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八章 安全で快適な暮らし
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しおりを挟むやすりまでしっかりかけてもらい、スイは元通り丸くなった爪をしげしげと眺めた。これでこれ以上被害は出ない。
「スイ」
呼ばれて振り向くと、なぜかバルトローシュが手にねこじゃらしを持っていた。よく見ると庭に生えているねこじゃらしに似た草だ。先端のふわふわしたところが妙に気になって目が離せない。
バルトローシュはゆっくりとねこじゃらしを左右に振った。スイはそれを目で追った。なぜか体がうずうずする。
スイが前のめりになってねこじゃらしを見つめていると、バルトローシュはねこじゃらしをテーブルの上でさっさっと素早く動かしはじめた。すると手が勝手にそれを捕まえようとたしったしっとテーブルを叩きはじめる。
「あれっなぜに」
「ほらこっちだぞ」
「あっ手が勝手にっ」
スイが自分の行動に困惑していると、バルトローシュはやっぱりなと呟いて腕組みをした。
「猫族以外が猫族用の風邪薬を飲むと、体質が合わないせいで猫みたいになってしまうんだ。そんな風に」
「……猫? 猫族じゃなくて、猫そのものになっちゃうのか!?」
「一時的にね。ほかの獣人族が飲んでもそこまで影響ないらしいけど、お前の行動を見る限り完全に猫になってるなぁ」
猫族ではなく猫になるとは知らなかったスイは衝撃を受けた。こんなはずではなかった。
「とりあえず副作用が消えるまで寝室でおとなしくしてなさい。これあげるから」
スイはバルトローシュにねこじゃらしをもらい、とぼとぼと寝室に入った。
◆
夜、スイは丸くなって毛布にくるまりうとうととしていた。そこへがちゃりと寝室の扉を開ける音がして、スイはぴくりと耳を震わせて目を覚ました。同時に頭からかぶった毛布ががばっとはぎ取られる。そこには団服姿のエリトが立っていた。
「本当だ、猫になってる」
エリトはスイの全身を眺めて驚いた様子で言った。スイは上半身を起こしてエリトを見上げる。
「あ……お、おかえり……」
エリトははぎとった毛布を大ざっぱに丸めてベッドの端に放り投げ、スイの頭に生えた猫耳を指でつまんだ。
「花族に精霊族に今度は猫族? どれだけ詰めこめば気が済むんだお前」
「…………」
「ややこしいことにしやがって」
あきれたと言わんばかりの深いため息。スイの三角耳がしゅんと垂れる。
「ヴェントンから食前酒とつまみを受け取ったから、お前もこっちに来て食べろ」
「うん……」
スイはエリトに続いて居室に入った。入ってすぐ、カーテンがなく剥き出しで割れた窓が目に飛びこんできた。床に落ちたガラス片はすべてきれいになっているが、壊れた窓はそのままだ。
「明日大工を呼んで直すってさ」
スイが窓を見つめていることに気づいたエリトが言う。スイは静かに窓辺に近づいた。割れたガラスの隙間から夜風が吹きこんでくる。
「すまない……。ちょっと寒いな……」
「一日くらい平気だろ。それより問題はお前の頭のそれと尻のそれだよ」
そのとき、割れた窓から一匹の羽虫が部屋に入ってきた。スイはその虫めがけて飛びかかり、虫を追って勢いよく書斎机に飛び乗った。机の上にあったインク壺が割れてインクが飛び散り、数枚の書類が床に散らばる。
「あーっ!」
エリトの悲鳴もスイの耳には入らない。虫を捕まえたらエリトに褒めてもらえるに違いない、という考えがスイを支配していた。
羽虫はスイの手をかいくぐって逃げていく。スイは書斎机からソファに飛び移り、さらにジャンプしたが思ったより高く飛べず、ソファの背もたれに足をひっかけて向こう側に落下した。鈍い音を立てて床に落ちたスイの首根っこをエリトがむんずとつかんで捕獲した。
「やめろこの馬鹿猫! これ以上部屋を荒らすな!」
そのままソファに放り投げられる。目の前に仁王立ちになったエリトを見てスイはすくみ上がった。
