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第十三話 芽瑠川碧の事情 赤いパンツのおじさん編
しおりを挟むタオがスマホを買い替えたいと言うので、僕と機械に詳しいルカを連れて元町まで来ていた。
アオが休暇中なので、お店は紅に任せていた。
三宮ではなく元町まで来た理由は、ルカの知り合いに携帯ショップで働いている人がいて、安く手に入るからというのでここまでやってきたのだった。
街中から少し離れた場所にあるビルの1階のテナントにその店はあり、立地の悪さも安さの理由なのかなと一人で納得していた。
店に入ろうとしたその時、向かいのビルに入ろうとするアオの姿が見えた。
「お、アオさん発見。呼んでみましょうか?」
「ちょっと待って!」
タオが慌てて僕を制した。
「どうしたんですか?」
「いや、あのビル確か……」
そう言って、怪訝そうな顔をしてアオを見つめていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
名前 芽瑠川碧
年齢 19歳
性格 温厚
特徴 頭脳明晰
職業 アイドル、カフェ店員
将来の夢 SM女王
アオは比較的裕福な家で生まれ育った。
父は総合病院に勤める優秀な医者、母はそんな父を支える典型的な良妻賢母の専業主婦で、親の愛情も十分に与えられ幼少時代から何不自由することなく過ごしていた。
アオ自体も学業の成績は良かったが、親の意向もあり家から近いという理由で県内の中高一貫の女子校に進学した。
そこでも常にトップの成績を誇り、進学コースに進み国立の大学を目指すことにした。
そんな順風満帆なアオだったが、高校3年の学習塾の夏季合宿の時に転機は訪れた。
とある島の7泊8日の短いプランの合宿で、6泊目までは無事に過程を終えたのだが、最終日に台風が近づいていてフェリーの運航が危ぶまれている理由で7泊目は中止となり途中で帰宅することが決まった。
帰りに売店で、親のお土産に島レモンクッキーを買って、フェリーに乗り込んだ。
その日父は仕事が休みで、両親ともに家にいるはずだったがアオは連絡しなかった。
いきなり帰って親を驚かせてやろうという、ちょっとした遊び心だった。
送迎バスで家の近くまで送ってもらい10分ほど歩き家に辿り着いた。
玄関のドアをそっと開け中に入るとリビングには誰もいない。
2階の方から何か物音がしたので忍び足で上の階に上がっていった。
寝室から泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
恐怖で足がすくんでいたが戻るわけにはいかない。
一歩一歩進み寝室のドアの前に辿り着いた。
ドアは少しだけ開いており中の様子が見えた。
父と母が性行為をしていた。
17歳にもなれば、いくら純真無垢なアオでもそのくらいは理解できた。
だが、初めて見る親の性行為は、想像していたものと様子が違った。
母は両手を後ろに縄で縛られ、父は右手に鞭、左手に蝋燭を持って、母の背中に蝋を垂らしては時折尻を鞭でぶっていた。
忘れられないのは二人の表情だった。
母は泣き叫んでいたが涎を垂らし恍惚の表情をして、父はその母を見ては満足そうに薄ら笑みを浮かべていた。
アオはそっと寝室を出た。
体中の血液が体内を駆け巡り、カーっと熱く煮えたぎる感覚があった。
そこからどうやって辿ったのか一切覚えていないが、港の方に来ていた。
海を眺めていると、ふと先程の光景が蘇ってくる。
自分の知らない父と母だった。
涙がとめどなく溢れだす。
吐き気が遅い、胃の中の物を全部吐いた。
近くで釣りをしていた老人が心配して声をかけてきたが、軽く会釈だけしてその場を立ち去った。
落ち着きを取り戻してはいたが、家に帰るつもりはなかった。
繁華街に向かい、なぜだか初めてゲームセンターに足を踏み入れた。
自分の知っている世界より、自分の知らない世界に浸りたかったのかもしれない。
数あるゲームの中で格闘ゲームを選んだ。
キャラ選択で強そうな赤いパンツをはいた大男を選んだ。
しかし操作方法がわからず100円があっという間に消えた。
だがなぜだか諦めず何度も挑戦した。
千円程つぎ込んだところで声をかけられた。
