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惹かれ合う二人

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 今度はを取り付けた二人。

 それから彼らは少なくとも週に一度は会うようになり、語らったり磯遊びをしたりするうちに、お互いを特別な存在として意識するようになっていきました。

 待ち合わせは決まって六角形の大岩の前。二人の思い出の場所です。しかし、ずっと水の中にいては彼女の体が冷えてしまいます。

 ゆえに、大半の時間をその近くの平たい岩に並んで腰掛けて過ごしました。

 そこはまるで、二人のためだけに誂えられた特等席。気持ちを伝え合って恋仲になったのも、初めて口付けを交わしたのも、全部その岩の上でのこと。

 若い恋人たちは、世界の隔たりなど最初からなかったかのように触れ合いを重ねます。

 彼女はじゃれあいの一環として、彼の首や肩に噛み付くことがありました。

 『想いが溢れてどうしようもなくなるたびに、愛咬を繰り返してしまうようだ』と彼女は申し訳なさそうに言います。

 その言葉どおり、互いに忙しく会えない時間が長いほど彼女は彼を強く噛みましたが、彼にしてみればそんな癖など可愛いもので、いつでも好きなだけ齧ることを許していました。

 彼女の心は常に愛情のみで満たされていたわけではなく、それを覆い隠すほどの不安が渦巻いていました。彼女にとって彼は恋人である以前に、初めて出来た同年代の友達でもあったのです。


 

 彼女の住まう海沿いの小さな村には、自分の足で満足に歩けないお年寄りたちが身を寄せ合って生活していました。

 そこには彼女を除いてただの一人も若者はおらず、立派な埠頭と港湾施設だけが、かつて漁村として栄えていた時代の名残を留めています。

 元々、内陸部の小さな町の出身だった彼女は、生まれてすぐに孤児院に預けられました。

 気の優しい職員と子供たちの集う施設でしたが、誰とも深く関わらないまま、一年、五年……と時が過ぎていきます。

 月日は流れ、施設を出て独り立ちする年齢に達した彼女。職種や就職先の希望もなかったため、職員によって割り当てられた、現在住んでいる村での仕事に就きました。

 元は漁村として栄えたこの村には、全国から歩行困難者が集められていました。より正確にいうのであれば、足の不自由な六十歳から八十歳までの高齢者たちです。

 このように、この国の民たちは、不自由な身体部位、それから二十刻みの年齢ごとに居住区が定められており、各地にこの村同様の市区町村が点在しています。居住地を選択できる権利を有しているのは、五体満足である者のみでした。
 
 彼女が請け負った仕事とは、買い物など足の不自由な村人たちの生活の補助をすること。

 もちろん、彼女以外にもその役目を負っている人はいましたが、彼らは近隣の村々に住む者たちです。

 その人たちと同様に、すぐに駆け付けられる距離であれば、どこに住むのも自由でしたが、寂れた倉庫街を抜けた先で一望できる海をいたく気に入った彼女は、その村に引っ越すことを決めました。
 
 村人たちは、たとえ時間が掛かろうと、どんな事も可能な限り自力で行おうとする人たちです。

 彼女は彼らの意向を汲み、あくまでも力を合わせるかたちで彼らと関わるよう努めていました。そのため、誰もが彼女を信頼し、旧知のごとく彼女に親しんだのです。

 彼女もまた、村人たちのことをとても大切に思っていました。しかし、彼らとは年齢が何十歳と離れています。

 一緒に働く人たちも、一番年の近い人でさえ世代が違っているほど。施設にいた時代は誰ともつるまないようにしていた彼女ですが、就職以降は、その選択肢すらも残されてはいませんでした。

 年齢で他人を決め付けることはないにせよ、やはり年の近い者同士でしか通じ合えない事柄もあるのだということを、彼女は施設を出てはじめて思い知りました。

 しかし、巡り会ったのです。この先一生、持つことはできないかもしれないと諦めていた、同年代の友達に。

 彼には告げていませんでしたが、彼女は一日のあいだに何度も海へ通うようになっていました。会える確率を少しでも上げたい一心で、暇さえあれば海辺へ駆けていき、海面の揺れを見つけては期待に胸を膨らませ、彼が現れるのを心待ちにする日々。

 恋心が芽生えるまでもなく、初めて会った日から、彼は彼女の特別でした。

 一方、彼が彼女に抱いた第一印象というのは、特別なものではありませんでした。偶然辿り着いた先に居合わせた人間。それ以上でもそれ以下でもなかったのです。

 しかし、彼女の瞳に閉じ込められた美しい夕陽をまた見たいと思ったのは本当でした。ただの夕陽は海から顔を出しさえすれば毎日見られますが、あの夕陽を見るためには彼女といる必要があります。

 また、彼は彼女の寄せる好意の片鱗に気付いていました。それが幼い頃から大量に押し付けられてきた打算まじりの不純物などではなく、純粋な思慕だということにも。

 初めこそ、彼女は人魚という物珍しい異種族に対する好奇心に突き動かされたのかもしれません。

 しかし、もしそうであっても、彼女が立場など関係なしに自分自身を見てくれる稀有な存在であるということも、彼にとっては無視できない事実です。そんな彼女に思いを寄せられていると思うと、悪い気はしませんでした。

 それに、彼女は自身の仕事について本当に楽しそうに語るのです。義務感だけで公務をこなす自分が恥ずかしくなるほどに、彼女は勤勉で努力家でした。

 彼もそんな彼女に対し、すぐに好感を抱きました。しかし、それだけではありません。敬愛とも言い換えられるその好感が瞬く間に恋情へと変わったのには、他にも理由があります。
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