「ヴェントンに聞いたぞ! 俺に頼まれたって言って猫族用の風邪薬を買いに行かせて、飲むなって言われたのにそれを飲んだんだって? 俺はそんなこと言ってねえし、なんでそんな嘘までついてこんな馬鹿なことしたんだ!」
スイはソファに正座してうつむいた。怖くて顔を上げられない。エリトに気に入られようと思ってしたことがまるで正反対の結果を招いてしまった。自分が情けなくて恥ずかしくて、スイはふるふると震えた。
「黙ってないでなにか言えよ」
怒気のこもった声に怯えながらスイはおずおずと口を開いた。
「その……お前が猫耳が好きなんだと思って……。それで、猫族になれば喜ぶかと思って……」
「……?」
「猫族用の風邪薬を飲めば一時的に猫族になれるって聞いたことがあったんだ……。でもその話が間違ってて、猫族じゃなくて猫そのものになっちゃったんだ……」
「いやちょっと待て、俺が猫耳が好きってどういうことだ? 誰がそんなこと言ったんだ?」
「……違うのか?」
スイはそっと顔を上げてエリトを見た。エリトは眉根を寄せて意味が分からないという表情をしている。
「だって猫族の青年と仲よさそうにしてたじゃないか」
「猫族……?」
「ここのところその人の馬車で一緒に帰って来てただろ。二人で楽しそうに喋ってたじゃないか。昨日なんか帰ってこなかったし……」
エリトは口を開いたがなにも言わずにまた閉じた。答えてくれないエリトに猜疑心がむくむくと膨らんでくる。
「……そういうことだろ? お前、おれに飽きてきてあの人のほうがいいって思い始めたんじゃないのか?」
「…………」
「猫族はかわいいって人気だもんな。だから……おれも猫耳が欲しくなったんだよ。まさかこうなるとは思ってなかったんだ!」
言っているうちに悲しくなってきて、スイは咎めるように声を荒げた。エリトはしばらく黙っていたが、不意に横を向いて吹き出した。
「なに笑ってんだよ」
「はは……嘘だろお前……馬鹿すぎ……」
「はあ? うっ」
急に勢いよく抱きしめられてスイは息を詰まらせた。痛いくらいに抱きしめられて腕の中でもがいたが全然離してもらえない。
「ちょっ、痛いってば!」
「なんだよこいつ……馬鹿すぎ……かわいすぎ……」
「な、なんだってぇ?」
「あの人は王族の方だよ。任務でしばらく護衛についてただけだ。俺のことを気に入ってわざわざ家まで送ってくれる奇特な方だけど、別に個人的に親しくできるような間柄じゃねーよ」
スイはぴたりともがくのを止めた。
「……そうなのか?」
「おお。というかあの人は狐族だぞ? 猫族より耳がでかかっただろ?」
「……ん!?」
「あと昨日は別件で作戦会議があって帰れなかったんだよ。嘘だと思うならフラインに聞いてみろ」
「…………」
まさか全部勘違いだったというのか。エリトはただ仕事をしていただけで、しかもあの人は猫族ですらなかったのか。
最初から最後までまったくもってスイの空回りだったようだ。スイは頭の中が真っ白になった。
「そんなに気にするくらいなら俺にあれは誰なんだって一言聞けばよかったのに。馬鹿だな」
エリトはおかしそうに笑う。
「まさか家の中にいるのにまだやらかすとは思わなかった」
「…………。……ごめん。悪かった」
「だめ。許さん」
そう言ってひょいとスイを抱え上げる。
「お、おいっ」
「こんなに大事にしてやってんのにそんな風に考えるんだもんなー」
エリトは彼の大切な猫をベッドに座らせた。
「脱げ」
「な、んで」
「状態を確認するから」
スイはしぶしぶエリトの言う通り服を脱いだ。エリトは裸で耳を伏せ居心地悪そうにするスイをじっと見つめ、ベッドにうつ伏せに転がしてしっぽに触れた。
「う……」
長いしっぽをゆっくりなでられると背筋がぞわりとあわ立つ。あまり気分のいいものではなかったが、黙って耐えた。
「ふーん、しっかり生えてるな」
「う、あ」
しっぽの付け根を指でいじられてスイは体を震わせた。
「気持ちいい?」
「ばかっ」
少し赤くなりながらエリトをにらむと、エリトはくくっと喉を鳴らして笑った。
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