「ねぇ、碧さんじゃない?」
振り向くと一人の女性が立っていた。
「えと……」
誰だかわからずに返答に困っていたが女性は続けた。
「高等部の吹奏楽部でちょっとだけ被ってた気がするんだけど?」
「あっ!七種《さえぐさ》先輩……」
思い出した。
2年上の少しつり目の綺麗な先輩で、1年生の時に向こうは3年生だったはず。
ただ先輩は部活にはあまり顔を出しておらず接点もほとんどなくて、タバコを吸ってるだとか、飲酒してるだとか、大学生の彼氏がいるとか、外で喧嘩ばかりしてるとか色んな噂が立っていて、うちの学校では珍しく浮いた先輩だったのでなんとなく覚えている。
「覚えていてくれたんだ」
「はい。わたしの事も覚えていてくれたんですか?」
「碧さん結構噂あって有名だったよ。めちゃくちゃ可愛くてめちゃくちゃ頭良い子が新入生で入って来たって、当時うちのクラス中の女子がざわついてたよ」
「そんなぁ……七種先輩の方がいっぱい噂ありましたよ」
「どんな噂?」
「あ……えと……」
「ごめん。意地悪な質問しちゃった。あの頃色んな噂あったからね。でも9割はデタラメだよ。ただ1割はホントの事だったし、否定するのも面倒臭いから放っておいたら噂が独り歩きしちゃって。そしたら校長先生とかにも呼び出し喰らって大変だったんだよ。さすがにその時はちゃんと弁解したんだけど、あまりにもしつこく問い詰めてくるから、最終的に全部認めて卒業目前で自主退学したんだ」
「そうだったんですね」
アオは自分とは正反対の先輩に対し、なぜだか不思議な居心地の良さを感じていた。
「でも碧さんがこんなとこで、しかも格ゲーなんかやってるの超意外だったよ」
「実は今日初めて入ったんです」
少し照れながらアオは答えた。
「そか、色々あるよね……」
「――……――」
うつむいたわたしを見て、先輩は詮索することなく、それ以上は何も聞かなかった。
少しの沈黙があったあと先輩は会話を戻した。
「ね、そのキャラ難しいからこっちの方がいいよ」
そう言って、選択画面で道着を着た飛び道具のあるキャラや、素早く扱いやすい女の子のキャラなどを教えてくれ、そのままご教授することになりしばらく特訓した。
「やったー、大分うまくなったね!」
「はい、ありがとうございます!でももう1回あのおじさんキャラでやっていいですか?」
「うん、でもどうして?」
「あのおじさん、さっきずっとやってて全然勝てなくて、なんか可哀そうで……」
「あはははは。いいよ、じゃああのおじさんで勝とう!」
そう言って、その後もしばらく先輩はアオ付き合ってくれた。
どれくらいの時間が立っただろうか。二人とも時間を忘れ、赤いパンツの男の勝利に執着していた。
「そう、そこで距離つめて!」
「はい!」
「うかつに飛んじゃダメ!」
「はい!」
「レバーをくるっと回して!」
「はい!」
「もっと素早く!」
「はい!」
そして遂に……
「やったー!クリア出来ました!」
「おめでとう!アオちゃん凄すぎ!」
「ありがとうございます!」
「わたしだってあのキャラでここまで進んだことないのに」
「いやいや、先輩のおかげです!」
「わたしは全然だめだよ……」
そういった先輩の表情は少し悲しげだったが、あまり深く気にすることはなかった。
「あ、なんかわたしばかり楽しんですみません!」
「ううん、どんどん上達するから見てるこっちも楽しかったよ」
「もしよかったら他のゲームでも遊びませんか?」
「うんうん。いっぱい遊んじゃおう!」
そうして先輩に教えてもらいながら二人でリズムゲーをしたり、持ち前の知識を活かしてクイズゲームをしたり、楽しい時間を過ごした。
「やっぱ賢い子はなにやっても呑み込みが早いねー」
「ううん、先輩の教え方が上手なんです!」
「あ、その先輩っていうのちょっとよそよそしくない?」
「え、ごめんなさい。でも、なんて呼べばいいですか?」
「私下の名前が琳瑚《りこ》って言うんだけど、もし妹ができたらりこちゃんって呼ばれたかったんだ。結局できなかったんだけどね。だからアオちゃんにそう呼んでもらえれば嬉しいんだけど……ね?ダメ?」
「え、いいんですか?」
「うん!」
「じゃあ、りこ……ちゃん……」
「うん!やったー!」
アオも最高のお姉ちゃんができたみたいで本当に嬉しかった。
