはふっと笑った。

「それはどうも」
「俺もフェデリアでは美貌の王子として有名ですけど、あなたには適わないなあ……。ルイとご婚約されたんですよね?」
「そうです。それで今日は、女王陛下にご挨拶に来たんです」
「そうでしたか。それはお邪魔しちゃって、失礼しました」
「構いませんよ。あなたにもご挨拶するつもりでしたから」
「本当ですか。ありがとうございます」

 エンデュミオはうらやましそうにライオルの顔を見つめていたが、ぱっとルイのほうを向くとひらりと手を振った。

「ルイ、またあとで話そうね。今日はこれで失礼するよ」
「あ……」

 ルイがなにか言う前に、エンデュミオはさっさと退室してしまった。まるで嵐のようだった。入り口の扉が閉められると、ルイとライオルは再びソファに座った。

「あの、イオン……彼のことだけど」

 ルイは閉じられた扉を立てた親指で指して言った。

「最近あいつと婚約したんだよね……?」
「ええ、そうよ。びっくりした?」
「そりゃ驚いたよ。なんでそんなことになったの?」
「以前からあったお話だし、自然な流れでそうなっただけよ。本当は私が向こうに嫁ぐ予定だったけど、即位して国を離れるわけにいかなくなったから、向こうに来てもらうことになったの」
「……イオンはそれでいいの?」
「どういう意味?」
「その……納得してるのかなって。イオンなら縁談はいくらでもあるだろうし、好きでもない相手と無理に結婚することもないと思うんだけど……」

 イオンは形良い眉をきゅっと上げて目をぱちぱちさせた。

「あら? 私たち、エンデュミオとは昔から仲が良かったじゃない。お互いのことをよく知ってるし、いい話だと思ってるけど?」
「そ……そうなの? じゃ、イオンはあいつのこと、す、好きなのか?」
「好きよ」

 ルイは言葉を失った。てっきり嫌々結婚させられることになったのだとばかり思っていたが、イオンは涼しい顔で婚約を受け入れている。むしろエンデュミオを好ましく思っているようだ。

 ルイは大事な姉があんな男・・・・と結婚するなど断固反対だったが、仲むつまじい様子を見せつけられた上、本人の口から好きだと言われては、もうなにも言うことができなかった。

「そういえば……ルイ、あなたアドルフェルドのことはどうするの?」
「えっ?」

 ルイはきょとんとしてイオンを見た。

「ハウカ家の? 別に今さらどうもしないよ」
「なにか話はしたの?」
「してないよ。そんなのとっくに終わった話だろ?」
「いや……正式には生きてる話だと思うわよ? あなたは私に王位をゆずったんだから、復活したっておかしくないわ」
「ええっ?」

 ルイはまったく気にしていなかったことを掘り返されて度肝を抜かれた。名前を聞くのも久しぶりで、一瞬誰のことかわからなかった。

 にわかに焦り始めたルイを見て、ライオルは不思議そうに言った。

「ルイ、なんの話だ?」
「え、えっと……アドルフェルドは、その……婚約者だ」
「婚約者?」
「うん」
「誰の?」
「……俺の」
「はあ!?」
「え!?」
「えっ!?」

 ライオルとホルシェードとテオフィロの驚きの声が重なった。

「どういうことだ! お前、ほかに男がいたのか!?」
「違うって、誤解だよ! あの、元婚約者だよ! 俺が王子だったときの!」

 ルイは慌ててライオルたちに説明した。

 ルイがまだ王子として城で暮らしていたころのことだ。ルイの母レーチェは、病を患いながらもルイの行く末を案じ、亡くなる前にサルヴァトにルイの結婚相手を探すよう頼んでいた。サルヴァトはレーチェの死後も彼女との約束を守り、ルイの結婚相手を探し続けた。

 その話を聞きつけて立候補してきたのが、ハウカ侯爵の息子アドルフェルドだった。アドルフェルドはとあるパーティーでルイを見て一目惚れし、それからずっと恋情を募らせていたらしい。アドルフェルドはサルヴァトに熱心に頼みこんだ。

 ハウカ家はリーゲンスでもっとも裕福な貴族の一つだ。ルイの父、アムルタ王の祖母もハウカ家の出身で、王家との関わりも深い。悪い話ではなかったので、サルヴァトは彼との縁談を進めた。

 それを聞かされたルイは、結婚相手が女性ではないことに驚愕した。海の国と違い、地上で同性婚はほとんど聞かない。しかし、家同士のつながりを重視する貴族社会では、まれに同性を伴侶として受け入れることがある。財力のある者は複数の妻をめとることができるので、世継ぎは第二、第三の妻に産んでもらえばよいからだ。

 アドルフェルドはルイに会いに城までやってきて、自分がどれだけルイのことを愛しているかを語った。アドルフェルドはハキハキとよくしゃべり、自信に満ちあふれていた。自分と結婚したらこんな生活をさせてあげるだの、こんな屋敷を建ててあげるだの、ルイにあらゆる贅沢をさせることを約束した。

 城に引きこもっていたルイと違いアドルフェルドは活動的で、流行にも詳しかった。無限に出てくるのかと思うほどの贈り物を次々とルイに見せては、品物の価値を自慢げにこんこんと語った。

 ルイはアドルフェルドの熱意にただうなずくことしかできなかった。こんなに魅力的な人が、なぜなにもできない自分を伴侶にしたがるのか理解できなかった。王族に近づきたかったのだとしても、名ばかりの王子で権力もないに等しいルイを迎えたところで大した地位向上は見こめない。むしろハウカ侯爵のほうが発言力があるだろう。

 ルイはほとんどなにも喋らなかったが、アドルフェルドはルイが自分の話を聞いてくれるだけで大満足のようだった。アドルフェルドはルイを謙虚でかわいらしい方だとほめた。

 しばらくして、正式に婚約が決まったとサルヴァトの従者から聞かされた。しかし、その後サルヴァトが反乱を起こし、すべてはうやむやになった。反乱が鎮圧されて王家の末席にいたルイが玉座につくことになり、ハウカ家に嫁ぐ話はその時点でなくなったはずだった。

「……と、いうわけだ。あれから一年以上経ってるし、もう向こうだって忘れてるだろ」

 ルイが言うと、イオンはあきれたように首を横に振った。

「甘いわねえ……あの人、あなたのこと本当に好きだったと思うわよ? あの尋常でない贈り物の量……あなたの部屋の半分が埋まってたじゃない。それなのにすぐ忘れられるはずがないわ」
「そうかなあ……俺には一時の気の迷いとしか思えなかったけど……。結局二回くらいしか会わなかったし……」
「あなたは自分に向けられる感情に疎すぎるのよ、まったく……。とにかく、あなたは海の国に生きる道を見つけたんだから、ハウカ家とはきちんと話をつけておきなさい」
「わかったよ……」

 ルイはしぶしぶ了承した。気が重かったが、仕方がない。書簡でも出して、詫びの言葉を送っておけばいいだろう。

 イオンはライオルをちらりと見た。

「ライオル、ごめんなさいね。ルイも隠してたわけじゃないのよ。気を悪くしたかしら」
「いえ別に。王族なのですからそういう話があって当然でしょう」
「ふふ……あなたはいつだって冷静ね」

 ライオルは軽くほほえむと、お茶のカップを優雅に口に運んだ。だが、持ち上げたカップが小刻みに揺れてお茶が跳ねていた。

「ライオル様、こぼれますよ」
「黙れテオフィロ」
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