日も暮れかかり、そろそろ出ようかという雰囲気になったとき、クレーンゲームに目が行った。
「あ、赤いパンツのおじさん!」
「お、ホントだ!」
ゲーム機の長方形のガラスに囲まれた中に、小さなぬいぐるみの山があり、奥の方の目立たないところに手のひらサイズの赤いパンツのおじさんはいた。
あまり物欲などないアオだったが、この時はそれが欲しいと思ってしまった。
その気持ちを察してか、琳瑚は「ちょっと待っててね」と言って、両替機に向かっていき小銭を作って戻ってきた。
「アレ取ってあげるね」
そう言ってコインを入れ、腰を曲げ、頭を下げて、真剣な眼差しで①のボタンに手をかけた。
そして続いて②のボタンを押し、クレーンはぬいぐるみの山に向かって腕を振り下ろすが、手前の方にいる人気キャラたちが邪魔で、無情にもクレーンの腕はおじさんには届いていなかった。
「これは長期戦になりそうだな」
「あの、りこちゃん!店員さんに言って、手前の方に持ってきてもらおうか?」
「ううん、今日はそんなずるして取りたくない」
「でも……」
「今日のアオちゃん見てたら、正々堂々と取りたくなっちゃった――」
「――……――」
その後も両替機を何度も往復し、おじさんも段々と良いポジションに近づいてきた。
そして数千円も費やした頃、やっとクレーンの端っこにおじさんは乗っかり、ぷるぷる震えながら手前の穴に飛び込んだ。
「やったー!」
二人して大声で叫んでいた。
気付けば周りに人が集まっていて、二人に惜しみなく拍手をしてくれた。
二人とも顔を真っ赤にしていたが、それよりも『先輩が私の為に取ってくれた』、アオはそのことが何より嬉しかった。
「なんか赤いパンツのおじさん以外にもいっぱい取れちゃった。ね、どれがいい?」
「もちろん、赤いパンツのおじさん!」
「だよね!」
琳瑚はニカっと笑い、アオに赤いパンツのおじさんを手渡した。
(このまま朝までりこちゃんと過ごしていたいな)、アオはそう思っていたが、琳瑚のスマホに通知音が鳴った。
「わ、ごめーんアオちゃん。仕事の予約入っちゃった。すぐ用意して行かなくちゃ」
「あ、そうなんですね」
残念な気持ちが顔に出ないよう努めた。
「アオちゃんこの後どうするの?」
「うーん、取りあえずネットカフェに寄ってから帰ろうと思ってます」
「そっか。じゃあ申し訳ないけど、わたし行くね。またねー」
「はい、ありがとうございました。あ……」
最後に連絡先を聞こうと思ったが、急いでる先輩を前に躊躇って聞きそびれてしまった。
アオは急に一人になって寂しく感じたが、小さな赤いパンツのおじさんがいたのを思い出し、手に取って少しだけ明るい気持ちになれた。
ネットカフェに入るのも初めての事だった。
ホテルに泊まれるほどのお金はなく、必然的にネットカフェしか選択肢がなかった。
しかし入り口で会員登録する時に、18歳未満は23時までしかいられないと言われ、渋々18時からの5時間パックにする事にした。
中に入ると大量の漫画や雑誌、ダーツやビリヤードなどもあり、普通に来てたら楽しそうな場所なんだろうなと思った。
でも今はそれらには目もくれなかった。目的があってここにきたのだ。
AVを見に来たのだ。
そして確認したいこともあった。
座敷の狭い個室に入り、PCの電源を入れ、壁にかかっていたヘッドフォンを付け、検索していよいよ初めてのAVを鑑賞しはじめた。
まずはサイトの最初の方のページの可愛い子が出てくる所謂普通のAVから見だした。
こうやってまじまじと男女のまぐわいを見るのは初めてだった。
体がほてってくるのがわかった。
(学校のみんなもこういうの見てるのかな?もしかしてもう経験済みの子もいるのかな?)、色んなことをかんがえながら様々な作品を物色した。
1~2時間ほど閲覧したあと、意を決して次の作品を見ることにした。
SM物だった。
しばらく見て、さっきより体がより熱くなっているのを感じた。
その後も何本も見た。
確実に興奮していた。
頭がぐるぐるしだして、気付くと自分の体を触っていた。
左手で小さな胸をまさぐり、右手で自分の中に手を入れた。
初めての自慰だった。
一度果ててもまだ興奮は収まらなかった。
SM物の他の作品も見続けた。
そして何度も何度も果てた。
今日親の寝室で見た時の体が煮えたぎる感覚と全く一緒だった。
海で泣いたのも吐いたのも、親のせいではなかった。
それを見て興奮していた自分に対しての、恐怖、不安、嫌悪からだと分かった。
しかし今、自分の中で何かが目覚めるのが分かった。
母親のようになりたくはない、支配されたくないと思った。
そして父をも支配したいと思った。
最後に果て、気付いた時には22時55分を回っていた。
下に敷いていた座布団は水浸しになっていた。
急いで出る準備をして荷物をまとめた。
テーブルの上のコップの水を座布団にかけて誤魔化した。
出るときに店員さんに謝った。
お詫びに、島レモンクッキーを渡した。
店員さんは遠慮していたが、「もういらないんで……」と言ってそのまま置いてきた。
行く場所もなく、駅の付近をぐるぐる回り、やがて0時を過ぎ、疲れ果てて駅の地べたに座り込んでいた。
しかし帰る選択肢はなかった。
あとからばれる事とは思うが、現段階で親からの連絡は入ってきていないから、塾側から親に連絡は伝わっていないはずだ。
なによりこんな時間に帰る方がリスクが高い。
何事もなかったかのように翌日帰る方が賢明だ。
帰りの電車賃を考慮すると、もう缶ジュースくらいしか買うお金はない。
時折悲しくなったり、寂しくなったりしたが、赤いパンツのおじさんがアオを慰めてくれた。
このまま朝まで過ごすのかな、なんて考えていたが事態は変わった。
警官が見回りに来ていた。
二人いる。
見つかれば補導されるかもしれない。
そっと離れようとした時、若い警官と目が合った。
ダメとわかっていたが、焦って走り出してしまった。
振り返ると二人が追いかけて来ているのがわかった。
振り切ろうと必死で走ったが、それでも警官は追いかけてくる。
路地裏の角を曲がったあたりで、体力が切れてもう動けなくなった。
そして、腕を掴まれた。
「アオちゃん!?」
「――!」
腕の先に琳瑚の顔があった。
「どうしたの!?家帰んなかったの!?」
「りこちゃん……」
無意識に琳瑚に抱き着いていた。
その後、警官が去ったのを確認した後、二人は動き出した。
琳瑚の提案で、琳瑚のアパートに泊めてくれることになった。
元町方面に向かう道はもう静まり返っていた。
「ごめんね、大事なお客さんからで、急いでたからアオちゃんの連絡先聞くのすっかり忘れちゃってて――」
「ううん、わたしも家に帰るって嘘ついてたし、ネットカフェにも泊まれるって思ってたから」
二人は本物の姉妹のように寄り添うようにして帰りの道をゆっくり歩き、やがて小さなワンルームマンションに着いた。
暖かいお風呂と温かいお茶を用意してくれた。
今日一番ゆっくりできた瞬間だった。
そして、今日あった家での出来事、ネットカフェでの出来事、全て琳瑚に話した。
一通り話してアオはベッドに、琳瑚は布団で寝ることにした。
淡い灯りの中でも、二人はしばらく話していた。
「わたし変だよね……」
「ん?なんで?」
「だって……」
「変じゃないよ」
「――……――」
「ちっとも変じゃないよ」
琳瑚は優しく言ってくれた。
「でも……」
「わたしね、風俗嬢なんだ――」
「え?」
「お芝居の勉強してるって言ったけど、嘘……デリヘル嬢ってやつ。知ってる?」
「ううん、なにそれ?」
「お客さんのいるホテルとかに行って、エッチなことするの」
「そうなんだぁ」
「でね、すっごい変態なお客さんとかいるんだよ。みんなそうなんだよ」
「あはは、なにそれー?」
「だからね、今日アオちゃんが感じた事とかした事とか全然普通なんだよ。ただそれに気付くか気付かないか、隠して生きるか隠さずに生きるか、ただそれだけの違いなんだよ」
「そっかぁ……」
「うん」
「わたしも風俗嬢になれるかなぁ?」
「え?アオちゃん風俗嬢になりたくなったの?」
「うん、女王様。鞭持ってビシバシするの」
「あはは、アオちゃんにできるかなぁ」
「できるよー、遺伝子受け継いでるしね」
「そか、じゃ、わたしと気が合うね。わたしMだから……」
その晩、アオは琳瑚を襲った。
ちっとも変な事じゃなかった。
次の日空は晴れて、結局台風は逸れて太平洋に消えていった……
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